第14話 触れられたくなかったもの
雫と話し、糸季は澪が自分に何かを隠していることをはっきりと知った。何度も疑念を抱くことはあったが、皆が皆時が来たらわかると言うばかりで埒が明かない。
(きっと、雫殿下を襲った犯人に近付くためにも知らなきゃいけない)
糸季は雫のはからいで、翌日に左大臣の邸を訪れた。内裏を出る際の手続きは煩雑だと聞いていたが、雫と三砂がいたことでさっさと済んでしまった。更にそこには、左大臣も一枚噛んでいると聞く。
「こちらでお待ち下さい」
「ありがとうございます」
牛車に乗ったが、左大臣の邸は大内裏から程なくしてある。邸に着くと待っていた家人に案内され、とある部屋へと通された。
「姫様、私は渡殿におります。話は聞いておりますから、何かあればお声がけ下さい」
「わかりました」
糸季が頷くと、三砂は部屋から姿を消す。御簾の向こう側にいることはわかっているが、気配を絶っていて何処にいるのかわからない。
糸季は無意識に唾を飲み込み、澪が来るのを待つ。
「……?」
少しして、何やら数人の話し声が聞こえて来る。そのどちらも聞き覚えがあり、糸季はほっとした。よかった、元気そうだと。
やがて話し声は消え、足音だけが近付いて来る。それも部屋の御簾の前で立ち止まり、躊躇いがあってから一人の青年が入って来た。
「……本当に来たのか、糸季」
「はい、殿下。……よかった、お元気そうですね」
ほっと肩の力を抜いて微笑む糸季を前にして、澪は「ほんとにお前は……っ」と言葉を呑み込んだ。それから息をつき、糸季の前に胡座をかく。正式な場ではないため、二人の距離は人一人分の遠さしかない。
間近に澪の整った顔立ちを目にして、糸季はカッと顔に熱が集まるのを感じた。ドッドッと胸の奥の音が速まり、思わず両手を胸の前で組む。
(何、これ……? 嫌じゃないけど、顔あっつい)
思わず視線を彷徨わせる糸季を心配そうに見つめていた澪だが、病ではないと察して目を細める。
「……少しは、意識してくれたみたいだな」
「澪、殿下?」
「いや、今はいい。何か用があったんだろ、俺に」
「はい。殿下に、聞きたいことがあるのです。殿下は、わたしに何か隠しておられるのではないですか……?」
「……」
取り繕っても仕方がない。そう考えた糸季が直球で尋ねると、澪はわずかに視線を逸らした。
どれほど交わらないにらめっこを続けただろうか。根負けした澪が、左手で右腕を長い袖ごと掴んだ。深く息を吐き出し、俯いてぼそりと言う。
「……。言わずにいたかった。そうでないと、言ったらきっと糸季はいなくなってしまうから」
「それは、どういう……?」
ことですか。糸季が尋ねる前に、澪が袖を二の腕までまくった。それによって
「その痣は……?」
「……これが、俺が帝や兄上から嫌われる理由の一つだ。生まれた頃はごく薄かったらしいけれど、成長と共に濃くなっていった」
澪の右腕にあるのは、巻き付いたような蛇の形の痣。白く浮き上がったそれは、肌の色と比較しても白く、不思議と浮き上がって見えた。一部の鱗も彫り込まれたように鮮明で、まるでそこに本物の一匹の蛇が巻き付いているかのようだ。
突然の出来事に呆気にとられ固まった糸季を見て、澪は表情を曇らせる。
☆☆☆
(やはり、離れて行ってしまうのだろう)
心のどこかで期待をしていた。糸季ならば、あの時のように言葉をくれるのではないかと。しかしそれもかなり前のことであって、成長すれば考え方も変わるのは当然のことだと自らに言い聞かせた。
呼吸が浅くなる。澪は糸季に気付かれないよう、息をゆっくりと整えてまくった袖を支えていた左手を離す。ふわりともう一度腕を覆い隠したことで、ようやく澪は胸を撫で下ろした。そして、出来るだけ平静に見えるようにと顔を意識する。
☆☆☆
「変なものを見せてしまった。すまない、忘れ……」
「――澪殿下」
「し、き……?」
「あっ……ご、ごご、ごめんなさい!」
目を丸くした澪の表情は、糸季の目には映っていない。何故ならば、彼女は今正面から澪を抱き締めていたから。
今度はあまりの出来事に思考が追い付かない澪が硬直し、彼に抱き着いていた糸季は大慌てで彼から体を離した。勢いのままに抱き着いてしまった自分の行動に驚きつつ、早く言わなければと心が逸る。
糸季は澪を悲しませたいわけではない。伝えなければ、と糸季は彼の手に自分の手を添えて顔を上向けた。間近に見える澪の揺れる瞳に、精一杯の誠意を籠めて言葉を紡ぐ。
「ごめんなさい。わたしが早く、ちゃんと口にすれば貴方を傷付けないで済んだのに。……綺麗で、驚いたんです」
「え?」
「白い蛇が、そこにいるみたいで。綺麗だなって。凄く子どもみたいな言葉しかなくて申し訳ないのですが……わたしには、ここにある痣が怖いものだとは思えません。まして、嫌悪する理由にするなんて……どうして」
ぎゅっと澪の手を握る力を強め、糸季は「うまく言えませんが」と言葉を尽くす。
「わたしは、これを見せられたとしても、きっと貴方の傍から離れたりしませんでしたよ。貴方が貴方であることに、何も変わらないですから」
「……糸季」
糸季の真っ直ぐな気持ちが伝わり、澪はようやく不器用に微笑んだ。「ありがとう」と呟いて、糸季の目を真っ直ぐに見つめ返す。
「これもあったから、占者は俺を雨神様の生まれ変わりだと信じたんだ。その頃はまだごく薄い色だったけれど、それでも蛇がいるのは見えたから。……蛇は水の神の化身だというからな」
「そうだったのですね。……綺麗だと思います、とても」
「……」
糸季は精一杯に言葉を尽くし、澪は心の檻のようなものがゆっくりと薄まっていく。
(あの時と同じだ)
幼い頃の、忘れられない思い出を思い、澪は頬を緩ませる。糸季は覚えていないだろうが、澪はあの時も彼女の言葉に救われたのだ。
(いつか、思い出してもらうから)
澪の指が糸季の顔にかかった髪を払い、二人は目を合わせて微笑み合った。
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