第6話
仕事も無事に終わり、食事も済ませ、送り届けるだけですぐ帰る……なんてことはもちろんなく。
流れで部屋にお邪魔した後は、激務で疲れた体を癒やしたくて少しベッドで休ませてもらうことにした。
だから毛布に入ろうとしたんだけど……そこには先客がいて。
「…このくま、どかしてもいいですか」
「もち太郎です」
寝るのに邪魔なでかいクマのぬいぐるみを指さして言ったら、“くま”呼びされたことが気に食わなかったんだろう…怒った声で訂正されて面食らう。
ぬいぐるみに名前つけるタイプなんだ…鵜飼先生。
いよいよ外見と中身が噛み合わなすぎて、脳がバグる。
色気ムンムンのクール美人からは想像もつかないほど子供っぽいのが、それはそれで特殊な性癖を刺激して私の中の何かを目覚めさせた。
「も、もち太郎っていうんですか」
「はい。…もちもちしてるから、もち太郎です」
「なるほど…?」
ドヤ顔で眼鏡をクイと直しながら説明してくれたけど、クマのぬいぐるみ⸺もとい“もち太郎”は、どう見てもふわふわ毛質のふわ太郎だった。
鵜飼先生のよく分からない感性には愛想笑いという名の苦笑いを返して、とりあえずベッド脇に腰を下ろす。
「もち太郎と一緒に寝てもいいんですよ」
とか言いながら自分が一緒に寝る気満々で私の隣に座る…と見せかけてもち太郎を抱きしめに行って、必然的にこちら側へ突き出された腰と背中のラインを、ついガン見してしまう。
今は白衣を脱いでいて、ブラウスと黒のスカートというシンプルな服装は、彼女のスタイルの良さを包み隠さず存分に発揮させていた。
これが恋人であれば、今ごろ私は後ろから抱き締めるなりなんなりして、最終的には押し倒してイチャイチャし始めてたところだろう。
が、鵜飼先生はただの同期。仲が良いからって勘違いしてはいけない。
理性を働かせるため視線をよそへと逸らして、刺激の強い光景からは目を背ける。
「…漫画でも読もうかなぁ」
「好きに読んでいいですよ。どれもオススメですから」
家にある本は言葉通りどの作品もお気に入りらしく、自信満々な鵜飼先生のお言葉に甘えて、ありがたく適当な漫画をひとつ棚から手に取った。
またベッドへと戻る頃には、彼女はもち太郎を下にした対面座i……向き合ってハグする形で座っていて、もち太郎の肩越しに私の様子を伺っていた。
「あ…!いいですね、それは中でも特にオススメの本です。それを選ぶなんてセンスあるじゃない」
「は、はぁ……そうなんですか」
どうやらアタリを引き当てたようで、やたらテンションの上がった鵜飼先生に促されて漫画を読み進めた。
けっこう絵柄は今ドキ…?というのか、目はやたらキラキラしてるが全体的に柔らかなタッチの人物絵が並び、相手役の男なんだろう人物は特別イケメンに描かれていた。
…この間のやつとは違って、こっちは比較的新しそう。
ちなみに設定は、鬼厳しい上司が主人公の女には謎に心を開いて甘々対応してくれる類のものだった。…こういうところから、鵜飼先生の好みが伺える。
内容は意外にもぶっ飛んだものではなくて、ところどころ現実ではありえないだろ…って描写はあるものの、基本的にはリアル調で物語は進む。
私の記憶に残ってる、遥か昔に読んだ少女漫画は学園モノなのにもはやファンタジーすぎてリアリティに欠けるものだったが、最近の流行りは違うみたいだ。
「……ど、どう?面白い?」
気が付けばもち太郎との対面……ハグをやめて私のすぐ隣に来ていた鵜飼先生が、緊張した面持ちで感想を待っていた。
「…面白いですよ」
「ふ、ふふん。でしょ?…そのシーンとか、キュンキュンするでしょ」
「キュンキュンはしませんが……まぁ、仕事中なのにこんな風にイチャイチャできるのは羨ましいですね」
「そこはキュンとしてよ……あ。現実でも、ほんとにあるんですか?こういうの」
「うーん……やるひともいるんじゃないですか」
「へ、へぇ……そうなんだ…」
いわゆる壁ドンのシーンをまじまじと見下ろした鵜飼先生の顔を、半ば覗き込む形で視線を送った。
「鵜飼先生は、こういうのが好きなんですか?」
指先でトントンと該当する箇所を叩きながら聞けば、瞳を揺らして恥じらう仕草を見せた後で、素直に小さく頷く。
……壁ドンなんか、したことないけど。
そもそもするタイミングさえないそれを、どうやってやろうか静かに思考を巡らせて、
「…緋弥さん、こうやって手を顔の前に持ってきて」
祈りを捧げるみたいな、自分の指同士を絡ませたポーズを取って、見せつける。
脈絡もなくお願いしたからだろう、彼女は怪訝に眉をひそめて不思議そうに首を傾けながらも、同じように真似してくれた。
そうして重なった拳を手首ごと掴んで、上へと持ち上げる。
さり気なく手を腰に回して支えつつ、相手が驚くより早くあっという間に後ろへ倒してみたら、鵜飼先生は大きく開いた目で何度も瞬きをして体を硬直させた。
「……すみません。壁がなかったから、壁ドンはむりでした」
一応謝っといて、相手の脇辺りのベッドシーツに手をついて、両腕を上げて手首は固定された……無防備になった体を見下ろす。
第二ボタンまで外れたブラウスがはだけて、鎖骨から膨らみの始まりまでしっかり見えているのが、やけにいやらしく映った。
よく見れば谷間の…エロいようなとこにほくろがあることにも気付いて、邪な感情はさらに刺激される。
このまま触ってしまおうか、とも思うが…
「…重かったですね。すみません」
調子に乗って、怖がらせても良くない。
さっきから人の顔を見上げたまま固まって動かない鵜飼先生が心配になって、体を起こして手の中から解放してあげた。
解放されてすぐ起き上がった彼女は、そばにあったもち太郎を抱き寄せて隠れた。
「大丈夫ですよ、何もしませんから。…手首、痛みませんか?」
すぐ隠れるのが小動物っぽくてかわいいな…と思いながら、もち太郎の足部分を軽く触る。
「……へいき…です」
警戒しつつ、もち太郎の影から顔をチラリと覗かせた鵜飼先生は裏返って高くなった声で返事して、目が合ったらまたサッと隠れてしまった。
もち太郎をぎゅっと抱き締めた手は震えていて、想像以上に動揺を与えてしまったことに気付く。
なんだか可哀想になってきた。…まさか、そんなにも怯えさせるなんて思ってもなくて、罪悪感で心が竦んだ。
「もうしませんから。安心してください」
「…い、嫌だなんて言ってません」
隠れたまま手招きされた動きを見て、咄嗟に自分の手を差し出す。
私の手を手探りで見つけた鵜飼先生はそのまま指を絡めて繋いできて、ねだるように弱く引っ張られた。
「ひ…人と距離が近いことにも、慣れたいから……今みたいなやつ、やめないで続けてください」
学校に居た時も思ったけど、やたら積極的なのはどうしてなんだろう。興味があるにしても…いくらなんでも、許しすぎな気もする。
とはいえ、関係性が壊れずに済んだことには安堵した。
疑問は残るが、本人が嫌がってないならいいやと軽く捉えて相手の手を握り返す。
「き、今日は……泊まっていきますか?」
「いや……明日は部活で出勤なので、早めに帰ろうと思ってます」
「…うちから行けばいいじゃないですか」
泊まってほしくて仕方ない気配を察するものの、仕事着も持ってきてないしなぁ……どうしようか悩んだ。
鵜飼先生の家から自分の家までは車ですぐだから、取りに戻ることもできる。少し面倒だが、明日のことを考えたらそうした方が後々楽だ。
「一旦、家に帰ってもいいですか」
「……私も行きます」
「え?でもほんと服取りに行くだけなんで…」
「行きます」
「あ……はい…」
頑固な鵜飼先生に根負けして、彼女を連れて一度車で自分の家へと帰ることに決めた。
「タバコ吸ってもいいですよ。…私の家は禁煙なので」
「んー……じゃあ吸っておきますかねぇ…」
車に乗るとなぜかタバコを勧めてくるから、今回もまたお言葉に甘えて吸いながら車を運転させる。
咥えタバコが気になるのか、じっと見つめて無言の威圧をかけてくる鵜飼先生の顔色を窺いつつ、ちゃんと指で挟んで支えてみたりと咥えタバコをやめたアピールをしてみる。
それでも、視線が逸れることはなかった。
「…煙、嫌ですか」
「いや?別に気にしてません」
「それならよかったです…」
じゃあなんで見てくるんだろ…?
疑問を口に出す前に自分の住むマンションの駐車場へ辿り着いてしまったから、タバコを吸いきるまでは一息ついてしばらくボーッとして過ごす。
「勝先生…お疲れですか?」
「うーん……まぁ、少しだけ」
「早く荷物取って帰りましょ?うちでゆっくり休んでいってください」
「…そうですね」
なんならこのまま自分の家で寝た方が気が楽なんだけど……一緒に居た方が癒やされるか。
せっかく仕事を頑張ってひとりで寝るだけなのも寂しいし、さっさと服だけ取りに行こう…とタバコの火を消してエンジンはかけたまま扉を開ける。
「鵜飼先生は待っていてください。すぐ戻ってきますから」
「……はい」
てっきり部屋までついていきたいと言われるかな?なんて予想してたけど、彼女はおとなしく待つ選択をしてくれた。
だから待たせすぎないように小走りで自分の部屋へと向かって、明日の仕事着と他に必要になりそうな物だけ鞄に詰め込んでまた駐車場へと歩みを進める。
その途中で、ずっと後ろで一つ縛りにしていたヘアゴムはなんとなく疲れたから外しておいた。
そんなに長くもない髪を軽く整えながら車に戻れば、見慣れない髪型だからか鵜飼先生は目をぱちくりとさせて見てきた。
「…ん、なんですか」
「意外と髪……短いんですね」
「あぁ…縛ってるから長いと思いますよね」
襟足が長いだけで、下ろすとだいぶ印象が変わることは自分でも自覚がある。
変だったかな…とか心配になりつつ、それ以上は何も言われなかったから気にせず車を発進させた。
「タバコ吸いますか?」
「……いや、もういいかなぁ…」
答えるより先に窓を開けようとするくらい積極的な鵜飼先生に申し訳ない気持ちで、流石に断る。
「お泊まり、楽しみですね。…楽しみですよね?」
「もちろんですよ」
彼女の家に着く前に感想を早くも確認されて、そこは素直に頷いておいた。
こうして自然な流れで、初のお泊まりが決定した。
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