第7話
鵜飼先生の家に着いてから、まずはシャワーをお借りした。
そこで汗を流してスッキリして、私と入れ違いでお風呂に入った彼女を待つ間は漫画でも読んで時間を潰す。
「……ん?」
ペラペラと、あまり好みではない漫画は読み飛ばしながら色んな本に手を出していたところ、本棚の奥に隠された一冊の漫画を見つけてしまった。
手に取って見てみれば、表紙から分かるほど明らかなエ■本で……少し読むのをためらった。人の性癖を覗くなんて不躾なこと…
しかし、気になる。
鵜飼先生が日頃、どんな内容の本で興奮しているのか。
興味が
「あぁ……なるほどね…」
こういった系統の漫画なんて読まないから分からないが、内容は至って普通のセッ■スだった。
ひとつ気になったのは言葉責めの多さで、他はこれと言って特徴のないノーマルなプ■イ。もっと拗らせているものと思っていたが、案外拗れてない王道が好みなようだ。
際どいことをしてるとはいえただの絵だけで興奮することはなく、鵜飼先生はこれを見て興奮するのかと思うと不思議な気分になる。
「あ……ちょ、え?なに見てるんですか」
しばらく参考がてら読んでいたら、いつの間にか部屋に戻ってきていた鵜飼先生が、慌てた仕草で私の手から漫画を奪った。
「か、か…勝手に読むなんて非常識ですよ!」
「どれでも好きなものを読んでいいと言われてたので…」
「っだ、だからって、えっちなの読んでいいとは言ってません!」
あ、えっちな本ってことは認めちゃうんだ。
こういうところ、変に素直でかわいいなぁ…と呑気な感想を抱きつつ、どう怒りを治めてもらおうか冷静に考える。
「…言葉責めが好きなんですか?」
「わ、悪いですか!誰だってあんなこと言われたら喜びます、そういうための言葉なんですから!」
「……あんなことって?」
「っ……う、うぅ〜…うるさい!」
考えた結果、からかった方が面白そうだと判断して質問を繰り返せば、予想通りさらに怒った彼女は声を荒げてエ■本を抱えたままもち太郎の元へ逃げ込んだ。
もち太郎ごと毛布を頭まで被ったことを確認した後で、慰めに行こうか悩む。
ここで下手に構ったら嫌がるかな…やめとこう。
怒りが治まるまでは放置することにして、自分はベッドの下で横たわる。
「…別に、これを読んで興奮してるとかじゃありませんから。ただ純粋に話が面白いから買っただけです」
しばらく続いていた沈黙を破った声は分かりやすく強がっていて、思わず声に出して笑った。
「ははっ、そうですか。…まぁ、たかだか絵に興奮なんてできませんよね」
「たかだか絵って言うのやめて。バカにしないでください」
「えぇ…?理不尽…」
「何か文句でも?」
「いえ。すみませんでした」
「……勝先生はあれ読んで、えっちな気分にならなかったんですか」
不思議というか、もはや不満な顔をしてベッドの上から覗きこまれて、何も言わず頷く。
やっぱり彼女は何目的とは言わないがあれを夜のお供にしているようで、衝撃を受けた瞳がパッチリと開かれていた。
「ち、ちゃんと読みました?」
「ええ。台詞までしっかり覚えるくらいには」
「なのに興奮しなかったの…?」
信じられないのか顎に指を置いて悩みだしたのを、ピュアすぎて眩しく感じながら体を起こす。
「鵜飼先生も、興奮しないんですよね」
「……え、ええ。もちろんしません」
「実際にやられても平気か、確認してみますか」
強がる彼女がどこまで耐えられるのか確かめてみたくて提案すれば、引くに引けなかったんだろう。口元を引きつらせながらも首を縦に動かした。
立ち上がってベッドの上へと膝を乗せて、もう隠れられないようにもち太郎には少しの間どいてもらう。
隔てるものが何もなくなったことに不安を覚えた鵜飼先生が毛布で顔を隠そうとするのも、やんわりと手を重ねて阻止した。…本も退かしておこう。
ついでに手首を持って、シーツの上へと押さえつけた。
「さて。…どんな言葉責めが好みですか?」
「こ、好みなんかありません」
「…言わないと、してあげないよ。緋弥さん」
指先で軽く頬を触ったら、やけに熱い体温が伝わってくる。
すでに高まってることを知れて気を緩ませつつ、はたして女の私相手にちゃんと興奮してくれるだろうかといういくばくかの不安も抱く。
まぁ、やってみなきゃ分からない。
反応を見て、無理そうならやめればいい。
顔を落として、真っ赤に染まりきった耳元に向かって口を開いた。
確か、あの漫画には…
「どうやって責められたいの」
台詞を思い返しながら、言葉を紡いでいく。
「どこを、どうされたい?…言ってごらん。してあげるから」
こんなこと現実のセッ■スで言ったこともないが、思いのほか恥ずかしくはなかった。
なぜなら鵜飼先生が、分かりやすく揺らいだ心を表情に映して見せてくれるからだ。…反応が返ってくるだけで、やったかいがあると思える。
本当ならここで女性側がしてほしいことを言っていて、その通りに男性側が動いていた…はず。
しかし今、相手は硬直状態で答える余裕もなさそうだから、アドリブでなんとか乗り越えてみることにした。
「言わないなら、このままずっと焦らし続けてもいいんだよ…どうする?」
自分で言っててムラムラしてきて、滲んだ欲望の端が体を動かして鵜飼先生の腰から脇を撫で触ってしまった。
触れた途端、焦った仕草で止められる。
「ぁ……ま、待って…ください、勝先生」
「…ん?なんですか」
「も、もち太郎が、みてるから…だめ」
「……あぁ」
そこでクマのぬいぐるみがペット的な役割も果たしているらしいことを知って、彼女のキャラならそれでもおかしくないから反射的に納得してしまう。
あいつの顔を後ろに向かせれば続きできる…?
大人特有のずるい発想が頭を過ぎるものの、いやいやそもそも手を出すにはまだ早すぎるでしょ…と、あと一歩のところで踏みとどまった。
「…どうでしたか、鵜飼先生」
両腕で体を支えながら上半身を起こして聞くと、彼女は離れたことが寂しかったみたいで私の腕に柔く手を置いた。…恥ずかしさからか、顔は逸らされる。
「興奮しました?現実でも」
「……あれくらいじゃ、ちょっとしかしません」
「…ちょっとはしたんだ」
「し、しない方がおかしいでしょ」
「はは。いい練習になったようで何よりです。これで少しは、距離が近くても免疫がつきましたかね」
適当な言い訳をつけて、“あくまでも練習でした”と遠回しに伝えてから、頭を軽くぽんと触ってベッドを降りる。
ムラムラを発散させるために一服でも行こうかな…とタバコと車の鍵を取り出すため鞄を漁る。
その間に起き上がっていた鵜飼先生は、不思議がって隣へやってきた。
「…どこ行くんですか」
「タバコ吸いたいんで、車に」
「……私も一緒に行きます」
「夜だから暗いし、怖いですよ。…あとタバコのにおい移りますよ」
「…行く」
こうなったら意地でもついてくることを、今日の今日学習した私は彼女を引き連れてアパートの一室から抜け出した。
「…今度から、ベランダで吸ってもいいんですよ」
「禁煙なんでしょ?部屋」
「……ベランダは外ですから。平気です」
「それじゃあ……次からはベランダで吸おうかな」
ありがたい提案はありがたく受け取って、とりあえず今は外に出ちゃったし、車で吸うのは変えず。
車内に乗り込んでエンジンをかけて窓を開けてからタバコを咥えた。
ライターで火を付ければ、真っ暗闇の中にぼんやり火が浮かんで、情緒的な光に荒ぶっていた心を落ち着ける。
「…はぁ、明日も仕事か。やだなぁ」
吸い込んだ煙と共に、ひとりの時に癖で呟く言葉を吐き出してしまえば、鵜飼先生の表情もつられて曇った。
「夏休み前は忙しくなるから……嫌ですよね。分かります」
珍しく同情の言葉を貰えて、それだけで疲れきった心が癒やされた感覚に浸る。
彼女の言うように、養護教諭も体育教師も夏休み前は何かと忙しい。しばらく休日出勤は確定で、となると…週末デートも当然のようにできない。
学校では毎日顔を合わせられるものの、仕事から解放された自由な時間に会えないのは、心細くも感じた。
「……夏休み、どっか泊まりで旅行とかします?」
幸い、教師という職業はお盆になればどんなに忙しくても連休に入る。
それは養護教諭の鵜飼先生も同じで、忙しさから会えないことが確定してる事実を埋めるため誘ってみたら、すんなりと頷いて了承してくれた。
「どこ行きます?」
「…ゆったり過ごせるところがいいです」
「あー……いいですねぇ。夏だから山とか、川…海もいいなぁ。キャンプとかしたいですね」
「キャンプは苦手…かも」
「それじゃあ、コテージ借りて自然の中で過ごすのはどうですか?そういうのも苦手?」
「そういう感じなら……むしろ好きです」
「よし、じゃあ決まりですね。せっかくだし、二泊三日で行くのはどうでしょう」
「う、うん。いいんじゃないかしら」
半分は現実逃避で話を進めて、これから続く激務への心の負担を少しでも軽減させることにした私達は、励まし合うようにお互いの目を見て微笑んだ。
そんな話をしているうちにタバコも吸い終わり、部屋に戻ってからは歯磨きを済ませて、明日も早いからと気を遣ってくれた鵜飼先生に用意してもらった布団へと潜り込む。
自覚なく疲れていたようで、目を閉じたら気が付けば眠りに落ちていて。
「っ……ぅ、〜…」
多分、深夜。
「ぅ…く……ぅうー…」
唸るような声が耳に届いて、意識を引き戻された。
目を覚ますと同時に尿意にも襲われたから、起きるついでに鵜飼先生がうなされてるんじゃないかと心配して様子を確認する。
「……鵜飼先生、大丈夫ですか」
部屋は暗くて何も見えなかったから、声をかけてみたものの…返事はなかった。
もうさっきみたいにうなされた様子はないし、大丈夫かな……トイレ済ませてからまた確認してみよう。
一旦、部屋を出て用を足す。
その後、部屋に入る時に何度かパチパチ電気をつけたり消したりして豆電球の灯りを頼りにベッドで眠る鵜飼先生の元へと向かった。
「…暑かったのかな」
寝顔を覗いてみたら、ぐったりした様子で大量の寝汗をかいていて、指の腹で水滴の一部を拭い取りながら毛布を僅かにずらしておいた。
「おやすみなさい、緋弥さん」
そして眠っているのをいいことに、額にキスを落として、今度は簡単に目覚めないくらい深い睡眠へと落ちていった。
翌朝。
「昨日、暑かったですか?にしても、そろそろエアコンつけないといけない時期かぁ…」
「……夜中に起きてトイレ行くのやめてください。心臓に悪いです」
「え?」
「おかげで中途半端に……と、とにかく!一回寝たら絶対に朝まで起きないでください」
仕事前に鵜飼先生も起きてきてくれたから、話題がてら昨晩の話をしたのに、どうしてか理不尽に怒られてしまった。
彼女の怒りの原因は結局…分からずじまいで。
今度から、夜は起きても寝たフリをしとこう…と、それ以上の刺激をしないように謝っておいた。
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