第11話




























 期末の忙しさを乗り越え、夏休みに入っても……仕事は山積みのようにある。

 大本命である新学期以降の授業作りはもちろん、部活の会計処理やら夏休み中でも訪れる来客対応やらなにやらで…なんだかんだ忙しい。

 それでもピーク時に比べれば緩い方で、残業せずとも帰れる日も普通にある。正しくは、キリのいいとこまでやって残りを後日に回し、定時で切り上げて帰ってるだけだが。

 ちなみに養護教諭である鵜飼先生は夏休みの前半だけ出勤で、後の数週間は休みらしい。

 そのため、暇なんだろう。


「…お弁当を作ってきました」

「いやぁ、嬉しいなぁ。ありがとうございます」


 ここ連日、休みのはずだというのに意味もなく学校へやってきては、保健室に私を招いてお昼ご飯を食べさせてくれるという…なんとも献身的なことをしてくれる。

 この健気さがあれば男はイチコロだと思うんだけどなぁ。


「お休みなのに、いいんですよ?私のために来なくても…」

「……定期的にここの掃除や点検もしなければなりませんから、そのついでです。勝先生のためだけに来てるわけではありませんので、勘違いしないでください」

「定期的に、ね…」


 それなら連続で来る必要もないだろうに。

 相変わらず素直じゃないのはそう簡単に治らないようで、ツンケンした態度で一緒にお弁当を食べる姿を、肩を竦ませて眺める。


「…それより、どうですか。おいしいですか?」

「おいしいですよ。いつもいつもありがとうございます」

「こ、こういうの……本番の恋愛でも、効果的ですか?キュンとしますか?」

「するんじゃないですか。…男性は好きだと思いますよ、料理上手な女性。家庭的なのはきっとポイント高いですよね」

「ふ、ふぅん……勝先生も、好きですか?」

「まぁ…好きですね」


 本音を言えば大好きの部類で、お弁当を持ってこられるたび好意を募らせているが、それを言って冷たい返しをされたら心が折れそうだから言わない。


「そういえば、コテージの予約取れました」

「ありがとうございます。…どういうところなんですか?」

「建物自体はきれいなところですが……かなりの山奥です。車があれば不便はないのでいいかな…って、勝手に決めちゃいました」

「二泊三日なんですよね?」

「うん。少し車を走らせれば観光地にも行けますよ。ショッピングもできるし、川遊びもできます」

「へぇ……それなら退屈しなさそう…」

「最悪、コテージで何もせずまったり過ごすのもアリですよ。半露天風呂で、森の景色を楽しめる浴槽付きにしたんで」

「え…!すごい……それは楽しみ」


 鵜飼先生と行けるということで、ちょっと頑張って奮発してしまった。

 デートは奢りがいいって言ってたから金額を伝えるつもりはなくて、仮に出すと言われても断る予定だったんだけど。


 お盆休みも迎え。


 旅行の当日、早朝に迎えに行ったら。


「これ……いくらか分からなかったから、適当に包んでおきました」


 車に乗ってすぐ、忘れる前に…と鵜飼先生から白基調にハートが散りばめられた可愛らしいデザインの封筒を渡された。

 反射的に受け取って中身を確認してみたら、想像よりも多い金額のおさつが入れられていて、そっと返す。


「大丈夫です。いりませんよ」

「…受け取ってくれないなら行きません」

「えぇ……あ、それじゃあこれで美味しいものでも食べますか。ありがたく使わせていただきます」


 ここまで来て帰られては困るから、それなら遠慮なく…と受け取ることにした。


「にしても……今日の服装は、いつにも増してお綺麗ですね」

「…お世辞ですか?」

「口説き文句です。デートはまず、相手を褒めるところから始まりますから」


 山奥と聞いて動きやすい服装を心がけてくれたのか、珍しくスカートではなくデニムのショートパンツスタイルで、スニーカーに黒の薄いニット地のTシャツというシンプルな組み合わせも意外と似合っていた。

 少しギャルみあるのがなんとも……それに今日は眼鏡をかけてないから、実年齢より若く見えるのも可愛い。

 褒めようと思えばいくらでも褒められるくらいには好みな格好で、表には出さないが内心ハチャメチャにテンションを上げる。


「…勝先生も、素敵です。今日は、髪おろしてるんですね」


 デートは褒めるところから、私がそう教えたからだろう。ふわりとした笑顔で褒められて、軽率に照れた。


「せっかくのデートだから、敬語やめてラフな感じでいきましょうか」

「うん。…蒼生さん」

「へ」


 さり気ない感じで、初めて名前を呼ばれて心は大きく動揺する。

 心音が早くなるたび瞬きの量も増えて、暑いだけじゃない違う理由で変な汗もかき始めた。


「あ……あー…タバコ、吸ってもいいですか」

「敬語やめるんじゃなかったの?」

「あ、はは。ごめんなさい」

「別にいいけど。…私がつけてあげよっか。つけてもいい?」

「う、うん。ありがとう…」


 気持ちを落ち着けるためにタバコを吸おうとしたのに、会話を重ねるたびぎこちなくなっていく。

 恥ずかしいくらい震えそうな手でタバコを取り出して咥えて、その様子をじっと見ていた鵜飼先生は、普段見せないような優しい笑みを浮かべてライターを口元まで持ってきた。

 息を吸うのも緊張して、だけど悟られないように涼しい顔で火をつけてもらう。

 窓を全開にして深呼吸するみたいに吸い込んで吐き出せば、ようやく平常心を取り戻せた。


「…おいしい?」

「……うん」

「吸いたくなったら、いつでも言って?私つけるから」

「ありがとう…助かる」


 機嫌が良いのか、笑顔の多い鵜飼先生に未だドキドキしつつ、目的地へと向かって走り出した。


「長時間の運転、つらくない?」

「ドライブが好きでよくするから……慣れてるよ。むしろ楽しいから何時間でも平気かな」

「すごい。…蒼生さんって、男性的よね」

「…そう?」

「うん。私の周りの女友達でそんな人、ひとりもいないもの」

「そうかなぁ……私の周りはけっこう多いけど」


 類友ってやつだろうか。

 そう考えると、鵜飼先生は普段プライベートではあまり関わることのない人種だ。私の周りはサバサバしたような人がほとんどだから。

 彼女みたいに女の子女の子してたのは……かれこれ五年くらい付き合ってた元カノくらいで、その頃から分かりやすく好みが出てたかもしれない。

 自分に持ってない性質を持ってる人を好きになりがちである。


「…過去に付き合ってた人は、どんな人なの?」


 元カノのことをぼんやり思い出したタイミングで質問を受けて、さらに記憶を鮮明に起こす。


「素直で謙虚な…良い人でしたよ」


 故に我慢させることも多くて、結果的に異動と引っ越しが決まったことがきっかけで別れることになったが。

 仕事が忙しすぎて、会う時間も作れなかった私の努力不足だ。そこは今でも、思い出すと癖のように反省してしまう。


「どのくらい付き合ってたの?出会いは?」

「マッチングアプリで……五年ほど」

「なんで別れちゃったの?喧嘩とかしたの?」

「うーん…仕事が忙しくて会う暇もなくて……喧嘩らしい喧嘩は特に、したことないかなぁ」

「…どこが好きだったの?」

「……全部…?かなぁ」


 恋愛自体に興味津々だからか繰り広げられる質問攻めには全て正直に答えて、最後に聞かれた言葉で当時抱えていた気持ちまで蘇ってきて辛くなる。

 あんなにも好きだったのに、別れてから未練が残ってないのは……それだけ私が冷たい人間だったのかなって。

 そういうとこでも彼女に寂しさを与えていた気がして、後悔ばかり湧き上がった。

 かと言って、ヨリを戻す気はもうない。一度終わった恋を諦めきれずしがみつくほどの熱意は、悲しいことになかった。


「そんなに好きだったのに……別れちゃうものなのね」

「現実は、そんなもんです。…幻滅した?」

「ちょっと複雑。漫画なら、一度付き合ったら別れることがないから……どんなに好きでも別れちゃうの、怖くてむり…」

「……運命の人なら、別れないで済むのかもね」


 彼女の夢を壊しすぎないよう気を付けて、言葉を選ぶ。

 

「もう出会ってたり、するのかしら」

「…運命の人と?」

「何も、男性とは限らないものね」


 自分の思考の中にいるんだろう、話が噛み合わなくて少し戸惑った。

 そこからは恋愛の話から遠ざかって、着いたらどこに行くか何をするかなんて話題で盛り上がり、休憩を入れつつ車を走らせること数時間。


「はぁー……やっと着いた…!長かったぁ…」

「思ってたより遠かったわね。…大丈夫?」

「山道の運転は気を張るから……でもまぁ、無事につけてよかった!まだチェックインできないから、とりあえず昼飯がてら観光しましょうか」

「ええ!さっき言ってた和食屋さん行きましょ?」


 コテージのそばまで到着して、通りかかったコンビニの駐車場で一息ついてから一旦腹ごしらえするため別の場所へ向かおうとまた車に乗り込んだ。


「疲れてるなら休んでからでもいいのよ?」

「……緋弥さんが癒やしてくれる?」


 気遣いに甘えて、デート感も出したくて冗談交じりにお願いしたら、目が泳いで俯いてしまう。

 さすがにだめだったかなぁ…と、調子に乗りすぎたことを反省して撤回しようとする前に、おそるおそる伸ばされた指先が私の太ももに置かれた。

 そのまま遠慮がちになぞられて、官能的にも見える仕草に心臓を高鳴らせる。


「な…何を、すればいい?」


 今の時点で緊張してるのが伝わって、それならあまりハードすぎるお願いは良くないかな…と。


「抱き締めさせて」


 彼女が受け身で済んで、なおかつ自分にとっては最大級の癒やしとなるハグをねだったら、彼女はゆっくり両腕を広げた。

 運転席から助手席へ、身を乗り出すようにして距離を近付けると、抱き包もうとしていたはずが相手の手が頭の後ろに回って胸元へ抱き寄せられる。


 え。ま……まさかの、そっち?


 予想外の体勢に混乱して硬直してしまった私の髪を丁寧な手つきで撫でながら、鵜飼先生はこめかみの辺りに口元を持ってきた。


「お、お疲れさま……蒼生さん」


 耳のそばで震えて裏返ったかわいい声が聞こえて、癒やされるよりも興奮した。

 何がとは言わないが顔に当てられる感触も柔らかいし、もうこのまま揉みしだいてしまいたいくらいの欲望は目を閉じてひたすらに耐える。


「…も、もういい?満足したでしょ?」

「いや……うん。色んな意味でありがとうございました」


 満足どころか、余計に心がしんどくなったけど、これはこれで良い。とても良い。

 変態的思考はバレないように包み隠して、なんでもない顔で名残惜しくも彼女の体温から離れた。


「さて…!おかげで元気になったから、さっそく行きましょうか!」

「え、ええ。お腹すいちゃった」

「楽しみだなぁ、和食。なに食べる?」

「…急にテンション高いわね」

「すみません。思いのほか癒やされて……つい」

「そ、それならよかった。…ま、今後もしてほしいならしてあげてもいいけど」

「いやもう充分。だから大丈夫」

「っ……じゃあもう一生しない。早く運転して」


 とか言って怒ってた鵜飼先生だったが、ご飯を食べたり観光しているうちにあっという間に機嫌を取り戻してくれたようで。


「…つ、疲れたなら甘えてもいいのよ」

 

 夜、コテージのチェックインを済ませてふたりきりになってすぐ、甘やかす気満々で腕を広げながら言われた。

 荷物も片付けたいしな…どうしようかな……と迷いつつ、かわいいからついいじめたくなって、


「一生しないんじゃなかったの?」

「……きらい」


 意地悪なことを言ったら、その日の夜は本当に嫌われたのか口を利いてくれなかった。

















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