第25話























 文化祭の準備期間になると、生徒達は普段より遅くまで学校に残る。

 別にいてもいなくても残業は確定しているから構わない。…が、何かと準備に時間を取られるせいで、通常業務が思うように進まないのは難点だった。

 頭を抱えたくなる気持ちは、教室でワイワイ騒いだりはしゃぐ活気ある若者の姿を見て元気をもらうとして…自分は教室の隅でパソコンと向き合う。

 普段なら準備室でこなせる仕事も、放課後残る生徒達に何かあってはいけないから教室でこなすようにしていると、


「せんせー、なにしてんのー」

「んー?…仕事ですよ。先生は忙しいの」

「暇なら手伝ってよ」

「ん?聞いてた?」


 こうやって、大柄な態度の生徒に時間を奪われる。


「これ足りないから買ってきてほしいんです」

「…なら最初からそう言いなさいって」


 しぶしぶ立ち上がり、渡された紙を受け取る。

 内容を確認しながら扉の方へと歩いて、教室を出たところでばったり橋田主任と出くわした。


「おっ、勝先生!どうですか、準備の方は」

「順調ですよ!…それより、何かご用ですか?」

「いや〜、みんな出し物何にするのかなって気になりましてね。勝先生のところはなんですか」

「…うちは今回、お化け屋敷ですよ。橋田主任も当日、ぜひお越しください!」


 なんだ、ただの暇つぶしか…と察して、暇なやつに付き合っている暇はこちとら無いから話を早々に切り上げる。

 文化祭準備中は、放課後になるとこうして教員や他クラスの生徒も悪ふざけ半分にやってくるから、いちいち対応していたらキリがない。ただでさえ忙しいというのに。

 取り急ぎ生徒に頼まれた物を買いに行くため駐車場へと移動して……その途中で保健室の明かりがついていたことに気付いたから、後で差し入れでも持っていこうと決めて車に乗り込んだ。

 走り出して学校を出てからタバコを吸って、辿り着いた店で色々を買って、帰りにコンビニへ寄ってからまた学校へと戻る。

 このまま帰りたい…そう願うのも虚しく、その日も生徒が帰ってから残業のため学校に残った。


「…さすがに帰っちゃったか」


 あまり遅くなりすぎても明日に差し支えることを踏まえて、普段より早い時間に仕事を切り上げて保健室へと出向いたが…もう電気は消えていた。

 鵜飼先生のために買っていたデザートのプリンは自分で食べることにして、落胆しながらトボトボ歩く。

 同じ学校にいても、こういうすれ違いが多いから会えなくて終わる日も多々ある。

 そのたびに落ち込んでいては心が持たないが、分かっていても寂しさは募った。

 だから翌日、今度はデザートの質を上げてケーキ片手に生徒の帰宅後、保健室へ急いだ。…恥ずかしい話だが、会いたくて仕方なかった。

 扉は開いていて、覗き込んでみれば彼女はひとり残って、日誌でも書いているのか静かな表情で机に向かっていた。


「鵜飼先生」

「…何かご用ですか」

「あー……これ」


 まともな口実が無いから、とりあえずケーキの箱を見せる。


「……文化祭で使うものですか?」


 職業病なんだろう。この時期は食品を扱う生徒達に対し衛生管理と指導を行っているからか、差し入れとは気付いてもらえなかった。


「お疲れでしょう。…なので、甘い物でもと思いまして」

「あぁ、そういう……ありがとうございます」

「私もご一緒していいですか」

「構いませんけど…少し待ってもらえますか?これを書き終えたくて」

「もちろんですよ」


 仕事の邪魔して悪かったな…と反省しつつ、扉と鍵を閉めて用意したくれた椅子に腰を下ろす。

 真面目に働く彼女はいつもより物静かで、慣れた様子でスラスラと書いていったかと思えば、たまに悩むその綺麗な横顔を惚れ直す気持ちで眺めた。

 改めて見るとやっぱり整ってるし、大人の色気もあって…まさしく美人だ。


「…そんなに見ても、得しませんよ。こんな顔」


 それなのに本人は自覚も自信も無さそうなのが不思議で、


「どうして、卑下するんです」

「事実を言ったまでです。…さて。終わりました」


 質問してみても、彼女の価値観を深く知ることはできなかった。

 日誌を閉じて机の上を軽く整理した後で、鵜飼先生は気にした様子もなくこちらに体を向ける。


「ケーキ食べたいです」


 むしろ楽しみにしていてくれたようで、微笑んで控えめに手を差し出してきた姿はどう見てもかわいいのに。


「…やはり、美人ですよ。鵜飼先生は」

「やめてください、さっきから。お世辞は嫌いです」

「事実を言ったまでですよ」


 さっき言われたことをそっくりそのまま返せば、ムッとして睨まれる。


「口説くための褒め言葉ならやめて。嬉しくない」

「ひどいなぁ、本心なのに」

「……口説く人は、みんなそう言います」

「そこら辺のやつと私を、同じにしないでもらいたいですね」


 ケーキの箱を机に置いて、鵜飼先生の手を握る。

 そのまま指を絡めて真っ直ぐに見つめたら、動揺と戸惑いで揺れる瞳が私を見て、すぐに逸らされてしまった。


「今日だって、あなたに会いたくてわざわざケーキを口実にしてまでここへ来ました」

「…今は何を言われても信用できません。どうせ他の女の人にも言ってるんでしょうし?」


 マッチングアプリの件を、彼女は未だ引きずっているようだ。

 拗ねた顔をしたのが、キスしたくてどうしようもない気持ちにさせるものの、今そんな事をしたら疑心をさらに深めることになる…と冷静に捉えて我慢する。

 代わりに、どこか縋るような思いで彼女の手を取った。


「他の人にも言ってたら、あのアプリだって消しませんよ」

「…どうだか」

「……信じられないのも、無理はありません。だけど…本当なんです」


 情けない本心を伝えるのに、気恥ずかしくて相手の肩へ額を乗せることで顔を隠す。


「会えなくて、死んじゃいそうでした」


 重たくてうざがられそうな言葉を、恥を忍んで吐き出した。

 こんなこと、言ったこともなければ思ったこともない。…自立した大人としてあるまじき発言だと、罵られるかもしれない。


「そ、そんなに寂しかったなら……仕方ないですね。許します」


 予想に反して、彼女は簡単に受け入れてくれた。

 ツンケンしていて上から目線な声色とは裏腹に、髪を撫でる手はどこまでも優しく、腕はそっと包み込んでくれる。

 しばらく下心なんて皆無で、満たされた心で甘えて、数分してから癒やされきった体を離した。

 顔を上げればすぐ近くに綺麗な顔が現れて、まるで夢みたいにも思えて……キスするよりも先に相手の輪郭に触れる。


「鵜飼先生は、本当に綺麗ですね」

「……そんなこと本心から言うの、あなたくらいです」

「ははっ、やっと信じてくれましたか」

「こんなにも甘えられたら、信じるしかないもの」

「お恥ずかしいところをお見せしました…」

「も、もっと甘えたって良いんですよ。仕方ありませんから、ケーキのお礼に甘やかしてあげます」

「じゃあ、キスしていいですか?」

「…今はだめです。まだ人も多く残ってますから」


 人が残ってなければいいってことか、なるほど。

 断られてもポジティブに考え直すことで、一旦は諦めて後でキスさせてもらうことにした。


「それにしても、鵜飼先生」

「はい」

「どうして、容姿に自信がないんです?そんなにも美人なのに」


 そこで、ずっと気になっていたことを単刀直入に聞いてみた。

 すると彼女の顔が分かりやすく曇って、視線と瞼を落としてため息をついた後で、夕日も暮れかかってきた、オレンジと濃い紺色と薄紫が混じる窓越しの空を眺めながら話してくれた。


「…幼稚園生の頃、ひとりの男の子からブスと言われ続けた影響です」


 おそらく、よくある“好きな子をいじめちゃう”タイプの男子に目をつけられたんだろう。

 黄昏れる彼女はまた吐息を吐き出して、眼鏡の位置を直しながら俯いた。


「ブス呼ばわりは、小学校を卒業するまで続きました。…だから、自分は容姿があまり整ってないんだと次第に思うようになって……それに加えて中学に入ってから、女の子からもいじめられて…いよいよ確信を持ちました」

「いじめ…」

「…いじめと言っても、たいしたことじゃありません。私だけ浮いてしまって、馴染めなくて無視をされた程度です」


 なんでもない顔で呟いて、鵜飼先生は話を続ける。


「その頃から、他の男の子も遠巻きに私を見てニヤニヤしたり、ヒソヒソと話すようになって。…だから余計に、笑われるくらい酷い顔なんだと自覚させられました」


 きっと、美人すぎて噂されてたんだろう反応を…幼少期の経験から歪んだ認知で認識してしまったのは、考えなくても分かった。

 だから美人なのに自信がないのか…と納得できて、どう慰めようか言葉を探す。


「その頃は友達がいなかったので、よく読んでいた少女漫画にドハマりして……今です」

「なるほど……唯一の救いだったんですね」

「はい。…高校に入ってからは、ありがたいことにこんな私でも仲良くしてくれる友人が見つかって、彼女達とは今でも仲良くしています。同じ少女漫画好きの友達なんです」


 そこから、仲のいい友人たちについての話も聞かせてくれた。

 今では鵜飼先生含めて三人のうちひとりは結婚して子供もいて、もうひとりも彼氏ができたから最近は会えていないという。

 ちょうど寂しいと思っていた時期に私との交流が始まったから、タイミングが良かったとも言っていた。


「そう考えると……運命かも」

「お、告白ですか。付き合いますか?」

「……ムードがないのは嫌」

「はははっ、ですよね」

「分かってるなら口説かないでください」


 無事にいつも通りの会話を経て、暗い雰囲気になりそうだった空気も彼女のおかげで暗くなりきらずに済んだ。


「だけど、すみません……辛いことを思い出させてしまって」

「いえ。…むしろ聞いてもらえて、スッキリしました」

「…それならよかった」


 心の広い彼女に許しを貰えて一安心するついでに、話を聞いていて疑問に残っていたことを聞こうと企む。

 彼女も今はもう笑顔で機嫌も良さそうだし、大丈夫かな。


「大人になってから、綺麗だって褒められることはなかったんですか?」

「……大人は簡単に裏切る生き物なので、あまり信用していません」

 

 しかし、どうやら地雷だったらしく。


「特に男性は……大抵の人は口先だけ。人の体が目当てなんです。だから褒め言葉も信じませんし、褒められても嬉しくありません」

「…そう思う何かがあったんですか」

「勇気を出して食事に行っても、最後にはホテルに誘われるからそう判断しました。…とはいえ、食事なんて数回程度しか行ったことありませんけど」

「行ったことはあるんだ…」

「若かった頃に、何回か」

「今でも若いですよ、まだまだ。二十代ですし」


 たとえ過去とはいえ、男と食事に行ったことがある事実には嫉妬するが……それより、自分の今までの行動を振り返って反省した。

 ……今度からキスするの控えようかな。

 体目的と思われるのは嫌だから付き合うまではやりすぎには気を付けようと心に決めて、その後も鵜飼先生のほぼ愚痴な昔話を聞いた。


 こうして、文化祭準備の期間は終わりを迎え。


 いよいよ……文化祭当日。







 


 





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