第23話

『聖女ベアトリス 襲撃に遭い怪我』


リネッタはてっきり、昨日の夕食会でのベアトリスの様子についてまた記事が書かれているんじゃないかと予想して新聞を広げたが、レイズリー社に次ぐ大手報道会社として新興しているベリック社の新聞の一面記事にその文面があった。

新聞を運んできた筆頭侍女のカロリーナに視線を向けると、彼女は眉間に皺を寄せた苦々しい顔で、リネッタの持つ新聞に視線を移した。

「姫様、報道とは怖いものです」

「………読めばわかるのね?」

カロリーナの暗い表情の意味を、見出し横の本文に目を通したリネッタは理解した。


『聖女様を襲ったのは戦争難民の子供。最初こそ子供であることに油断していた聖女様が応対していると、刃物のようなもので腕を切りつけられた。すぐに子供は逃走、一人しかいない聖堂騎士は聖女様の治癒のため子供を追いかけることはできなかった。』

『子供の背後には、ソレイユ王国から条約に則り婚約者として留学中のリネッタ・マレ・ソレイユの姿があった可能性がある。実際現場で目撃した私(記者)は走り去る足音とその人影を目撃した。長い髪とドレスは高位貴族でないとありえない。』

『怯える聖女様の手当てを聖堂騎士が行う中、私は先ほどの人影について尋ねた。「あれは婚約者ではないか」と。すると彼女は私の質問に対して「そうかもしれません」と体を震わせていた。果たしてこんな卑劣な手を使ってまで婚約者の座を維持する目的とは一体何だというのか? 国の策略か、個人的な感情か。愛憎入り混じる王太子殿下の結婚騒動は泥沼化していくようである。』


全く持って見に覚えのないことに自分の名前が使われていることを確認したリネッタは、血の気が引いていく心地になって力が抜け、持っていた新聞がばさりとテーブルに落ちた。

カロリーナが慌ててリネッタの隣に向かい、肩を抱く。周りで仕事をしながらも心配そうに様子を見ていたメイドたちも、仕事の手を止めて見守った。

この場にいる全員、この記事の内容を目にしていた。そして詳細にあるリネッタの行動が嘘であることも知っている。けれど既にこの新聞は王都に出回っている。人の口に戸は建てられないことを全員が理解しているからこそ、リネッタのショックに同調せざるを得なかった。


「私は、やってないわ」

「ええわかっております。それは私たちが証明できます。何よりも殿下にネルソン様もご一緒でしたから」

「でも……でも、王都の人々は、この記事を信じてしまうわ。どうすれば……」

弁解しようにも広まった火を抑えるには相当の時間を要するだろう。

王宮の端で主張しようにもリネッタの力はあまりにも弱すぎる。

「それに、この書き方……狙ってかどうかはわからないけれど、ルナーラ王国とソレイユ王国の対立を狙っているとしか思えないわ。こう見ると、レイズリーはうまいこと煽てるだけにとどめておいてくれたのだとよくわかるわね」

皮肉なものだと鼻で笑ってしまうリネッタ。

しかし、そこでぴたりと動きを止めた。表情が変わったリネッタを窺うようにしてカロリーナが首を傾げると、扉をノックする音が聞こえた。

カロリーナの代わりに、扉に一番近いメイドが対応すると、すぐに姿勢を正して頭を深く下げて退いた。

やってきたのはシルビオだった。

「リネッタ、……読んだのか」

「はい。これがきっかけで何かあるんじゃないかと嫌な予感がしています。早めに誤解を解かなくてはなりません」

「ああ、そのためにも公的に発表を急がないと…」

「いえ、待ってください」

シルビオが意見を紡ぐ前に、リネッタは一呼吸おいて続けた。

「私に考えがあります」


目には目を。

新聞によって民衆の意見が左右されるのであれば、同じように新聞を使って動かせば良い。二度三度こうして振り回されているのだから、その効果のほどをリネッタは理解していた。

「ここで王宮から声明文を出したところで、下手な憶測を生みかねません。ましてや今は聖女様の帰還もあって王宮と聖堂は公的に強い繋がりでないといけませんから、ここで聖女様が偽りを申したと王宮から発したとなれば面倒なことになりかねません」

「だが確実な信憑性はあるだろう。それにこの内容は国と国の亀裂を生みかねない。君の国に被害があってからでは遅い」

シルビオは悔しげに、怒りを抱いて言葉を発していることがリネッタにも伝わっている。リネッタはその心持ちがありがたくて、正面のテーブルについている彼の左手をそっと包み込んだ。

「大丈夫です。このやり方がうまくいけば被害も最小限になると思います」

「……どうするというんだ?」

「ホセを使いましょう」

ホセ・レイズリー。リネッタとシルビオの後輩としてかつては学園でよく話したものだ。

シルビオはロマリアの結婚式で、リネッタは昨晩の夕食会でそれぞれホセと一対一の会話をしている。

シルビオは未だにホセへの不信感を拭えていないのか、すぐさま首を振った。

「だめだ、そもそもこの事態の引き金はレイズリー社だ。聖女の敵になるような文言を発表できるとは思えない」

「いいえ、敵にするのではありません。真実を報道させるのです」

リネッタはベリック社の新聞に手を置き、力を込めた。

リネッタが望むのはベアトリスやベリック社の嘘を暴くことではなく、その場にリネッタはいなかったのだという事実を周知させることである。

「それにホセが言っておりました。どちらかに肩入れしているわけではない、と」

「……」

「レイズリー社はベリック社も及ばない信頼のおける報道会社として名高いです。全ての新聞社がこの記事に便乗した明日の記事を作る中、新規の情報をこちらから持ちかけて明日のレイズリー社の一面を書き換えてしまった方が効果的だと思うのです」

民衆の第一の関心は、今は全て新聞にある。娯楽・ゴシップ・ニュース、全てが詰まっているからだ。

「それに、ホセは気になることを言っていました。私はその内容の詳細も引き出したいのです」

「気になること…?」

リネッタは昨晩のホセとの会話を要約してシルビオに伝えた。

『聖女に関する記事を一面にすることで得することがあった』この部分にリネッタはずっと疑問を抱いていた。

シルビオも考え込むように視線を落とし、リネッタの伝えたホセの言葉を反芻した。

「交渉は私がします。そのためにも、まずは確実な情報を集めなくてはなりません」

「俺も同行しよう。何をするんだ?」

「…昨晩の少年のところに向かいます。目が覚めていなければ、先にホセのところに一緒に行きましょう」


シルビオは一旦リネッタの部屋から退出した。

出かける準備のためにリネッタは外出用の衣服に着替えようとメイドたちに指示をした。

「あと、それと…昨日私が着ていた服ってまだあるかしら」

「本日お手入れするところでしたので、まだこちらに」

「そのままで大丈夫です、持ち出すので包んでいただけますか?」

「承知しました!」

メイドは急いで衣服を整理した。

カロリーナがリネッタの外出着を用意し、リネッタの確認を取るために広げる。シックな色合いで威厳を醸し出す裾の長いドレスだ。

かっこよくて素敵ではあるが、リネッタは「いいえ」と首を振った。

「カロリーナ、あちらにしましょう」

そうしてリネッタが指差した衣装を見て、カロリーナは一度目を見開くが、次の瞬間どこか嬉しそうに笑みを漏らす。

「それでこそ姫様ですね」



シルビオは先に診療所の前で待機していた。担当のものに聞けば、少年の容体は安定しており、今朝は喉が渇いたと目を覚ましたらしい。

無事話ができるようでよかったと安堵する中、「おまたせしました」とリネッタの声が聞こえたため振り返る。

リネッタはドレスではなく、女性騎士のようなパンツスタイルで凛と佇んでいた。髪の毛は上の方で一つに結ばれ、いつもよりも気が強く見えた。

「やっぱり、おかしいかしら…?」

「…いや、なんでだか、すごくリネッタらしいと思ったよ」

「ふふっよかった。実は私、シルビオと初めて会った日も着替えるまではこんな感じの格好で庭を走り回っていたの」

淑女作戦はとうに終わっている。

リネッタらしい、という言葉に誇らしさを感じて、自然と笑顔が浮かんだ。

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