第3話
「幼い頃から恋焦がれているなんて聞いてない!」
部屋に戻って無作法にもベッドにダイブしたリネッタの開口一番はそれだった。
扉の前でカロリーナが呆れた顔をしてため息をついている。せめて着替えをしてから…とでも言おうかと思ったが、そんな間もなくリネッタはドレスのままゴロゴロと転がりながら思いの丈を声に出す。
「なんなのあれ、あんなに綺麗な人と幼馴染で、好きで、しかもこの国の唯一無二でとても大事な聖女様だなんて、本当に運命みたいじゃない! ねえカロリーナ!」
自分を巻き込むな、と言わんばかりの白けた視線のまま「そうですね」と棒読みで返事した。
「聖堂と王族の交流は必要不可欠…日常的にベアトリス様と会うことは避けられない……ああ、ああ〜〜〜シルビオのことを完全に惚れさせるために、頑張ってきたのに〜〜〜」
「らしくなく、しおらしくしようと頑張っていましたものね」
こうなったら話し相手になってやろうとカロリーナがベッドへ近づく。
リネッタは再びごろんとして、うつ伏せの状態になる。それを横目で見て、ああ、ドレスのお手入れが大変…という心の声は今は一旦捨て置くことにした。
「そうよ、そうなのよ、でも、しおらしい私の上位互換のような淑女が現れたんじゃ太刀打ちできないじゃない!」
「そもそもシルビオ殿下が淑女然とした女性がお好みだという情報はいつどこで得たんですか?」
「え? えっと……いつだったかしら…。マリーかな…アメリアだったかな……とにかくお友達から。彼女たちもシルビオとは交流が深かったし……」
外務大臣の娘マリーと宮内大臣の娘アメリアは、リネッタよりも二つ下の学友であったがとても仲良しだ。父親たちがそういった官僚の立場であったため、彼女たちもシルビオと比較的幼い頃から顔見知りなのだ。
(もしかしたらベアトリス様のこともなにか知っているのかな…)
と思案してすぐ、ピンと思考回路が繋がる。
(ああ!! だから……!)
だから彼女たちは、リネッタがシルビオの好みの女性を尋ねたときに、まさにベアトリスらしい女性のことを言ったのだ、と気づく。
その答えに辿り着き、リネッタはパタリと顔を埋め、ベッドの上で静かになってしまった。
突然黙り込み、閃いたように顔をあげ、再び伏せたリネッタを見守るカロリーナは、一体どうしたのかと訝しんでいる。正直それよりも早く着替えてほしいと考えてやまなかった。
「愚かな私……。正解が現れたんじゃ、もう勝ち目はないのだわ……」
しくしくと肩を震わし、すっかりリネッタは沈み込んだ。
カロリーナは、無情にも悲しんでいるリネッタをゴロンと仰向けにさせ、体を起こさせた。
「そもそも姫様らしくない状態でアプローチしても意味がないのではありませんか?」
「え…?」
「それでたとえ惚れさせたとしても、結局姫様の本質を抑え込んだままで生涯をお過ごしになるつもりですか? 私は無理ですねー」
「そ、そう言われたらたしかにそうだわね」
「それに、姫様の良さが発揮されないのでしたら、そもそも惚れさせようだなんて無理な話ですよ。おとなしい姫様なんて魅力半減以下ですから」
「え!? カロリーナはそう思っていたのに、今まで私に何のアドバイスもなく隣で見ていたってこと!?」
自分のして来た振る舞いが間違いであると言ってるようなカロリーナの言葉に、重いタライをぶつけられたかのような衝撃が走る。
無表情のまま眉ひとつ動かさず、カロリーナは言う。
「そもそも姫様は、殿下好みとされる振る舞いをしようとしても、結局元のおてんばな性格は隠しきれていませんでしたし」
「な、な……!」
頑張って来たつもりだったけれど、テンションが上がったり咄嗟のことではどうしても大人しい姫を取り繕うことはできていなかった。それはリネッタも常々反省していたところだった。まさか、カロリーナがはっきりと言い切るほど、やりきれていなかったとは。
「落ち込むことではありませんよ」
カロリーナは正面からリネッタの両肩に手を置いて目線を合わせた。
「姫様の良さはきっと今までも伝わっていると思います。ただ今までは、好みに合わせようとすることでその良さを100%伝えきれていなかっただけです」
カロリーナの表情は変わらぬが、心なしか瞳には熱い炎が見える気がする。
「これからは下手な芝居をすっぱりやめて、姫様100%で殿下にアプローチすれば良いのです。というか、もはやそうしなければ殿下の心を射止めることはできないでしょう」
「で、でも………シルビオは、昔のベアトリス様が好きなわけで…」
「何を怖気付いていらっしゃるんです。恋をしてからというもの姫様はこれだから」
なんだか不敬な物言いにも聞こえるが、カロリーナとリネッタはもはや姉妹のような間柄だ。叱咤激励は常のことである。
リネッタは縋るようにカロリーナを見上げる。カロリーナの口元がふわっと緩む。
「幼い頃の姫様は、気になるものがあれば迷わず飛び込んでおりました。自分の外見が汚れようが振る舞いについて嘲笑されようが無頓着でしたよね。その探究心や冒険心を余すことなく使えばいいのです。私は、そういった勇気があって無邪気なところが好きですし、魅力的だと思いますよ。まあ……さすがに一国の姫となるので、多少の振る舞いには気をつけていただきたいですが」
リネッタは、かつてドレスを脱ぎ捨て、パンツスタイルで駆け巡った王宮の庭の空気を思い出す。
走るのが好きで、登るのが好きで、見たことのない物や景色を見つけることが大好きだった。
婚約が決まり、ルナーラ王国に留学してすぐの頃はそうやって街を散策するのが楽しかったと記憶を掘り起こす。カロリーナと、騎士のマテオを連れて、いつも突然走り出すリネッタを追いかける二人の声が鮮明に蘇る。
シルビオに心から恋をして、マリーとアメリアに彼の好みの女性の振る舞いなどについて教えてもらってからは、意識的にそういった自由な振る舞いは抑え込みがちであったと自覚する。
けれど真正面からカロリーナに肯定され、リネッタの瞳がきらめきを取り戻した。
「そうよね、まだ完全に終わってしまったわけではないものね」
両手をぐっと握る。
「たとえ昔のベアトリス様が好きだと言っても関係ないわ。シルビオに、
「そうですその調子です」
「ありがとうカロリーナ!! あなたは私の一番の親友だわ!!」
リネッタが、がばりと勢いよくカロリーナに抱きつく。カロリーナは後ろに倒れ込みそうになるのをぐっと堪え、両腕でリネッタの背中に手を回せば、ぽんぽんと優しく叩いた。
12歳の頃よりも少しだけ背が伸びたリネッタは、カロリーナと視線の高さを同じにしていた。
「私からしたら手のかかる妹みたいなものですよ……。さ、ドレスを着替えましょう」
「ええ! お願いするわ!」
(たとえ初恋の人で、ずっと好きでいると思っていた相手だったとしても、その時の想いを超えるくらい私に惚れさせればいいのだから!)
明確な結婚は約半年後。
ベアトリスという予想外の参入はあれど、目的は変わらない。
必ず、シルビオと相思相愛の夫婦になる。そのために今からより一層頑張って、願わくば、結婚式での誓いの口付けはシルビオからの一番の愛情を込められたいという野望がある。
先ほどまでのメソメソした気持ちは風に吹かれたかのようにどこかへ飛んでいった。
リネッタは改めて頑張るぞ、と拳を突き立てた。
……のだが、二週間後、聖女の就任と労いのための祭りが開催されると、リネッタの決意が折れそうな言葉が耳に飛び込んだ。
「聖女様と王子様がご結婚なさるんだよね。楽しみだな〜!」
王都の城下町を見下ろす、城門のバルコニーにリネッタとその付き人たちが早く席に着いた頃、観衆はすでに城門前にて聖女のお披露目を心待ちに密集していた。
ちょうど、リネッタの座る端っこの席は、向かいの高級宿の4階の部屋が目視できる。
まさしく先ほどの言葉は、宿泊客かもしくは宿の主人かが、隣の人とはしゃいだときに放ったもののようだった。
聞き間違い?と思わずそちらに視線を向けるが、観衆のざわめきでかき消されて、詳細はもう聞こえない。
(幻聴かなにかだったのかしら…? 私が意識しすぎ…?)
振り向いて騎士のマテオも同じように耳にしていないかと様子を窺うが、彼は特段変わった様子もなく、「いかがしました?」とリネッタに訊ねるだけだ。
「えっと、さきほど向かいの宿の話し声が聞こえたような気がしたのだけど……マテオは何か聞こえた?」
「うーん…いいえ、人々のざわめきが大きいので特定の声は判別できないですね」
「そうなのね…じゃあやっぱり私の聞き間違いかな」
「何か不穏な話でもしていましたか?」
であれば見過ごせない、とマテオの顔つきが変わるが、リネッタが慌てて「違うの!有名なお菓子の話をしてたみたいで、お店の名前を聞き逃したから……」と、咄嗟の嘘をついた。
可愛らしい内容にマテオも警戒体制を解いて、「さては姫様、お腹でも空きましたか?」といたずらに笑った。
「マテオ殿、不敬では?」
マテオと反対の位置に控えている騎士ネルソンは、ルナーラ王国に留学してから配属されたルナーラ王家の騎士団に所属する精鋭騎士である。規律正しい彼は、たとえお互いが兄妹のような間柄だと認識しているとはいえ、マテオのリネッタに対する態度に苦言を呈するのが常であった。
「ネルソンも聞こえていない…?」
「はい。お力になれず申し訳ありません」
軽く頭を下げ、まっすぐな黒髪がフリンジのように揺れて、また再びネルソンは背筋の伸びた姿勢に戻った。
「リネッタ、待っていてくれたらよかったのに」
シルビオがリネッタと同じように騎士を伴ってバルコニーに姿を現す。
「い、いえ! こんな大きな催し初めてだったから気になっちゃって…」
慌てて隣に座るシルビオを見て、先ほどの話し声と、そして王立学園で習ったこの国歴史について思い出していた。
『ルナーラ王国では代々、聖女が聖堂の長となり、王族と聖堂の協力関係によって国を治めていた。ある時は聖女と王子が結婚し、治世を安定させた』
「…………まさかね………」
リネッタの不安げな呟きは、観衆のざわめきにかき消された。
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