第2話
「聖女様が見つかりました」
聖女とは、魔法が使える聖職者たちの中でも、唯一無二の強い力を持った女性のことである。
ルナーラ王国では代々、聖女が聖堂の長となり、王族と聖堂の協力関係によって国を治めていた。
ある時は聖女と王子が結婚し、治世を安定させた、という歴史は、学園にて学んだことだ。
先代聖女が亡くなってから、既に20年が経っており、ルナーラ王国は不安の中にあった。なぜなら聖女には大事な役割が政治の他にあったからだ。
それは清浄な水の確保である。
聖女の力の中でも特筆すべきは、浄化の力だった。それにより、ルナーラ王国は、周辺国に優る水質が確保されていたのだ。
自国よりも国土が劣るソレイユ王国との条約締結は、その不安を緩和させる政策の一つだった。ソレイユでは濾過技術により、ルナーラ王国に次いである程度の生活用水の確保できていた。ルナーラ王国で蓄えられていた、歴代聖女の魔力によって生成された美しい水も枯渇しつつあったため、その確保に急ぐ必要があり、技術の受け渡しや水そのものの輸入についての取り決めが行われたのだ。ソレイユ王国の姫が強大なルナーラ王国の国母となるのも、ソレイユ王国への返礼の一つである。
とはいえ、技術だけではまだ聖女の魔法には大きく劣る。
そのため、ここにきて聖女が見つかったとなると、それはもう大変喜ばしい事態だというのは、ルナーラ両陛下の感嘆の声でも大いに伝わった。
「まことか!」
「ああ、よかった…!本当によかった! これで国民の憂いも減りますわ」
涙まで浮かべる次第だ。
ソレイユ王国は魔法が使える聖職者はいるが、聖女の存在は無かった。ルナーラ王国にしか聖女が誕生しないのは、海岸面積の大きいことと水の恩恵が共鳴でもしているのだろうか、と考察されていた。
リネッタは、ちらりとシルビオの顔を窺った。どうやらシルビオは両親の安堵の表情を見ることができて、一緒に安心しているようだ。
両親思いの彼にまたときめきを感じつつ、リネッタも聖女の発見を共に喜んだ。
「見つかったということは、やはり聖女様はこれまで行方をくらませていたということか?」
「はい……本来ならば10年前に見つかっていたはずでしたが、事件があり家を追われて対岸の国にまで亡命していたようでした」
「なんと……そんな事情があったとは」
話を聞いて、リネッタも聖女の境遇に心を傷める。聖女の家族は無事なのか、どこか体を悪くしていないか…と心配で表情を暗くし、「聖女様……」と思わず呟く。
そんなリネッタを見かねて、シルビオが「きっと大丈夫だよ」と声をかける。
「こうして我が国に帰ってきてくれたんだ。今後は俺たちが聖堂と協力して彼女を守っていけばいい」
「そうね…!聖女様には大変だった分、幸せに生きてもらわなくちゃ」
リネッタの快活な返事に聖堂からの使者も顔もほころぶ。
「して、聖女様はこちらにいらっしゃるのだろうか」
王アレハンドロが声をかけると、使者が姿勢を正した。
「もちろんでございます! お連れいたします」
深く一礼をして、使者は一度応接間の入り口に戻った。間もなく、聖女と思われる女性が、姿を表す。
聖女は第一に、美しい人であった。
薄い水色の柔らかくウェーブした長い髪の毛は背中まで下ろされ、彼女が歩くたびにふわふわと揺れる。
おっとりと穏やかな目は
リネッタは思わず綺麗だとため息をもらしてしまう。リネッタから見て同年代くらいの印象を受ける彼女は、王族である自分たちに、ぎこちなさがありつつも丁寧に礼をした。
「ご苦労であった、聖女様。名前を伺ってもよろしいだろうか」
アレハンドロ王の呼びかけに彼女は再び顔を上げる。
「ベアトリス・ガルシアでございます」
鈴の音が響いたようなベアトリスの声に、リネッタの隣に座っていたシルビオが勢いよく立ち上がった。
何事かと驚いていると、シルビオは階段を降りてベアトリスの元へ向かう。
「ベアト……!? 本当にベアトなのか…!?」
「シルビオ、ああ……またこうして再会できるなんて夢みたいだわ」
駆け寄ったシルビオの両手を掴んで、ベアトリスが華のような笑顔を浮かべる。
リネッタからはシルビオの背中しか見えないのだが、心なしか彼の背中が震えているようで、泣いているのだろうかと不安になる。
「そなた、ガルシア家の令嬢か…!? まさか生き延びていたとは」
「はい。先ほど使者がおっしゃったように、私が12の頃、我が一族は内輪揉めによる陰謀の末崩壊いたしました。なんとか逃げおおせたものも、父は対岸の国にて病で倒れ、その地に骨を埋めました」
「ああ……なんと………ハビエル……」
アレハンドロ王が声を震わす。
きっと仲の良い相手だったのだろう。その死を悼んで目元を手で覆っている。
リネッタは事情が何もわからない部外者になってしまったが、彼女たちの間にある重い空気は理解していたので、ただ黙って座るしかなかった。
シルビオが隣に座っていないせいか、よけいに孤独を感じる。
「お母上は共に帰ってきたの?」
意気消沈したアレハンドロ王の代わりにルシア王妃がベアトリスに問いかける。
「ええ、母は元気です。今は聖堂にて匿っていただいております」
ベアトリスの返事に、今度は安堵の空気が広がった。
アレハンドロ王も、それならば…と鼻を啜る。
「とにかく、ベアトリス、そなたとそなたの母君が無事我が国に帰還したことを喜ばしく思う。さらには昔からの馴染みであるそなたが聖女であったことを、運命と感じている。国を挙げて労いたい」
「そ、そんな!恐れ多いです…!」
「いいえ、あなたの立場はそれほどまでに重要です。これから聖堂を背負って立つ者としても、この待遇を受け入れてほしいと願うわ」
「ベアト、どうか聞き入れてはくれないか。国民にとっても幸福な知らせなんだ」
ルナーラ王家の人々が、ベアトリスに頭を下げている。リネッタはまだついていけていない状態であったが、彼女の存在がとてつもなく大きいということだけは実感していた。
喜ばしいことのはずではあるが、シルビオと隣に並ぶ彼女の姿を見ていると、どこか心が落ち着かない。シルビオが自分の知らない、とても愛おしいものを見る表情をしていることに焦燥感を感じている。
いやいや、そんな場合じゃない、聖女の存在はとんでもなく大事なものだと習ったのだ。そして実際、事は重大だとこの場が告げている。余計なことを考えるんじゃない。
軽く頭を振って右頬をぺしぺしと軽く叩く。
再びベアトリスとシルビオの方に視線を向けると、リネッタとベアトリスの視線が噛み合った。
「あの……失礼を承知で伺わせてください」
「なんだね」
「彼女は……シルビオ……殿下の婚約者であらせられるのでしょうか?」
ベアトリスの質問に、王が答える前にシルビオが口を開いた。
「彼女はリネッタ。隣国ソレイユ王国の第一王女だ。俺の婚約者だよ」
「………そうなのですね………」
ベアトリスはリネッタに向き直し、改めてお辞儀をする。リネッタもそれに返すように、立ち上がって礼をした。
対岸の国に長らく亡命していたとはいえ、高貴で丁寧なお辞儀が染み付いている方なのだとリネッタは思う。
「長話をしてすまんな。疲れているであろう。とにかく今日は休むといい」
アレハンドロ王の一声で、締めの空気に切り替わる。リネッタも一呼吸を置いてドレスを正す。ベアトリスも再び礼をして一人退室した。
彼女の出ていく姿を見つめ続けるシルビオはそこを動かない。
リネッタが駆け寄り、トントンと腕を叩くと、ようやくシルビオの視線がこちらに向いた。
「……気持ちが落ち着かないのではありませんか。よかったらお茶でもしましょう?」
「ああ、そうだな……そうしようか」
リネッタの不安は収まる気配がなかった。
***
カロリーナが淹れたハーブティーが、リネッタとシルビオの気持ちを落ち着かせた。
真南から西に日が傾いてきたため、ちょうどこの部屋では太陽の光が満ちている。季節も巡り暖かな陽気が心地よい。
二人して一息ついたところで、リネッタが口を開いた。
「シルビオは、聖女様……ベアトリス様とは、幼い頃が交流があったの? とても感激していたから気になって」
尋ねられたシルビオの表情が明るくなる。
「そうなんだよ、彼女は俺がいくつだったかな……リネッタと婚約する2年前、とかだったから10歳までかな。一番仲の良い人だったんだ」
「幼馴染、みたいな…」
「そうだね。俺たちよりも2つほど年上だったから、当時は幼馴染というより憧れの人、みたいな…」
今となれば2歳差は同年代と言えるが、小さい頃の年の差は、随分と大きく感じるものだ。
憧れの人としてベアトリスを見上げていたであろうシルビオをついつい想像するリネッタ。出会った時から真面目でしっかりした印象を持っていたので、そんな健気な時もあったのかと微笑ましくなった。
しかし
「そして俺が生涯一番好きでい続けるだろう、と思った人でもある」
眉を顰め、声の音量を少しだけ下げて、シルビオが言った。
ああ、そうか、とリネッタの体温が下がる。
「シルビオは、幼い頃から今まで、ベアトリス様のことを……」
「………」
だからあの日、自分の寵愛を期待しないでほしい、と牽制してきたのか、と気づいた。
申し訳なさそうに、今と同じ表情をしたシルビオのことを思い出すと、胸が苦しくなる。
「もう、二度と出会えない人だと思っていたから、この思いに決着をつけることはできるのか、わからなくて……」
いなくなった大好きな人が目の前に現れた。
あの時ベアトリスに駆け寄ったシルビオの幸福は、計り知れなかっただろうとリネッタも思う。
そして同時に、どうしようもなく大きな壁を感じた心地がした。
「再会して、やはり彼女のことが一番好きなのだと、感じましたか?」
聞くのが怖い。
けれども確認しなければならない。
シルビオの一番好きな人の座を得るために、あの日決意してから5年間、リネッタなりに頑張ってきたのだから。
快活な性質は少し抑えて、シルビオの前では明るく振る舞いつつも淑女らしく、礼儀作法はルナーラ王国に順応して完璧に、国の歴史や文化についてだっていつだって懸命に学んだ。今ではソレイユ王国よりもルナーラ王国についての方がずっと詳しい自負がある。
けれどもその努力もここで虚しく散ってしまうのだろうか。
ドクンドクンとリネッタの鼓動が速くなった。
「わからない…」
シルビオの目元に影が落ちる。
「お互い成長して……ベアトのことを一目で気づくこともないくらいにお互いが変わったんだと改めて思ったよ。あの頃と今とじゃ、同じとは思えない。彼女のことが好きだったのは昔のことだし」
「……」
ほっとしたのも束の間、でももし、ベアトリスが昔好きだった頃のまま変わっておらず、シルビオと関係を新たに結び直すことがあったら?と、リネッタに嫌な予感として思考に残る。
モヤモヤは晴れない。
「ベアトリス様は、きっと今でも素敵な方だと思うわ……」
本心だった。
彼女の亡命していたとは思えない高貴なままの振る舞いは、彼女本来の資質なのだとわかっていた。
きっとこれから聖女として聖堂の長となり、ますます気品が磨かれていくことだろう。
あの美しさと、人懐こさすら感じられる黒い瞳が、今でも忘れられなかった。
自分も仲良くなりたい、と思う反面、自分が近づいたら、きっとシルビオとベアトリスの距離も必然的に近づいてしまうのだろう、と予測してリネッタは複雑な気持ちになる。
そんなリネッタのぐるぐるとした思考はさておき、シルビオはリネッタの言葉に心底嬉しいという笑顔を浮かべる。
「君がベアトと仲良くなってくれたら俺も嬉しいよ」
好きな人が好きだった人。もしかしたら好きになるかもしれない人。
リネッタはどうしたものかと悩む気持ちを、ハーブティーを飲むことで一旦押し込めるのであった。
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