第8話

聖女就任の祭典に乗じた祭りは早五日が経とうとしているが、賑わいは衰えるばかりか増しているように感じられる。

春から夏に移り変わるちょうど頃合いの季節なのもあって、花々の種類が豊富で、前よりもたくさんの花が窓辺に飾られている。いつもは海の街らしく白と青で彩られた景色が、夕日に照らされてオレンジの布を纏い花の装飾をして、街全体がオシャレをしているように思えた。沿岸部ということもあって普段は潮風を考慮して花を窓辺に飾る家は少ないので、この光景はとても珍しく、リネッタは目を輝かせた。

リネッタとディノは、馬車で移動するほどの距離ではないため最低限の従者を伴って予約をしていた店に歩いて向かっているところだった。

「王立学園の人たちも、これからもっと忙しくなるだろうって言ってたよ」

昨日のシルビオと行った王立学園のチャリティイベントの視察の様子をディノが伝える。

「みんな元気にしていた?」

「うん、姉様と会うのを楽しみにしてるって。それにしても、王立学園の人たちは変に色目を使ったりしてこなくて気楽でよかったなあ。みんな王族への態度に節度があるというか。僕もしばらく留学したいくらい…」

どこか遠い目をしてディノが言う。

「ディノ、本国の学校生活に苦労しているの…?」

手紙のやり取りでは、ディノ自身の学校生活についての苦労は書かれていなかったと思い返す。綴られているのは国の大きな動き、家族の様子、あとは些細な喜び。てっきりリネッタは、ディノの学校生活は自分と同じように穏やかで楽しく過ごせているものだと思い込んでいた。

「心配させたくないから書かなかったんだ。今日このことについて話してもいい?」

「もちろんよ!」

店に辿り着き、海岸の景色を臨むテラス席まで案内される。本日はソレイユ王国の姉弟による貸切となっている。

従者たちは店の前とテラス席に入る窓際にて控えているので、テラス席では二人きりになる。自分たちは美味しい食事にありつけるというのに、こんな時まで我慢させて申し訳ないとリネッタは考えてしまう。

昔マテオにそう言って謝ったら、軽々しく頭を下げてはいけないと嗜められたなあと思い出す。

「こう見えても俺たちは姫様たちが食べられない最高に美味いご飯を食べてたりするんです」

と逆に自慢された。そしてそれが気になりすぎて、リネッタは無理を言ってマテオの言う『最高に美味しいご飯』を食べに連れて行ってもらったことがある。行き先はマテオの懇意にしている町はずれの食堂で、『最高に美味しいご飯』の正体は、廃棄にするには勿体無い野菜の切れ端たちをよく煮込んで出汁が取れたスープにとろとろのお肉と豆が煮込まれた店主オリジナルの料理だった。王宮では絶対に出てこない不恰好な見た目の料理だったが、確かに最高に美味しくてリネッタは感動した記憶がある。

(またあのお店にも行きたいわ……)

贅沢をしている手前で他の店にうつつを抜かしていることに気づき、リネッタは慌てて料理に意識を戻した。


ルナーラ王国伝統の海鮮料理に舌鼓をうち、一通りのコースが終わってレモンを使ったケーキが運ばれると「それで…」とリネッタがおずおずと切り出した。

「ディノの学園生活では何が起きているの?」

ぱくりとケーキを口に入れたディノが、そういえばそんな話をするって言ったなあと店に入る直前の会話を思い出して続けた。

「そこまで大袈裟な話じゃないけど、うーん………まあ端的に言うと、僕がモテすぎて困ってるっていう話かな」

「ディノにモテ期が…!?」

ロマンスの予感にリネッタが興味津々に身を乗り出す。

「僕の言い方が悪かった…。面白い話じゃないよ」

「ご、ごめんなさい、困ってるって言ってたのに…」

「ううん。いや……ほら、僕ってまだ婚約者がいないから、玉の輿狙いの女子生徒に日々迫られてるんだよね。それで困ってて」

同じ王立学園に通うものも、ソレイユとルナーラでは校風が随分と違う。ディノは昨日チャリティイベントに参加する生徒たちとシルビオとの会話や距離感を見てそれを強く感じていた。

ルナーラが自分たち以外の生活に目を向けられる余裕がある一方、ソレイユでは自国の内情や生活をどう改善していくかで手一杯な印象があった。

「学生時代は勉学に励んで、王族としての義務を果たすのは卒業後って何度も言ってるのにさ、そんなことより結婚結婚私を選んで〜って好きでもない女子生徒から言われるのって結構堪えるんだよね」

「そんな…」

リネッタは絶句した。

「僕も普通に男女仲良く行事に参加したいんだけど、ちょっとでも贔屓すると、仲良くした女の子が袋叩きに遭うから、今は男友達としか会話できていないんだよね」

「………」

「そんな悲しい顔しないで、学校生活自体はそれ以外楽しいから。厄介なことがあるな〜ってだけ」

ソレイユ王国の貴族たちが地位向上に躍起になっているのは、やはりルナーラよりも小国であるせいなのか。学園は国の縮図なのかもしれないとリネッタは考える。

「……っていうのをね、昨日シルビオ殿下にもお話ししたんだよ」

食後のコーヒーと紅茶が運ばれてくる。リネッタの前に紅茶が置かれれば、ふわりと優しい香りが鼻腔をくすぐった。

「もしも姉様がいなかったら、自分もそういう生活だったかもしれないって言ってた」

「え……?」

「だからいっそ僕も正式に婚約者を決めちゃえば、少なくとも女友達の一人や二人くらいできるんじゃないかって」

「待って待って、なんで私がいなかったらって話になるの?」

自分の存在が介入するとは思わずリネッタはディノの話を遮る。

なんで、って……ときょとんとした後、ディノは誇らしげに笑って言った。

「姉様が婚約者として立派な存在だから、シルビオ殿下に横恋慕を企てる不届者が現れなかったんじゃない?」

「そうなの!?」

もしかしてシルビオが自分のことをそう思っていてくれたのか、と嬉しくなるが

「……っていうのは、僕の推測で別に殿下が言ったわけじゃないんだけど」

とディノが続けたので肩をがくりと落とす。

「ごめん、冗談のつもりじゃなくて、僕は本当にそう思ってるって話。…でも、姉様の存在があったからシルビオ殿下が痴情のゴタゴタに巻き込まれなかったんじゃないか、っていうのは殿下本人が言っていたことだよ」

「シルビオが……」

「それに姉様も、もし僕と同じように、婚約者もなく学園に通っていたら似たようなことになっていただろうね。マテオたちの苦労も今の数十倍はあったんじゃないかな」

女性の立場を考えて、二人してゾワッと鳥肌を立たせた。

「姉様はルナーラに来てよかったと思うし、それはシルビオ殿下にとってもそうだと僕は思う。……姉様に国に帰ってこないかって言った手前で烏滸がましいっていうのはわかっているんだけど、僕は姉様の恋路を応援しているよ」

「ありがとうディノ。でもどうなるのかは私が決められることじゃないから」

「そうだね………アレハンドロ王はどういう決断を下すんだろうか」

「………」

ゆらめく紅茶を眺め、心に翳りがさす。

それでも、ディノの話で、シルビオと自分の関係にも何かしらの意味があったのだと知れてリネッタの気持ちは穏やかだった。

少しの沈黙の後、再びリネッタが笑顔になってディノに家族のことを尋ねる。そうして二人は時間ギリギリまで会話の花を咲かせた。こうして頻繁に会えたらどんなに良いかと共通認識を深める姉弟であった。


***



「シルビオ、夜分遅くにすまないな」

王宮の一番深い場所に位置するのは王の私室である。一番豪華な調度品に囲まれたこの部屋は、くつろぐには少しだけ気が張る。

シルビオがこの部屋に入ることは成長してからはすっかり無かったせいか、小さい頃はただキラキラしてかっこよく思えた物たちの価値を知った今となっては一歩足を出すにも慎重になってしまっていた。

普段滅多にない王の私室に呼び出される行為は、その緊張感をより高めているようだった。

「何か良くないことでもありましたか…? まさか父上に何か…」

「いやいや、私は元気だからそんな不安そうにしないでくれ」

「そうですか…」

ふぅとシルビオは安心のため息をもらす。アレハンドロは心配する息子に思わず目を細めて喜んだが、すぐに真面目な顔つきでローテーブルの上に置かれた畳まれた新聞を手に取る。

「父上、それは…?」

「お前も読んだことがあるだろう。王都新聞だ。レイズリー社のな」

アレハンドロが手招きをしてソファにシルビオを座らせる。

「レイズリーというと、一番影響力があると言われていますね。たまにとんでもない記事を載せるから報道に規制を課すべきか悩んでいるところです」

「まあそれはおいおい考えるとしようか。問題はこれだよ」

テーブルの上でアレハンドロが新聞を開いた。

めくるまでもなく一面に、問題の記事が載っていた。


「……! 『王子と聖女の結婚間近か』!? なぜ第一面にこんな記事が」

「いつの世も恋愛話は最大の娯楽というわけだな」

アレハンドロはため息をついて苦笑する。

「おかしいですよ、ホセだって俺とリネッタが婚約関係にあることは知っているはずだ」

「ホセというのはレイズリー社の社長の息子だったか?」

「はい。一学年下でしたが、委員会で一緒になることも多く交友関係がありました。彼はこの新聞に関わっていないのか…?」

ルナーラの王立学園では貴族のみならず有力な商家の子供も試験を突破すれば入学することができる。

ホセ・レイズリーは報道というものに価値を見出しビジネスに発展させたレイズリー家の子孫であり、嫡男である。シルビオの印象では理知的で盛り上げ上手ないい後輩というイメージだった。

こんなゴシップを許すと思えない、そう考えている。

「それは、本人に聞いてみなければわからないことだな」

「……?」

「ともかくだ、私が話したいのはレイズリー社の処遇についてではない」

アレハンドロの手が、大きく書かれた見出しに添えられた。

「この国民の動きに、お前がどうするかだ」


『王子と聖女の結婚』


リネッタと違って昨日初めて街に出たシルビオは、この噂話を耳にすることはなかった。


「俺が、どうするか…?」

「これは今日の朝出回ったものだ。国民の大多数はこの一面報道で浮き立っている。そして我が国には事実、聖女と王子の婚姻で国を大きくしたという事実がある」

シルビオは、自分に何か大きなものが差し迫っていることへの緊張感を覚える。


「お前が決めろ」


アレハンドロが真正面からシルビオを見つめる。


「ベアトリス様か、リネッタ様か、私はどちらが王妃となっても良いと考えている。私が判断を下すのは簡単だが、これからの時代はお前が王として決めてゆくのだ。これを最初の決断とし、一年後どちらかと結婚しなさい」

父の顔ではない、王として、アレハンドロの言葉が突き刺さる。シルビオは王命を与えられた。

新聞の文字や王の言葉に、時代のうねりを感じる。シルビオは冷や汗をたらした。


「判断基準は何をもってしても良い。ただし、これだけは心に留めてほしい」

目を伏せてもう一度シルビオと視線を合わしたアレハンドロの表情は、今度は穏やかなものだった。

「シルビオが後悔をしない相手を、選ぶんだ」

国を背負う前に、生涯の伴侶として並び立つ相手。アレハンドロが望むのはただ息子の幸せである。

シルビオはそれを感じ取り、大きく深呼吸した。

「はい、承知いたしました」

誠心をもってシルビオは頷いた。

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