第11話 左大臣の気遣い
右大臣厚平の訪問の翌日、今度は左大臣和史が糸季を訪ねてきた。
「春宮の姫、おられるか?」
「左大臣様。どうなさったのですか……?」
丁度、三砂は所用でいなかった。普段は女房を介して訪問客とは話をするが、左大臣と糸季は何度も声を交わしている。今更奥ゆかしくする方がおかしかった。
糸季が尋ねると、和史は疲れた顔をして首を軽く横に振った。
「昨日、弟がここを訪ねたと本人から聞いた。何かされたり嫌な思いをしたりしていないか?」
「大丈夫ですよ。世間話と、一の皇子様がご無事だということをお聞きしたくらいです」
「……ならば良いのだが」
顔をしかめる和史に、糸季は苦笑いを浮かべる。より詳しくは、三砂にも聞いてもらった方が良いだろう。
それを伝えてから、糸季は気になっていたことを口にした。
「左大臣様。二の皇子様は今、どうなさっているのですか?」
「我が邸にて大人しくして頂いている。こちらに放置しておくと、自ら犯人捜しを始めそうな勢いだったものでな……」
「殿下がですか?」
目を丸くする糸季に、和史は「そうだ」と頷いた。
「あのお方は、目が離せない。時折突然行動力を発揮して動いてしまわれるから、ハラハラするのだ」
「左大臣様を困らせる殿下とは……」
「……まあ、でなければ貴女をここに連れてくることもなかったのだがな」
「え?」
呆れかけて、糸季は何かを聞き落として問い返す。しかし和史はそれには応えず、話題を変える。
「我が弟の言う通り、一の皇子様はご無事だ。大事は取ってもらっているが、近く公務に復帰されよう。それはそれとして、貴女自身は如何だ?」
「わたし、ですか?」
「そうだ。肩身が狭いのでは、と感じていたのだが……」
和史の目には、本気の憂いがある。彼も左大臣という立場がある程度守ってくれるだろうが、人々の視線は痛いだろう。
糸季は和史の心遣いに礼を述べ、実はと肩を竦めてみせた。
「ここに来た当初から、あまりわたしは歓迎されていないと感じていました。微妙な立場におられる二の皇子様の正室候補ですから、当然でしょう。更に最近は、わざと聞こえるように悪口を言って来る方々もおられまし。……もしここにたった一人であったなら、耐えられなかったかもしれません」
しかし、実際は糸季の傍にはいつも三砂がいてくれる。左大臣和史もこうして気にかけてくれる。そして今は離れているが、澪は糸季にとって内裏で踏ん張る力だ。この気持ちの名前はまだわからないけれど、彼の苦しみが少しでも和らぐようにと心を砕きたいと思う。
「わたしは、もう少しこの場所で殿下が少しでも心穏やかに過ごせるよう動いてみます。二の皇子様を陥れようとしている者が誰なのか、その真実に近付くために」
糸季の言葉に、和史はくすっと笑った。それから笑ったことを誤魔化すように咳ばらいをすると、糸季の方を向いて軽く息を吐く。
「……貴女も、芯の強い人だったらしい。わかった。三砂と共に、無茶はしないように。犯人が一の皇子様を狙ったのか二の皇子様を狙ったのかはわからないが、どちらにせよ貴女も十分に気を付けなければならないことに変わりはない」
「はい。左大臣様も、どうかお気をつけて」
「ああ。また来る」
そう言い置くと、和史は立ち上がって踵を返すと渡殿を歩き去った。どうでも良いことではあるが、右大臣は足音が大きく存在感があり、左大臣は落ち着いた足さばきでほとんど足音がしない。
和史が十分に去ってから、糸季は体の向きを変えた。文机の上には文箱と筆、そして紙が数枚置かれている。紙は高価なため、表を使った後は裏も使う。その裏紙に、今回の事柄についての書き散らしをしていたのだ。
(一の皇子様が襲われた当時のことは、まだわかっていないことが多い。そのあたりのことがわかったら、もっと真相に近付けるのかな?)
内裏の中で広がる噂話に耳を傾けても、事件の真相はわからない。話に尾ひれがつき、嘘か誠かを判別しづらくなっていた。
考えつつ筆を動かしていた糸季の前に、ようやく三砂が戻って来る。
「ただ今戻りました」
「お帰りなさい、三砂様。先程、左大臣様が来られていました」
「左大臣様が? 何かおっしゃっていましたか?」
三砂に問われ、糸季は和史の言っていたことをかいつまんで説明した。
すると三砂は、自分が何をしていたかを糸季に向かって語り始める。彼女はどうやら、内裏の中で噂話を集めていたらしい。
「姫様、一の皇子様のことが少しわかりました」
「一の皇子様は、今療養中では……?」
「そうなのですが……その、あの時何があったのかが」
「わかったのですか!?」
目を見開く糸季に、三砂は神妙に頷く。そして、一の皇子の殺し未遂とは何なのかを糸季に教えてくれた。
「あの日、一の皇子様は左大臣様ら貴族の皆様を集めた歌の会に参加されていました。あの場には、帝を始めとした人々が集っていたそうです」
「皆様での優雅な会だったのでしょうね」
「はい。しかし舟遊びを交えた歌会へ移った頃、突然、船に乗っていた一の皇子様が苦しみ出したというのです」
この話をしてくれたのは、ある女房だと三砂は言った。
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