第4話
聖女の就任式と歓迎式を兼ねて、ルナーラ王国の歴史に残る祭典式が今始まろうとしていた。
が、リネッタの心はざわめきが抑えられなかった、観衆の声と合わさり、なんだか気分が悪くなっていくようだった。けれどこの場で席を立つわけにもいかないし、粗相をするわけにもいかない。ぐっと堪えて主役の登場を待った。
ファンファーレが鳴る。楽器隊のメロディーが王都に響き渡ると、観衆の声もわぁっとより一層大きくなった。
リネッタは、バルコニーの中心へ視線を向ける。
王妃ルシアが入場し、席に着く。そして次に、国王アレハンドロが、聖女ベアトリスを伴って入場した。
観衆から盛大な拍手が捧げられる。
「聖女様!!! お待ちしてました!!」
「ああ、神々しい…!!」
口々に彼女を称える声が聞こえる。国民も、聖女の存在に深く感謝しているようだ。
リネッタは、ベアトリスの姿につい見惚れた。
聖女が纏うとされる水色のドレスは、透き通った水のようで、彼女の白い肌とドレスに似た髪の色も相まって透明感に溢れていた。それが太陽の光の下、神秘性を増している。水の都である王都を象徴するように、ベアトリスは景観の中心として際立っていた。
きっと物語の主人公とはあのような人なのだろう、とリネッタは思う。
ふと、隣のシルビオの横顔を伺う。シルビオが見惚れているんじゃないかと思ったが、彼の横顔からはその気持ちがあるのかないのかわからなかった。
不安でいっぱいのリネッタは、見惚れているように見えてしまい、つい「シルビオ」と声をかけてしまう。
「どうした? リネッタ」
「あっえっと、すごい盛大で驚いちゃって…」
「そうだね。かかった費用も過去最大だと聞いているよ」
「それは…とんでもないわね…」
すぐに振り返ってくれたシルビオに、見惚れていたわけではないのかと一安心してしまう。そんなふうに確認をとってしまう自分はなんて浅はかなんだと思った。
国王が手を上に伸ばす。するとざわついていた観衆は、次第にしんと静まった。
想定よりも多い観衆は、王都の端までぎっしりつまっているんじゃないかとリネッタが思うほどである。国王の声が届くように、聖堂が作った伝達魔法の込められた水晶玉が王の元に置かれる。
王都の各地にも、似たような水晶玉が配置されており、それによって王の声がどこにいても聞こえるようになっていた。
「今日は、新たな祝日となるであろう。新たなる聖女ベアトリス・ガルシアの帰還、そして彼女の聖女就任により、我が国のさらなる発展の第一歩となるのだ。より良い国になるよう、王家と聖堂とで協力を惜しまず国民に尽くすことを約束しよう。では、聖女からのお言葉もいただきたい」
アレハンドロが一歩下がると、代わりにベアトリスが国民の前に立った。
城門のバルコニーの中心にて立つ彼女への視線がより一層強まる。自分に向けられているわけでもないのに、リネッタは緊張感が高まるのを感じていた。観衆は、ベアトリスの声を心待ちにしている。
「…国民の皆様」
ベアトリスの声は大きいわけではないが、反響する水晶玉のおかげで王都じゅうに響き渡る。
彼女の声は、柔らかく、耳心地が良い。澄んでいて水の都に合っている。
「私は長らく国外にて生活をしていました。今この地に立って、改めて私の故郷はルナーラ王国なのだと確信しています。この国を支えていく立場になれたことを誇りに思います。聖女としての力もまだわからないことだらけだし、至らないところもあるかもしれませんが、国民の皆様が安心できるよう私も頑張ります。どうか見守ってください」
ベアトリスが宣言すれば、観衆は今までで一番大きな声をあげて盛大に讃えた。老若男女、両手を振り上げ、歓喜に打ち震えている。地響きのような歓声が全身を震わすようで、リネッタが体を固くした。
(すごい、揺れているみたい…人の声って集まるとこんなにエネルギーがあるのね)
椅子の肘掛けに手を置いて、振動を感じていると、隣のシルビオがリネッタの方に近づく。どきりとしていると、「大丈夫?」と心配そうに声をかけてきた。
ああそうか、こんな歓声の中じゃそう簡単には聞こえないから…。
「大丈夫よ。えへへ…なんだか今日は、驚いてばっかり」
少しだけ声を張ってシルビオに笑顔で返す。その表情を見て安心したシルビオは、再び背もたれに体を預けた。
(こういうところが好きなのだわ……)
先ほどまでの不安はどこやら、シルビオの優しさにリネッタは浸っていた。
鳴り止まぬ歓声は止まるところを知らない。ベアトリスも席に座り、再びファンファーレが鳴り響く。聖女の挨拶が終わったので、王族の退場の合図だ。
まず主役であるベアトリスと、国王、そして王妃が退場する。その後ろに騎士たちが列をなして出ていく。彼らが出て行った後に、リネッタとシルビオも席を立つ。ようやくこの場を後にできる。座っていただけだと言うのに人の熱気はとてつもないもので、慣れない場にリネッタは気疲れしていた。
城門を降り、王宮の庭を通ってエントランスホールに入れば、すっかり脱力してため息を漏らしてしまう。
「気が抜けすぎじゃないのか?」
「ぎゃっ見ていましたか…? 恥ずかしい…」
シルビオに指摘されて頬を赤らめるリネッタ。
リネッタの背後でマテオが「ぎゃ、って…」と可愛げのない声にツッコミを入れる。
「シルビオ!」
すると先にホールに着いていたであろうベアトリスが、シルビオとリネッタのいる方へ駆け寄ってきた。
先ほど見惚れたドレスのままで、改めてなんて綺麗なんだろうとリネッタの胸が高鳴る。
「ベアト、スピーチ立派だった。お疲れ様」
「そんな、当たり障りのない内容を言っただけよ…」
ベアトリスはスピーチの緊張がぶり返したのか、顔を赤くし、手で煽る仕草をした。
「この後は用事でもあるの?」
「俺はこれから父について行って大臣たちとの会合があるんだ」
「そうなのね…リネッタ様もご一緒に?」
まさか自分の名前が挙がると思わなかったリネッタが「え」と思わず声を出す。
「いや、俺だけだよ。リネッタは部屋に帰るだけだろう? よかったら祭りを見に行ってくるといいよ」
シルビオがリネッタの背後に控える騎士のマテオとネルソンに目配せをする。二人はシルビオに承知の意味を込めて少し頭を下げる。
シルビオはこれまでの付き合いですっかりリネッタの趣味嗜好を理解していた。賑やかなものが好きなリネッタは、その言葉に頷く。
「これだけ盛大だものね…ぜひ参加しなくちゃ」
「夕食時にお土産をくれたら嬉しいよ。くれぐれも怪我には気をつけて、服装も動きやすいもので」
「ええ、わかったわ。なんだかワクワクしてきましたわ」
シルビオからのお願いを受けて、リネッタが胸を張って返事をした。
すると二人の様子を見ていたベアトリスが「それなら…」と口を挟んだ。
「私もついていっていいかしら。リネッタ様ともお話がしたいですし」
ベアトリスは申し訳なさそうに提案する。リネッタとベアトリスが出会って日数は経っているものも、二人はまだ二人きりでの会話をしていなかった。お互いが知っている情報としては、ベアトリスが聖女でありシルビオの幼馴染で初恋の相手であること、リネッタがシルビオの現在の婚約者で隣国の姫であることだった。
「しかしベアトが街に出たら混乱が起きてしまう」
「あっ……」
ベアトリスは明らかにしゅんとした。
リネッタが不憫に思いつつ、どうすれば…と思案する。今日の式典でベアトリスの姿は多くの人に知られた上に、今外に出れば注目の的になるのは間違いない。
きっとたくさんの人に質問攻めにされてもみくちゃになってしまうだろうということは容易に想像できる。
しょんぼりしているベアトリスを横目に見て、リネッタが「あの……」と言葉を続けた。
「フードをかぶって髪色を隠せばある程度誤魔化せるんじゃないでしょうか。ベアトリス様の髪色は特異ですし今日たくさんの人が覚えたと思いますが、距離が遠かったので、まだお顔までは認知されつくしていないと思いますし…王宮から離れた出店であれば買い物もしやすいのではないでしょうか」
「ならば念のためにフレームのみの眼鏡をかければ顔も誤魔化せるか」
「そうしましょうよ! それに…せっかくベアトリス様のためのお祭りですから、主役が楽しめないんじゃ意味がありませんわ」
いかがですか?とリネッタが笑顔でベアトリスに尋ねると、ベアトリスは安心したようにほころんだ。
「ありがとうございますリネッタ様…! ぜひそうさせてください」
「それじゃあ私のお部屋にいらっしゃって。侍女のカロリーナに言えばすぐに用意してくれると思うわ」
リネッタはベアトリスの手を取り、楽しげに足を進める。
騎士たちも慌てて二人を追いかけ、残されたシルビオはやれやれと呆れつつもどこか微笑ましそうだった。
リネッタも平民に溶け込めるように、王国女性に流行りの植物柄の華やかなワンピースに揃いの色のアームカバーを着用し、すっかり身軽になる。髪型も式典の時から動きやすさを重視して、昔ながらに一つに結い上げた。
ベアトリスも同じくワンピースに着替える。ベージュに黒の刺繍が入った衣装は控えめながら上品で、彼女の肌に合っている。髪は襟の広いワンピースの中に隠し、日除けとして使われることの多い薄手の白いストールをフードのように巻いて見えなくした。ストールの両端はレースになっており、ワンピースとあわさって綺麗さを演出している。
黒縁のレンズ部分の幅が大きいフレームの眼鏡をかければたしかに先ほどまでの聖女ベアトリスの印象は薄れるが、それでもパッと見て綺麗な人であることは誤魔化せないだろうとリネッタとカロリーナは思った。
「美人って、隠しきれないのね…」
リネッタが呟くように評価すると、そんな恐れ多いとベアトリスが頬を赤らめた。
日も高く、先ほどまでの式典の影響で出歩く人の数は普段の休日よりもずっと多かった。街の様相はいつもより華やかさを増して人々が活気づいている。
食べ歩き用の料理が所狭しと売られ、子供たちは親にねだって手にすると、目を輝かせてかぶりつく。幸せそうな子供達の顔に、リネッタもつい笑みが溢れる。
「ベアトリ……ベアト様、私たちも何か食べましょうよ! 何がいいですか?」
周りの人に正体がバレないよう、シルビオに倣って愛称で呼びかける。
「えっと、どうしようかな……リネッタ様は食べたいものありますか?」
「私はさっきから串に刺さっているお肉が気になっています!」
勢いよく屋台を紹介するように両手で指せば、ベアトリスはくすくすと笑った。
「リネッタ様って元気で面白い人なんですね…可愛い」
「はっ!!!」
(しまった、着替えたし、お祭りの気分に浮かれちゃって淑女らしい振る舞いを意識してなかったわ)
大きな動きを止め、そのまましおしおと縮こまる。慌てたベアトリスが「あの、決して面白がって言ったわけではなく、本当に可愛いと思って…」と弁解した。
「姫様、買ってきましたよ」
そんなやりとりをしているうちに、マテオが人数分の串を手にしていた。
さっさと人ごみから抜けて、マテオとネルソンが海辺のベンチにリネッタとベアトリスを誘導する。喧騒から少し離れて腰掛ければ、リネッタは早速「いただきます!」と串を食べた。
「美味しいですわ!」
「リネッタ様、口の端にソースがついていますわ」
「あ、あはは……今までの振る舞い、どうかシルビオに内緒にしてくださいね」
「? どうして…」
無邪気にはしゃいでいたなんてシルビオが知ったら、恋愛対象から遠ざかってしまうんじゃないかという不安は残っていた。彼の理想の女性は今目の前にいるベアトリス、さすがにリネッタはそのことは口にはせず、照れながら答えた。
「シルビオには、少しでも女性らしく見られたくて…」
「……二人は婚約者なんでしょう? 仲も良さそうでしたし」
「ベアト……リス様はどこまでご存知かわかりませんが、私たちの婚約はあくまで国同士の取り決めの上で決まったものです。私が一方的に…」
「…てっきり、恋人同士なのかと思っていました」
意外そうにベアトリスは目を丸くした。
この国に来て7年、ずっと一緒に学校も日常も過ごしてきて、お互いの良いところをたくさん知った。対外的な決め事でもあるためか、言い合いに発展しそうになっても理性的に解決し、ほとんど揉め事はなかった。二人が仲良くなるのは必然のように思えたが、それはあくまで友人としてだ。
「男女の仲が良くても、それが恋人という関係に納まるかどうかは別の話ですからね…。それに…」
リネッタは素直に、ベアトリスに尋ねた。
「ベアトリス様とシルビオは、昔とても仲が良かったのでしょう? きっと、今の私とシルビオの関係よりもずっと……。よければ、聞かせてくれませんか?」
リネッタの問いに、ベアトリスは複雑な表情を浮かべた。
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