第4話


























 おうちデートの前に。


 平日は当たり前のように仕事がある。

 一年生の担任も任されている私の業務は保健体育の授業だけではなく、何かと雑務も多いから日々サービス残業漬けの毎日だ。

 今学期は期末に性教育の授業があり、今回は養護教諭である鵜飼先生と共同で行う。そのための準備も、早い段階で進めなければならない。

 だから放課後に、生徒が帰ってから打ち合わせのため保健室へと出向くことも少なくなかった。

 私にとって、このちょっとした打ち合わせの時間は、仕事ではあるが一種の息抜きにも感じていた。


「さてさて。鵜飼先生は、コン■ームの付け方わかりますか?」

「……そのくらい知っています」

「実際に生徒達の前で付けようと思っていて。よかったら、先生がやりますか」

「さ、触ったことはない…んですけど」

「それなら試しに今、やってみましょう。キットを用意してありますから」


 これはセクハラでもなんでもなく、授業に必要だから行っている立派な業務のひとつである。

 授業では基本的に私が指導の主軸を務めるが、サポートとして彼女も一緒に説明なんかを行うため、役割分担も兼ねて話し合いを重ねる途中で例のキットを持ち出した。

 知識はあるが、実体験を伴わない鵜飼先生が当日になって色々テンパらないように配慮した結果でもある。

 そう考えれば、仕事を円滑に進められるという意味でも彼女の秘密を知ることができて良かった。でなければ、こういった対策も打ちようがなかったから。


「私はこれまで授業で何度も経験がありますが、鵜飼先生は慣れてないでしょう」

「な、慣れてないって決めつけるのはやめてください」

「触ったことないって、さっき自分で言ってたじゃないですか」

「そ…そうだけど、でも、人から言われるのは嫌なんです」

「それはすみませんでした。…じゃあさっそく、つけてみましょうか」


 複雑な乙女心を刺激してしまったことは謝罪し、気を取り直してキットをテーブルの上に広げた。


「今回用意したのは、分かりやすさを優先して外装に裏表の表記があるものにしました」

「え。裏表があるの?」

「はい……ご存知なかったですか?」

「あ、扱うことがないんだから、知らなくても仕方ないでしょ」


 別に責めたわけじゃなく、ただ驚いて聞いただけなんだけど……鵜飼先生はこういうところ、地味にプライドが高くて扱いが難しい。

 にしても、そうか…実際に触らないと分からないこともあるよね。と、彼女を見ていて改めて性教育の大切さを知る。

 知識のある大人でも、経験がなければ分からないことはたくさんあるんだから、年齢的にも未熟で経験も浅い生徒達が知らないのも無理はない。

 そこをどううまく伝えていくかが、教師としての腕の見せ所である。…まぁ、一部の生徒はもう経験済みで知っているだろうが。

 取り急ぎまずは、目の前の…大人ではあるが未熟でもある鵜飼先生を相手に教える練習がてら説明を始めた。


「女性側、と書かれた方を上にして取り出してみてください」

「へぇ……こうなってるんだ…」

「あんまりベタベタ触らない方が…手も汚れるし、内側に手の雑菌が移ると困りますから。通常、触っただけで破ける事はそうありませんが、リスクを少しでも軽減させるためにも丁寧な扱いを心がけてください」

「わ、わかりました……すみません」

「いえいえ。…では、続けましょうか」


 外装を開けて、興味深く中の物を観察していた無邪気な彼女の行動を窘めて、装着のため使用する棒状の置き物を手前まで移動させる。


「先端に乗せてみてください」

「はい。……あれ、どっちが女性側だったかしら」


 興味本位でひっくり返してみたりといじりすぎて裏表が分からなくなってしまったことには、重たいため息を吐き出した。

 ただまぁ、現実を考えるとこういうこともよくあるだろうから、生徒達に教える際にあえて間違えるのもアリかもしれない…とポジティブな方向に思考を持っていく。


「とりあえず、女性側だと思う方を上にしてやってみましょう」

「は、はい」


 言われたとおり棒の先に輪っかを乗せたのを確認して、そのまま爪を立てないよう下へくるくる回しながら装着してくださいと指導すれば、


「……ん?あれ…引っかかっちゃう…」


 案の定、裏表逆の状態であることが分かった。

 うまく下へ行かないことに困惑する姿を眺めつつ、どうするかは本人の意思に任せる。

 結果的に、鵜飼先生はまたひっくり返してそのまま装着する作業に進んだ。…ある意味でお手本になることを実行してくれた。


「本来であれば、内側となる部分に男性器が触れてしまった時点で交換するのが適切です。それだけでも妊娠や性病のリスクがありますから。まぁ今回はその心配もないのでこのまま使いましょう」

「あ……すみません…」

「いえいえ。それじゃあ、しっかり根本までつけていってください」


 失敗例としては最高のパフォーマンスを見せてくれた鵜飼先生は、慣れない手つきでスルスルと輪っかを落としていって、最後まで装着できたことをふたりで確認する。


「これ……動かすうちにまた上がってきて取れたりしないのかしら…」

「ピッタリのものを選べば大抵は大丈夫なはずです。サイズの重要性を伝えてみるのも良いですね」

「サイズがあるんだ…」

「男性器も人それぞれ大きさが違いますから。あまりにサイズが合ってないものを選ぶと、緩くて抜けてしまうこともあります。本来、こういう事まで教えるのが適切だとは思いますが…」


 詳しく伝えすぎても、それはそれで問題になるのが厄介なところだ。中には、親御さんから「変なこと教えないで!」といったクレームが入る場合もある。

 男性器のサイズ、というかなりデリケートな部分に触れる話題は避けた方が良いかな…?と、私が真剣に授業内容を思案している間、鵜飼先生は気になるのか棒を何度も浅くこする形で手を動かしていた。

 視界の端に映るその動作がどうにも官能的で、気が散る。


「……あの、鵜飼先生」

「はい」

「打ち合わせ中に手■キの練習するのやめて」


 きっとそんなつもりは微塵もないんだろうが、そうにしか見えなくて注意すれば、棒からパッと手を離した彼女の顔が赤らんで、目がカッとなってつり上がった。


「そ、そんなことしてません!変なこと言わないでください」

「だってずっと触ってるから……そういうのは家でやりましょうね」

「っし、してないってば!」

「はいはい。…ほら、手がベタベタになってますよ。拭かないと」


 照れ隠しに怒り出した鵜飼先生の手首を持って、テーブルの上に置いてあったウエットティッシュを何枚か取り出す。

 そのまま手を拭いてあげれば、先ほどまでとは打って変わって大人しくなってしまった。

 急に触られたことに、動揺してるんだろう。

 ……かわい。

 仕事中だということも忘れて癒やされながら、つい意地悪な気持ちで拭くついでに指を絡ませてみた。


「…緋弥さん」


 下の名前で呼べば、赤いリップの唇がきゅっと閉じられて、途端に眉が垂れ下がった情けない表情で見つめられる。


「あんまりふざけてると、このまま特別授業に移りますよ」

「ふ、ふざけてなんか…」

「じゃあ、至って真面目に手■キの練習をしてた…と?」

「っな……違うってば!なんでそうなるの」


 焦って否定した彼女に肩を叩かれて、喉を鳴らして笑った。


「ははっ…鵜飼先生は、からがいがあって楽しいですね」

「人をからかって遊ぶなんて……教師失格です。生徒達の前では絶対にやめてくださいね?」

「鵜飼先生が本番の授業で手■キの練習始めなければ何も言いませんよ」

「だ…っだから、手■キ手■キいうのやめて!そんなつもりなかったんだってば…!」

「いやぁ、もう私が保健の授業しなくても充分なくらい上手でしたよ」

「っ〜……きらい!勝先生なんてもう大嫌いです」


 拒絶の言葉を吐いて顔を逸らすわりに、繋いだ手を離さないのは……いったいどんな心境なのか。

 ツンデレにしか見えない可愛い鵜飼先生を視界の真ん中に捉えて微笑む。


「そんなに嫌いなら、今週末のおうちデートはナシですかね」


 冗談半分に言ってみれば、驚いた顔がこちらを向いた。


「な……なんで、そんなこと言うんですか」

「…だって、嫌いな人とデートなんて嫌でしょう」


 言いながら、さらに指先を曲げて繋いだ手の密着度を高める。

 まさかデートのキャンセルをさせるとは思っていなかったようで、鵜飼先生は悔しそうに下唇を噛んで眼鏡の奥から睨んできた。

 少女漫画に、こんな意地の悪い展開はないはずだ。

 だからもしかしたら、夢見がちな彼女は幻滅して「もういい」とふたりの関係を終わらせてしまうかもしれない。

 だとしたら、ちょっとやりすぎたかな…って反省した私の予想は見事に外れて、


「……嫌、です」


 相手からも握り返してきた動きに、不意打ちをくらって心臓が破裂するくらい鼓動を鳴らした。


「おうちデートは、したい…です」


 かわいいなぁ…ほんと。

 彼女がどんな気持ちでいるのかは知らないけど、少なくとも私と過ごす時間を嫌とは思ってないことだけは伝わって、どんどん愛おしくなっていく。


「そ、それに、あくまで練習だもの。好きとか嫌いとかは関係ありませんから」

「……素直じゃないのは減点ですね」


 隠しきれてない照れが、私の手を親指の腹で何度も確かめるように撫でる行動に出ていて、そこへ視線を落としながら小さく呟いた。

 こんなことばかりされては、さすがの私も期待する。

 相手は生粋のノンケだと、分かっていても。


「鵜飼先生はちょっと……いやらしすぎるんで、生徒の前でコン■ームつけるのはやっぱり私がやりますね」


 男子生徒、男性教諭がこぞって下心を持つのと同じように、例外なく魅了されてしまった。

 他の男には知られたくない一面を隠すため言った醜い嫉妬の言葉を、印象悪く受け取ったのか。


「……いやらしくなんてありません」


 ものすごく不機嫌な声が返ってきて……だけどその間も、手は離されないまま繋がっていた。


「これは失礼しました。…一部の生徒には刺激が強すぎるので、私が担当しますね」

「言い方を変えただけじゃない…」

「そのくらい、魅力的ってことですよ」


 さらりと褒め言葉を伝えて、手を離す。


「さて……私は準備室に戻ります。次の打ち合わせまでに資料もいくつか作成しておきますね」

「え……も、もう行っちゃうんですか?」

「はい。まだまだ仕事はたくさん残ってますから」


 寂しがる鵜飼先生には何食わぬ顔で返事をして、テーブルに広げていたキットを片付けて、立ち上がるついでに抱え持つ。


「それじゃあ、お疲れさまでした」


 保健室を出る直前に見えた、捨てられた子犬みたいな顔を目に焼き付けて、扉を閉めた。

 週末までに、ある程度……仕事を終わらせておかなければ、彼女と過ごす時間は作れない。名残惜しいが、仕方ないことだ。

 結局、その日は日付が変わる頃まで学校にいて、キリがないからキリのいいところを無理やり作って帰宅することにした。

 乗り込んだ車の中、真っ先にタバコを咥えて火をつけた。


「はぁ〜……早く休みになんないかなぁ…」


 ベリーの風味が混じった、くすんだ匂いの煙を吐き出しながらシートに頭を預ける。

 忙しくてストレスの溜まる平日が過ぎれば、後は癒やされるだけ。

 次のデートでは何をしようかな…と、それだけを楽しみに、吸いきったタバコの火を消して車を走らせた。
















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