第7話
朝から憂鬱にさせてごめん、とディノから言われるも、力なく笑って返すしかなかった。
聖女様が帰還してからずっとこんな感じだ。自分の気持ちが落ち込むたびにリネッタは自己嫌悪を覚える。
会食はディノと聖女の挨拶がメインのため、つつがなく進行し、特に結婚についても話題に上がることなく済んだので至極平和であった。
ディノがベアトリスの容姿を思った以上に気に入ったこと以外には特別なことはなかった。
食事も終わりベアトリスが先に聖堂の方々と席を立って部屋を出た後、シルビオはディノの側に行き頭を下げた。
「ディノ王子、挨拶が遅れてしまって申し訳ない。ルナーラ王国第一王子のシルビオ・ルナーラです」
慌ててディノも立ち上がり、礼をする。
「ディノ・マレ・ソレイユです。こうして直接話すのってもしかして初めて、ですよね。姉様の手紙でよく目にしていたのでなんだか初対面の感じがしなくて」
「ちょっと、ディノ」
「だったら話しやすいね。これからどうぞよろしく」
「……こちらこそ」
朝の話と上着のポケットに忍ばせている提案書の存在を思い出しながらも、ディノはシルビオの握手に笑顔で応じた。
「滞在期間はどれほどなんだい?」
「今日を含めて二日です。明日の夜にここを発ちます」
「それは随分と急だな……でもそうだよね、ディノも母国での業務があるから、気軽に泊まっていけばなんて言えないか。…………あぁっ、呼び捨てにしてしまって申し訳ない」
リネッタの弟ということで態度が軟化してしまったシルビオは、うっかり口調が砕けてしまったことに焦って困ったような表情になった。
「いえいえ光栄です! よろしければ僕とも兄弟のように接してください」
「君がそう言ってくれるなら。俺は一人息子だから、近い年代の人と仲良くなれるのが嬉しいよ」
リネッタはふと学園生活でのシルビオの様子を思い出していた。
王族ということもあり、最初こそはリネッタ以外には遠巻きに見られがちで、同年代の交流関係も少なく、しいて言えば外務大臣の娘マリーや宮内大臣の娘アメリアと幼い頃から知り合いではあったが、仲が良いかと言われると別だった。公的な場での交流でしかなかったり、年齢や異性の壁もあったので婚約者でもない二人と親密になるにもいかず、結局学園内では孤高の人のように扱われていた。
けれどもシルビオ自身が思ったよりも活動的で、学内行事には積極的に参加をするし、将来の予行演習だと言って委員会の一員になるなど人の先頭に立つ行いを自発的にしていた。
そうなれば必然と交流の場が広がり、あとはシルビオの持ち前の優しさと思いやりで関わった人みんながシルビオに好意を抱いた。
卒業の時期となれば、立場やそうした人気が相まって学園一の憧れの人として生徒たちの中心になっていた。
あまりにも楽しそうに学校行事に参加するものだから、リネッタが「お祭りとかが好きなの?」と尋ねたことがある。
その時シルビオが「催事そのものより、同年代の友達と関わって活動できることが本当に嬉しいんだ」と優しい笑顔を浮かべて、リネッタがときめいたのをよく覚えていた。
(今もそうだけど、シルビオの仕事って基本的にお父様世代の方々と関わることばかりだから、よけいに同年代とのやり取りが落ち着くのかもしれない)
自分がその癒しの存在になれていたのならいいなあ…と考える。
そしてまたふと思い出す。それならば、ベアトリスの存在はやはり彼の中でとても大きいものだったのだろうと。
マリーやアメリアと幼い頃に出会っていたとはいえ、それは遊び相手としてではなくビジネス交流のおまけ。シルビオが心から許せて年相応に振る舞えた相手は、想像するにきっとベアトリスの前だけだったのかもしれない。
リネッタは姫であるにも関わらず、所構わず走り回っていた自分の幼少期を思い出し、もしも自分だったら…の想像まで及ばず、情緒がない…と自分ながらに落胆した。似たような題材の小説がないか、今度ナナに聞いてみようかと思考を巡らせているうちに、シルビオとディオは先ほどの言葉通りすっかり打ち解けて話が盛り上がっているようだった。
「姉様はこの後予定があるんだっけ」
「ええ、ロマリア嬢の結婚式参列の準備があるの」
「じゃあ今日は城下町を一緒に見て回れないのか…」
二日しか滞在できないディノについていきたい気持ちはやまやまだったが、予定をズラすわけにもいかない。
姉弟二人してがっかりしていると、シルビオが口元に手を当てて思案し、やがて口を開いた。
「ディノ、よかったら俺と一緒に視察に行かないか?」
「視察ですか?」
「俺とリネッタが通っていた王立学園の在校生が、今回の祭りで戦争孤児のための募金活動をしているんだ。そのイベントの確認と補助をしにこれから向かう予定があったから、ディノさえよければ参加してほしい」
その後に祭りを案内できれば、と付け加えると、ディノは二つ返事で了承した。
「姉様も卒業生なのに行かなくていいの?」
「私は来週に改めてシルビオと向かうことになっているの。私も早く後輩のみんなに挨拶したいわ、よろしく言っておいて」
リネッタの言葉にシルビオとディノが頷き、時間も迫っていたので三人はこの場で解散となった。
リネッタは自室に向かい、シルビオとディノは早速街に出る準備をする。
今度の結婚式の主役である環境大臣の娘ロマリア嬢はリネッタの一つ年上の王立学園では先輩に当たる人だ。
派手好きで本人も美意識が高く、何かと目立った人間だったことを覚えている。例えば恋人だったり、それから派生した修羅場だったり。そんな彼女の結婚相手は今をときめくルナーラ王国を代表する若手名俳優なのだから、相変わらず話題の中心になる人だと感心してしまう。
リネッタがロマリアと学園で関わったのは、冬の時期に開催されるダンスパーティーでの会話のみだったが、ロマリアという人物をリネッタ自身が理解するのには十分だった。
卒業生は既に学校行事の幹部からは退く季節だったため、その年はシルビオが学生最高責任者としてパーティーを仕切っていた。
リネッタも補佐として、会場内で異常がないか、配給に問題がないか、などを確認し報告する役割を担っていた。
そんな中、ガシャンガシャンと大きな音が連続して響き、何かが崩れたのかと全員が驚いて一斉に振り返ると、積み上げられていたグラスが粉微塵に床に散らばっていた。そしてその近くにはロマリアと、複数の男性が尋常でない空気感で睨み合っており、これは噂に聞くロマリア嬢の痴情のもつれというやつか、と、リネッタはソワソワしてしまった。
「ロマリア、お前のせいだぞ、お前がハッキリ言わないからこんなことになったんだ」
グラスを割ったであろう男子生徒が焦りから虚勢を張っている。
「いやいやこのくらい派手な演出の方が君好みだろう? どうだいロマリア、やっぱ俺といると最高だろ?」
そんな彼に掴み掛かられていた男が得意げな顔で言う。
「ロマリア怪我はないかい? こんな乱暴者たちは放っておいて俺と抜け出そうよ」
と、ロマリアに近寄って眼鏡の奥に鋭い目つきを隠した男子生徒がロマリアの手を取った。
それをパシンッと払いのけて、ロマリアは男子生徒たちを強く睨んでいる。
「結局こんな騒ぎを起こして呆れて言葉も出ないくらいだわ。いい機会だから改めて言うけど、アタシを取り合うなんて百年早いわよ。アタシは最初からアンタたち全員、全くこれっぽっちも興味がないわ」
会場はしんと静まり返り、ロマリアの声だけが響いた。ロマリアはビシッと男たちを指差して言葉を続ける。
「アンタは責任から逃れようと言い訳がましく滑稽だし、アンタはアタシの薄っぺらい表面でしか判断できてない愚か者だし、アンタは気を遣っているようで結局自分勝手な卑怯者よ」
三者三様に指摘をしたあとは、踵を返してシルビオとリネッタのいる方へロマリアが歩いてやってきた。
苛ついて厳しい顔つきのままずんずんと進んでくる様子に肝が冷えたが、二人の前で止まると、大輪の花のように笑顔を浮かべて、そのまま頭を深く下げた。
「私のせいで騒ぎになってしまいごめんなさいね。幹部の方々の迷惑にならないよう、この後は私が片付けを担わせていただきます」
「貴女一人に任せるわけにはいかない。せめて俺の指示と連携を取らせてはくれないか」
「いえ、我が家の人材を既に呼びつけております。下手に実行委員の皆様のお手を煩わせたり怪我をさせたりできませんから」
パチンと指を鳴らしたらどこからともなく黒服の紳士たちが現れ、散らばったグラスをあっという間に片付けてしまっていた。やることも派手なら片付けも派手だとあんぐり口を開けてしまった。
ついでに騒ぎを起こした男子生徒も連れて行かれたようだった。
「アタシはこういった揉め事が大嫌いなのに、やたらと惨事が起きてしまうので、常に部下を配備させていますの。せっかく用意してくださった場なのに汚してしまい申し訳ありませんわ、シルビオ殿下にリネッタ嬢」
「! 私の名前…ご存知だったんですね」
「あら当然よ、私元気な子は好きなの」
ロマリアはリネッタに向かって、可愛いものを愛でるように目を細めた。
「殿下もリネッタ嬢もいつも前向きで明るくて、アタシ好きだわ。今回のパーティーも例年よりも心遣いを感じられて気に入っていましたの。改めてこのお詫びはさせていただきます」
「……お褒めに与り光栄です。とにかくロマリア様にお怪我がなくてよかった」
「ご心配ありがとう。これ以上騒ぎを起こしたくないから私も退散するわ。それじゃあね」
ひらひらと手を振ってドレスを翻し、再び視線を一点に集めた彼女は見守られながら会場を後にした。
しんと静まり返っていた会場も、彼女の姿が無くなると再びワッと騒がしくなり、誰も彼もがロマリアの噂を口にした。
強烈な方だと耳にしていたが、どうやら出来事が一人歩きして彼女の本質を語るに至らなかったのだとこの時リネッタは察した。
たったそれだけの出来事であったが、リネッタはロマリアのことを密かに気に入っていたのである。苛烈なほどの存在感は、リネッタが好むものでもあったし、明るいと評されたことが、誇らしく嬉しかったからだ。
そんな彼女のための参列用のドレス選びとなれば気合が入るというもの。
末席とはいえ王族の名を借りて向かうので、美しく着飾ることはリネッタの義務である。
ああでもないこうでもないとデザイナーや侍女たちと一緒に選ぶうちに日は落ち、すっかり疲労困憊になってその日は夕食後すぐさま寝る準備を終えてベッドに入ってしまった。
寝ついた後、夜は従者たちの時間である。
リネッタが完全に眠ったのを確認したら、彼女の二つ隣の部屋で、リネッタに仕えるものたちが勢揃いしていた。
ソレイユ王国からの筆頭侍女カロリーナ、騎士団長のマテオ、ルナーラ王国に来た際に配属となった同じく騎士団長ネルソン。他にもナナをはじめとするメイドや、マテオとネルソンそれぞれの部下たち数名が部屋に収まっている。
ソレイユとルナーラの双方からリネッタのために集められた従者たちは、こうして定期的に情報共有をしていた。
「大きな予定としましては明日の夜、ディノ殿下と外食、二日後にロマリア嬢の結婚式に参列、五日後に聖女様の洗礼式参列、来週には王立学園のチャリティイベントに参加と挨拶があります」
カロリーナのスケジュール確認から始まる。
「配備と人員に関しては事前に伝えた通り変更はなしだ。イレギュラーの際には俺とネルソンが各副団長に伝達し、必要に応じて招集する。場合によっては姫様以外の人をお守りする場合があるのも忘れないように。この一ヶ月は特に人が多い、警戒を強めるようにしてくれ」
マテオが言えば騎士たちは厳かに頷いた。
「……それで、姫様についてなのですが」
カロリーナが苦々しく切り出すと、侍女たちも眉尻を下げて暗い表情になった。
「やはり聖女様が現れてからというもの、日に日に落ち込む頻度が増えております。今朝ディノ殿下とのお話では、場合によっては母国にお帰りになることも示唆されていました」
ルナーラ王国の従者たちを中心にザワッと声が上がる。リネッタが帰るとなればルナーラ王国の従者たちはお別れである。
「他にも変わったことの報告はありますでしょうか」
カロリーナが促すと、ネルソンがスッと右手を挙げる。
皆がネルソンに視線をやると、「先日のことですが」と口を開いた。
「聖女様と共に城下町で散策をした際、屋台の店主からシルビオ殿下と聖女の結婚についての噂を知らないかと直接尋ねられておりました」
「はあ!? なんだそれ」
マテオがつい普段の口調で口を挟む。この場の全員が似たような思いで眉を顰めた。
「場合によってはリネッタ姫様への反感と捉えられかねませんので、私の方から直接王にこの噂についてお尋ねいたしました」
「え!?」
「王に直接!?」
カロリーナとマテオが突っ込むも、ネルソンは表情を変えず淡々と続ける。
「結果といたしましては、リネッタ姫様にはお伝えし辛いことですので、正式発表があるまではどうかご内密にお願いいたします。王は……」
そうして続けられたネルソンによる王の答えを聞いた従者たちは、一斉に苦虫を嚙みつぶしたような顔になり、この場の雰囲気は重く沈んだ。
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