第21話

「さすがに………行動の仕方が子供のいじめみたいでモヤモヤしますわ……」

屋上の隅でリネッタはネルソンに愚痴り、唇を噛み締め眉間に皺を寄せ、苦い表情をしていた。こんな顔になっていることを他の人たちに知られるわけにもいかないので、光の届かない陰の部分で飲み物をあおる。

「帰ったらみんなに確認したいことも増えたの。相談に乗ってくれたら嬉しいですわ」

「どうぞなんなりとご相談なさってください。姫様の憂いが晴れるかどうかはわかりませんが」

「話を聞いてくれるだけでだいぶ救われるものよ。私は本当に……寄りかかれる人が多くてよかったなって思うわ」

リネッタはそれでもベアトリスのことを考えた。ベアトリスの家族は、聖堂に戻ったとき共にいた母親のみ。学生時代もなく戦争地域として今なお激戦の只中であるコモロ国にいたとなれば、友人と呼べる相手もいたのかわからない。

そんな彼女が国に戻って幼い頃両思いでいたシルビオと再会したのだから、彼に夢中になってしまうのも無理はないと考えてしまう。

リネッタと対立して次期王妃の座を争うという状況になって、自分の気持ちを吐露できる相手は母親の他にいるのだろうか。

「私は本当に、恵まれているのね…」

ベアトリスの生い立ちを考えると彼女へ同情的になってしまうが、しかし前にリネッタ専属メイドのナナに言われたときのように、ベアトリスはベアトリス、リネッタはリネッタの過去があって、それはシルビオが結婚相手を選ぶ際に考慮するべき内容ではないのだということを、リネッタはもう一度自分に言い聞かせた。

「姫様、環境は確かに変え難いものですが、その環境で何を為すかは人それぞれです」

「ネルソン……」

「私はこんな顔で愛想もありませんから、友人というものはほとんどおりません。作ろうとも考えませんでしたし、人から聞かされる雑談も、ましては悩み相談など浅はかなものだと切り捨てておりました」

「あはは…」

「けれどそんな私が自分から相談を聞きますよなんて言うのは、姫様がお相手だからです」

相変わらずの無表情の中に、優しい瞳を向けてネルソンが言う。

「姫様が傍若無人な姫であればきっと今こうして会話もしていなかったでしょう。過去に積み上げた姫様の行いはこうして今を作っておられます。どうか自信をお持ちになってください」

リネッタはぽかんと口を開けて、しばらくして胸が打ち震えるのを感じ瞳を潤ませる。

慌てて顔をネルソンとは反対に向けて、ずずーっと鼻を鳴らして涙が溢れるのを我慢した。

「あらあらあらリネッタ様ったらいじめられでもしたんですか?」

と、そんなリネッタをニヤニヤと口角あげて覗き込んだのはアメリアだった。

びっくりして「ひゃあ」と声を出すリネッタと、後ろで咳払いをするネルソン。

アメリアは、一人用サイズのアップルパイを皿に載せていた。

「お祭り会場で言ってた、私と母共作のアップルパイですわ。まだリネッタ様がお召し上がりになっていないようだったのでプレゼントですわ」

「わぁ、ありがとうございます! メインイベントはこれでしたのに私ってば!」

早速受け取って、いただきますとフォークを入れれば、柔らかいリンゴから旨みが染み出し、良い香りで食欲をさらにそそった。

幸せそうに頬張ると、その場はほっこりと温かくなるのであった。



「それじゃあベアト、馬車までの道中気をつけて」

「ふふっ聖堂騎士がいるから大丈夫よ。……ねえシルビオ、このあとの用事って、その……リネッタ様もご一緒なの?」

ベアトリスはシルビオの袖を掴み、縋るようにして尋ねた。

「後片付けをするんだ。みんな一緒だよ」

「…リネッタ様とばかり仲良くしないでください。わがままなのはわかっているけれど、私のいないところで一緒にいる姿を考えると胸が張り裂けそうなの」

「……」

ベアトリスは頬を紅潮させ、シルビオを見上げた。

「私にはあなたしかいないから、不安で不安で仕方ないの。ねえシルビオ、今日は私と一緒にいられてどうだった……? 少しは昔を思い出してくれた?」

シルビオと共に夜景を見てる間、ベアトリスはしきりに過去の話をした。


『こんな景色を昔も見たことがあったでしょう? ほら、王宮の一番高い塔の上からこっそり…あのときは叱られてしまったけれど、またこうしてあの頃と同じ景色が見られて嬉しいわ』


思い出話はシルビオも頷けたが、端々の好意にはうまく答えられずにいた。

やはり、あの頃のような焦がれる思いが再現されないのだ。袖を引っ張られている方のシルビオの手は、力無くそこにあるだけ。

「昔のことはよく覚えているよ。今日は懐かしい気持ちになれた。ありがとうベアト」

「シルビオが楽しんでくれたのならそれでいいの。一緒にいる時間が楽しければ自然とまた好きになってくれるでしょう?」

安堵の息を吐いてベアトリスは満面の笑みを浮かべた。

「ねえ、この後リネッタ様もすぐおかえりになるのかしら? シルビオも、遅くまではいないようにしてゆっくり休んでね」

「……ああ、そうする」

シルビオは微笑んで返事をした。ベアトリスがうっとりとその表情に見惚れるも、聖堂騎士に促されて名残惜しそうに歩き出した。

聖堂が連れてきた馬車は公園を越えた向こうに停車しているので、街灯も少ない中歩かねばならない。シルビオは心配でしばらく彼女たちの後ろ姿を眺めたが、聖堂騎士の屈強さに安心して踵を返した。



シルビオが屋上に戻る頃には、ちょうど皆が片付けを始めていた。

リネッタがシルビオの姿を見つけ、駆け足で寄ってくる。その手には使い終わって捨てるだけの皿が重ねられていた。

「おかえりなさい。ベアトリス様は無事馬車まで向かわれました?」

「いや、門のあたりで別れたよ。でも聖堂騎士がついているからきっと大丈夫だと思う」

「たしかに、あの騎士様であれば不審者も寄りつかなそうなので安心ですね」

リネッタが先ほどの聖堂騎士の真似事か、片腕を拳を作って上腕二頭筋に力を入れるようにしてポーズを取って微笑む。そんなリネッタを見てついシルビオも笑顔をこぼすと、腕まくりをした。

「また出遅れてしまったから、リネッタ以上に働かないと。今はどんな状況なんだ?」

「あ、これを捨てたらテーブルや椅子の片付けを手伝おうかと。マリーとアメリアは先生たちと残った食材の処理に追われているので指示する人がいらっしゃらなくて」

「わかった、それは俺が引き受けるよ」

シルビオは早速手の空いてそうな人員に声をかけ、恐縮されつつも的確に人を動かし空いたテーブルと椅子を瞬く間に片付けた。

それが終われば食材の処理と使い終わった食器を片付けている人のサポートにまわり、リネッタも同じように補佐する形で順調に事を進めた。

予想よりもずっと早く屋上が元の姿に戻ったので、アメリアとマリーは余した元気を発散するように一緒に腕を空へぐっと伸ばした。

「皆様、これにて夕食会は終了になりますわ! 明日からのイベントも引き続きよろしくお願いいたします」

「楽しい時間をありがとうございました。遅い時間になりつつありますので、気をつけてお帰りくださいませ」

アメリアとマリーに向けてみんなが拍手を送った。荷物を引き取り、順々に屋上から退場する学生たちは、シルビオとリネッタにも感謝と別れの言葉をかけて出ていった。

「良い後輩たちだから、将来が楽しみですわね」

きっと彼らの中には、将来王となったシルビオの補佐をするものも現れるのだろう。それを考えると、シルビオと後輩たちが良い距離感で会話できていたことが安心材料になるとリネッタは思った。

リネッタの言葉にシルビオも嬉しそうに頷いた。


「殿下、リネッタ様、本日は何から何までお世話になりました!」

アメリアがマリーを連れて、帰り支度を済ませてリネッタとシルビオの前に立つと、深く深く頭を下げた。

「片付けももっと時間がかかるかと思っていましたが、殿下の手腕で予想よりもずっと早く終わりましたわ」

マリーが疲れを感じさせない朗らかな笑顔で言った。

「お時間をとらせてしまい改めて申し訳ありません…」

アメリアはもう一度頭を下げる。それに弁解するようにシルビオが「時間のことは気にしないでくれ」と優しく声をかける。

「このあとリネッタと久しぶりに学園を散策しようかって話をしてて、その時間欲しさに張り切っただけだから」

シルビオの言葉に、リネッタ、マリー、アメリアが声を呑んだ。

マリーとアメリアはコンマ数秒の間に視線を合わせお互いの意思を確認すると、同時に礼をして早口で言った。

「では私たちはこれで退散いたします。どうぞお二人の散策を楽しまれてください!」

そして足早に屋上を後にした。


静かになった屋上には顧問の教師が一人タバコをふかし、二人の他にはネルソンが少し離れた場所で待機しているだけだ。

「それじゃあ、そろそろ行こうか」

「え、ええ……。あ、ネルソンは、どうしましょう…付いてきてもらうにも大変よね…?」

「いえ姫様、私は門の方で待ちますのでどうぞ遠慮なく」


———と、いうことは。


門の辺りでは先ほどまでいた生徒たちの笑い声が響いている。

顧問の先生はそんな生徒たちを見送るようにして時折手を振っていた。ふと先生がリネッタとシルビオの方を向けば「あなたがたも早く出なさい。鍵がかけられないからね」とやんわりと追い出してきたので、共に礼をして屋上を後にした。

階段でネルソンが門に向かうため別れて、早速リネッタとシルビオは二人だけで校舎に残された。


夜の校舎は天井が高いせいか、いつもよりも空気が冷たく、重く感じられる気がする。

味わったことのない雰囲気にドキドキしつつも、隣でどこか楽しそうにわくわくとした表情のシルビオが立っているので、リネッタが胸の内で感じるドキドキが、恋のときめきに変換されていくのを感じた。

噂に聞く吊り橋効果みたいなものかしら、と頭では冷静に考えつつも、感情は追いつかないでいた。


「そういえば宿直の先生に鍵を借りられるって言っていたっけ。リネッタは宿直室の場所ってわかる?」

「あ、この階のはずです。行きましょうか」

リネッタの案内通りに向かうと、一部屋だけ光が漏れている。

コンコンコンとノックし入室すると、先ほどまで屋上にいた初老の教師が本日の宿直担当のようだった。

事情を説明して鍵を受け取ると、再び二人は夜の校舎に立ち戻る。


「なんだか不思議な気分だ」

手にした鍵を持って万能感をおぼえたシルビオの表情は、いつもよりもずっと幼く見える。

「ワクワクいたしますわね」

とリネッタがイタズラに笑うと、シルビオも目を細めた。

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