第30話





















 十二月。


 告白の準備もすっかり終え、残るところ当日が来るだけとなった。

 が、入ってすぐに出張が連続であり……何かとバタバタする日々は相変わらずで。


「おっ、勝じゃないか!」

「あ……山武さんぶ先生!」


 クタクタに疲れ果てていた時、たまたま出張先の学校で山武先生に遭遇した。

 彼女は高校の時の担任で、私が教師を目指したきっかけとなる……いわば恩師である。

 どうしようもなかった私にも前向きに接してくれた本当に尊敬できる人で、もう女神のように崇めている。そのくらいには大好きな先生だ。

 大人になってからは関わる機会もなくて……何年ぶりかの再会に、私も彼女もテンションを上げた。


「よかったらご飯どうですか、山武先生」

「おっ、いいじゃないか!行こう行こう!」


 山武先生は10年前と外見も内面もあまり変わらず、同じテンション感で約束を交わして、その日は仕事が残ってたから別日に会うことになった。

 だから休日、山武先生のため時間を空けて、鵜飼先生には「用があるから行けません」と伝えたから完全に油断していた。


「勝、家まで送っていくよ」


 夕方の食事でお酒を飲んだ私を、ノンアルコールで済ませた山武先生が送ってくれることになり、お言葉に甘えて車に乗り込んだ。

 そして家まで送ってもらい、「ついでに部屋見せろ」とからかい半分に言われたのも了承して部屋に招いて、そこからまた家にあったお酒片手に話すこと数十分。


「いやぁ、楽しかった!また来るよ」

「はい!ぜひぜひ」

「じゃ、私はもう帰るわ」


 翌日も仕事だから…と帰宅していった山武先生を玄関先まで送って、


「ふたりきりになったこと、時輪先生には内緒な」


 帰り際、耳打ちで釘を刺されたから、何も言わず小さく頷いておいた。

 ……なんでここで時輪先生?

 と、思ったものの類友の法則できっとふたりもそういう関係なんだろうことを察してしまう。…まさかも恩師もビアンだったとは。世の中狭いもんだ。


「じゃ、今後もがんばれよ〜」


 そう言って手を振り歩いていく後ろ姿を見送って、私はひとり飲み直すか、今から鵜飼先生のところに行こうか悩む。

 と、そこでちょうど……タイミングよく彼女から電話がかかってきた。


『今、どこにいますか』

「?……家ですけど」


 開口一番にそんなことを聞かれたから、疑問に思いつつ答える。


『誰かと居ましたよね?誰ですか』

「え。なんで知って…」

『あなたの家の前にいるからです』

「は…?」


 嘘でしょ、と。


 大慌てで玄関先へとまた戻って扉をあければ、そこには本当に鵜飼先生の姿が見えて。

 彼女は私の姿を確認できてすぐ通話を切って睨みつけてきた。


「また浮気…ですか」

「へ?」

「っ……どうして、いつもいつも他の女に手を出すんですか!」


 怒鳴りながらヒールをカツカツ鳴らし歩み寄ってきた鵜飼先生の手が、胸ぐらの辺りを掴む。

 何がどうなっていて、どうして怒っているのかも理解できないまま、ただただ困惑の眼差しで鵜飼先生を見下ろした。

 相当怒り狂っているようで……目に涙まで溜めているのを、どう慰めたら正解なのか模索しながら探る。


「鵜飼せんせ…」


 とにかく何か言わないと。

 焦って口を開いたのに、あっさりと彼女によって塞がれてしまった。

 鵜飼先生からキスをしてくれるのは何気に初めてな気がして……こんな時だというのに、驚きよりも嬉しさが勝つ。

 しかし寂しいことに、すぐに離れてしまった。


「…なんで、私じゃだめなんですか?私だけにしてって……言ったじゃない!」

「え?い、いや、あのなんの話…」

「しらばっくれないで!女の人を部屋に上げてたじゃないですか」

「そ…れは」


 もしかして、山武先生のことを浮気相手だと勘違いしてる?

 だとしたら今すぐにでも誤解を解かねば、と口を開こうとして……彼女の口が先に開いたのを見て咄嗟に押し黙った。


「ほ、他の女の人に取られるくらいなら……今すぐ練習をやめたいです」

「は…っ?」


 突然の終わりを告げられて、頭は一気に白く染まった。


 そこまで嫌われてしまったのか…と絶望にも似た気持ちで、しがみつこうと伸ばした手を掴まれる。


 その行動も拒絶かと、一瞬思ったが。


「それで私と、本番の恋をしてください」


 え。


 と声を出す隙も与えられず、彼女の唇がまた私の唇を奪って、今度は慣れない動きで舌まで差し出された。

 訳も分からぬまま受け入れて、私からも絡ませれば彼女の体から力が抜けていく。

 だけど、私の服を掴む手には力が込められた。


「んぅ、く……ふ…は、蒼生さん…」

「は、はい」

「私以外の人と、恋しないで……?」


 今にも崩れ落ちそうな腰を支え持って、まだよく分かってないけどこれはチャンスだ……そう確信した頭でキスしたまま腕を滑らせるようにしてお姫様抱っこしようと試みた。

 彼女も私の思惑に気付いて、首にしがみつくと同時に、器用に靴を脱ぎ捨てる。


「ん…っは、蒼生さ」

「このまま運ぶけど……いい?」

「う…ん」


 途中、ちゃんと確認だけして、彼女を抱きかかえた状態で部屋に入りベッドへと真っ先に向かった。

 高ぶる気持ちが表に出て雑にならないようそっと下ろして、そのまま相手の体に覆い被さる。

 勢いのままにキスを落とせば、鵜飼先生もはむはむと必死な仕草で唇を動かしては、次第に息を荒くしていた。


 だけど、いいのかな。


 もう十二月で、告白まではほんとにあと少しだというのに。


 こんな、なし崩しみたいな……


「早く、抱いて…?蒼生さん」


 いや、良い。


 もう無理だ。


 これは、我慢できるわけない。


「うん……緋弥、愛してる」

「わ、私…も」


 相手もノリノリで手を握り返してくれたし、いよいよ辛抱たまらん……と。


 結果的に、ヤッてしまった。


「あー……えろかったなぁ…」


 激しい後悔が襲ってきたのは全てやりきった後で、やりすぎて気絶するように眠ってしまった鵜飼先生の隣でひとり、頭を抱えてため息をついた。


「こんなはずじゃなかったのに…」


 付き合えたし、結果オーライではあるけど……私のバカ。せっかく予約した店どうすんの。いや行くけど、連れて行くけども。

 問題なのは自分の堪え性の無さで、せっかくかっこつけようと思っていたのに完全にやらかした。

 これじゃかっこがつかない……あー、ほんと私のばか。


 なんで我慢できなかったんだ、なんて。


「……ん、蒼生さん…」


 目を覚ました、全裸でえっちな鵜飼先生を前に、そんなことは愚問だった。

 彼女が目元をこすりながら起き上がれば、掛けていた毛布がハラリと落ちて白く美しい裸体が現れる。

 あれをさっきまで触ってたんだよな……そう思うと、後悔なんて吹き飛んだ。むしろ夢じゃなかったんだと心は歓喜に満ち溢れる。


「私……どのくらい寝てました?」

「多分、3…40分くらいですかね」

「ごめんなさい……そんなに…」

「いやいや全然。まだ寝てていいですよ」


 滾る思いと性欲は一旦置いといて、少し寝ぼけ眼な相手には優しく接するよう心掛ける。


「体とか……しんどいところはありませんか?」

「んー……頭がまだ少し…ぽやぽやします」

「ははっ、かわいい。ぽやぽやするの?」

「うん…」


 言い方かわいいなぁ、なんて癒やされた気持ちで頭を撫でれば、彼女は気を抜いてポスリと枕に顔を預けた。

 本当に頭が回ってないようで、しばらくポケーっと私を見つめて微動だにせず、瞼も次第にうつらうつら下がってきた。


「……眠い?」

「ん……少し、だけ」

「寝てていいよ。…明日も休みだから」

「ん、でも……お話したい…」


 素直な彼女の手が伸びて、心ごと私の手を捕まえる。

 ……かわいいなぁ、ほんと。

 脳内に浮かび上がるのはもうかわいいの4文字だけで、後の言葉はいらなかった。


「あの女の人が誰だったのか……まだ聞いてませんから。…ちゃんと、話してください」


 しかしここに来て修羅場を迎えそうな雰囲気を感じ取って、急激に冷たい汗が背筋を流れた。

 こ、これはいつものお説教パターンでは…?

 とはいえ、やましいことは何もしてない。隠さず正直に話せば許してもらえるはず。

 そう信じて、口を開いた。


「あの人は高校時代の恩師で……出張先でたまたま会って、食事していただけです」

「でも、わざわざ家にまで招いて……何してたんですか」

「私がお酒を飲んじゃったから……それで送ってもらって、せっかくなんで少し話してました」

「き、キスしてるところ見ちゃいました。…玄関のとこで」

「は…?」


 いったいなんの話をしてるんだろう…?と、頭にはてなを浮かべる。

 山武先生と私、いつキスなんかした?

 そこで、もしや……という原因に気がついた。


「あれはただ、耳打ちで会話してただけですよ」


 距離が近かったのは、そこしかない。

 確信を持って言えば、まさにそこで盛大な勘違いを受けていたらしく、鵜飼先生はカッと顔を赤くして体を起こした。


「っそ、そういうことは早く言ってください!なんで先に言ってくれないんですか」

「い、言うタイミングも与えられなかったというか…」

「ば、ばか!」

「えぇ…?」


 枕で軽く叩かれて、理不尽すぎる状況に戸惑う。


「ま、紛らわしいことするのやめてください!あんなの誰が見ても浮気と思うじゃないですか」

「す…すみません」

「そ、そのせいでこうやって体まで許したんですから、責任取って付き合って!ここまで来て逃げるなんて許しませんからね!」

「も…もちろんです。最初からそのつもりで抱いてますから」

「そ、それなら……仕方ありません。許してあげます」


 あぁ、いいんだ。


 なんかよく分からないが、許されたから良しとしよう。


「それにしても緋弥さん」

「?…はい」

「良かったんですか、こんな勢いだけで付き合って」


 改めて最終確認をすれば、彼女は照れた顔で唇を尖らせる。


「い、嫌に決まってるじゃないですか。だから……もう一回、ちゃんと告白してください。次が最後ですから、ドキドキするやつがいいです」


 まぁ、だよね…と思ったからそこは何も言わず頷いておいた。クリスマスの告白で満足してもらえるかな。


「っべ、別にいつでも付き合ってよかったとか、そういうんじゃないですからね」

「はいはい、付き合いたかったんですね」

「だから違うってば!」


 素直じゃないのは相変わらずだけど……これで一安心だ。


 こうして、嵐のような出来事を経て。


 私達の、本番の恋が始まろうとしていた。










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