第20話

場も温まり、リネッタは慕ってくれた三人の女学生の他にも、友人であるアメリアとマリーを中心に在学生たちと交流を深めていった。最初は、婚約者であるにもかかわらずベアトリスに立場を奪われてしまった人という印象でどこかよそよそしい態度だった人が大半ではあったが、それがまだ誤解であることをそれとなく伝え、また、話の主題から逸らさせれば、すっかり学生たちはリネッタ本人の人柄に懐いて親睦を深めるに至った。

しばらくしてお手洗いに立とうとしたリネッタに、今日の護衛騎士であるネルソンが近寄った。

「姫様、先ほど相談したいことがあるとおっしゃっていましたが」

お手洗いを済ませたら時間を作ろうかと提案するネルソンであったが、リネッタはそのことをすっかり忘れていた。

元々、相談したい内容は、町娘たちの悪意を孕んだ言葉についての考察を共有しようというものだったのだが、先ほど女学生たちとの会話でそれとなく認識を確認できたので、今急いで話す内容ではないかとリネッタは考える。

「気にかけてくれてありがとう。さっきひとまず納得のいく答えが出たから、帰ってから改めてカロリーナたちと一緒にお話しできたらと思います」

「……そうですか」

ネルソンは少しだけ元気をなくして返事をしたように聞こえた。さすがに何年もお供についてもらっているからか、無表情で朴訥としたネルソンの微妙な変化にもリネッタは敏感になっている。

「あなたに一番に相談できなくてごめんなさい」

と言うと、ネルソンがすぐさま「いえ、そんなことは」と早口で言って頭を下げるので、リネッタは思わずふふふと笑ってしまった。


「聖女様こちらもよかったら召し上がりませんか?」

「いいんですか? ありがとうございます!」

屋上に戻ると相変わらずベアトリスは学生たちに慕われているようで、再び人の輪の中心に位置していた。

シルビオの姿が隣にないのを確認し、反対側に視線を向けると、シルビオはどうやら先生たちと会話を弾ませているようだった。

チャンス、と思ってリネッタはすぐさま先生たちの方へ歩み寄った。

「おおこれはリネッタ姫様」

「先生方、お久しぶりでございます。こうしてまたお話しできる機会ができてとても嬉しいです」

顧問として引率していた先生の他に、在学中お世話になった先生が三人ともお酒を持ってニコニコとしていた。

引率担当の先生が他の先生に紹介するようにリネッタの隣に立って言う。

「リネッタ君には今日何度も助けられました。視察だけでなく倉庫への片付けやこの場のセッティングも行ってくれたんですよ」

「リネッタ姫様にお任せになったのですか? まったく再指導しないとダメですわね」

マナー講座の女性講師が目を吊り上がらせていった。まあまあと一同がたしなめる。

「リネッタが頑張っているのに、俺は今日何もできていなくて申し訳ないです。片付けはぜひ手伝わせてください」

「いえいえ、王子殿下のお手を煩わせるわけにはいきませんよ!」

シルビオの提案に引率の先生が首を振るが、それでもシルビオは笑みを携えて提案を押し進める。

「先生、俺は卒業しても先生方の生徒です。そのような肩書きで仲間外れにしないでください」

こんなことを言われては、それ以上否定することもできず、「ではよろしくお願いいたします」と先生は頭を下げた。

シルビオはリネッタの方を見て言う。

「リネッタ、片付けの後せっかくなら久しぶりに学校を見て回らないか?」

「…! 素敵ですわ! ぜひぜひ!」

「先生方、どうか校内散歩の許可をいただけますか?」

「ああもちろん良いよ。もし鍵などが必要なら宿直室にいる先生に借りられてください」

「寛大なお心遣いに感謝いたします」

リネッタはシルビオと先生のやりとりを前にして、もはや夢心地であった。

これは、デートと言っても良いのではないか! しかもシルビオが自分を誘ってくれた!

今すぐここをぴょんぴょんと飛び跳ねたい気持ちになるが、人前なのでぐっと足に力をこめて我慢した。


「シルビオ! ちょっとこちらにきてくださらない?」

先生たちと談笑を楽しんでいたら、後ろからベアトリスがシルビオに声をかけた。

シルビオとリネッタが一緒に振り返ると、ベアトリスは当たり前のようにするりとシルビオの腕に手をまわす。そしてリネッタの方をチラリと見て、嘲笑のような表情を一瞬浮かべた。

リネッタは思わず目を見張ってしまった。

「ご歓談中お邪魔してごめんなさい」

「いえ聖女様、我々こそ殿下をお借りしてしまい申し訳ないです」

「うふふ、いいえそんな…」

リネッタはまた蚊帳の外に追い出された気持ちになるが、途中参戦したのはベアトリスの方なのでこの場を動かずに話の輪の中に居続けた。

「そういえば聖女様、本日はどうしてこちらにご参加なされたのでしょうか?」

マナー講座の女性教師が尋ねる。リネッタも地味に気になっていたところだった。グラスの飲み物を少しだけ飲んで聞き耳を立てる。

「今日は学園近くの公園の水質の浄化を行っていました。そしたら学園でシルビオが夕食会に参加するという話を聞きましたから、どうしても参加したくて…。ほら、学園はシルビオが学び育った場所でしょう? 私、恥ずかしながら学校というものに通ったことがないので……シルビオとの思い出を作りたかったのです」

ベアトリスは国外逃亡をしていた。学舎に通う余裕などどこにもなかったであろうことはリネッタも理解している。

ベアトリスの境遇に、先生たちも同情の目を向けた。

「今日は思い出になりましたかな?」

初老の教師がにこりと笑って問うと、ベアトリスも笑顔で頷いた。

「幼い頃から大好きなシルビオと、新しい思い出が作れて本当に嬉しいです!」

リネッタはぴくりと眉を動かした。

———ベアトリス様の言葉の端々に、なんだか違和感をおぼえる……。

カロリーナたちに相談してみよう……と違和感の箇所を脳内にメモするのであった。


「それでベアトリス、俺に用だったみたいだが」

「あっそうだわ、えっとね、さっきアメリアさん?のアップルパイがとても美味しくて……」

ベアトリスがそう言いかけたとき、屋上の出入り口から聖堂騎士が一人ベアトリスの元へ歩いてきた。カシャンカシャンという聖堂騎士特有の白い鎧の擦れる音が響き、一斉に視線がそちらに集まる。

「聖女様、そろそろ」

「ええ! もうそんな時間なの…?」

「明日の公務に差し支えますので」

屈強そうな聖堂騎士が頭をさげ、ベアトリスの返答を待っている。

不満そうにむくれたベアトリスは、そうだ、と何か思いついたようにしてシルビオの方を向いた。

「シルビオも一緒に帰りましょうよ。聖堂の馬車でお送りするわ。せっかくなら二人きりになりたいもの」

その場にいる先生たちも、露骨なベアトリスの言葉に冷や汗をかく。ちらりとリネッタを横目で見たりして様子を窺っているが、リネッタは動じず二人のやり取りに目を向けている。内心は大荒れであったが、騎士ネルソンの真似を心がけて表情を固くしていた。

しかしシルビオは先ほどの先生たちへの約束があるため、ベアトリスの案にはのれない。

「これからまだ学校で用事があるんだ。先に帰ってくれ」

「そんなあ」

「聖女様、そろそろ……」

「……………わかったわ。それじゃあシルビオ、またお茶でもいたしましょう。先生方、本日はありがとうございました」

「あ、ああ、お気をつけてお帰りください」

先生たちに丁寧な礼をしたあと、シルビオに改めて「お見送りくらいはしてくれるでしょう?」と切なく微笑むものだから、シルビオは聖堂騎士と共に一度屋上を後にする。

生徒たちにも別れの言葉を告げたベアトリスは、終ぞリネッタに声をかけることはなかった。

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