第12話

























 ガラス張りの向こうに広がる緑に目を癒やされつつ、熱い湯船に浸かって全身も癒やす。


「はぁ〜……朝風呂、最高だぁ…」


 浴槽のフチに豪快に両腕を広げ預けて、足も精一杯伸ばして景色含めて堪能する。

 昨日の夜は疲れてシャワーだけで済ませて寝ちゃったから、その分を取り返すように朝早く起きて入ったかいがあった。

 開放感溢れる高さの天井を仰いで、感嘆とした吐息を漏らす。


「このまま酒飲んで寝たいなぁ」


 欲を言えば自堕落した時間を過ごしたいが、今日は二日目。明日にはもう帰ってしまうから、今のうちに楽しまなきゃ損だ。

 そのためお風呂も早めに上がることにして、また夜に楽しもうと気持ちを切り替えた。

 近くの川に寄る予定があるから動きやすい服装に着替えて、玄関の外にあるバルコニーに出て自然の中でタバコを吸う。


「…いやぁ、気持ちいい朝だなぁ」


 木漏れ日を見上げながら飲むコーヒーも最高で、朝からずっと気分が良い。

 老後はこういうところに住みたい…いやでもさすがに田舎すぎて不便か。とか色々、現実的な未来設計図を脳内で組み立てては、それもまた楽しくて自然と笑顔になる。

 コテージは玄関入ってすぐが吹き抜けのリビングになっていて、そこにソファとローテーブル、テレビ台なんかが置いてあり、奥側はキッチンになっている。キッチンの脇からガラス張りの風呂とトイレへ行ける間取りだ。

 玄関から見て左側には階段があり、そこを登ると屋根裏部屋のような斜めった屋根の寝室にベッドが二つ。壁際に横並びで配置されている。


「……緋弥さん、朝だよ」


 奥側のベッドで眠る鵜飼先生の元へ行って声を掛ければ、彼女は枕を抱き締めていた腕により力を込めて、「うぅん…」と小さく唸った。


「かわいいなぁ」


 思わず心の声が溢れて、ついつい眠ってるのをいいことに頬を指でさすり触った。


「んー…う……たばこくさい…やだ」

「あぁ……ごめんなさい」

「蒼生さんなんてきらい…」


 昨日のことをまだ引きずっているのか、はたまた臭いが嫌で仕方なかったのか。寝ぼけながらも拒絶されてショックを受ける。

 くさいとも言われたし……手洗いと歯磨きしてこようと一旦階段を降りて洗面所へと向かった。

 しょんぼり気分で歯磨きなんかを終えてからも、タバコのにおいを少しでも落とすため消臭剤を自分の服に振りまいて、口臭ケアの粒も口に含む。

 今度こそ準備万端。これでもう嫌がられないはず、と意気込んで寝室へ上がれば、鵜飼先生は目を覚ましたらしくベッドの上で女の子座りしたままぼうっとしていた。


「おはよう。…起きた?」

「……蒼生さん…こっち。ここ…」


 ぽんぽん、と膝前のシーツの上を叩く仕草を見て、何を希望してるのか分かってないままそこに腰を下ろす。

 私が座ったのを確認して、彼女は体を前かがみにさせたと思ったら、するりと背中に手を回してお腹の辺りに顔をくっつける形で抱きついてきた。


「え、なに?どうしたの、緋弥さん」

「ん……いいにおいする…どこ行ってたの」

「お風呂とか…済ませてたよ」

「そう……ならいい…」


 何がしたいのか本当によく分からないが、体勢的に突き上げられた腰のラインがエロいことだけはよく分かる。

 眠かったり、酔ってたりして気が緩んでる時の鵜飼先生は本来の性質が顕著に現れるのか甘えたになるのをここで再確認して、無防備な相手を襲うなんてことはもちろんせず。

 スリスリと頬を寄せて好き勝手甘えてくるのを受け止めて、ただただ無心で時が過ぎるのを待つ。意識すると襲うのが目に見えてるから。

 普段がこれくらい素直な人なら、練習なんてしなくても恋愛に進めそうなのに…もったいない。


「…朝のあれは別に、起きた時いなくて寂しかったとかじゃありませんから。も、もち太郎と間違えただけだから、誤解しないでくださいね」


 意識が完全に覚醒してからは、照れ隠しのツンツンした態度全開で、助手席でブツブツ呟くという可愛げのなさである。…いやこれはこれで私は好きだけど。


「いつも、もち太郎にあんな甘え方するの?」

「じゃなかったら、蒼生さんにあんな甘え方しません。だいたい、なんで起こしてくれなかったのよ。私だって朝風呂入りたかったのに」

「はいはい、すみませんでした。もう着きますよー」

「っほ、ほんとだから!適当にあしらうのやめて」

「…はーい、ついた。ほら緋弥さん、川で鮎でも釣って食べましょう。ね?」

「ほんとのほんとに違いますからね!」

「分かったから。ごめんね、もう許して。あとでいっぱい好きなだけ甘えていいから。お風呂も独り占めしていいから」

「……そ、そういうことなら別にいいけど…」


 謝り倒してようやく、ムッとしていた鵜飼先生からの許しを貰えた。

 これが練習でもなんでもなくて、実際の恋愛だったらけっこう疲れるな…と好きな感情も萎えかけるが、困ったことに不機嫌じゃない彼女は可愛くて。


「わ、わ…っ!釣れた!蒼生さん、釣れました!」

「おぉ〜、すごいすごい」

 

 川の上流で運営されている養殖の鮎釣りスポットで、連れた瞬間に人の肩を叩いて教えてくれた眩しい笑顔を見て口元を緩ませる。

 無邪気なのに格好は露出高めの黒ワンピースでいやらしいのがギャップで、得意げに手の甲で後ろへ流された黒髪のウェーブを無意識のうちに目で追った。

 釣った鮎はその場で焼いてもらえて食べられるから、釣れたばかりの鮎が入ったバケツを嬉々として小屋まで持っていく。

 中にある囲炉裏で火を通してもらってる間は、席について周りの風景を楽しみながらのんびり待つ。


「釣りはどうでしたか。楽しかった?」

「ええ!釣れると楽しい…!」

「…もう一回釣って持ち帰る?」

「確かに。コテージで調理して食べるのもアリよね。どうしようかしら…」

「今日の夜はカレー作って食べる予定だったから、それに後乗せするとか。どう?」

「うぅん……悩んじゃう。食べてから考える」


 テーブルに肘をついて両頬を挟んで悩む姿があざとかわいくて、これを見れただけでここに来てよかったと思える。

 焼けた棒付きの鮎が運ばれてきてからも、熱くてハフハフしながら食べるのをスマホの写真に思い出として残しておいて、私も熱々の鮎を口に含む。


「うわぁ……ビール飲みたい…うますぎる〜」

「飲んでもいいのよ?帰り運転するから。…ペーパーだけど」

「いやいや。山道は初心者には大変だから。でも今日は早く帰って、コテージでお酒飲む感じにしようかなぁ」

「カレーやめて、おつまみ作る?」

「うーん、それもアリ。とりあえずビールと地酒たらふく買っていきたい」

「私も飲みたい。一緒に乾杯しましょ?」

「うん。これ食べたら、買いにいきましょうか」


 急遽、予定を変更してコテージに戻ることにした私達は、鮎を食べ終えてから目についたお店に寄っていってお酒や夕飯の食材を買い集めた。

 ほぼ昼間の時間から飲めるなんて、予想外に嬉しいことでるんるんと買い物袋片手に歩く。

 コテージに到着後はキッチンで鵜飼先生とふたり、おつまみになりそうなおかずを作った。…もちろん作ってる間に、私は缶ビールを開けた。


「く、ぅう……これを待ってた…!最高だなぁ」

「わぁ……おじさんみたい…」

「ごめんごめん。さすがに色気なさすぎたかな。…緋弥さんも飲む?」

「少しだけ…」


 冷めた目でじっと睨まれたから、ごまかすために缶ビールを手渡したら、あんまりビールは好きじゃないらしく気乗りしないながらも受け取ってくれた。


「いただきます…」

「はい、乾杯」


 私と違ってちびちび飲み始めた鵜飼先生を尻目に、豪快に飲み干して二本目を開ける。

 ビールは一気に飲むから美味しいんだけどなぁ…と思いつつ、「飲みすぎです」と苦情を貰わないようにある程度は自制した。

 出来上がった料理をリビングにある木のローテーブルまで運んで、テレビをつけてソファの下に敷かれたクッションに腰を落ち着ける。

 ソファを背もたれ代わりに腕を預けていたら、ちょうどそこへ鵜飼先生も座って……さり気なく、怒られないか気を配りながら肩に手を置いてみた。

 さっそく反応した彼女は、私の手に手を重ねて唇の先を尖らせる。


「…なんですか、この手は」

「いやぁ……デートっぽいかなって」

「まぁ…別にいいけど」


 肩から首の方へ自ら移動させて、人の鎖骨辺りにこめかみ部分を乗せてきた素直じゃない鵜飼先生の頬を、下から支え待つように挟む。

 むにっとしてみれば、頬の肉が真ん中に集まってひよこ口みたいになったのを、可愛らしく思って笑った。


「かわいいね、緋弥さん」

「な……なによ。変な可愛がり方しないで」

「…じゃあ、どんな風に可愛がられたい?」


 冗談半分に触ったのが気に食わなかったらしく、不満げに呟かれたから聞き返したら、相手の瞳が左右へ落ち着きなく動いて顔を伏せられた。


「い、いやらしくなくて、ドキドキする感じで…」


 これまたなんとも難しいリクエストを貰って、缶ビールの中身を消費しながらしばし考える。

 彼女の読んでいた少女漫画を参考にするなら……あるにはあるが、まんま真似するだけじゃ満足してもらえないかもしれない。

 それに、リアルで起こりそうなことでないと、練習の意味もない。


「…こっち座る?緋弥さん」


 足を開いてスペースを開けて、酔ってきてるのか迷うことなくすんなり来てくれた鵜飼先生の体を足の間に招き入れる。

 缶を持ってない方の手はおへその下辺りに添えて、強く抱きしめすぎないよう気を付けた。


「嫌じゃない?」

「……うん」


 緊張はしてるようで、ぎこちない動作で頷いたのが可愛くて、首元に顎を乗せる。驚いてビクついた肩も、これはこれで愛おしい。

 ついでに腕を伸ばしてテーブルの上に缶を置いて、両手でお腹を押さえるように抱き包んだ。

 次第に耳が赤くなっていく過程を間近で見ながら、少しは慣れてくれたかな…って頃に、頭を撫でてコツンとこめかみ同士を当てた。


「緋弥さんと一緒に過ごせて、幸せ」


 練習なんかじゃない本心をここぞとばかりにさらけ出す。


「旅行、来てくれてありがとね」


 さっきから密着した服越しの肌がじわじわと温度を上げていて、意識してくれてるのが分かると、こっちまで熱くなってくる。

 ……ほんとなら、ここでキスのひとつでもしたいけど。

 いやらしくないのを希望してる彼女にそんなことしちゃったら、縁を切られる未来が見えておとなしく抱き締めるだけに留めた。


「…こ、これだけ?」

「ん…?」

「あ、甘やかすの、これだけなの?」

「うん……そうだけど」


 遠慮しすぎたかな。

 こちらを向いた物足りなさ気な瞳と肩越しに目が合って、距離も近かったからキスしちゃおうかなー…なんて企む。


「き……きす…」

「…うん?」

「キス、したい…です」


 まるで私の心を読んだみたいに、彼女も同じことを思ってたらしい。


「れ、練習するのに、心の準備してきたから…」


 私の頬をねだる手つきで触りながら放たれた言葉は、ただの言い訳なのか…それとも本心か。


「……うん。しましょうか」


 どちらにせよ、これから始まるのが練習なら…その期待した赤い唇に触れられないのは、少しだけ寂しく思った。
















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