第24話
鵜飼先生は、嫉妬されるのが好きだ。
だからというわけではないが、今日は私にしては珍しく感情を荒ぶらせて包み隠さず表に出そうと試みた。
「はぁ、緋弥さん…」
「んぅ……う」
「今度からもう、男と話さないで」
「ぁう…っは、はい……蒼生、さ…ん」
大人になってからする、我も忘れるくらい余裕のないキスに気恥ずかしさは残るものの、悦んで受け入れてくれる彼女のおかげで次第にそれも薄れていった。
途中からは開き直って、覆い被さる体勢で腕の中に閉じ込めた鵜飼先生に向かって、子供みたいに拗ねた声を出す。
「緋弥さん…なんで今日、あんな風に話してたの」
「は、話しかけられたから…」
「いつもなら冷たくあしらうでしょう。イケメンで眼鏡だったから、嬉しくなっちゃった…?」
「ち、ちが…」
「ごめんもう、このまま抱いていい?」
「んっ…」
何度もキスを落とした後で、雑な手つきで胸元に手を置いたら、それだけでも反応を示してくれた。お風呂上がりだからかブラしてないし……えろ。
予想以上に感度が良さそうな体にゾクゾクとした興奮を滾らせつつ、彼女の弱みという名の性癖につけ込むことに対しここに来て罪悪感を抱いた。
クリスマスまでは、あと数カ月。
実は少し前、マッチングアプリを消したあたりでいよいよ鵜飼先生しかいないと思い、ホテルもレストランも予約してある。
それなのに、なし崩しにやるのは……私的にも好ましくない。
自分から誘っといてなんだけど。
「嫌がらないと、本当にしちゃいますよ」
どこかで止めてほしい思いと、本人が良いなら良いやという諦めに近い思いで最後の確認を取ったら、
「……や…だ。やめてください…」
口では嫌がりながら、手はしっかりと私の腕に絡みつかせるという…なんとも判断に困る反応を返された。
彼女のことだから、これは本気では嫌がってない…が、万が一のことも考えると手を出しにくい。
…こういう時、素直じゃない性格だと困る。
だけどこればかりは仕方ない……今日は諦めて終わらせよう。
「……うん。終わりにしましょうか」
汗ばんだ額に吸いついて頭を撫でたら、鵜飼先生は何も言わず首を横に振った。
「も、もう少し…」
練習という口実ありきなら何度だってキスしてくれるし、それどころか物足りなさげに求めてくる相手に心臓を締め付けられながらも、今はだめだと体を起こして名残惜しく体温を手放す。
「そういえば、どうでしたか?今日のデート」
「…楽しかったです」
「それはよかった。またしばらく忙しくなりますがそのうち時間を見つけて今度は遊園地にでも…」
「先生」
えろい空気を変えるため努めて軽快に話しだした私の服を引っ張って、鵜飼先生はゆったりとした動きで起き上がった。
「ま、まだ……ディープキスの練習が終わってませんけど」
いよいよ我慢できなくなりそうだから一線を引いて、そこまではせずに耐えていたというのに。
相手からのありがたいお誘いを、今はどう断って乗り越えるか思考を回らせた。…多分、このままいけば私は手を出してしまう。
「き…今日は、してくれないんですか…?」
「……それ、だいぶえろいこと誘ってる自覚あります?」
もはやわざとなんじゃないか…?と疑惑を持って聞いた私に、鵜飼先生はカッと顔を赤くした。……あ。違うんだ。
「っさ、誘ってなんかいません!教えるという約束だったのにしないから言ったまでです。職務放棄なんて教員としての恥です、お給料泥棒です」
「ふ…ははっ。そもそも給料貰ってませんよ。貰ってたとして、こんなことに税金使うなって国民から怒られちゃいますよ」
「あー……確かに。公務員は何かとお給料の使い方を言及されることも多いですもんね」
そこは教員同士、同じ悩みを持つからなのか素直に同意してくれた。
「だけど私、たまに思うんです」
「……何を?」
「好きで読んでる漫画の漫画家さん達も、税金を払ってますよね?」
「はい、そうですね。むしろ売れれば売れるほど膨大な額を支払っているかと…」
「ってことはつまり、漫画家さん達の税金で漫画を買っていることになりますよね?」
何を言いたいのかまるで分からなかったが、そろそろ結末に繋がりそうだったからとりあえず「うん」と頷いておいた。
「それって……実質無料で漫画読めてることになりませんか。教員って最高」
「はい?」
「いやでも、無料なんてそんなのおこがましいわよね…やっぱり最悪だったかも」
結局、最後まで聞いてもよく分からなかった。
本人なりに真剣に悩みだしたのを、なんだかいやらしい雰囲気も消え去って、微笑ましく遠い目で眺める。
こういうところ、鵜飼先生は時折“オタク”だ。
私の踏み込めない領域にいて、そのおかげで思考回路も謎に包まれている時がある。
「……寝ますか」
「え。あ、あの、ディープキスは?」
「…そんなにしたいの?」
しかし気分が萎えて言えば、彼女はまだ乗り気な様子で。
「素直に教えて、緋弥さん」
そうじゃないと本当にしていいのか判断に困るから、釘を刺す意味合いも兼ねて伝える。
なんて返せばいいのか目を泳がせて困惑する様を視界に捉えつつ、いつでも応えられるように向き合う形で体の向きを変えた。
「し、したい……と言えば、したい、かもしれない…です」
ぐぬぬ、と葛藤の末に吐き出された彼女のどちらとも言えない…どちらかと言えば素直寄りな言い方に苦笑する。
ちゃんと言えるようになるまでは、まだまだ時間がかかりそうだ。
それでも待っていられるほど深い愛で鵜飼先生を抱き締めにいって、さっそくまずは軽いキスをひとつ落とした。
「その言い方は、赤点ですね。なので追加授業…補習です。ここからは素直に甘えてみてください」
そうやって口実を与えてあげて、ここから先は素直になれるよう先導したら、
「はぅ……んく、蒼生さん…もっと」
あとはこの通り。
いつものごとく素直になればとことん素直で、自らねだって舌を差し出してきたのをなんなく受け止めて弱く吸う。
彼女が冷静な時であれば恥ずかしくて耐えられないくらいのリップ音が響き渡っても、今はそんなこと気にする余裕も失くしていて、必死な手が私の手をぎゅっと握った。
荒くなった吐息はふたりの間に溶ける前に、また新たに吐き出される。
高鳴る鼓動が内側から強く私を叩いて、無意識下で唇や舌を離してそのまま顎の方へと移動させた。
「ぁ…や、ぅ」
首筋を撫で上げれば、戸惑った声と共に肩を押されたが、理性はすでに限界を優に迎えていて。
「少しだけ、我慢して」
粗暴な動きで相手の手首を持って雑に押し付けて動けなくした後で、鎖骨の辺りに強く吸いついた。
初めてキスマークをつけられる感覚に慣れなくて怖かったのか、鵜飼先生の肩がビクリと過剰に跳ね竦む。
申し訳なさを募らせながらも、未だ引きずっていた嫉妬からくる独占欲と寸止め続きで溜まっていた欲望には抗えなくてそのまま続けた。
「あ…ぅ、きもち…い」
思いのほか、痛いのも好きらしい。
濃く跡がつくほどに強くしても、彼女の口から漏れるのは暑い吐息と快感を得た声だけだった。
最初は肩を押していた手も次第に掴むようになって、気が付けば私の後頭部に回って自ら抱き寄せていた。
本当はもっと先へ進めたいし、やろうと思っていたのだが。
さすり撫でられる動きと体温に気を抜いて目を閉じたら……疲れも相まって、興奮よりも眠気が襲ってきたせいでコックリ寝落ちてしまった。
日頃の疲れも溜まってたのか、いつもよりぐっすり眠れた意識の中。
「…すき」
優しく温和な、鵜飼先生の声が聞こえた気がした。
最中に寝るなんて失態を犯したから、怒られないわけがない。つまりこれは夢である、とこれまでの経験から考えずとも理解した頭でそれならそれで良いと幸せを噛み締めた。
いつも、このくらい素直ならいいのに。
やっぱり夢だったんだな……そう気付いたのは、起きてから彼女が通常運転で、
「練習中に寝るなんて気が緩みすぎです」
「はい……すみません…」
「さ、さびしかったんだから、責任とって今夜も練習付き合ってください」
怒りながらもさらなる要求をしてきた辺りで現実を実感した。
前よりはいくばくか気持ちを伝えてくれるようにはなったが、心に刺さると痛い棘はなかなか抜けない。
そのくらい気を許してくれるんだと思うことで、ネガティブな気持ちは早々に解消させた。
そして仕事を終え、もう当たり前のように鵜飼先生の家へと帰り、
「ど、どう?おいしい?」
「はい!とっても」
「蒼生さんが和食好きでよかった」
「鵜飼先生が作ってくれたものなら、なんだっておいしいよ」
「……二人きりの時は名前で呼んで」
「あぁ…ごめんね、緋弥さん」
休みで暇だったのか作ってくれた夕食を食べ、ビールを飲み、タバコを吸い、風呂に入り……
「さて、練習しましょうか」
「は…はい」
また練習に励み。
「今日は少しにしましょうね」
「え……や、やだ…嫌です」
「してもいいけど、抱きますよ。このまま」
「それは、まだ……心の準備が…」
「でしょう?だから、今日は早めに寝ようね。それに明日はお互い仕事もありますから」
「ん…」
こういう時ばかり素直で辛い鵜飼先生を宥めて、明日も仕事だから控えめなキスだけで終わらせ、週が始まってからは相変わらず多忙な毎日を過ごした。
学校では会えるものの、プライベートでは会えない平日が終われば休日は入り浸ること数週間。
もうほとんど付き合っているようなもんだが、仕事が忙しすぎて正直告白どころじゃなく。鵜飼先生も何かと忙しそうで、お互いデートを提案する余裕もなく。
その上、学生にとっては楽しいが教員にとっては休日丸潰れ…なイベント、文化祭が近付いてきた。
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