第3話























 週に一度、特別な保健体育⸺もとい恋愛の授業を行うため、鵜飼先生と休みの日に会うことにした。


 今日はデート初回だから、あまりハードなことはせず…二時間程度のディナーだけ済ませて帰る予定だ。

 レストランはできるだけオシャレなところを予約して、それに合わせて服装も大人びたものをチョイスする。

 ただ、あくまでも男性相手を想定したデート。主役は鵜飼先生ということもあって、私は控えめかつ中性的なパンツスタイルの服装を選んだ。

 鵜飼先生には、露出は控えめな服を選んでくるよう伝えてある。一番初めから気合を入れすぎても、引かれてしまう可能性があるからだ。

 そういったことも教えていきつつ、間違えてもあわよくば付き合えないかな…とは考えないように自分を律した。

 あくまでも練習……そう言い聞かせて家を出る。

 待ち合わせ場所へは早めに到着して、変に高鳴る期待と心臓を落ち着けつつ待つこと数分。


「お待たせしました、勝先生」


 自制していた心は見事に、現れた彼女の美しさによって無に返されてしまった。

 控えめな淡い紫色のフレアワンピースがよく似合う、クールな中に可憐さを備えた鵜飼先生は、露出も多くないはずなのにどうしてか色気を含んでいて……見た瞬間に胸が締め付けられる。


「……行きましょうか」


 それでも、平静を装って声を出した。

 こんなことでいちいち心を奪われていては、いずれ下心が露呈して彼女を傷付ける。それだけは避けたかったから。


「あ。今日はデートなので、敬語はナシでいきましょう」

「は、はい」

「なるべく自然体を心がけてください」

「え…ええ。がんばるわ」


 男を魅了するにはもう充分すぎるくらいだが、何もかも慣れてなさそうな鵜飼先生のため困った時に使えそうな、無難な話題なんかも提供する。

 最悪、向こうから話を振ってくれるだろうから、相槌を的確に打つよう気を付ければ問題ないとも伝えておいた。


「…勝先生は、慣れてるのね」

「慣れてるというか……まぁ、人並みに経験はあるから、そのおかげかなぁ…と」

「どうしたら、男の人とお付き合いするまでに至るの?」


 私の場合は相手が男じゃなくて女だけど……ここは黙っておこう。


「デートしてて、お互い良いなって思えば、自然とそういう流れになるんじゃないでしょうか…」

「そうなの?」

「うん。だからまずは、気になる人がいたらデートしてみるのはアリですね」

「……気になる人がいない時は?」

「とにかく色んな人と出会うとか。最近はマッチングアプリとかもあるし…」

「私そういうの、あんまり好きじゃないのよね」


 鵜飼先生なりに、こだわりがあるらしい。


「どうせなら、運命的な出会いがいいもの」


 彼女に恋人ができない理由を、その時点でもう察してしまったが、「そんなのは無理」なんて野暮なことは言わなかった。

 いくつになっても、夢見ることは悪いことじゃない。むしろ、仕事で疲れた大人の心からは薄れ、忘れてしまいがちなことだから、大事なことだとさえ思う。


「それじゃあ、そこは運命を信じましょう。どんな出会い方が理想なんです?」

「うぅん……職場なら、イケメンが異動してきたり?」

「ははっ、緋弥さんはイケメンが好きなの?」

「う、うん…どうせなら、見た目が良い方が好き」

「なるほどね。…ま、容姿も大切か」


 面食い、なおかつ夢見がち。

 確かに鵜飼先生の容姿を持ってしても、そのふたつだけで相手を見つけるのが難しくなるのは仕方ない気がした。

 運命的な出会いなんて、生きていてそうそう起きないのに。

 だけど否定はせず、ただ時折ちゃんと現実を見せるように気を付けつつ……予約していた落ち着いた雰囲気のレストランに辿り着いた。

 

「緋弥さんは、どんな男性がタイプなの?もっと聞かせて」

「どんな…」


 食事中、話題がてら鵜飼先生の好みの傾向を探る。

 彼女は私の問いに悩んで、咀嚼しつつ考えていた。私も食べ進めながら、相手の言葉を待つ。


「ロマンチストな人…とか」

「……ロマンチスト、というと?」

「サプライズしてくれたり……とにかく、ドキドキしたい…です」

「…なるほど」


 自分で言ってて恥ずかしくなったらしく、語尾は小さくなって、自信なさげに教えてくれた鵜飼先生はワイングラスの中身を飲み干した。

 ドキドキ、ね……大人になってから、そんなこと考えもしてなかった。

 なんとなくでいつも付き合ったりしてた私からすれば夢よりも夢みたいな話で、その夢の中で生きる彼女が眩しく映った。

 少女のような彼女が見る世界と、私が見る世界は違うんだろう。


「……今日のデートは、これで終わりです」


 軽く雑談を交わし、食事を楽しんでから店を出て、駅前で解散するため振り向けば……鵜飼先生は不思議な顔で小首を傾げていた。


「?……鵜飼先生、どうかしました?」

「いや……これじゃ、ただご飯を食べただけじゃない。これのどこがデートなのか謎で…」

「はは、最初はこんなもんです」


 ドキドキもしないデートに拍子抜けな様子の鵜飼先生に笑いかけたら、不満げに眉をひそめられる。


「…好きな相手とのデートなら、何もなくてもドキドキできますよ。きっと」

「そういうものなの…?」

「うん。そういうもんです。だから大丈夫!今回はたまたま、相手が女の私だったからドキドキしなかっただけでしょう」


 物足りなさ全開の顔をされると、他にも何かしたほうが良かったかな…と思ってしまうものの、初手からやり過ぎは良くない。

 相手は恋愛経験ゼロの初心者。物足りないくらいで、今はちょうどいいはずだ。


「次回は映画館に行きましょう。恋愛映画はデートの定番ですから、それを観に…」

「私はまだ、一緒にいてもいいんですけど」


 無自覚なんだろう、寂しがった手が服の裾を控えめに握った。

 そんな可愛い行動を取られては、帰したくない気持ちが湧いて出てきてしまう。

 経験のない彼女は多分、そういう事をしたらどう思わせるかさえ分かってなくて、ただただ素直に甘えてみただけと頭で理解していても……期待で胸を踊らせた。


「…酔ってます?」

「ちょっと」


 酔うとほんと分かりやすく甘えん坊になる彼女に苦笑を返して、手を伸ばす。


「…緋弥さん」


 華奢な肩に手を置いて、顔を近付けた。

 何かを警戒した鵜飼先生の表情が強張るのを視界の端に捉えて、良心を痛ませる。


「今日のデート、私は楽しかったよ」


 もう少しのところでキスをするのは踏みとどまって、代わりに耳元で感想を伝えた後で体を離した。

 真っ赤に染まりきった顔を見ないように瞼を伏せて笑って、「それじゃ」と手を軽く振りながら帰路についた。

 帰ってから、彼女から長めのメッセージが届いていたことに気付く。

 内容は主に“ありがとうございました”という感謝と、次回への意気込みみたいなもので、微笑ましく思いつつ読み進めていったら、


『最後の最後、ドキドキしました』


 と、不覚にも嬉しい感想が添えてあった。


「ははっ……私相手にドキドキしても、意味ないのになぁ」


 単純なのは可愛いけど、可愛すぎるのは困る。

 惚れた先に待ち構えてるのが失恋だというのは、嫌でも突きつけられる現実だから、なるべく心揺さぶられないよう意識した。


 二回目のデートである映画館でも、それは変わらず。


 休日の昼間に待ち合わせをして、今までの癖でつい会ったらすぐ服を褒めたりしながらチケットを購入して。


「緋弥さん、デートは奢られたいタイプ?」

「できたら……そうね。漫画でも男の人が奢るのが主流だから…」


 話していく内に、彼女の恋愛の基準が全て少女漫画であることに気付いた。

 それ以外に判断材料がないんだから、当たり前っちゃ当たり前だけど……同時に湧いたのは、“少女漫画にはセ■クス描写がない”というところへの疑問である。

 つまり、鵜飼先生はもしかしたら性についての知識が乏しいかもしれない…その不安と心配があった。

 だけどデリケートな問題だから、そんなにズケズケ聞けるわけもない。


「恋愛映画は好き?」

「ええ!大好き。おうちでもよく見る」

「じゃあそのうち、おうちデートもしましょう」

「……そうなったらさすがに、その…したり、するのかしら」

「ん?」

「だ、男女が同じ屋根の下にいたら……そういうことも、あるでしょ?」

「あぁ…」


 なんだ、知ってるんだ。

 いやまぁ……そりゃ知ってるか。何も読むのは少女漫画だけじゃないだろうし。

 そもそも彼女は養護教諭…知ってて当然だ。身を持って経験したことがないだけで、これでも一応教える側なんだから。


「付き合った後のデートならあるかもだけど、付き合う前はないんじゃないかなぁ……付き合ってないのにそういうことはまずいでしょう」

「そ、そっか……確かに。…そもそも他の人は、何回目のデートで付き合うのかしら」

「人によっては一回目でもう付き合ったりするんじゃない。気が合えば」

「へぇ……そしたら、するのはいつになる…の?」

「その日のうちに、っていうのも…もちろんあると思うよ」


 会話の端々から、そういうことに対して興味津々な様子が伺えて、しっかり性欲はあるんだな…って察しちゃって苦笑する。

 これまでの経験から分かる。鵜飼先生みたいな人は、付き合ったら覚醒するエロいタイプだ。

 見た目も最高にエロいし、未来の彼氏が羨ましい…と邪な羨望を抱きつつ映画前にドリンクなんかを買って、スクリーンへ移動した。

 今日は、前回のデートで彼女が希望していた“ドキドキしたい”という期待にも応えるため、途中で手を繋いでみる企みを抱いている。

 だから映画が始まってからは様子を見つつ、タイミングを見計らった。

 彼女は始まってすぐくらいから熱中して観ていて、瞬き一つしないクールにも無邪気にも見える横顔へ、無意識のうちに手を伸ばしていた。


「……なに…」


 指先が頬に触れると、突然の感触に驚いた鵜飼先生の顔がこちらを向いて、唇が声も出さず小さく動く。

 その唇に向かって顔を近付けようとして…やめた。

 おとなしく当初の目的であった手を握るという行動を起こして、じんわり汗ばんできた手のひらを浅くなぞる。

 

「っ……」


 緊張して目をぎゅっと閉じた変化を横目で確認しながら、スクリーンを見上げた。

 エロいわりにピュアなのが、どうしようもなく愛らしくて、いちいち心臓を叩かれては、欲情をそそられる。

 でも、この下心は悟られないように気を引き締めた。

 涼しい顔をして、脳内ではいかがわしいことばかり考えてるなんて、彼女にはきっと想像もつかないんだろう。


「さて…終わったから行きましょう、緋弥さん」

「……やだ。立てない…」


 映画も終わり、立ち上がろうとしたところ手を引かれて、上目遣いで見てきた鵜飼先生に困り果てて眉を垂らした。

 無自覚の煽りに耐えるのは、想像してたよりもなかなかに辛かった。


「…これが本当のデートなら、百点満点の対応ですね」


 しかし私もいい大人である。

 理性の効かせ方は充分に理解していて、だからこそ落ち着いた対応で接することができた。

 頭に手を置いて、綺麗に手入れされた髪を撫でる。

 たいしたことない接触ですら動揺して目を泳がせるのを、他の男には見せたくないなぁ…と思いつつも表には出さない。


「次のデートは、家でまったり過ごしましょう」

「は、はい」


 何かを期待して揺れ動いた瞳には見てみぬふりをして、頭から手を離して歩き出す。

 この頃にはすでに彼女への好意でじわじわと心を蝕まれていた。


















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