第26話 証明
正気に戻ったものの眠ってしまった澪を見守っていた糸季だが、いつの間にか眠ってしまっていた。そして、また夢を見た。
(ここは……春宮?)
幼い頃から見慣れた景色だ。山があり、川が流れ、人々の営みがある。都のように邸が立ち並ぶことはないが、ぽつりぽつりと人々の家があり、声が聞こえていた。
糸季は何となく心惹かれる方へと足を進め、やがてまたも見慣れた邸の前へ出た。外には誰もいないかと思ったが、丁度幼い糸季が飛び出して来る。
「……さま、こっち」
舌足らずな声を発しつつ、幼い糸季は誰かの腕を引いている。きらきらした笑顔でその誰かの顔を見上げる糸季は、なんとも嬉しそうだ。
「こっちです」
「わかった、わかったってば!」
あの声は、と今の糸季は顔を上げる。前回夢を見た時は、声の主まで確認することは出来なかった。
(今回は、確かめられるかな……?)
一抹の不安を抱きつつも、糸季はじっとその時を待つ。そして幼い糸季によって外へ引き出された少年の顔を見て、思わず「あっ」と声を上げた。
☆☆☆
「……さま。糸季姫様、朝でございます」
「貴方は……三砂さま? あれ、いつの間にか寝ていた?」
「おはようございます、姫様。眠っておられましたよ」
「おはようございます。……夢か」
見慣れた女房の顔にほっとして、糸季は上半身を起こす。陽の光が御簾を通して入って来ており、もう朝なのだと言葉はなくとも告げていた。そして、徐々に夢の景色は朧げになる。
(あれは間違いなく……。落ち着いた頃、訊いてみないと)
身支度を整えながら、糸季はそう心に決めた。今はまだ、彼を問い詰めるわけにはいかない。
ちらりと振り返れば、澪はまだ目を閉じていた。三砂と共に音を殺しているとはいえ、どうしても衣擦れの音などは響く。それでも眠っているということは、澪の眠りはかなり深いのだろう。
(早く、目を覚まして下さいね。殿下……)
届けられた朝餉を三砂と共に食し、糸季は左大臣のもとを訪れる。食事をしていた時、左大臣家の家人によって和史が食後に来て欲しいと言っていたことを伝えてくれたのだ。
「失礼致します」
「よく来たな、座ってくれ」
和史に促され、糸季と三砂は円座に腰を下ろす。二人が落ち着いたことを確かめ、和史は口を開いた。
「夜、何か不都合はなかったか?」
「いいえ、何も。わたしは途中で寝てしまったらしく、三砂様に起こされてしまいました」
「ふふ、そうか。……澪も良く寝ているようだな。糸季、良ければ後でまた様子を見に行ってやって欲しい。貴女が行けば、澪も喜ぶだろう」
「はい、そうします」
「頼む」
糸季が頷いたことにほっとし、和史は「さて」と話柄を変えた。
「今、指示を出して昨日不審な動きをした者がいないかどうかを調べている。特に、この邸の周囲で発見された怪しい人物に関する知らせを集めさせているところだ」
「左大臣様は、昨日のことにかかわった誰かが近くにいたと?」
「一つの可能性だ」
しかし、と和史は首を横に振る。
「成果と言えるものはない。すぐに捕まるとも思えないがな」
「そうでございますね……。昨晩、左大臣様たちがおられなかった時のことをおられた家人の方々にお聞きしたのですが、私とあまり変わりはありませんでした」
「聞き取りをしてくれたのか。ありがとう、三砂」
和史に礼を言われ、三砂は嬉しそうに目を細めた。
つまり、邸の中からは外の様子はわからなかったということになる。特段普段と変わった様子もないという結果に、和史は腕を組んで唸った。
「怪しいと思う者はいるにはいるが……決定打に欠けるからな」
「そうなのですね。……あの白蛇のこと、絵巻を読めばもう少しわかるでしょうか?」
糸季の問に、和史は「ふむ」と顎をさする。
「昨日の絵巻は、澪が持っているはずだ。様子を見がてら、起きていたら聞いてみると良い」
「はい」
和史の前を辞し、糸季はその足で澪のもとへと向かった。もしかしたらまだ目覚めていないかもしれないが、様子だけは見たかったのだ。
「……澪、殿下?」
「糸季か?」
「え……でん、か?」
御簾の前に正座し中に声をかけた糸季は、まさか声が返ってくると思わなかった。しばし固まっていると、内側から人の動く気配がする。
少しして、御簾がさらりと動いた。
「……入れ、糸季」
少し照れを見せつつも、澪は柔らかく微笑んで糸季を促す。その姿を見て、糸季は目頭が熱くなるのを感じた。
御簾の内側に入って澪と向かい合い座った途端、ぽろぽろと涙が頬を流れ落ちる。袖で拭うが、間に合わない。
「ううっ……ぐずっ……殿下。よかったです、ご無事で……」
「泣き虫だなぁ、糸季。左大臣と糸季のお蔭で、無事だ。……ありがとう」
「本当に、怖かったんですからぁっ」
白蛇に絡み付かれてもなお、澪は微動だにしなかった。白蛇が糸季に襲い掛かっていた時も、和史が澪に近付いていた時も、澪は糸季のことも和史のことも見なかった。しかし今、糸季の前に座る澪は糸季を真っ直ぐに見ている。手を伸ばし、引っ込めることを繰り返し、迷いながらも自らの袖で糸季の涙を拭った。
「案じさせてしまったようだな。……おれ自身は、自分の身に何が起こったのか覚えていないんだ。絵巻物に描かれていた形を庭に描いてみようとしていたんだが、それ以降の記憶がない」
「絵巻物に描かれていた形……?」
そんなものはあっただろうか。思い当たらなかった糸季は首を捻っていたが、澪が御簾を上げたことでわかった。確かに、澪があの時立っていた場所に、不思議な模様が描かれている。
「どうして、書いてみようと思われたのですか?」
「……今度こそ、自分に対する変に強い期待みたいなものを捨てようと思ったんだ。これが失敗すれば、おれはやはり特別な力など持っていないと自分に証明したかったんだが」
「……」
澪の言葉に、糸季は和史の話してくれた真実を重ねる。和史によれば、澪は正しく雨神様の生まれ変わりなのだ。しかしそのことを、澪はまだ知らない。
(どうしたら良いのやら……)
糸季はわずかに眉間にしわを寄せ、澪の言葉に耳を傾けた。
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