第24話
少年は怯えることなく、むしろシルビオとリネッタを見て安心した表情になっていた。
「おはようございます。昨日に比べて具合はどう?」
リネッタが少年の視線に合わせるように隣のベッドに腰掛けて尋ねた。
「うん、へいき…。……? お姉さん、昨日とちがう…」
少年はリネッタの下半身と髪型を見て物珍しそうに顔を動かす。リネッタが「どうかな?」と感想を促したら、少し気恥ずかしく口籠った後に、小さな声で「かっこいい」と少年は言った。リネッタははにかんで返した。
「昨日の今日で疲れているところ悪いが、君に聞きたいことがあって来たんだ。話せるか?」
シルビオはベッドの前で跪くようにして少年を見上げた。
少年もシルビオがいかに高貴な存在であるのか衣服を見て察したようで、恐縮している。しかし目線を下げさせたことで威圧感が軽減されているのと、顔見知りであることから少年はゆっくりと頷いた。
「君の名前を聞いてもいいかな」
「……ラル」
「ラル。響きからして、コモロ国出身かな?」
「……うん」
シルビオはいつもよりもゆっくり話しかける。コモロ国の名前が出たとき一瞬ラルはびくりと怯えるようにして肩を跳ねさせたが、シルビオが微笑んで続けたのでそれ以上怯える様子はなかった。
「昨日、ラルがしたことは覚えている?」
「……うん。ねえ、ぼくは捕まるの?」
「悪いことではあるから、本来ならそうなるかもしれない。でもまだ君は幼いから懲罰房に行くことにはならないので安心してくれ。それに、本当のことを話してくれたら状況が変わるかもしれない」
『本当のこと』にアクセントを強くして、ラルの告白を後押しする。
シルビオと目配せをした後、次にリネッタがラルに問いかけた。
「ラル、私たちに会う前に、誰とお話ししてたの?」
学園に現れたラルは、既に誰かの血で汚れていた。乾き切っていない鮮血を見るに、リネッタたちに会う直前に何かあったのは間違いなかった。
「みずいろの…」
ラルはじっくりと思い出しながら言葉を紡ぐ。
「みずいろの髪のお姉さん。お姉さんは"せいじょさま"だから、お姉さんの血をもらえれば水をくれるって教えてもらった。その人はぼくにナイフもくれて……だから……だからおねがいしにいった」
部屋にいた人全員が驚きで目を見開いた。
今朝の新聞の襲撃の犯人が、目の前のラルであったことは間違いない。
「子供って書いてあったからちょっと予想はしてたけれど……」
リネッタは思わず呟く。
「血を貰えれば水をくれる、というのは誰がラルに教えたんだ?」
「えっと、えっと、暗くてよくわかんなかったけど、長いドレスの、おんなのひと……」
それ以上の詳しい容貌はわからないようで、ラルはそれっきり口篭った。不十分な答えに焦りがあるのか、居心地悪そうに毛布の上で手遊びが始まる。
「……わかった。正直に答えてくれてありがとう」
シルビオはそんなラルの頭を大胆に撫でた。そして立ち上がると、もう一度ラルに近づいて言う。
「君の処遇については俺の方から伝えておくから、心配せずにゆっくり体を休めて」
優しく微笑んでぽんぽんと肩を叩いてあげると、ラルもホッとした顔で再び布団に潜り込んだ。
あとは診療所の医者に任せることにして、リネッタとシルビオは共にその場を後にした。
「子供に凶器を持たせて傷害を唆すなんて、信じられないわ」
リネッタは怒りで震え、拳を強く握りしめた。戦争孤児が水ひとつで犯行に及ぶほど、まだこの国では制度が確立していないということも理解させられ、シルビオも無念に眉を顰める。
「ともあれラルの証言のおかげで実行を促した女性がいることがわかった。これは有用に使わせてもらおう」
「はい」
次に向かうのはホセ・レイズリーの元である。
彼と直接連絡を取る手段はないため、二人は騎士を伴い直接レイズリー社に赴くこととなった。
レイズリー社は王都の中でも特別大きな建物を有し、そこで皆が働いているためホセの居場所も特別な用事がない限りはここだろうとあたりをつけている。建物が大きい理由は、新聞を刷る機械も導入しているからとの噂があったが、本社の玄関を入ったところでそれが事実なのだとリネッタたちは目の当たりにした。
ガシャンガシャンと機械を動かす音と人が忙しなく右往左往している。インクで腹部を汚した眼鏡の男性が、リネッタとシルビオの姿を見かけると慌てて出迎えた。
「これはこれは殿下、それに、ソレイユ王国のお姫様、どうぞどうぞいらっしゃいました。こちらには如何様で?」
リネッタのことを顔と名前を一致させた上で「ソレイユ王国の姫」と言うのは平民では滅多にないことだ。新聞社の情報が社員に共有されている可能性があると考える。
「ホセ・レイズリーに商談があってきた。ホセはここにいるだろうか」
『商談』と言えば社員皆の顔色が変わった。ルナーラ王国の王太子ともあろう人が商談相手になるのであればこれ以上ない価値がある。社員たちが浮き立つ空気をリネッタは肌で感じた。
「いらっしゃいますいらっしゃいます! どうぞどうぞ4階までお上がりください」
必要以上にぺこぺこと頭を下げる眼鏡の社員はスキップするかのように先導してリネッタたちを4階の一室まで連れていった。
ドアをコンコンコンコンコンと何回も高速でノックし、苛立ったホセに部屋の中から「うるさい」と叱られるも、彼は笑顔で「ホセ坊ちゃんにビッグなお客様です! 商談にきたとのことで!」と答えた。
渋々といった様子でホセが少し扉を開いて客の様子を覗くと、シルビオとリネッタと目があって、一度パタンと扉が閉じられたかと思うと次の瞬間には学園時代によく見た人懐こい笑顔のホセが大胆に扉を開けた。
「殿下にリネッタ様、いらっしゃいませ!」
そうしてリネッタとシルビオと、二人に同行するマテオと女騎士が入室を許可されると、二人を連れてきた眼鏡社員に「お茶持ってこい」と命令して扉が再び閉じられた。
ホセの部屋なのだろうか、さまざまな書類が窓側の壁の隅にあるデスクを中心に溢れ出たかのように散乱している。一階玄関ホールで見た新聞を刷る機械に似た、簡易版と思われる機械も2、3個置いてあり、ところどころインクのシミが機械の下の床にできていた。
まさに、多忙に活動中な様子といったところ。
「突然押しかけてごめんなさい…」
とリネッタは邪魔したのではないかと思い謝った。
「いえいえお気になさらず。ボクが取材で出てなくてよかった」
書類の山をどかして埋もれていたソファを発掘し、ホセはそれを壁にぴたりとつけて四人を座るように促した。
ソファあったのか……と思いつつ腰掛けると、また別の新聞の山の下からローテーブルが現れ、そしてホセは自分のデスク前にある椅子を引きずってリネッタたちとローテーブルを挟んで正面に向かい合うようにして位置して座った。
扉がノックされると先ほどの眼鏡社員が五人分のお茶をトレイの上に乗せて入室し、さっさと並べるとすぐに部屋を出た。
「バタバタしててごめんなさいね。それで、早速主題に入りましょうか」
どうぞ、と手を出せば、リネッタは先にお茶を飲んだ。インスタントの紅茶みたいだが、意外にも美味しい。
「今朝はベリック社の新聞が飛ぶように売れたようだな」
シルビオの言葉にホセが鼻で笑う。
「ベリック社の新聞記事をみなさんお読みになったんですよね? ならお分かりかと思いますが、ベリックはああやって嘘をでっちあげて煽動するのがうまいんですよ。ボクが最も忌み嫌う報道の仕方です」
「そうか。その点では同意しよう」
「ああ、殿下、ボクの誠意を再び信じていただけますか?」
きゅるんとわざとらしく潤んだ瞳を向けてシルビオの方へ体をくねらすも、シルビオは冷たく「それとこれとは別の話だ」と切り捨てる。
「レイズリーの明日の報道はもう決まっているの?」
とリネッタが尋ねると、ホセは苦い顔でうーんと唸る。
「どうあがいても聖女様の傷害事件を超えるネタはないので、これを無視するとなると逆に奇異な目でみられてしまいますからね……悲しいことに今回はベリックに便乗せざるを得ないっていうか…」
「あれ、聖女様の記事を一面に出せばレイズリー社は得をするのではなくて?」
リネッタの言葉にぎくりとあからさまにホセは動きを固くした。
「……内緒、と言ったはずでは」
「あら、私は
リネッタの言葉を受けつつホセがシルビオへ視線をじっくりずらすと、シルビオがすっかり冷え切った目でホセをじっと見つめていた。威圧感を感じたホセは冷や汗を垂らした。
「今回は〜〜〜関係ないお話ですね〜〜」
「いや、聞かせてもらおうか」
「いくら殿下の頼みでもこれは社外秘です! 答えられません! 言ったところで得がないんですから!」
ブンブンと首を横にふるホセは自身のかけている眼鏡が吹き飛んでしまうんじゃないかというほどである。
「それじゃあ、得を作れば打ち明けてもらえるかしら」
リネッタはマテオに持たせていた箱を、ローテーブルに置いた。
開けることなく箱を見て「これが何か?」とホセが訝しんだ目で見る。
「まさか賄賂……?」
「今の話を聞いて私がそんなことすると思っているの?」
「いえいえ〜まさかそんな」
「この中身は私が昨日着ていた服です」
「え……」
ホセはさらに怪訝な顔になって「ボクにそんな趣味ないんですが…」と言うので、リネッタは思わず顔を赤くして「そういうものでもありません!」と反論した。
「これは、ベリック社の報道に対する証拠品の一つです!」
そう声を張り上げれば、ホセとシルビオの表情も変わった。
こほんと場の空気をリセットするようにリネッタは咳払いして、思わず前のめりになった姿勢を正して座り直した。
「ホセも先ほど言っていたように、あの記事にはでっち上げられた内容がいくつか紛れ込んでいます。レイズリー社には是非明日の新聞の一面にベリック社の嘘報道を暴く内容をあげてほしいのです」
「ほうほうほう…なるほど。その箱やあなたがたの顔を見る限り、それなりの裏どりも用意されていると見てよろしいですか?」
「もちろんですわ」
ホセはニッと口角を上げると、尻ポケットに入れていたメモ帳とペンを取り出した。
「それ、うまくいけば売り上げが跳ねますね?」
彼の目はすっかり明日に見込める利益を計算し、悦楽に浸っていた。
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