第15話 可能性

 澪の右腕には、雨神様と同じ白蛇の形の痣がある。その事実を知り、糸季は同様のものを別の場所で見たことを思い出した。


「……実は殿下の痣とよく似たものを、最近見ました」

「おれ以外に……? いや、そうだった。このお蔭で、俺は兄上を殺そうとしたんじゃないかと疑われたんだったな」

「じゃあ、ご存知なんですか?」


 糸季が尋ねると、澪は「ああ」と頷く。


「左大臣が教えてくれた。だから、これ以上疑われないように、と匿ってくれたわけなんだが」

「そうだったんですね……。蛇のような痣、知っている人が見れば、確かに疑ってしまうのかもしれませんが」

「――っ、俺は」


 何かを言いかけ、止める。歯を食いしばる澪を真っ直ぐに見つめ、糸季は「違いますよね」と真剣な顔で首肯する。


「澪殿下は、兄上様を傷付けるために行動を起こすことはない。そう信じています」

「ない。それに俺には、何か特殊な力を操ることも出来ない。……この蛇が勝手に動くというのなら、話は別だが」

「では、何故蛇のような痣が一の皇子様の腕に?」


 それが最たる問題だ。痣が蛇のように見えることから、澪の関係が疑われる。

 二人して首をひねるが、なかなかこれといった考えが浮かばない。しかし少しして、糸季は「もしかしたら……」と呟いた。


「どうした?」

「もしかしたらなんですけど、犯人は澪殿下がやったことにしようとしたんじゃないでしょうか?」

「つまり、なすりつけようとした?」

「はい。そう考えるのが自然かと」


 糸季が言うと、澪は腕を組んでしばらく何かを考えていた。そしてふと、何かを思い付いたのか口を開く。


「……陰陽師」

「え?」

「基本的に彼らは星を読み暦を作り俺たちに指針を示す存在だが、その中には人並み外れた特別な力を手に入れる者が時折現れると聞いたことがある」


 陰陽師は朝廷に仕える官職の一つだが、その生業は特殊だ。時には帝さえ動かし、世を動かす。高名で腕の確かな者の中には、特殊な技術を習得する者もいた。澪が言うのは、そんなごく一部の者たちのことだ。

 しかし、糸季には陰陽師の更にその中から雫を傷付け澪を蹴落とそうとした誰かを見付け出すのは困難だと思われた。


「でも、澪殿下の振りをした陰陽師を見付けることなんて……難しいとですよね」

「難しいだろうな。おそらくだけど、その陰陽師が自ら企てて実行したとは考えにくい」

「どうしてですか?」

「陰陽師は、基本的に自らの意思で呪うことはない。大抵は誰かの依頼を受けて行うんだ。他人を呪うことは、相応の返しがあることを考えておかなければならない。そんな危ういことを、ちゃんとした陰陽師は自らやらないだろう」


 人を呪わば穴二つ。誰かを呪う時、呪いを発する者は己に同等かそれ以上の呪いが返って来ることを覚悟しなければならない。陰陽師は呪いを依頼された時、呪いが返されたら依頼主に向かって返るように術を用いる。陰陽師自身は呪い返しの術を心得ているため、自らを守ることは可能だ。


「ということは、まず依頼主を見付けなければならないということですか? ……それこそ途方もない話になってしまいますね」

「ああ。それでも、どうにかして見付け出さなければな。左大臣にも協力を仰ぐか。俺が自分で動ければ良いのだけど、内裏や大内裏の中を好き勝手に動くことは出来ないしな。……兄上にこれ以上の被害がいかないように、どうにか抑え込む術があればい……何だよ、その顔は?」

「へ?」


 目を瞬かせた糸季は、自分の頬に両手をあてる。変な顔をしていただろうかと首を捻ると、澪が表情を緩めた。


「ちょっと笑ってたぞ」

「あ……そうなんですね。ふふっ、気付きませんでした。だって、自分が大変な時なのに、ご自身じゃなくて相手のことを思っておられるんですから」

「……当たり前だろ。今案ずるべきは、兄上だ」

「……そういうところが、三砂様たちの思われるところでしょうね」

「何の話だ?」


 本気でわからない、という顔をする澪。そんな彼に対し、糸季はふるふると首を横に振った。


「お気になさらないで下さい。独り言みたいなものです」

「……そうか。ひとまず、この件は左大臣にも助けを求めることにする。俺が動けばあらぬ噂を呼びそうだ。頼んでも良いか、左大臣?」

「仰せの通りに致しましょう、殿下」


 少し楽しそうな声は、確かに左大臣のものだ。彼も三砂同様、近くに控えているのだろう。

 澪はそんな左大臣和史の声にわずかな疑問を抱いたが、放置した。

 左大臣の足音が遠退くのを聞き、澪は肩の力を抜く。糸季は彼が少し気を楽にしたように見えて、軽く肩を震わせた。


「緊張なさっていたんですか?」

「そういうわけでもないんだがな。世話を掛けている分、申し訳なさもある。……そうだ、一つ気になったんだが」

「何でしょう?」


 小首を傾げた糸季の顔を、澪がじっと見つめる。それから、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「俺の『痣とよく似たものを、最近見ました』と言ったけれど、それは何処で?」

「えっ。……澪殿下? あの、近……」

「答えてくれ」


 身を乗り出した澪と糸季の物理的距離は、拳一つ分もない。その近さに顔を赤くして戸惑う糸季に、澪は有無も言わさない圧で改めて問う。


「誰のもとで見た?」

「……一の皇子様の、澪殿下の兄上様の手首に同じような痣がありました。あちらは黒ずんでいましたが……」

「……そうだよな、うん」

「みっ、澪殿下……?」


 がくりと項垂れた澪に、糸季は驚き「どうなさったのですか!?」と尋ねる。しかし澪はしばしそのまま固まった後、息を吐いてから体を起こす。


「悪かった。……兄上に、あまり近付き過ぎないでくれ。心配になる、から」

「――はい」


 目を丸くしてから、糸季は頷き微笑んだ。どんな相手が隠れているか分からない以上、軽率に動くべきではないだろう。


「また来ます。早く、戻ってきて下さいね?」

「……ああ」


 糸季と三砂を見送った後、澪は前髪をぐしゃりと手で掴み呻いた。


「……妬いてんじゃねぇぞ、俺」


 苦々しい呟きは、当然誰の耳にも届かない。澪は糸季たちの乗った牛車が見えなくなってから、周囲を見渡し左大臣の邸へと戻った。

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