第21話 三砂の思い
左大臣の邸にて建国神話の絵巻物を見たその後日、糸季は三砂の表情が浮かないことに気付いた。
「三砂様、どうなさったのですか?」
「ああ、姫様。……いいえ、何でもございません」
「何でもない人の顔色ではないです。わたしでは力不足かもしれませんが、良ければ話してもらえませんか?」
あまり
「姫様に申し訳なかったと、今更ながらに思いまして」
「申し訳ない? 何がですか?」
きょとんと目を丸くした糸季に、三砂は微苦笑を浮かべる。
「姫様の負担になっていないのならば、良いのです。けれど、あまりに初めから期待をかけてしまいましたから……頑張り過ぎておられるのではと思ったのです」
「三砂様……ありがとうございます」
糸季は素直にそう言った。
勿論、最初は戸惑いの方が大きかった。何故、都とは縁もゆかりも無いような田舎貴族の姫君である自分が、二の皇子の正室候補となるのか全くわからない。更に友もなくたった一人で踏み込んだ先で、極少数の味方以外から向けられる視線は厳しいもの。まだ何も持たなかった時、澪に頼んで帰る選択肢もあったのだ。
それでもその選択肢を選ばなかったのは、ひとえにここにいたいという気持ちがあったから。澪を知り、三砂を知り、和史を知った。他にも幾つかの出会いがあり、それら全てが糸季にとっての敵ではない。
「だから、嬉しかったのです。三砂様。わたしがどうして澪殿下の正室に選ばれたのかはわかりませんが、三砂様も左大臣様も、わたしを温かく受け入れて下さいました。……それに、澪殿下も」
「そうおっしゃって頂けて、私こそ嬉しゅうございます。そうですね、澪殿下は特に……」
「三砂様?」
はたと口を閉じた三砂に、糸季はどうしたのかと尋ねた。澪と糸季の関係について、澪に聞けと再三言われてきた。言えないのならば、いつか時が来た時聞けば良いと思っている。
「ですから、無理しないで下さいね?」
「……ここまでおっしゃって頂いて、まだ知らぬ存ぜぬなど、出来ません」
三砂は息をつくと、姿勢を正して糸季を見つめた。糸季も何となく背筋が伸び、二人して正座で向かい合う。
「あの、三砂様?」
「姫様は私を使う立場なのですから、三砂と呼び捨てて下さっても良いのですよ?」
「でももう、慣れ親しんでしまいましたから。それにわたしにとって、三砂様は都での師匠ですし。ないがしろにすることなど出来ません」
「ええ、貴女はそういう方ですよね。……姫様、今から私は独り言を申します」
「え? は、はい」
突然何を言い出すのか。目を丸くする糸季だが、三砂の表情は冗談を言っているわけではない。わけがわからないまま、糸季は頷かざるを得なかった。
「わかりました。独り言、言って下さい」
「……私はまだ子どもの頃から、澪殿下に仕えていました。仕えると言っても子どもでしたから、遊び相手をする程度。雫殿下もその頃はまだ、弟殿下を気にしておられました」
「……」
どうやら、一人語りは昔話らしい。糸季は口を挟まず、じっと聞き入っていた。
「ある時、私と澪殿下は天叶国の辺境へ送られました。その頃はまだ帝が帝の地位を継いだばかりでしたから、そちらが落ち着くまでという意味合いもあったことでしょう。……兎に角、私たちはとある地でひと月ほど過ごしました」
その地の領主はまだ若い夫婦で、子どもだけでやって来た二人の世話を焼いた。彼らにも幼い子がいて、その子と同様に接したのだ。
「私はよくご夫婦の手伝いをしていました。何かしているのが好きな子どもでしたから。……一方澪殿下は、あることをよく気にしておられました」
「たった二人でなんて、心細かったでしょうね。……あれ?」
姉と弟のような子ども二人。よく働く姉と、 それを手伝ったり模造剣をふったりしていた弟。不意にそんな光景が頭に浮かび、糸季は首を捻った。
(わたし、知っているかもしれない。思い出の中に、そんな風景があるような……)
糸季の「あれ?」という反応に、三砂はあえて何も言わない。
あともう少しで、引っ掛かりの正体がわかる。そう思って記憶を引き出そうとするが、何故かもう少しのところでうまくいかない。糸季は、衣のあわせを握った右手に左手を重ねた。
「ご夫婦にいた子は、二人。どちらも女の子でした。姉はどちらかというと私と歳が近く、妹は澪殿下と一歳違いでした。ご家族四人と、私たち。朝餉から夕餉まで、毎日のように共にしておりました」
「――待って下さい、三砂様。あの、もしかしてなんですけれど」
どくんどくん、と不規則に胸の奥が音をたてる。糸季は胸元の衣のあわせを握り締めて若干青白い顔をしつつ、何度も口を開けては閉じた。
そんな糸季の様子が可愛く見えて、三砂は小さく微笑んでから「失礼致しますね」と一言断りを入れてから動く。主である糸季の口元に人差し指をあて、かすかな声で「しー、ですよ」と囁く。
「そこから先は、是非本人に確かめて下さいませ。……これから、殿下にお会いしませんか? そこで、心のモヤつきをほどいて下さいませ」
「三砂様……。お、お会い出来るのであれば、会いたいです。会って、確かめたいことがあります」
「ならば、参りましょうか」
三砂に背中を押され、糸季は彼女と共に左大臣の邸へ向かった。
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