第13話 手首の痣

 約束の夕刻と相成り、糸季は三砂と共に使いに導かれて密かに内裏を奥へと進んだ。当然渡殿を歩いて向かったのだが、何故か誰ともすれ違わずに目的地へとたどり着く。驚く糸季たちに、使いを務めた青年は「ちょっとしたコツがあるのですよ」と微笑んだ。


「さあ、こちらです」

「……はい」


 糸季たちが案内されたのは、内裏の奥。限られた者たちしか入ることを許されない区域で、心なしか空気も異なる。

 糸季は三砂と共に、とある御簾の前に膝をついた。すると使いの青年が、内側へと声をかける。


「皇子様、お連れ致しました」

「ありがとう。下がって良いぞ」

「はっ」


 青年が去り、部屋には一の皇子である雫と糸季、そして三砂が残される。三砂は気を使ってその場を一時退室しようとしたが、雫が止めた。


「三砂、貴女も澪のことが気になるだろう。声が出ない期間があって何も言えずにいたが、いつの間にかあいつが私を殺そうとしたという話になっているな。そのあたりのことを聞きたくはないか?」

「……私は、澪殿下の無実を信じております」

「だそうだが、貴女はどうだ。春宮の姫」

「澪殿下は無実です。そう信じて、それを明らかにするためにここにいます」

「良い目をしている。……全く、あいつは良い者たちに支えられているな」


 肩を竦め浅く笑い、雫は「こんな格好で申し訳ない」と自分の服装を謝る。

 雫の服装は、きっちりとした直衣姿ではない。狩衣という、おおよそ普段の皇子が着て人前に出るような衣服ではないものだ。


「まだ治ったわけではないのだから、と右大臣や帝がおっしゃるのだ。公務に復帰もさせてもらえない」

「……何処か、お悪いのですか? 水に引きずり込まれ気を失った、とは聞いたのですが」


 幸い、雫は糸季の目の前で胡座をかいて座って話をしている。確かに少しやつれて見えるが、何もかも止めて休まなければならないという状態には見えなかった。

 糸季がそう尋ねると、雫は「見せていないからな」と呟く。


「え?」

「……人払いを」


 低く響く雫の言葉に、周囲から気配という気配が消えた。人払いによって三人以外、この部屋周辺には誰もいなくなる。

 遠くで鳥が鳴いた。それを合図としたように、雫が右の袖をまくる。


「見てみろ」

「え……?」

「これは……」


 目にしたものに、糸季と三砂は言葉を失った。二人が見たのは、手首に蛇が巻き付いたかのような痣。それは赤黒く、白い雫の肌の上で異彩を放っていた。


「何ですか、これは……?」

「歌会で水に引き込まれた後、目を覚ましたら既にあった」

「凄く……痛々しいです。痛みはありますか?」

「今はほとんどない。最初に目覚めてからしばらくは鋭い痛みで寝られないこともあったが、それは徐々に消えていった。その間、声が出なかったな。……しかし貴女は、自分のことでもないのにそんな顔をするんだな」


 ふっと微笑む雫が何故笑うのかわからず、糸季は首を傾げる。「どうして笑うんですか?」と目を瞬かせると、雫は「いや」と軽く首を横に振って話柄を変えた。


「まあ、この痣が消えない限りは公務には戻れない。仕事中にこれを見られたら、またあらぬ噂がたちかねないからな」

「……では、どうしてわたしたちを招いたのですか? わたしたちが殿下の現状を知って、それを言いふらす可能性を考えなかったはずがありません」

「考えはしなかった」

「……え?」


 さらりと言われた言葉に、糸季は当惑する。斜め後ろを振り返れば、三砂も同様に不思議そうな顔をしていた。

 そんな二人を交互に見てから、雫は糸季たちが噂を流さないという確信を持っているんだと笑う。


「澪とのこと、時折耳に入って来るんだ。互いに誠実に、向き合っているという話をな。だから、私の秘密もきちんと守ってくれると信じているぞ」

「過大評価の気もしますが、善処します」

「私も。決して口外致しません」


 折角、一の皇子からの信頼を得られたのだ。その期待には応えたいと糸季は思っていた。例えそれが、澪を嫌悪する相手だったとしても。自分を通して、少しでも向ける気持ちが和らげば良い。

 そんな糸季の気持ちを察したのか、雫は「そういえば」と糸季に話を向けた。


「春宮の姫、貴女はこの痣を見て何か思いはしないのか?」

「思う? 何をですか?」


 きょとんとした糸季を見て、雫は何故か息をつく。そして、やれやれと肩を竦めた。


「……あいつ、話せていないのか。まあ、それも致し方ないことではあるが」

「一の皇子様?」


 一体何のことを言っているのか。糸季が困惑していると、雫は三砂に視線を向ける。すると三砂は、ハッとした後にゆるゆると首を横に振った。それを見て、雫は軽く頷いてみせた。


「……?」


 一人置いてきぼりをくらった糸季は、おそらく二人が思う痣についての何かが、澪に関係することであることは察した。それでもその内容まではわからず、居心地が悪い。


「あの……、わたしだけが何かを知らないようなのですが……」

「時が来れば、澪が言うだろう。それまで、私たちが言うべきではない。そうだろう、三砂?」

「はい。申し訳ありません、姫様……」

「やはり、澪殿下に関することなのですね」


 考えてもわからない。自分は、澪について知らないことが多すぎるのだ。肩を落とす糸季は、ふと気付いて三砂を振り返った。突然のことに驚く三砂に、畳みかける。


「三砂様。三砂様は雫殿下のおっしゃることが何かをご存知なのですよね?」

「はい」

「それは、澪殿下ご本人から聞くべき、なのですよね?」

「……その通り、でございます」

「ならば、聞きに行きたいです」

「え」

「おっ?」


 ぽかんとした三砂と、楽しそうに身を乗り出す雫。二人に向かって、糸季ははっきりと宣言した。


「澪殿下に、会いに行きたいです」

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