第10話


























 急遽泊まったあの日以降、鵜飼先生の機嫌はすごく良くて。


「確認を取って許可を得ましたので、授業では予定通りコン■ームを使用できます」

「…ええ、分かりました。許可が出てよかったじゃない」

「はい。それで、今回教える範囲なんですが…」


 性教育に関する打ち合わせの際もニコニコで、珍しく「頑張ったのね」なんて褒めてくれることまでしてくれた。

 慣れないことに戸惑うものの、仕事中はなるべく私情を挟まずしっかり業務的に行うところは行って、いよいよ学期末の授業当日。

 案の定、コン■ーム使用を茶化して騒ぐ生徒が一定数いたが、鵜飼先生のサポートのおかげもあって滞りなく授業は進んだ。


「……はい、それでは最後に質問を受け付けます」


 そして終盤。


 こういう時には高確率で場を乱す、困った生徒が現れた。


「はい!鵜飼先生の経験人数教えてくださーい」

「…そういった質問は受け付けていません」

「教えろよ!今まで何人とヤッたらそんなエロくなるんすか!」  


 デリカシーのない言い草と質問に、その場の空気も鵜飼先生の表情も固くなる。

 こういったことも想定の範囲内で、焦ることなく対処していくのがこの授業で進行を務める私の役目でもあった。だからいちいち、感情的になって声を荒げたりはしない。


「脇口。放課後、職員室に来なさい。他に質問がないようなら、以上で授業は終わりです。…鵜飼先生からも、最後にひと言お願いします」


 好きな相手だからといって特別に庇うようなことはせず、誰であっても変わらない対応を心がけて授業を終えた。

 今回、問題発言をした生徒は呼び出して管理職立ち会いのもと再三注意し、最終的には担任に共有して生徒指導にあげてもらい、保護者にも連絡することで解決させた。

 鵜飼先生は気にしていない素振りを見せて内心かなり凹んでいるのが伝わったから、今日は早めに帰って休むよう伝えて自分の業務に戻る。

 夏休みも近づいてくるにつれて、周りの先生方も連休に向けて気合を入れて激務をこなしていく中、私はその日だけは定時で帰宅した。

 持ち帰れる仕事はいくつか持ち帰ることにして、そそくさと学校を出て向かったのは、


「お待たせしました」

「…すみません、呼び出して」

「いえいえ」


 鵜飼先生からのメッセージを受けて、彼女の家へやってきた。

 おそらく男子生徒からのセクハラについて悩んで相談でもあるんだろうと予想して、相手の発言を待っていたら…彼女はやはり重く考えた顔で顎に指を置いて言い淀んでいた。


「……勝先生」

「はい、なんでしょう」

「私って、えっちですか?」

「…ん?」


 しばらくして言い放たれた質問に、脳の回路を止めた。


「私のこと、えっちな女って思いますか?」


 あー……これは、男子生徒に「エロい」って言われたのを気にしてるのかな…?

 逃げることは許されなさそうな雰囲気に、どう答えるのが正解なのか止まっていた思考を巡らせる。

 セクハラにならない範囲で、なおかつ下心を見せないように…


「人によっては、そう感じるのかもしれませんね」

「勝先生がそう思うのか聞いてるんです」

「う、うぅーん……ど、どうでしょう。でも、まぁ…そうですね。魅力的と言えば、魅力的だと思いますが」

「…いやらしい女だと思ってるってことですか?」

「せ、性的な魅力も、備えてるんじゃないかな。同性の私から見てもそう思う時はあります」

「では、私のどこがいやらしいのか……教えてください」


 答えづらい質問ばかりで、気を使いすぎて仕事よりも疲れる。これなら、深夜過ぎるまで残業していた方が気が楽だったとさえ思ってしまった。

 ただ、本人は冗談でもなんでもなく真面目に悩んでいるんだろうから、ここは真剣に向き合って答えを出してあげようと頭を悩ませた。

 どこがいやらしい…か。

 チラリと横目で鵜飼先生を見れば、その一瞬だけでも理由はいくつか思い浮かぶ。


「…鵜飼先生はスタイルが良いですから。女性らしい体つきをしている人は、どうしてもいやらしく思われがちなんじゃないでしょうか」

「……スタイル、ですか」

「はい。…後は眼鏡も、いやらしさを強調している気がします」

「外した方がいいですか?」


 聞かれて、眼鏡を外した時の鵜飼先生の顔を思い浮かべる。

 眼鏡がないと今よりもだいぶ幼く柔らかい印象になって、それだけでも生徒達は接しやすくなるだろう。だとすれば外した方が効果的ではあるが。


「…いや。外さない方が知的で素敵です」


 なんとなく、他の人には知られたくない独占欲から首を横に振った。


「……眼鏡かけてた方が、好みですか?」

「はい、個人的には…」

「…眼鏡なくても好き?」


 体を前のめりにさせて、膝の辺りに手をつきながら聞いてきた仕草がもういやらしさ全開で、本人に自覚がなさそうなのがまた……困惑の原因となる。

 どうしてこれで、エロくないと思えるのか。


「ど、どうですか…?」


 彼女は自分が生粋の天然たらしであることに気付きもしていないようで、眼鏡を外して不安げに瞳を揺らした上目遣いで見上げてきた。

 うわぁ……かわいい。抱きたい。

 このまま押し倒してしまおうかと、どう頑張っても血迷う。


「……かけていないのも、良いんじゃないでしょうか」

「ほんと?」

「…キスしやすそうで、いいですね」


 耐えきれず頬に手のひらを当てて、腰を抱き寄せながら無防備な赤い唇に近付いた。


「好きですよ、眼鏡あってもなくても」


 キスしたい気持ちは、唇を軽く触っただけで過剰に肩をビクつかせて強張った表情を目の前にして、萎えた。

 たまに慣れてそうなことをするから忘れがちだけど…この人は恋愛初心者で、いきなりキスするなんてことしたら脳機能が停止するくらいに経験値が足りなすぎるんだった。

 こんなにえっちなのになぁ…。

 相変わらずギャップが凄くて、脳が混乱する。


「…慣れていけそうですか。こういう距離感」

「ま、まだまだ全然…」

「前も言いましたが、キスはしないから。大丈夫ですよ、安心してください」

「でも、それじゃあ……キスの練習はどうするの」


 どうしても練習はしておきたそうな鵜飼先生に、「考えてなかった」とは言えなくて即興で代案を考えた。


「ちょっと…失礼しますね」

「ん、う…?」


 指を揃えて鵜飼先生の口元を塞ぐように覆う。

 キョトンとした瞳と目が合って、その目元ももう片方の手を使って覆い隠して瞼を下ろさせた。


「私の指を唇だと思って……押し当ててみて」


 思いついたことをそのまま言葉にしてみたら、ピタリと体だけじゃなく呼吸さえも止めてしまった。

 いくら待っても微動だにしないから、目を隠していた手はどけて、様子を見てみる。

 視界が開けると、彼女は瞼をうっすら開けて首を小さく横に動かした。…何を伝えたいんだろうと、意図を汲めなくて口元からも手を離す。

 覆うものは何もなくなったのに、鵜飼先生が話し出すことはなく、むしろ隠れたいのか真っ赤になった顔を落として、人の服の裾を引っ張りながらうずくまった。


「鵜飼先生…?」

「む、むり」

「え?」

「は……は、恥ずかしくて、まだむり…です」


 勘弁してください、と言わんばかりにぎゅうっと強く布が握られていて、彼女には早すぎたことを察してやりすぎた行為を反省する。


「無理してすることじゃありませんから。鵜飼先生のペースで進めていきましょう」


 控えめに髪を触って穏やかな口調で伝えれば、コクンと首を動かして応えてくれた。

 ……今の方が密着度高いと思うけど。

 けっこう際どい股間部分に顔をうずめてることは気にしてないみたいで…もしくは気にする余裕さえ失くしているようで、数分の間しがみつかれたまま過ごした。


「…お、お風呂に行ってきます」

「あぁ……はい。いってらっしゃい」


 心を落ち着けるためか、少しして体を起こし、顔は伏せて見せてくれない状態で部屋を出て行った後ろ姿を見送る。

 待ってる間は暇だから、本来やらなきゃいけない仕事を放棄して、本棚を漁った。

 私に見つかった失態の経験からか奥に隠されていたエ■本は消えていて、それに気付くと探してしまいたくなるのが人間の性というもので。

 単純な彼女のことだから、きっと古典的な場所に隠しているに違いない……とベッドの下を見てみれば、案の定あった。

 簡単に見つかってしまったことには拍子抜けするものの、何冊か種類があったから他のはどんなのを読んでいるのか興味が湧いて開いてみる。


「あー……なるほど…」


 ゴリゴリのSMプ■イが繰り広げられていて、色々と勘付いてしまった。

 外見で言えば圧倒的に女王様側で、攻めるのが好きと誰もが思うだろうが……性格を知ってる私からすれば、これは絶対に攻められる側が好きで買っている。

 女性側があれやこれやされている描写がほとんどだし、考えなくても分かった。鵜飼先生はドMだ。


「うーん……えろいなぁ…」


 あの見た目で、それは……私の性癖ドンピシャすぎて逆に困る。

 言葉責めが大好きなドM。おまけにウブ。…最高すぎるな。

 妄想が捗りすぎる前に本を閉じて、何事もなかったように元の場所へと戻しておいた。


「き、今日……泊まっていきますか」

「いえ。帰ります」


 鵜飼先生が戻ってきてから聞かれたけど、バッサリ断って鞄を手に持つ。

 こんなにもムラムラした状態で、無自覚エロなおかつ好みの女と夜を過ごしたら、理性的な私もいつ変な気を起こすか分からなかったから。


「…遠慮しないで、泊まっていってもいいんですよ」

「夏休みに入ってから、またゆっくり泊まりに来ますよ。鵜飼先生も疲れてるでしょうし、ゆっくりお休みください」

「……夏休みになったら、絶対ですよ」

「はい。…あ、そうだ。コテージの予約を取りたいんですけど、日程いつがいいですか?」

「お盆の時期なら、いつでも…」

「分かりました。じゃあ予約取れたらまたお伝えしますね。何をして過ごすかは、今度決めましょう」

「…ほんとに帰るんですか」


 話しながら玄関先へと移動して、後ろ手で靴を履いている最中に小指をきゅっと握られた。

 そんなかわいい甘え方をされては帰りたくなくなるものの、自分の理性をそこまで信頼できなくて、間違っても彼女を傷つけないための選択をとる。

 だからやんわりと振り向きざまに、捕まえようとしてくる手から逃れて、拗ねた顔をする鵜飼先生を見下ろした。


「それじゃあ、また…」

「そんなに帰りたいんですか?」

「いえ、そういうわけでは……寂しいんですか?」

「……っ別に寂しくなんてありませんから!勝先生が居なくなってせいせいします!」

「つれない態度は、大きく減点ですね。…ひとつ、課題を残しておきましょうか」


 照れ隠しでも傷付くことを言われて、お返しに彼女の手首を掴み持って壁際へと追い込んだ。

 顎を指で支えて顔を上げさせたら、一瞬見開かれた瞳が羞恥で涙を浮かべるほど情けなく細まって、警戒した唇が固く閉じる。


「次のデートまでに……キスの練習ができるよう、心の準備をしておいてください」


 唇の先を触って、浅く指を食い込ませる。


「それから、もっと素直にならないと…本番の恋愛では嫌われてしまいますよ」


 最後にそう忠告を残して、何か言いたげな鵜飼先生を解放した後で頭を撫でて部屋から出て行った。

 



















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