第22話





















「友人です」

「じゃあ、メッセージの内容見せてください」


 苦し紛れについた嘘は、秒で打ち砕かれた。


 手を前に出して暗に「スマホを渡せ」と言ってきた相手に対して、浮気を疑われるなんて慣れてるはずの私は、それなのにどう対処していいか分からず動けなくなってしまう。

 それがさらに彼女の疑惑を深めたんだろう、訝しげな表情で目を細めて睨まれた。


「見せられないってことは……友人ではないですよね」

「い、いや。プライベートな内容ですから、見せるのはちょっと…」

「……では、どんな会話をしていたんですか?口頭でも結構なので教えてください」

「た、たいしたことでは…」

「たいしたことじゃないなら、言っても問題ないはずです」

「それは、そう…ですが」


 話せば話すほど、言葉に詰まっていく。

 まるで浮気を問いただすような口調の鵜飼先生が怖くて、体は自然と姿勢を正していた。


「……答えないのは、不誠実ではありませんか」


 何も言えず黙っていたら、どこか呆れた吐息と一緒に呟かれる。


「…マッチングアプリで知り合った人です」


 これ以上は隠し通せないと察して正直に言えば、彼女は面食らって傷付いた顔をした。

 なんとなく見ていられなくて視線を落とす。

 俯いて顔を逸らした私に何を思ったのか、深いため息が聞こえてきて……ズキリ、と胸の奥が痛んだ。


「私に恋愛の仕方を教えると言っておきながら、他の人と練習じゃない恋愛をしてたんですか?」

「それ…は」

「そんなの、浮気と変わらないじゃない。同時期にふたりの女性に手を出すなんて…」


 彼女の言う通り、そうかもしれない。

 だけど言い表せないモヤモヤが心を支配した。


「ひ、人のファーストキスまで奪っておいて……そこまで理性のない人だとは思いませんでした。最低です」


 その言葉で、あぁもう嫌われたんだな…と思ったら、なんだか全てがどうでも良くなって。


「そもそも、付き合ってもない相手に言われる筋合いがありませんね」


 この期に及んで開き直った口調で、足を崩して偉そうにそんな言葉を吐き捨ててしまった。

 一瞬、私の横柄な態度に眉をひそめた彼女だったが、彼女もまた諦めたのかため息をひとつこぼして何度か小さく頷いた。


「そうでした。…あなたとは、たかだか練習するためだけの間柄ですもの。怒る方が間違ってました」


 だけど、と言葉を続けられる。


「私との練習に専念するか、そちらの女性と恋愛するかは……今ここで決めてください。…相手の方にも失礼ですから」


 恋愛初心者とは思えないほど冷静な対応に、言い返す隙すら与えられず、少し怯んだ。

 鵜飼先生のことは好きだが、何かと欲求不満が続く日々と……好き勝手過ごせるが、興味もない女性との恋愛。

 ……考えることのほどでもなかった。

 ほんの数秒、天秤にかけるまでもなく考えた結果。


「…マッチングアプリを消します。すみませんでした」


 彼女にそう告げて、ほぼ土下座みたいな形を取って、実際に目の前で連絡先諸共アプリごと削除してみせた。


「確認しますか?」

「いえ。…もう大丈夫です」


 私の行動に対する感想が何もなくて、オドオドビクビクしながら顔色を窺ったら、鵜飼先生は控えめに微笑んで差し出したスマホをそっと押し返した。

 しばらく気まずいような沈黙が流れて、どう切り替えしたらいいのか分からず、黙る。

 てっきり、もっと感情的になって怒ると思ってたし、色んな意味でそうあってほしかったって気持ちが混ざり合って複雑で、鵜飼先生の方から口を開いてくれるまで待った。


「気を取り直して……しますか?続き」

「え…?」

「キス、してほしいんでしょ?それに、練習の目的も兼ねてますから」

「あ、あぁ……はい。…でも、いいんですか?」

「…早くしよう?蒼生さん」


 相手が私なんかで…と言おうとしたところで、彼女の手が太ももの上に置かれて、ずいと鼻先のすぐ前まで乗り出してきた。

 クールな瞳が眼鏡の奥で僅かな不安を残して揺れていて、戸惑いながらも期待に応えようと相手の後頭部に手を回した。

 近い距離で見つめ合って、お互いどこか相手の気持ちを探るみたいに、ゆっくりとした動きで顔を近付ける。


 唇が触れ合うと、彼女の体は力を抜いた。


 まるで緊張が解けたかのような吐息感にこっちまでつられて安堵して、空いていた方の手で太ももに置いてあった手を握る。

 そうしたら相手から指を絡めてくれて、さらに嬉しいことに慣れない仕草で何度も唇を食まれた。


「…ねぇ、先生」


 だんだんと、練習キスはその激しさを増して、


「ディープキスのやり方も、教えて…?」


 気が付けば、吐息混じりの甘えた声で自らその先へと進もうという積極性を見せてくれた彼女に、心はいとも簡単に奪われた。

 ……他の女で解消しようとしてたなんて。

 自分は本当に馬鹿なことをした、と。この時に改めて反省した。

 こんなにも魅力的で、心臓を鷲掴みしてくる鵜飼先生の代わりなんて、いるわけもなかったのに。


「…もちろん。練習しましょう」


 私はどんどん魅了されて、本物の恋へと沈んでいく。

 沈むごとに気分は高揚して盛り上がっては、早く付き合いたいと願うばかりで。


「緋弥さん……約束して」

「…何を、ですか?」

「今みたいなかわいいこと、他の誰にも言わないって」


 自分勝手に、一方的にした約束事の答えを聞く前に、やんわりと唇を塞いだ。

 私の独占欲と彼女の戸惑いが絡まるキスの中で舌を差し出せば、一度ビクリと過剰に反応を見せた後で……それでも鵜飼先生は受け入れてくれた。


「…弱く、吸って」


 興奮しすぎて回らない頭でもしっかりやり方を教えることだけは忘れないよう気を付けて、平静を保って指示を出す。

 言われた通り弱く吸いついたのが可愛くて今にも押し倒しそうになったが、ここも毎度の如く我慢だ。

 忍耐の限界ギリギリまで踏ん張りながら、ちゃっかり鵜飼先生の熱い口内の感触や温度を楽しむ。…息荒いの、かわい。

 必死な感じがまた愛しくて、ついつい体を抱き寄せて堪能していたら、震えた手が背中に回って気が付けばしがみつくような体勢になっていた彼女は顔を離した。


「勝せんせ…」

「ん…?」

「私との練習、この先もずっとしてくれますか…?」

 

 離れてすぐ上擦った声でねだられて、自然と鼻から吐息が漏れる。


「…そのために、消したんですから。さっきの」


 もうほとんど対面座位と変わらない姿勢で彼女を膝上に乗せて、腕の中でキョトンとする無垢な顔に向かってキスを軽く落とした。


「責任持って、最後までお付き合いします」


 まぁ、その先に待ち構えてるのは練習なんかじゃない本番だけど。

 今は黙っておこう。…告白した時の反応を楽しみにしたいから。

 ここまで来たら、とことん練習に付き合って、いざ本番ってなった時までに許されるとこまで慣らしておこうとワクワクした気持ちで答えた私に、鵜飼先生はホッとした様子で微笑んだ。


「浮気みたいなことは、もうやめてくださいね」

「…ほんとすみません」

「次はないですから」


 相変わらず優しい笑顔で棘のあることを言うのは変わらず。


「ま、まぁ……そもそも、私は男性が好きですし、蒼生さんと付き合う予定なんてないし、所詮練習ですから関係ないことではあるんですけど」


 ……素直じゃないのも、変わってくれず。


「いいですか、緋弥さん」

「は、はい。なんでしょう」

「本番の恋ではこういう時、素直に嫉妬すると愛が深まったりします。なので今のは……完全に蛇足です」

「か…勝先生が他の女に現を抜かすから悪いんじゃない。だいたい、私というものがありながらマッチングアプリなんて…最低です。ひとりの人間としても教師としてもあるまじき不心得で、ふしだらで、不健全です。心から反省してください」

「それに関してはほんと…ごめんなさい」


 注意したはずが注意されて項垂れれば、首にぎゅっと抱きつかれた。


「…私だけにしてくれないと、やだ」


 耳元で小さく呟かれた言葉は、私に指摘されたことを意識して素直になった結果なのか分からないが……練習とか関係なく100点満点の言い回しだった。

 たまに、こうして本領発揮されるのがまたなんともド性癖で、心抉られる。

 素直だったら完璧、素直じゃなくてもご愛嬌な鵜飼先生と居たら、もうなんだって良い気さえしてきた。


「本当にかわいいですね、あなたは…」

「ほ、本番ではこういうのが有効と判断して言ったまでです。別に本心ではありませんから、勘違いしないでください」

「はいはい、本心なんですね」

「っち…ちがうってば!」

「あーもう可愛いから何でもいいよ。ほら、もっと素直に嫉妬してごらん。甘やかすから」

「あ、甘やかしてほしいだなんて思ってませんけど、蒼生さんがそこまで言うなら…」


 こちらから口実を与えてあげた途端、鵜飼先生は分かりやすくて。


「さ、さっきの人と……えっちなことしてない?」

「…してないよ」

「最後いつ会ったの?あんなに忙しそうにしてたのに、会う暇あったの?それなら私と会ってくれたらよかったじゃないですか、ばか」

「……まだ会ってないよ」

「ほんと…?」

「ええ。会おうとはしてましたが、会ってません」

「やだ……会おうともしないで」

「うん。ごめんね」


 私に抱きついたまま、人の肩に顔をうずめてみたり人の顔を覗き込んでみたりしつつ嫉妬全開で話しかけられる。


「約束通り、いっぱい甘やかしてくれなきゃ嫌なんだから…」

「いっぱい甘やかすから、いっぱい甘えていいよ」

「……うん」


 甘えられるたび甘やかして、相手の髪を撫でながら多幸感に浸る。

 練習でこれなら、本番はどんなにかわいいんだろう。

 きっとどれだけ期待しても、その期待値を大きく下回ることはないんだろうと確信している心は、ひどく締め付けられるのに穏やかで。


「久しぶりに、週末デートでもしましょうか」


 どんなに忙しくても彼女のためだけに時間を作ろうと、提案してみた。


「…水族館に行きたいです」


 それに対して珍しく甘えた余韻が残っていたのか、鵜飼先生は素直なお願いをポツリと口にしてくれた。


 こうして、無事に修羅場も乗り越えられ、関係は維持されたまま、何度目かになるデートが決定したのであった。









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