第2話



























 異動してきた高校には、採用同期で同じ年…さらには同性で体育を専門としている先生が居る。

 彼女は誰にでも優しく快活で、接しやすい性格のおかげかすぐに生徒と打ち解け、慕われて、仲良くなっていた。


 一方で、私は…というと。


「…わ、鵜飼先生だ」

「やべ……今、目合ったかも」


 廊下を歩けば遠巻きに眺めるだけ眺められて、ヒソヒソと何かを言われてしまう。…特に男子生徒からは不評なようで、目が合えば逸らされてしまう始末だ。

 初めて配属された以前の学校でも同じような反応の生徒が多く、問題があるのは自分の方だという自覚はある。

 ただ、何が問題なのか分からなかった。

 保健室へやってくる生徒には常に丁寧な対応を心がけているし、そうでなくても言葉遣いには普段から気を配っている。

 人と接するのが苦手な中でも頑張ろうと、努力は怠っていない。

 笑顔を作るのだけは、どうもうまくできないけど…それでも、冷たい印象を与えないよう気を付けているのに。


「……すり傷ですね。消毒するので、少し染みますよ」

「は、はい」


 怪我をした生徒に応急処置を施すため前屈みになれば、触られたくないほど嫌みたいで……腰を後ろに引かれて警戒されるくらいには、嫌われているらしい。

 痛むのか、下腹部の辺りをぎゅっと押さえる男子生徒を見上げて目が合うと、慌てた動作で顔を逸らされる。

 ……私の、何が問題なのか。

 女子生徒は女子生徒でたまに嫌な顔をする子もいるし、やはり対応に問題があるのかもしれない。


「…お腹が、痛むんですか?」

「い、いや……こ、これは、その…」

「何かあってはいけませんから。見せてください」

「っ……も、もう大丈夫です!治ったんで失礼します!」


 まだ処置も終わっていないというのに、男子生徒は保健室を飛び出してしまった。

 ……言い方が良くなかった?

 人見知りが災いして、どうしても淡白で冷たい口調になってしまうのが、生徒達に恐怖感を与えてしまっているのかも。

 とか、色々悩んでいるところに、彼女はやってきた。


「いたた……ちょっと足をくじいてしまって。見てもらえますか、鵜飼先生」

「…ええ。もちろんです。どうぞ、こちらへ」


 片足を軽く引きずりながら歩いてきた勝先生を椅子に座らせて、ズボンの裾を軽く捲くって見てみれば、おそらく軽度の捻挫であることが分かる。


「冷やしましょう。その後でテーピングします」

「助かります…」


 申し訳なさそうに頭の後ろをかいた彼女は、私とは違い髪も少しだけ明るい茶髪に染めていて、低めのポニーテールがよく似合う爽やかさと大人の落ち着きがあった。

 女性にしてはかなり長身で、運動が得意そうな逞しさもある。

 どう頑張っても私が手に入れられない底抜けた明るさを見ているのは自尊心が傷付いて辛くて、足を冷やしてもらってる間は別の事務作業をしてなるべく会話から遠ざかろうと忙しいフリをした。


「どうですか、ここの学校は。もう慣れましたか」

「……はい」


 それでも相手から話しかけられれば、簡潔に答えた。さすがに無視は、与える心象が悪すぎると思ったから。


「鵜飼先生はすごいなぁ……私なんか全然で。生徒達にナメられてばっかですよ」

「…仲が良さそうで、何よりです」

「はは…!褒め上手ですね」


 嫌味のつもりで言ったのに、素直な彼女は言葉のまま受け取って感心した笑顔を見せる。

 惨めな嫉妬がじわじわ心を蝕むけど、勝先生に罪はない…と愚かな自分を諌めることで冷静な心を取り戻した。


「…念のため、痛みが引かないようなら病院に行ってください」

「わかりました!…いやぁ、しかし。鵜飼先生は生徒からも評判がいいですよ。アフターケアまでしっかりしてくれると」

「……お世辞はやめてください」

「はは。そんなつもりじゃなかったんですけども」


 軽いノリで褒めてきた相手を、軽く睨んでしまうような捻くれた私のどこが“評判が良い”のか。

 …相変わらず、人が良いこと。

 彼女は体育教師だからか、怪我をした生徒を連れてきたり自身も軽い怪我をしたり…後は保健の授業に関しての打ち合わせ等で、他の先生に比べてよくここへ来る。

 その度に、まるで陰と陽のように混ざり合わない性質と自分の未熟さを嫌でも痛感して、勝手に拗ねた気持ちで接していた。

 良い人なのは分かるけど、何もかもが眩しく見えて。


 正直、あまり好きじゃなかった。


 だけど、このおとなげない嫉妬からくる負の印象が明確に変わったのは、その数日後に行われた歓迎会でのことだった。

 たまたま私の隣に座った勝先生は、早い段階で私があまりお酒が得意じゃないことを察してか、お冷をそばに置いておいてくれたりと…些細なところで気遣いを感じた。


「鵜飼先生は、彼氏とか…」

「まあまあ。そんなことより、橋田主任。飲み足りなそうですね。もう一杯頼みます?」


 大の苦手で、コンプレックスでもある恋愛の話を持ちかけられて思わず嫌な顔をすれば、その時にもすかさず話題をずらして庇ってくれた。

 あんまりされたことのない、優しさに溢れた対応に戸惑いつつ…恋愛の話になってボロが出て、経験がないことがバレずに済んだことには胸を撫で下ろす。

 ……勝先生は、きっとモテるんだろうな。

 頼もしい中にもちゃんと女性らしさがあって、誰に対しても分け隔てなく接しては簡単に相手の懐に入り込めるのは……私にはとてもじゃないけど真似出来ないことだから羨ましい。


「…勝先生って、今まで男性とお付き合いしたことありますか」

「ん?なんですか、急に。そりゃありますけど…」

「いやいやそんな質問……この年まで付き合ったことが無い人なんていないだろ!逆に失礼だよ、鵜飼先生」

「あ……すみません…」


 ふと興味が湧いて聞いてみれば、他の先生が大声を出して笑った。

 そして、そこから話題は二十代後半になっても結婚どころか恋愛したことがない女の話になってしまい……内心、ビクビクしながら聞いていた。

 質問の矛先がいつ自分に向いて、その流れでバレてしまわないか怖かった。


「ある程度の年で恋愛してないって聞くと、俺は理想が高いのかな?とか疑っちゃうな」

「分かります、めんどくさそう。俺も無理かも…」

「今時、結婚するまで…とか思う人いるんですかねぇ」

「どんな漫画だよ!いねえだろ、そんな人」


 やっぱり大体の男性がそう思うよね…と落ち込んでるところに、勝先生もつられて笑っているのを見て、ひとり密かに傷付く。


「はは!仮にそんな人がいたら、素晴らしい価値観じゃないですか。生徒達も、そのくらいしっかりした貞操観念を身につけてほしいところです」


 だけど、笑っている理由が馬鹿にしたものじゃないと知って、そこで初めて強い好印象を抱いた。

 保健の授業を担っている彼女だからこそ出た、生徒達への心配と元来持つ真面目故の発言なんだろう言葉に、なんとなく心救われた気がして。

 お酒の酔いも相まって、気を許しすぎた。


「どうしたら勝先生みたいに、生徒達から好かれる人になれますか」

「えぇ…?いやぁ、どうだろ……そもそも好かれてると言っていいのか…」

「私は、あなたみたいになりたいんです」


 理想の教師像である相手に縋る気持ちで愚痴をこぼしたら、勝先生は穏やかに柔らかく微笑んだ。


「…鵜飼先生は、今のままで充分素敵ですよ」


 好きで読んでいる少女漫画に、似たような台詞があった。

 自信のないヒロインに対して、どこまでも広い心で相手を受け入れて慰めたヒーローの絵と、勝先生の姿が…性別も違うはずなのに、どうしてか重なって見えた。

 この人が男の人なら、理想的であったかもしれない。

 長年、恋人がいたこともなければ、そういう機会にすら恵まれなかった私の心の内は拗れに拗れていて、ついに見境なくそんなことを思ってしまった。

 いよいよ血迷っている自分を自覚して、気恥ずかしさから慣れない味のお酒を喉に通す。


「…送っていきますよ、鵜飼先生」


 そのせいで飲みすぎてふわふわとした世界の中、やけに高い体温の手のひらが肩に触れて、弱く抱き寄せられた。…あったかい。

 ドキドキ、する。

 うまく歩けているかも分からないまま、住所を聞かれた気がしたから何も考えず答えて、


「あ…」


 途中で自分の部屋がメルヘン一色なことを思い出して、引かれることを恐れてなんとか阻止しようとしたけど……結果的に、部屋の中まで招いてしまった。

 幸い、勝先生が気にしない性格だったおかげで馬鹿にされたりせず済んたけど、その後もどんどん自ら墓穴を掘っていって、恋愛経験がないこともバレて…


「よければ、私で慣れていきませんか」


 もう消えてしまいたいくらいの羞恥と絶望の中、私のためを考えてくれた寛容な勝先生の口から、ありがたい提案を受けた。

 と、まぁ……こんな流れで、一夜にして私達の関係は急激にその距離を縮めていったわけなんだけど。


 具体的に何をするのかは、勝先生が考えてくれるみたいで。


 その日の夜は一旦、何もせず眠ることになった。

 

 翌日の朝も、起きてから何をされるか教えてくれなくて、あれは酔っ払いの私を元気づけるための嘘だったのかな…って、ちょっと落ち込んだ。


 けど、夜になって、


『まずは一週間に一度、あらゆるデートを経験してみましょう』


 そう連絡が届いて、気分はすぐに舞い上がった。


『はい!よろしくお願いします』

『それではさっそく、明日の…』


 予定と場所が送られてきて、不都合もなかったから了承の返事を送る。


 こうして、勝先生による恋愛の授業が始まった。

















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