第26話
文化祭当日。
休日は潰れるが、活気溢れる学生達に元気を貰えて、今日という日はパソコンに向かうのではなく生徒達と向き合って話せる機会でもある…と純粋に楽しむ気持ちで教室内で過ごしていた。
うちのクラスはお化け屋敷で、なかなか怖く仕上がったのか時々「きゃー」と甲高い声が響くのも、また文化祭のワイワイ感があって楽しい。
しかし一度、校内の見回りもしておこうと教室を出た。
……ついでに、鵜飼先生に会う気満々で。
校内もどこを行ってもガヤガヤとしていて、人見知りで人混みが苦手そうな鵜飼先生にとってはしんどいかもしれないなぁ……そう心配になる。
『ワクワクドキドキ告白タイムです!』
「おぉ……これまた面白そうなことして…」
途中、渡り廊下を通りかかったところで気になるイベントが始まって、足を止めた。
一人目に選ばれていたのはうちのクラスの生徒で……まぁ、あの子は顔立ちが整ってるから同年代の子たちからすれば高嶺の花でモテるだろうなぁと感心しながら眺める。
てっきりもうひとり、彼女と仲が良さそうだった女子生徒もノリ半分で告白に参加するも思いきや…姿が見えず。
そういえば最近、喧嘩でもしたのか距離をとっている様子だった。
もしかしたら、もしかする…?と、薄々勘付いてはいるが、生徒達の恋愛に教師が口を出すなんて問題行動でも起こさないかぎり見守るのが適切だろう。
「勝先生…!」
と、そこでちょうど噂の生徒が走ってきた。
「あんな悪ふざけなイベントありですか!見てたんなら止めてくださいよ!」
真面目で、気弱な彼女らしい発言に思わず微笑む。
“自分で止められないから止めてほしい”、そんな思いも透けて見えて、それがまたこの子らしい一面で。
…眩しいなぁ。
私にもきっと、こんな時代があったんだ…と。
「うーん……ま、これもまた青春ってことで。いいじゃないの」
自分の過去と彼女達の未来に思い馳せながら若者の肩を叩いて、その場を後にした。
向かう先はもちろん保健室で、たまに生徒達から声をかけられたり、教員と立話を交わしながらようやく到着する。
「…お、いました。鵜飼先生」
「……いますよ。お仕事ですもの」
開いていた扉の向こうで、文化祭だというのに通常運転な鵜飼先生は、それでも普段より気分よく返してくれた。
扉を閉めつつ室内へと入って歩み寄れば慣れた調子で椅子を用意してもらえて、そこへ腰を下ろす。
「…鵜飼先生」
座ってすぐ、我慢できずに相手の手を握った。
せっかく会えたからキスでもしたいな……なんて邪な思いを抱えて顔を近づければ、フイと逸らされる。
「ど、どこで生徒が見てるか、分かりませんから…」
そしてやんわりと断られてしまった。
残念に思うものの、確かに軽率な行動であったと反省して手を離す。
「と、扉も開けといてください。いつ、生徒が来てもいいように」
「これはこれは……失礼しました」
本当はキスしたりしたかったけど、仕方ない。というか会えたことに気分が上がりすぎて業務中なの忘れてた。これはいかん。
立ち上がって踵を返したら、歩き出すと同時に服を握られる。
前に進めず足を止めて振り向こうとすれば、鵜飼先生が腰辺りに抱きついてきてそれを阻止した。
「?……鵜飼せんせ…」
「っか、帰ったら」
「え…?」
「帰ってから、なら……いいですから。キス…」
不意打ちのお許しを貰って、期待した心臓は早くも胸をときめかせる。
ドギマギしながら扉を開けに行き、深呼吸を何度も繰り返してからまた椅子へと戻る。
その頃にはすっかりふたりともいつも通りではあったが……開放したままの状態で生徒達の声が響く環境という慣れない中で最初はどこかぎこちなく会話を進めていく。
「どうですか、今日は。楽しんでますか?」
「……文化祭は、はしゃいで怪我をしてしまう生徒も多いですから。その対応で朝から大忙しです。衛生管理もありますし…楽しむ暇がありません。今になってやっと落ち着きました」
「あー…そっか。すみません、嫌なことを聞きました」
「…けど、賑やかなのは良いですね。子供達の声を聞いてるだけで心が満たされます」
気を遣ってか、はたまた本心か。
窓の外を見ながら柔らかく微笑む横顔から、おそらく後者であることが分かった。
相変わらず子供好きなのは意外で、生徒たちがいるというのにキスしたくなったり、口説き文句が出てきそうになる。
気を引き締めて、話題を変えるため思考を巡らせた。
「…そういえば、告白イベントをやってましたよ。中庭で」
「へぇ……いいですね、青春って感じで」
「ですよねぇ、いいですよねぇ…我々にもそんな時代があったんだと思うと、感慨深いです」
「……勝先生は、どんな感じだったんですか?高校生の時」
話の流れとはいえ相手から興味を持ってもらえて、嬉しくなって過去の出来事を蘇らせた。
「モテ期でしたよ、高校時代は特に。…ただ、お恥ずかしい話ですが、荒れていた時期でもあります…」
「…想像がつかないです、ヤンキー勝先生」
「はは、ヤンキーってほどじゃありませんよ。これでも一応、生徒会長でしたし……あ、そうだ。写真ありますけど、見ます?」
「見ます」
即答してきた相手に苦笑して、ポケットからスマホを取り出す。
クラウド上で勝手に時期別でフォルダ分けされる機能を使って、ちょうど高校生だった時期まで遡ってみてみれば……自分で思うよりもヤンキーで笑えなかった。
見せようかどうか迷い、何やらワクワクとした目線を向けられていることに気付いて……引き下がることもできず、素直にスマホを差し出す。
「…これです。好きにスクロールして見ていいですよ」
「ありがとうございます」
嬉々として受け取った鵜飼先生は……見てすぐに、驚いて目を見開いていた。
それもそのはず。見せた写真はほぼ金髪な茶髪ロングで、前髪はかきあげ、制服も原型を留めないほど着崩し、ピアスもバチバチに開いているからだ。
友人数人と教室でベロ出しピースをかましてる姿は、今の私からは想像もつかないことだろう。
信じられないと言った様子で、鵜飼先生はスマホと私を並べて何度か見比べていた。
「顔は勝先生だ…」
「そりゃ私ですから」
「……ピアスは、今も開いてるんですか?」
「塞がってるのもあります。この仕事してからはつける機会もなくて……でも跡含め一応残ってますよ、全部」
言わずとも「見たい」という感情が伝わってきたから、耳を鵜飼先生の方へ向けて耳たぶをつまむようにして見せた。
「ほら、こことか…」
「ほんとだ……いくつ開けてたんですか?」
「うーん…全部で11です」
「え……は?11…?」
「はい、11。ゾロ目でいいかなって」
「う、内訳を聞いても…?」
「えぇと、確か…」
開けた記憶を思い返しながら、まず親指からひとつずつ倒していく。
「耳たぶは右が2、左が3……あと軟骨は両耳2ずつ。トラガスが左1…ですかね」
「へぇー……ん?でも、あれ…?あとひとつ足りませんよ」
「あとひとつは、ここです」
そう言って、口元を指差しながら舌を出す。
鵜飼先生は穴を確認した後で改めて視線を落とし、持っていたスマホを確認した。
「ほんとだ……よく見たら、あいてる…」
「ちなみに今もここは塞がってませんよ。定期的にピアス入れてるので」
「な、ど、どうして維持させてるんですか?」
「せっかく開けたのになんだかもったいなくて……あと女の子からの評判が良くて」
「?……どういう意味です」
「これあると、ク■ニが気持ちいいらしいですね」
つい、話を聞いてくれたのが嬉しくて気分良くなって……いらんことまで言ってしまった。
私の失言に彼女はカッと顔を赤くして、あわわと唇を震わせた。
「っえ、えっちなことに使うなんて最低です!それに学校でそんな話…教師失格です、そもそも私の前で他の女の人にク……ク…クン…した話なんてしないでください!不誠実だしセクハラだし不適切です…!」
「わわっ、静かに。声が大きいですって」
「誰のせいですか!」
慌てて口を塞ごうとしたら、スマホを胸元に押し付けられて怒鳴られてしまった。
「もう二度と私の前で過去の話しないでください。主に女性関係の」
「えぇ……自分から聞いてきたのに…?」
「女性のためにわざわざ舌ピまで開ける勝先生なんてきらいです。あっち行って」
「…本当に行きますけど、いいんですか?」
「……行けばいいじゃない」
「じゃあ離して…」
「っ〜…もうちょっといて!今の状態で女性を放置するなんてありえません。もっと乙女心を学んでください、おモテになるんですから。そのくらい分かるでしょ…!」
棘のある言い方とは裏腹に、手はしっかりと私の服を掴む。
相変わらずツンデレなのが可愛くて、お言葉に甘えて居残ることにした私は、何か代わりに話題がないか辺りを見回しながら考えた。
だけど、印象に残るのは鵜飼先生の綺麗な顔くらいで、他には何も……
「あ、そういえば」
そこで、通りがかりに見た光景を思い出す。
「うちのクラスの女子生徒が、告白イベントに参加させられてました」
「あぁ……さっき言ってた中庭の…?」
「そうですそうです。…まぁ、高良は可愛いからなぁ。あんな可愛い子、なかなかいませんから。男子生徒からモテるのも無理は…」
「教師として最悪の発言です」
「……へ?」
いったいどこで、地雷を踏んでしまったんだろう。
急に目が死んで、静かすぎて怖い眼差しで私を見た鵜飼先生は、もはや飽きれた様子で口を開いた。
「生徒に対して邪な感想を抱くのはやめてください。そういった発言は謹んでください」
「え?……いや、私はただ可愛いと…」
「っ…そんなに若くて可愛い子がいいなら、私のところになんて来なくていいですから!もう出て行って」
「な、何を誤解してるんですか。鵜飼せんせ…」
「出て行ってください…!」
今度は本気のやつだ…と察して、半ば追い出される形で保健室から出て行った。
どこでそんなに怒らせたのか……そんなにも教師としてアウトな発言だったのかと心配でソワソワしつつ歩き出そうとしたところで、
「喧嘩でもしましたか。勝先生」
数学教師である加藤先生が落ち着いた口調で声をかけてきた。
彼は私達と同じく今年になって異動してきた人だが、採用同期ではなく大学も院まで出ているため年は上である。
鵜飼先生がいかにも好きそうな重たい黒縁眼鏡と、地味だがよく見ると整った顔立ち、身長も私より高い。…目算、177~9辺りと見た。
仕事に関しては真面目すぎて融通が聞かないとチラホラ聞くものの、私はレスポンスも早いし的確で丁寧だからむしろ仕事がスムーズに進んでありがたいと思ってる。
ダラダラやられるよりは、断然いい。
故にどちらかと言えば好意的に捉えているとはいえ、何を話していいか分からない気難しさはある。
あと、この人……
「喧嘩ではないですが……怒られちゃいました」
「…何か問題でも?」
「いえいえ!私が悪いんです、失言してしまって」
「……相変わらず、お優しいですね。勝先生は」
ふわりと、彼にしては柔和な笑顔を浮かべるのを見て、改めて確信した。
多分この人、私のこと好きだ。
自惚れなんかじゃない。
鉄仮面と呼ばれるほど笑顔を見せない彼が私の前ではよく笑うし、やたら褒めてくるし、何よりも。
「そろそろ、お食事どうですか」
異動してきてからというもの、かれこれ毎月…1ヶ月に数回は食事のお誘いがある。
春に行われた親睦会でも、鵜飼先生がへべれけにならなければ私を家まで送ろうとしてくれていた。
うん、ここは期待させず断ろう。
「すみません!実はもう心に決めてる方がいるので、男性との食事は控えさせていただきたいです」
「……そう…ですか。…こちらも不躾に誘って、すみませんでした。その…勝先生の幸せを、心より願っています」
僅かばかり傷付いた表情を見せて、しかし最終的には笑って応援してくれた相手に罪悪感を抉られる。…申し訳ない。が、私は女が好きだ。
軽く会釈して保健室に入っていった彼の後ろ姿を見送って、不意に鵜飼先生と目が合った。
彼女はすぐ顔を逸らして、来客である加藤先生と何やら会話を始める。
その時に、初めて。
鵜飼先生が、他の人と話していて気の抜けた笑顔を見せた瞬間を目の当たりにした。
「……なんだ。私だけじゃなかったんだ」
拗ねた気持ちで、廊下を歩き出す。
もしかしたら、彼女は加藤先生のことが好きなのかもしれない。…嫌な不安が、嫌な憶測を頭に過ぎらせた。
だからといって練習と称した触れ合いや密会をやめるつもりは毛頭ない。もちろん、譲る気も。
それでも、気分は重く、沈んでいった。
結局その日、私が鵜飼先生の家へ帰ることはなかった。
ちなみに文化祭後、やはり彼女達は付き合っていたらしく。
とてつもない噂の広まりようで、当の本人ふたりがいじめられないかヒヤヒヤしながら……しばらく過ごすことになる。
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