第13話

























「キスの練習、しましょうか」


 後ろから抱き締めた状態で始まった“練習”は、思ったよりも艶めかしいもので。


「…私の指を、唇だと思って」

「ん、ふ…」


 口を塞ぐように揃えた指で覆ったら、鵜飼先生は鼻から吐息を漏らしながら強く目を閉じる。

 指に当たる感触は熱く柔らかくて、リップのせいか僅かに湿って緊張で震えていた。


「押しつけてみて」

「ん…」

「もっと、前に突き出して」


 言葉通り動くのを皮膚で感じながら、本当に慣れていないようで、背後にいる私を探し迷い頭の後ろに手を回し、しがみついてきた体をしっかり抱き止める。

 辿々しく唇を突き出しては、つられて背中が反って胸を張った拍子に無防備になった胸元を静かに見下ろした。

 触りたいなぁ…と思うが、ここは我慢。

 代わりに、耳の外側を軽く唇で挟み込んで、微弱な刺激に対しても敏感に気付いて震えた吐息を手のひらで受け止める。

 無意識なんだろう、私の下腹部に向かってグリグリ押し付けられる臀部の動きがいやらしくて、理性は早くも限界を迎えそうではあった。


「挟むみたいに、できる?」

「ん……っう…」

「そう。…上手。後はしたいように動かしてみて」

「ふっ…う」


 いちいち上擦った声が漏れるのが、扇情を掻き立てられて心臓が痛い。

 このまま本当にキスしたいなぁ……で、あわよくば付き合いたい。そんな思考ばかり、頭の中を埋める。

 欲望が滲み出て唇を割るように指先を差し入れたら、どうしていいか分からないのか何度か固く閉じては緩める…という動作が繰り返された。


「…苦しい?」


 呼吸が浅くなっていくから心配になって聞くと、ふるふる首を小さく横に振られる。

 健気な返事が可愛くて……可愛すぎて、耐えきれず深く入れ込めば、反っていた背中が今度は丸まって私の指から逃げようと動く。


「ほら、逃げないで」

「っは……ぁ、あおい、さ…ぅん、く…っ」

「あーあ…唾液すごい垂れちゃって……はしたないね、緋弥さん」

「やっ……や、ぅ」

「恥ずかしいね。…こんなにして」


 言えば言うほど反応してくれるから、ついつい止まらなくなって濡れた口内を掻き回した。

 私の頭を掴んでいた手は気が付けば膝まで落ちていて、抵抗のつもりなのか弱々しく叩かれるのもかまわず追い打ちをかけていく。

 こぼれ出ないように唾液を飲み込んでは、無意識なのかちゅうちゅう吸いついた行動に、いよいよ理性がはち切れた。


「緋弥さん……もうこのまま抱いていい?」


 もはや下心丸出しで聞いてしまったら、首を思いきりブンブン振られて断られる。

 悲しいけど、その反応は予想通りでもあったから諦めて、喉の奥にまで当たることを危惧してずるりと指を引き抜いた。

 しかし愚かな口説きはやめない。

 なぜなら、ムラムラはMAXに達していて、彼女への愛しさもピークを超えていたからだ。


「抱きたい。…だめ?」

「ぅ、や…っ、やだ」

「付き合いましょうよ。そしたら、ちゃんとしたキスできます…ってか、したいんです。私が」

「っぜ……絶対、いや…です」

「どうして」

「こ、告白は、ロマンチックじゃないと嫌なの…!性欲に負けて付き合うなんて死んでもむり、初めてのえっちがこんな流れなのは嫌!」

「あぁ……なるほど…」


 盲目になりすぎて、彼女がこだわりの強い拗らせ女だということをすっかり失念していた。

 それならフラレても仕方ないか…と興奮も冷めきって、未だ逃げるため藻掻く体を腕の中から解放してあげる。

 解放された彼女は自分の体を守るように肩を抱いて体ごと振り向いて、私の方を悔しそうに目を細めて見上げてきた。

 それがどういう怒りなのか分からないから、とりあえず相手の言葉尻を取って質問してみることにした。


「ロマンチックな告白であれば、付き合ってくれるんですか?」

「……そ、そんなことは言ってません。だいたい、練習なのになんで、え…えっちなことするんですか!」

「だってそれは…鵜飼先生の反応がえっちだから」

「っな……誰だってあんな風にされたら、ああなるでしょ!私が特別言葉責めに弱いとかじゃありませんから!やめてください、人を変態みたく言うの」


 実際、変態なんだけどな……これを言うと本格的に嫌われそうだからやめとこう。


「というか、最初にキスしたいって言ったの鵜飼先生じゃないですか?」

「わ、私はちゃんと“練習”って言いました」

「…確かに。そうでしたね」


 それは申し訳ない、と謝って気分を変えるため缶ビールを手に取った。

 私が呑気に飲み始めたのを、鵜飼先生は憎らしげに睨みつけてきた。

 

「…そもそも、ファーストキスがお酒くさいとか嫌です」

「なんなら今からタバコも吸おうとしてました」

「じゃあもっと嫌。…でも吸うなら私も行く」

「吸わないのに…?」

「外の空気を吸いたいの。蒼生さんについていきたいわけじゃないです」

「んー……そっか。じゃ、一緒に行きます?」

「…起き上がらせて」


 怒っているのに甘えん坊な、手を広げて待つという謎行動をした彼女には逆らわず、ビールを置いて脇に腕を通した。

 キスは嫌がるくせに、ほぼハグしてるようなもんである体勢には嫌がる気配すら見せない。

 何を考えてるのか意味不明だから推測するのは早々に諦めて、少し高めの体温を楽しみつつ抱き上げる。


「……お、起こすだけでいいんですけど」

「んー?…どうせなら抱き締めとかないと、損じゃないですか」

「あぅ…」


 すぐには離れないで、鎖骨の辺りに頬を寄せてがっちり背中に回した手で捕まえたら、動揺しすぎて固まっていた。


「…ほんとに、かわいいね」


 鎖骨から頬へと顔を移動させて、触れるか触れないかくらいの微妙なキスをひとつ落とす。

 てっきり怒られるだろうなと予想してたけど、嫌がる素振りもないから今度は遠慮なく押しつけてみた。

 ……唇以外は平気っぽい。

 慣れないことをされてただ動けないだけの可能性もあるが。


「はぁ……抱きたいなぁ…」

「それは絶対に嫌」

「ですよね…」


 最後の壁だけはとてつもなく分厚くて高そうで、壊れそうもない鉄壁に、見事に心をへし折られた。

 抱き締めるのもその辺にして、鵜飼先生と缶ビールを連れてバルコニーへ出る。

 ふたりで手すりに腕とビールを置いて、私はタバコに火をつけた。彼女はまだ明るい空を木の葉越しに見上げていた。


「…自然の中って落ち着きますね」

「ですねぇ……この環境を破壊するのもまた、背徳です」

「……もっとムードってものを大事にしてくれないかしら」

「ははっ、面目ない」


 謝りながらタバコの煙という名のCO2を吹いて、木が作り出す酸素いっぱいの空気中に溶けるのを眺める。

 酒に、タバコに。…おそらく鵜飼先生が嫌うであろうアンハッピーセットを存分に楽しみつつ、緑豊かな景色もついでに満喫した。


「……蒼生さんって、女性からもモテそう」


 黄昏れる私を見て抱いた感想をそのまま口に出したんだろう。照れた様子もない鵜飼先生の方を向く。


「背も高くて、大人で、かっこいいから…」

「あらまぁ。嬉しい」

「…お、女の人に興味はないんですか?」


 なかったら、今までの行動も全部してないんだけど…ピュアな彼女には私が下心を持ってることは伝わってないようだ。

 良いのか悪いのか……そして、どう答えるのが適切なのか考える。

 女が好きと言えば警戒される率は上がる。それなら、リスクを取らず無難に返した方が今後の関係性にヒビは入らないが…嘘をつくのも気が引ける。


「緋弥さんには、興味があります」


 結果として、ずるい回答を選んだ。


「…吸い終わったし、戻りましょうか。しかし外は暑いですねぇ」


 相手の反応を見るのが怖くて、わざとらしく軽いノリで呟きながらコテージ内へと戻る。

 クーラーの効いた室内の涼しさに癒やされつつ、せっかくだから鵜飼先生の作ってくれた料理をつまみに新たな缶ビールの蓋を開けた。


「あおいさ……ひぅ!」


 私の後に続いて入ってきた鵜飼先生が玄関先で声を上げたのを、心配になってすぐ駆け寄った。


「どうしました?緋弥さ…」

「お、お…大きい蚊!変な蚊がいる…!」


 怯えきって腕にしがみついてきた彼女は、必死にある一点を指差して教えてくれる。

 見てみれば、外から入ってきちゃったんだろうガガンボが飛んでいて、なんだそんなことか……と拍子抜けした気持ちで扉を開けてシッシと手を動かして外に追い出す。


「ほら、もう大丈夫。出て行ったよ」

「うぅー……虫こわい…きらい」


 虫は大の苦手らしく、居なくなってからもビクビクしてるのが最高に可愛かった。

 その後も虫を警戒してるせいか隣から離れなくて、腕にひっついてるのを役得と良い気分で受け止めながらお酒を喉に通す。

 夕方になる頃には六缶パックで買っていた缶ビールは尽きて、他にも買っておいたワインやらウィスキーにも手を出していった。

 鵜飼先生はビールを一缶と、ワインを何口か飲んだだけでへろへろに酔っていて、人の肩にコテンと頭を乗せていた。


「眠い…?」

「…ん、ちょっと」

「もう寝る?ベットまで運ぼうか」

「……蒼生さん」


 心配になって声をかけたら、立てていた私の膝に手を当てて、そのまま太ももと行き来させる。


「さびしいから…一緒に寝て」

「…抱いてもいいなら」

「それはだめ」


 やらしい甘え方してくるし、酔ってるからイケるかなって思ったのに、そこは頑なに断られた。…そりゃ初めては大事にしたいもんね。当たり前か。

 正直、我慢できる気がしないけど……大人には、それでも我慢しなきゃいけない時がある。


「でも……キス…の練習はしたい…」


 何気にさっきのやつを気に入っていたようで、照れながらもはっきり要望を伝えられて、はたして最後まで我慢できるかどうかさっそく不安になった。

 一旦、心を落ち着けて頭を冷やすためお風呂に入ることにして……だけどそれも、「一緒に入る」と浴室までついてきてしまった。

 抑えられそうもない自信ばかり増えて、頭を抱えたい気持ちだったけど、彼女の願いを優先させることにした。


「はぁあ……きもちい…」

「…日も暮れてきましたね。いい感じの夕焼けだ」

「明日の朝風呂もたのしみ」


 なるべく隣にいる鵜飼先生の方は見ないようにして、ガラス張りの向こうに見えるオレンジ色の空と木々の緑で視界を埋める。


「……蒼生さん…」


 たとえ甘えた仕草で肩に頭を乗せられ、腕に柔らかい感触が当たっても、ただ一点を見つめて耐えた。


「…夜の練習、楽しみ」


 誘ってるとしか思えない行動や発言の数々に心は期待するも、彼女にそんなつもりが微塵もないのは先ほどのやり取りで嫌でも痛感している。


 ……ロマンチックな告白でも考えよう。


「…練習しませんか、鵜飼先生」

「……なんの、ですか?」

「今後、私はあなたをあらゆる方法で口説き落とします。…だけど、あくまでも口説かれた時のための練習ですので」


 ここでひとつ、提案してみることにした。嫌な大人の、嫌な保険のかけ方とも言う。


「本当に付き合ってもいいと思った時以外は、私の告白を断ってください。」


 私の提案に、鵜飼先生が頷くことはなかった。

 しかし一方的に約束することで、今後何度フラレても諦めずにいられる言い訳をちゃっかり手に入れる。

 そうして気を紛らわせて、なんとか平穏無事に鵜飼先生との誘惑だらけの入浴を乗り越え、彼女の望まぬ形で初めてを奪うことも回避できた。

 


 

 


















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