第33話 交換条件

 何者かに攫われた後、糸季はしばらく目覚めなかった。まるで、夢に囚われ動けずにいるように。

 それでも「澪殿下に会いたい」という一心でもがき続け、ようやく自分の意識を掴み取る。不意に重い瞼を上げた時、目に映ったのは黒だった。


「ここ……何処? 狭くて、暗い」


 糸季は、自分の周りをぺたぺたと触ってみる。滑らかな手触りだが、毬のように丸いものの中に閉じ込められているようだ。


「何これ……」

「おや、目覚めたのか」

「!?」


 突然の声に、糸季は顔を上げきょろきょろと周りを見渡す。すると球の外側に人影が見えた。はっきりと見ることは出来ないが、糸季はその人物に見覚えがある。


「貴方は……!」

「悪いが、こちらからの声は聞こえてもお前の声は外に届かないようになっているんだ。しかし、その顔は見えるぞ。ふふ、驚いてくれたようだな」

「貴方は、右大臣様と一緒にいた! ……って、わたしの声は聞こえないのよね」


 会話が成り立っているようで、その実成り立ってはいない。それでも優越感からか、歳之は自ら進んで糸季の状況を説明した。初めて会った時との印象がまるで違う。


「お前は今、天才陰陽師様が作った特殊な結界の中に閉じ込められている。内側から出られると思うなよ? 外側から、私が解除するしか逃げる方策はない。諦めて、私たちの目的を叶えるための餌となれ」

「餌? わたしを餌にして、どうするというの……?」


 しかし歳之は、「餌」の意味に言及することはないままだった。それでも糸季は、歳之の言葉を聞き逃すまいと身を乗り出している。


「これから、素晴らしい見世物をお前に見せてやろう。何、お前は向こう側でありこちら側でもある。……せいぜい、私たちのために踊れ」

「貴方たちが、雫殿下を苦しめ、澪殿下を悲しませてきた。それには深い理由があるとでも……? 一体、何が目的なの?」


 歳之の言う「素晴らしい見世物」の正体を糸季が知るのは、もう少しだけ先のこと。今わかることは、歳之が何か目的をもって糸季を連れ去ったということだけだ。

 押し黙り、歳之を睨み付ける糸季。それに気付いた歳之は、ニヤリと口元を歪めて笑ってみせた。それから糸季の前に立つと、彼女の顔の前に手のひらを向ける。


「何……?」

「本番はまだ先だ。出番迄、眠っていろ」

「――あ」


 糸季は、自分の意思とは異なり急速に眠気に襲われた。ぐらぐらと船を漕いだ後、気絶するように眠りに落ちる。


「み……お……」


 完全に意識を手放す直前、糸季の瞼の裏に見えたのは澪の姿だった。


 ☆☆☆


 そして今、糸季は結界の壁越しに会いたかった者たちと対面していた。眠りから現実に引き戻されて瞼を上げた直後に、糸季は壁に手をつき叫んだ。


「澪殿下! 三砂様、左大臣様……どうしてっ」

「糸季……っ。糸季をそこから出せ、歳之!」


 澪が声を荒げると、歳之は心底楽しそうに腹を抱えた。


「あっはっは! それをするかどうかは、貴方の行動にかかっているのですよ?」

「どういうことだよ? おれの行動……?」

「ええ。……右大臣様、宜しいですか?」


 歳之が問いかけると、厚平は「ああ」と頷いた。


「良いだろう。私としては、我が道を塞がないのであれば構わん」

「――厚平っ」

「そう怖い顔をするなよ、兄上」

「お前……っ」


 くっくと嗤う弟の胸倉を掴みたい衝動に駆られた和史は、歳之の発言に耳を疑うことになる。

 糸季は結界の外の掛け合いを見つめ、自分の声が届かないことにもどかしさを感じていた。自分は閉じ込められているが、元気なのだと伝われば良いのに。三砂と目が合い、彼女の目が潤んでいるのを見てしまい、糸季は悔しくて手を握り締める。

 そんな様子を眺めてから、歳之は澪を真っ直ぐに見て口を開いた。


「澪殿下。私は貴方の、その雨神の力が欲しい。譲って頂けませんか?」

「――は?」

「お譲り頂けるのでしたら、貴方の大切な糸季姫はお返し致しましょう。どうです? 等価交換でしょう?」

「何を、言っているの……?」


 誰にも聞こえないとわかってはいたが、糸季は呟かずにはいられなかった。歳之が澪の雨神の力を知っていることにまず驚かされるが、それ以上に雨神の力をよこせとは一体どういうことか。

 意味がわからず眉をひそめる糸季の見ている前で、澪もまた目を見開いていた。


「雨神の力を渡せだと? ……そもそも、雨神の力とは何だ。おれは、そんな建国神話で語られる男の力など持っていない」

「……力を暴走させ、糸季姫と左大臣様を傷付けようとしていたのに。ご存知ないとしらを切るのですか?」

「……何故、そんなことを言う?」


 動揺を落ち着かせようとゆっくり尋ねる澪に、歳之は追い打ちをかける。


「何故知っているのか? 私は、その場を見ましたから。面白いことが起こりそうだと思い、強い気配を辿って着いた左大臣様のお邸で、澪殿下が白蛇を召喚したところを見ていたのですよ」

「……!」

「あの場にいたのか、歳之……」

「ええ、おりました。左大臣様」


 淡々と応じた歳之は、肩を竦めて「危うそうでしたから、近付きはしませんでしたがね」と付け加える。


「ですから、確信したのですよ。澪殿下、貴方のその力を手に入れれば、天叶国を我が物にすることは容易いのではないかとね」

「ふざけるな、歳之。お前などに、渡してなるものか」

「……ならば、糸季姫もお渡し致しません」

「――っ」


 言葉に詰まる澪を、歳之はニヤニヤしながら眺めている。糸季を救うために澪が力を奪われれば、天叶国が歳之の思い通りになるのだ。

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