第25話 作戦
白蛇は声を上げたかと思うと、頭から糸季へ向かって突っ込んできた。間一髪横っ飛びで躱し、糸季は慌てて後ろへ、和史のもとへと走ろうとして立ち止まる。
「どうした、糸季? こっちへ来い!」
「……っ。いえ、行きません!」
「何故だっ」
目を見開く、和史は糸季の後ろに気付いて慌てた。獲物を捕らえられなかった白蛇が、虎視眈々と糸季を狙っていたのだ。
糸季も後ろの白蛇に気付いていないわけではない。それでも立ち止まったのは、怖くて足がすくんだわけではないのだ。
(わたしが左大臣様のもとへ戻ったら、左大臣様も狙われるかもしれない。だったらわたしが囮になって、左大臣様に殿下を助けに行ってもらった方が良い)
策などありはしない。ただそれが最善だと思っただけ。糸季は不安を押し殺し、真っ直ぐに和史を見つめ叫ぶ。
「わたしが囮になります! だから、澪殿下をお願いします!」
「ば……っ、わかった!」
馬鹿という言葉を呑み込み、和史は身を翻す。こんなことで時を浪費するわけにはいかない。
後でこっぴどく叱られそうだ。和史から走り出す瞬間に鋭い視線を向けられた糸季は、肩を竦める間もなく殺意を感じてその場から逃れる。怪我することを覚悟して地面に飛び込むようにして後ろからの攻撃を躱すが、突っ込んで来た蛇の勢いに押されて転がった。
「わっ」
二度連続で獲物を取り逃がした白蛇は、悔しげに舌なめずりをする。土を吐き出し、三度目の正直とばかりに、今度は長く太いしっぽを振りかざした。
「くっ」
糸季は土埃で汚れた単を数枚脱ぎ、しっぽから身を躱す。しかし長い単の端を地面に叩きつけた尾に留め置かれ、つんのめって転んだ。その瞬間に単の端が破れ、涙目になりながらも立ち上がる。
「――っ、でん、か」
「……」
糸季の歪んだ視界にあっても、澪の姿ははっきりと見えた。彼に慎重に近付く和史がいて、糸季は和史が澪を捕まえるまで白蛇を自分に引き付けておかなければならない。
「白蛇、こっちだよ!」
衣が破れたことによって、身が軽くなる。糸季は喉を潰しそうだと思いつつも叫び、白蛇を煽るように跳ねた。幸いにもそれに白蛇が反応し、糸季は澪がいる場所とは反対方向へと逃げる。
その時だった。
「澪ッ!」
「……!?」
ドタンッと二人分の倒れた音が響く。途端に白蛇が動きを止め、目をすがめてから姿を消した。空中に紛れるように、霧が晴れるように。
白蛇を見送っていた糸季の耳に、うめき声が滑り込む。
「うっ……」
「澪、気を確かに持て! 澪!」
「澪殿下!?」
糸季が駆け寄ると、和史に背中を支えられた澪の閉じた瞼が震える。それを見て、糸季と和史が同時に澪の名を呼んだ。
顔をしかめ、震える瞼がわずかに開く。瞳はぼんやりと
「糸季……左大、じん……? どうして……」
「話は後だ。まずは休め、澪」
「……目覚めるの、待ってますね」
「……」
澪の体から力が抜け、それを支えた和史は手のひらを澪の口元へかざす。そして、ようやくホッと肩の力を抜いた。
「眠っている」
「よかった……」
糸季もぺたんとその場に座り込む。緊張の糸が解け、これで大丈夫だと息を吐いた。
「一先ず、大丈夫みたいですね」
「一先ず、な。……澪を陥れようとする奴の仕業か、何なのか。とりあえず、澪を部屋で休ませる。手伝ってくれ」
「はい」
糸季は頷き、澪を抱えた和史を追った。その時になって初めて、邸の喧騒が戻ってきていることに気付く。邸に入ると、姿を消していた三砂が駆け寄って来た。
「姫様、左大臣様! 何というお姿で……」
「三砂様、ご無事でしたか。衣のことは、今は聞かないで下さい。人の気配がなくなった時があったので、心配したんですよ」
「私も、案じておりました。突然お庭に出られなくなって、お二人の姿も見えず……」
「えっ?」
三砂の言葉に、糸季は目を丸くした。それでは、糸季たちとまるっきり反対ではないか。
困惑する糸季と三砂にほぼ同時に顔を見られ、和史はわずかに眉を寄せた。澪を抱え直し、渡殿を歩き出す。
「考えるべきことは多いが、まずは皆休め。今宵はここに泊まると良い。使いは出しておこう」
「……お言葉に甘えます。ありがとうございます、左大臣様」
「ありがとうございます」
「あ、お手伝い、します!」
和史に追いつくため、糸季は小走りになった。三砂も糸季の背を追い、渡殿を行く。眠っている澪を含む四人の姿を見付た左大臣邸の家人たちが、和史の指示を受けて動き出す。
やがて澪の部屋に着き、糸季は三砂と共に茵を仕度した。澪を寝かせ、和史は三砂を連れて席を立つ。糸季もついて行こうとしたが、和史に止められた。
「澪の傍にいてやってくれ。夕餉も運ばせる」
「……ありがとうございます」
糸季と澪以外誰もいなくなり、糸季はそっと澪の寝顔を見つめた。少し顔色が悪いように見えるが、休めば良くなるだろうか。
(どうか、また笑顔を見せて下さい)
糸季は夕餉が運ばれて来るまで、澪の手に触れて回復を願い続けていた。
☆☆☆
「――残念、ここまでか」
とある男が、左大臣邸の屋根の上から、庭を見下ろし独り言ちた。既に誰もいないが、わずかに残り香のようなものが残っている。男はその残り香が、己の術により現れたものだと知っていた。
「しかし、あの噂は嘘ではなかったのだな。……まさか、二の皇子が本当に雨神の生まれ変わりだったとは。それを自覚し、操るようになれば厄介だ。あちらのこともあるし、早々に終わらせたいところだな」
ふう。男は息をつくと、誰にも気付かれずに屋根の上から姿を消した。
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