第16話
























 眼鏡同士が擦り当たる。


 そのタイミングで着信音も鳴り響いて、邪魔の連続に驚いて目を開ければ、ちょうど向こうも瞼を上げて私を見た。

 鼻先が触れるくらいの近い距離で目が合ったから、ここまで来てやめたくはなくて、唇を浅く突き出すように顔を動かした。

 けど、相手が顎を引いて、逃げられてしまった。

 さらに顔を逸らされ、完全に拒否の姿勢をとられる。


「や、やっぱりだめ…です」

「……どうして」

「電話きてます…し」

「…いいよ、そんなの」

「だ、だめ……はずかしく、なっちゃったの…」


 かわい。

 さっきまであんなに乗り気だったのに、冷静になった途端に乙女な反応をするのが好みドンピシャで、心に刺さる。

 本当は強引に行きたいところだけど……


「…そもそも練習でしないって言ったのは私でしたね、ごめんね」


 軽率にファーストキスを奪おうとしたことを反省して謝って、頭を軽く撫でた後でベッドを降りた。

 未だ音を鳴らし続けるスマホ画面には、生徒や教師同士で連絡をする用のアプリが着信を知らせていた。

 電話に出つつ、換気扇の下へと向かう。

 話しながらタバコに火をつけて、仕事の話と雑談で盛り上がってるところに、鵜飼先生がリビングからやってきた。

 どうしてか、ものすごく不機嫌な顔をしてるから、今は怒るの待ってって意味で自分の口にタバコを挟んでいた方の人差し指を当てる。


「……きらい」


 本当に小さな、目の前にいる私ですらちゃんと聞こえなかったくらいの声量で何かを呟いた彼女は、不満げな表情とは裏腹にそっと抱きついてきた。

 なんだいつものツンデレか…とタバコの火と煙が当たらないように手を上げて、気にせず電話越しの先生と会話を続ける。


「……はい、わかりました。後で主任の方には私からも確認しておきますね。…はーい、はいはい。お疲れさまでした〜。失礼しまーす」


 手短に電話を切った後も、吸い終わるまではそのまま後頭部をぽんぽん触った。


「…鵜飼先生、におい移っちゃうよ」

「……別にいいです。勝先生が離れてほしいなら、離れますけど」

「そんなこと、思いませんよ」


 最初の頃に比べ、積極性も増して慣れてきた彼女に対して、どう接するのが相応しいか考える。

 キスまで許してくれる一歩手前まで来れたし、そろそろ付き合えそうな気もするが……問題は、告白の時期と方法だけか。

 夏休みの期間中にできたら理想ではあるものの、ただでさえ業務が多くて大変だというのに今さっき新たに仕事も追加されたばかりで、忙しい。

 秋は文化祭に体育祭、その他諸々……イベントも盛り沢山で多忙になることは目に見えてる。

 となると、チャンスは冬休みか。

 何もない休日にするより、クリスマスに告白すればシチュエーション的にも好ましいはず。

 それまでは、一旦保留。

 理性が崩壊する寸前で危うくなりそうな欲望の分は、当初の計画通り他の人で発散させればいい。


「今日……泊まっていってもいいですか」

「…それなら、荷物取りに戻ります?車出しますよ」


 そういう悪巧みもあったおかげで泊めることも厭わず了承して、必要なものを取りに彼女の住むアパートへと向かった。


「もち太郎も、持っていっていいですか…?」

「……お留守番させときましょう。慣れないところで過ごすのは可哀想ですからね」

「そっか……もち太郎、ごめんね。いってくるね」


 最後の最後、名残惜しくもち太郎を抱き締めるという幼くてかわいい行動を取った鵜飼先生を連れて、また自分の家へと戻った。

 その日から連日、帰る気配もなく彼女は家に居て、私が仕事の間は合鍵を渡して自由に過ごしてもらった。

 おかげで、他の人を連れ込めないのは困るんだけど…


「おかえりなさい、蒼生さん」

「あ、あぁ……はい。ただいま」

「ご飯作ったから、一緒に食べましょ?」


 いつもいつも帰ると夕飯を用意して出迎えてくれて、腕を引かれながら部屋へと入る。

 これはこれでかわいいから、いいや。

 ただ、初めは全然慣れなくて動揺してたものの、数日も経てば当たり前のようになったお出迎えも…最初はテンションが高かった鵜飼先生の方が、次第に元気を失くしていった。

 一緒に過ごすうちに、何か嫌なことがあって幻滅させちゃったかな…?と心配になってどうしてのか聞いてみたら、


「……夏休み終わりは、修学旅行の前準備で忙しくなるから気が重いんです…」


 どうやら連休明けの仕事の事を考えて、病んでいるらしい。


「修学旅行かぁ……そういえば、準備はこの時期でしたね」

「はい……今の高校は私しか養護教諭がいないので、全部ひとりでやるしかなくて…生徒の安全のため管理に気は抜けないし、ミスもできないし…」


 一校目の学校にはもうひとり養護教諭が常在していたらしく、分からないことは相談しながらできていたらしいが、今回は完全にひとりという重圧もあってより心が苦しいと震えた声で話してくれた。

 彼女は良くも悪くも真面目だから、上手に手を抜くこともできないんだろう。


「…明日、約束のプールに行きましょうか」


 業務を請け負うことはできないから、せめて少しでも気を抜いてほしい思いで提案してみる。


「夏休み最後に楽しい思い出を作って、ふたりで乗り越えましょう」

「……ふたりで?」

「はい!落ち込んでいても大丈夫です、辛い時は私が笑顔にしますから」


 励ましの言葉が胸に刺さってくれたようで。


 その日の夜。


「何か、お礼をさせてください」


 ベッドの上、向かい合わせで膝同士をつけた状態で真剣な顔をして聞かれた。

 ……望むことは、たくさんある。

 キスしたいとか抱きたいとか、そもそも付き合いたいとか。さらに欲を出すならもはや同棲したいとか。


「…鵜飼先生の、理想の恋愛を教えてください」


 だけどここは自分勝手な願望を押し付けるのはやめて、理解を深めることを優先させた。


「理想の恋愛、ですか…」

「はい。どんな時にドキドキするか、とか……好きな漫画の内容でもいいですね。とにかく、あなたのことが知りたいです」

「漫画の内容…」


 少し思案した後で、ちょうどいいものがあるのか鵜飼先生はスマホを持ち出した。

 そして何やら操作をして、そそくさと私の隣に来る。


「こ、こういうのとか……好きです」


 見せてくれたのは、主人公が男に押し倒されて迫られているシーンで…襲われるのが好きなのかな?と反応に困った。

 常時ムラムラしてるってこと?

 乙女心を汲めず、そんな失礼なことを考えているうちに彼女は何度かページをスワイプしてめくり、説明を続けてくれた。


「嫉妬、束縛系は大好だいこうぶt……好きです。キュンキュンします」

「……されるのが好きなんですか?」

「うん!その流れで俺のものになれよとか言われたい…あ、蒼生さんは嫉妬とかしませんか?」

「いやぁ……どうでしょう。あんまりしないかもですねぇ」

「されるのは…?」

「基本的に大丈夫ですが、あまりに過度なものだとちょっと…引いちゃいますかね」

「そ、そっか…」


 現実的で淡白な回答すぎたのか、僅かばかりしょんぼりしてスマホの画面を閉じてしまう。


「いや、まぁ……だけど、若い頃は私もよく嫉妬したりとか、してたかなぁ…」

「……本当に?」

「え、ええ。束縛とかも、普通にしてたと思います」

「おぉ……ど、どんな感じで?」


 慌てて取り繕えば、狙い通り食いついてくれた。

 もう夜で、明日は早く家を出る予定だから寝ながら話すことにして……ベッドの上でお互い仰向けになる。

 私が高校生の頃、初めて付き合った彼女との些細な喧嘩話や修羅場、恋愛のやり方を知らない故の失敗談を話したら、聞けば聞くほど鵜飼先生の機嫌は悪くなっていった。…もちろん、“彼女”とは言ってない。

 てっきり喜んで聞いてくれると思ってたのに、まさか怒らせるだなんて予想さえしてなくて戸惑う。


「…過去の恋愛の話はもう終わりです。今後一切、しないでください」

「え、えぇ…?」

「だいたい、なんで私が勝先生の他人との恋路を聞かなきゃならないんですか。デリカシーのない…まったく」


 自分から聞いてきたのに…?

 理不尽極まりないことをされてもイライラさえしないのは、拗ねた彼女の手がずっと私の手を離さず握っているからである。

 ご丁寧に、自ら指を絡んできて甘えてきてくれる分かりやすさのおかげで、ただ嫉妬しただけの素直じゃない言動だと察することができて……むしろ微笑ましい。


「い、今まで何人くらいの人と付き合ったの」

「恋愛の話は終わりなんじゃ…?」

「っ…いいから答えてください。私以外の人と恋愛した数を」

「うーん……十…五、六とか…?」

「え。そ、そんなに…?」

「いや、まぁ……若気の至りというか…」

「信じられない。汚い」


 そこまで言う?ってくらい激怒した鵜飼先生は背中を向けてしまって、ご機嫌取りも兼ねて後ろから抱き締める。


「ちなみに経験人数は、その倍です」

「……最低。気持ち悪い。変態。今すぐ教師辞めてください」

「ははっ、無職になるのは困りますねぇ…」

「そもそも、どうしてそんなに多いんですか」

「それは多分……学生時代にモテ期到来したからです。高校、大学とどちらも女子校でしたから。背が高いってだけでみんな…」

「え…?ち、ちょっと待って」


 反応が面白かったから冗談で失言に失言を重ねた結果、言わなくていいことまで口走ってしまった本当の意味での失言に、驚いた鵜飼先生が肩越しに振り向いた。

 今はどちらも眼鏡をかけてない、ラフな状態で目が合っても、近い距離にドキドキするより先に違う意味で心臓をバクバクさせた私はさり気なく天井の方を見て顔を逸らす。

 しかしまぁ、あの鵜飼先生が逃してくれるわけもなく。


「女子校って……どういうこと?モテたって、女の人からってこと?もしかして女の人と付き合っ」

「まあまあまあ。ちゃんと答えますから、落ち着いて」


 予想通りの質問攻めには冷静に対応して、内心なんて答えようかと頭を抱えたい気持ちでいた。


「言うのが遅れましたが……私、女の人が好きなんです」


 最終的に、私は馬鹿正直に全てを話すことにした。


「どうして…最初に言ってくれなかったの」

「いやぁ、偏見とか……気持ち悪がられちゃうかなぁと思いまして…」

「べ、別にそんなこと思いません。むしろ遅すぎ…もっと早く言ってくれればよかったのに」

「……先に言ってたら、今こうしてそばにいてくれてた?」


 腕枕していた方の手で相手の顎をさすり触ったら、彼女は顔の向きを前に戻して黙ってしまった。

 きっと、最初から私が女好きだと知っていたら…こんな関係にはなってないと、悲しいことに本人も思ったんだろう。

 そのくらい、通常であれば警戒心も理想も高すぎるほどに高い鵜飼先生が心を開いてくれてるのは奇跡にも近くて、その奇跡は嘘によって作られた。

 嫌な大人が生み出した現実に直面した時、彼女は何を考えたのか。


「……か、関係ないです」

「ん…?」

「った、ただの練習に性別なんて関係ありません…ので、まったく問題ないです」


 動揺して震えた声で、それでも必死に受け止めようとする言葉を吐き出した。


「さ、最初から好意的に思ってたとかではありませんので。そこだけは勘違いしないでくださいね」

「あー……はいはい。今後も、自惚れないよう気を付けます」


 こういう時でも素直じゃない、だけどそれがまた可愛らしい鵜飼先生に癒やされつつ、その日は心穏やかに眠りについた。















※F■NB■Xにて、鵜飼先生視点の番外編が近日公開予定です。






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