第28話 糸季の頼み

 澪が目覚め、状況も共有された。糸季と三砂は、一度内裏に戻ることになった。

 もしやと危惧はしていたが、局などが荒らされた様子はない。ほっと胸を撫で下ろす糸季に、三砂が「お疲れ様でしたね」と微笑みかけた。


「たった一日いなかっただけですが、やはり目は厳しいですね」


 三砂の言う通り、自室へ戻って来るまでの間のところどころで鋭い視線を感じたのだ。糸季と三砂が渡殿を通っていると、各御簾の前を通る度に内側のさざめきが消え、痛みを感じそうなほど冷えた目を感じた。

 糸季は三砂の言葉に頷き、現状を何とかしたいと思う。誰もが澪を敵と認識し、遠ざける。どうにかして認識を改めてもらいたいのだ。


「そうですね……。この状況を、少しずつでも良くしていければ良いのですが」


 そうすれば、澪も戻って来やすくなる。憂いをはらむ糸季の言葉に、三砂は「そうですね」と頷いた。


「まずは、一の皇子様を殺めようとした者を見付け、検非違使に引き渡さなくては」


 息巻く三砂に苦笑いを向け、糸季はふと和史の邸での話し合いを思い出した。三砂を呼び、四人で今後のことを話したのだ。


「左大臣様が犯人を見付け出すため、更に尽力すると仰っていましたが……。わたしたちにも出来ることがあるでしょうか?」

「派手に動くことは出来ませんね。けれど……この前のように、少しずつでも調べていきましょう」

「はい」


 澪の味方である糸季たちに対し、内裏の中の人々の視線は厳しい。それでも諦めては、何も終わらせることが出来ない。

 比較的顔の効く三砂が和史によって、一の皇子が何かに襲われた際近くにいた貴族たちとの接触を任された。比較的古参の女房である三砂は、若い女房や若い貴族から強く出られる可能性が低い。


「お任せ下さいませ、姫様。姫様は如何なさるのですか? 私に出来ることならば、何なりとおっしゃってくださいませ」

「ありがとうございます、三砂様。既に充分して頂いているのですが……一つ、お願いしても宜しいですか?」

「はい、何でしょう?」


 首を傾げる三砂に、糸季は真剣な顔で願い出た。


「わたしを、貴族の方々とお会いする場に同席させて頂きたいのです」

「えっ……」


 目を丸くする三砂に、糸季はその理由を懸命に話して説き伏せた。


「皆様。このような場にお越し頂きまして、感謝致します」


 そして翌日、糸季の姿は控えの女房として貴族たちと三砂の顔合わせの場にある。十二単を着て、三砂の後ろで頭を下げた。身につけるものを変えてしまえば、面識のない貴族たちに糸季がいることはわからない。

 挨拶をした三砂に、貴族たちはそわそわと落ち着かない様子で各々挨拶を返す。場には左大臣和史も同席しているため、下手なことは出来なかった。


「こちらこそ、お美しい方。わたくし共のような者でお役に立てるのであれば、喜んで」


 そう言って上品に微笑んだのは、都の貴公子と名高い名家出身の中将。有丞ありすけの名を持つ彼は、和史や厚平と同じ一族だ。

 有丞を始めとし、それぞれが名乗りを上げる。そこに集ったのは、高名な家の子息たちばかりだ。


(流石は一の皇子様の歌会。名のある家の方々ばかりですね)


 猫を被ったまま貴族たちと話を続ける三砂の影に隠れながら、糸季は澪と自分のために耳を澄ませて話を聞いていた。

 和史は黙って成り行きを見守っているが、そこにいるという威圧感が場に緊張を持たせている。時折三砂に助け舟を出しながら、白湯を飲む。


「それでは、本題に入らせて頂きます」

「皆も知っての通り、一の皇子様が歌会の途中で倒れられた。その時のことについて、それぞれ知っていること、覚えていることを話してくれ」


 阿吽の呼吸で言葉を続ける三砂と和史の言葉に、その場に集まった貴公子たちは顔を見合わせる。お前が行け、いやお前から。そんな会話を目で行なっているようだ。

 なかなか話したがらない貴公子たちに、和史はわずかに苛立ちを見せていた。とはいえ、眉間にしわが寄る程度で一見では分かりにくい。

 しかし雰囲気を察した三砂と糸季は、一瞬視線を交わして頷き合う。

 三砂は躊躇する貴公子たちを見回して、さらりと指示を出した。


「……では、右端からお願い致しましょう」

「……。承知致しました」


 深々と頭を下げ挨拶したのは、近衛府に勤める青年だ。彼は和史の視線を気にしながら、おずおずと口を開く。


「私が覚えておりますのは、一の皇子様が突然川の。中に倒れられたこと。周りは人だかりになり、少し離れた所にいた私にはそれ以上何が起こっているのかわかりませんでした」

「なるほど。では、お次を」

「はい」


 三砂に促され、順に話をしていく。しかし告げられるのは、既に糸季たちが知っている事柄ばかり。新たな知らせを受け取ることは出来なかった。

 しかし三砂はその残念さをおくびにも出さず、にこやかに礼を述べる。


「皆さま、ありがとうございました。また思い出したことがあれば、教えて頂けると有難く存じます。……あのようなことが、他の方にも起こらないという保証は何処にもありませんから」

「どんな小さなことでも構わん。皇子様の御為、宜しく頼む」


 三砂の脅しを含んだ言葉と、和史の依頼。二つはかなり貴公子たちに効いたらしい。数人が顔を青くして、コクコクと頷いた。


 ☆☆☆


「――はぁ」


 誰かが息を吐いた。

 左大臣たちが去り、場に緩んだ気が流れる。大袈裟に肩をもむ同僚に「お疲れ」と言い、有丞は立ち上がって庭を見渡すことの出来る渡殿へ出た。


「やれやれ、肩がこるな」

「有丞殿、お声が大きい……」

「なに、平気だ。左大臣様はもうここにはおられぬ。それに、あの方は私が厚平様の方だとご存知だからな」


 伸びをして、有丞は笑った。

 彼の言う通り、有丞は厚平側の人間だ。和史の思い通りにするのは、なんとも癪だと考えるくらいには厚平側だった。


「……さて、私はすべきことをしましたよ。厚平様」


 後は、貴方たちがどう動くかだ。有丞の呟いた言葉は風に乗り、誰の耳にも届かなかった。



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