第28話
「リネッタ様はこの差出人とは関係ない。では差出人は一体何者なんだ、って話ですけど、それについてはこちらを見ていただければすぐにわかりますよ」
ホセが二人の前に差し出したのは、もう一枚の手紙であった。
今度はリネッタが手紙を手に取り、目を走らせる。
『聖女と王太子の婚姻を後押しせよ。対価はこの金貨とする。
ソレイユ王国とルナーラ王国の間で交わされる提案内容の一部をこちらに添付した。
我々が献言した内容のため確定事項である。
なお、このことを外部に漏らせばこちらの力により本社は取り潰しとなることを肝に銘じるように』
脅しと言える内容に、リネッタは眉を顰めた。
「『我々が献言した』……ということは、ソレイユ王国の中でも王族に近い人間ってことですわね」
「そうです。となると、それだけ大きな存在といえば一つしかないでしょう」
王国、と名がつくだけあって、ソレイユもルナーラと同じく王族が政治の最終決定権を持つ。議会はあれど、国同士の条約に口を出せるほどの力はソレイユの議員にない。であれば、誰がやれたというのか。
「ソレイユ王国の、聖堂の人間……」
リネッタは確信を持って答えた。ホセは頷き、シルビオは信じられないと言うように目を見開いたが、しかし同じ結論に辿り着いていた。
「なんでそんなことを…」
シルビオは疑念を口にする。
「聖女様絡みって考えたら、ルナーラ王国の聖堂がこういうことを仕掛けてくるのは百歩譲って納得いくんですけどねえ。印章や金貨の模様のことを考えると、どうしてもソレイユ王国の聖堂としか考えられませんが、メリットはなんなのかボクもさっぱりです。リネッタ様は何か知っていますか?」
「いいえ……私もホセと同じく、どこに益があるのか見当がつきません」
そう言ったリネッタが少し黙った後、悩ましげな表情のまま続けた。
「私の2番目の弟……リクが今聖堂にて見習いをしております。リクに聞けばあるいは……」
リネッタの弟は三人いる。
一人目は先日ルーナラ王国に提案書を持ってきたソレイユ王国の王太子であるディノ。
二人目は魔力を発現させたことにより聖堂にて聖職者見習いをしているリク。
三人目はまだ幼いが、ゆくゆくは王太子補佐となるであろう、ナハトである。
2番目の弟・リクの聖職者修行は、いずれ聖堂と王族がより密に関わり合うための布石でもあった。
「我が国の聖堂は、ルナーラ王国の聖女不在時に、浄化した水を生み出すために機械工学も発展させた学術的な場でもあります。魔法と科学どちらも扱えるので、我が国では王族と実質対等の立場を持っていますが、父王からすると見えにくい内部事情もあるみたいで……」
「なるほど、ソレイユ王国ではルナーラほど聖堂と王族が密接な関係には至っていないと」
「はい。少しだけ……過去に王族に対して事件を起こしかけた聖職者もいたので、権力バランスが微妙な今内部に詳しい人を立てなければと」
「ははーん、それで2番目の弟君が生贄になっているんですね」
「ホセ!」
シルビオが嗜めるように声を張り上げた。
「…ホセの言葉ももっともです。ですが、リクが自らすすんでその役目を負ってくれたと聞きました。それにリクの信用のおける従者も複数共に修行しているみたいですから。むしろ今こそ、聖堂への牽制となって治安が良くなっているのではと思うのですが…」
「結果は隣国の新聞社に恐喝ですからねえ」
ホセの言葉にリネッタはつい深いため息を漏らした。自分の情けなさに打ちひしがれているリネッタに、シルビオが視線を合わせるようにして言葉をかける。
「君は既に6年もルナーラにいるんだ。自分の国のことを把握しきれないのは仕方のないことだと思う。そんなに落ち込まないで」
シルビオの言葉のとおりであることは間違いないが、それでもリネッタの気分は晴れない。
「……でも、私はまだ、ソレイユ王国の姫ですから」
自分の国が、大切な人のいる国を困惑させるよう事態を引き起こしたとなれば、心は波立った。
「過ぎたことはさておき、すぐに動かなきゃだめですね!」
リネッタは立ち上がり、身を引き締めるように両手をぐっと握って腕を寄せた。ホセとシルビオは彼女の切り替わりに目をぱちくりとさせる。
「私、早速国に手紙を出してきます! ひとまずこの話は我々の間に収めて、返信次第アレハンドロ王に報告としましょう」
「あ、ああ。そうだね」
「ホセ、この資料は私たちが預かっても良いですか? それとも、これが外部に漏れたと万が一バレないように、持って帰りますか?」
「確かに、うちに刺客が押しかけてもいけませんもんね……。でもこれは重大な証拠品にもなりますから……そうだ」
ホセはコインのみをリネッタに手渡した。
「これは換金したと言い切れますし、ひとまず預かってください。この金貨が入っていた証拠は、こっちの恐喝文が押し付けられて模様が活版されたみたいになっているので、あとで鉛筆で浮かしておきます」
「だがその手紙自体がなければ意味がないだろう」
「はい。1日……いや、2日待っていただけますか」
ホセの言葉にリネッタとシルビオが首を傾げる。
ホセは得意げな表情で鼻を鳴らすと、胸を張って言った。
「完璧な写しを僕が作って、本物の書類を改めてこちらに持ってきます。僕の特技は、巧みな文章力と情報収集力だけじゃないんですよ」
その二つだけでも十分立派な能力だが……と突っ込むのも野暮で、リネッタとシルビオの表情が少し明るくなった。
「それまでに刺客に襲われて証拠隠滅させられたらごめんなさいね!」
「ホセ、変なフラグを立てないで」
***
「それでは聖女様、本日はごゆっくり休養なさってください」
「……はい」
本日は、じゃなくて、本日も、と言って欲しいのだけれど。
そんなふうに不満を心の内に秘めつつ、ベアトリスは愛想を作ることもなく聖職者に返事をして早々に自室の扉を閉めた。
聖堂の敷地は広く、王宮に引けを取らない豪華さがある。海を加護としているためか、全体は水色を基調としており、窓にはめられるステンドグラスの鮮やかさが場を彩っていた。
けれども王宮とは違い、使用人などはおらず、聖職者はみな質素で倹約的に生活していた。そのせいか、聖堂の空気は張り詰められている気がして、ベアトリスには少し窮屈な場所に感じられていた。
部屋に戻れば、そこは完全なプライベートの場所である。
聖女であるからという理由で一番立派で広い部屋を与えられたベアトリスは、聖女となってもうすぐ
今日はカーテンの色を替えようと考えていた。
「おかえりなさいベアト」
「お母様ただいま! もうヘトヘトだわ」
ベアトリスの唯一の肉親である母親のネビア・ガルシアが、両手を広げて出迎えると、ベアトリスは飛びつくようにしてその腕の中に身を沈めた。
ネビアはベアトリスと共にこの部屋で生活をしている。
「今日カーテンが届いていたわよ」
「そうだ……取り付けなくてはいけないわ……でももう夕飯にしたい…」
「ふふ、それじゃあ取り替えは明日にしましょう。シチューができているわ」
「嬉しい! お母様のシチュー、大好き……」
ベアトリスは、シチューの味を想像しながら、同時に逃亡先のコモロ国での日々の記憶を思い出していた。
ベアトリスの声が少し小さくなったことでネビアもベアトリスの考えを予想し、同じように表情を暗くする。
そしてベアトリスの頭をそっと撫でると、ネビアは静かに言った。
「コモロ国にいた時とは比べ物にならないくらい、とても幸せな生活を送れているのは、ベアト、あなたのおかげよ」
「……でも、お父様はいないわ」
「そう、ね……。まだ胸が痛いけれど、その傷は私たちが幸せになることでだんだんと癒えていくはずだわ」
ネビアの言葉にベアトリスの瞳はうっすらと膜を張った。
ベアトリスを元気づけるために、ネビアは彼女に似た黒曜石のような瞳を細めて言う。
「苦労はあったけれど、またシルビオ様にも再会できたじゃない。あなたと彼は運命よ。絶対に結ばれるわ。そのためにも聖女としてのお仕事も頑張らなくちゃいけないんだから」
ネビアはポンポンとベアトリスの肩を優しく叩き、キッチンの方へと向かう。
ダイニングテーブルの上に鍋を移動させて、食器を並べれば「早くいらっしゃい」と呼びかけた。
ベアトリスはスンと鼻をすすり、口角を上げてダイニングテーブルの方へ向かう。
「体力をつけて、お仕事を頑張って、シルビオ様との結婚を成功させて、そして幸せになるのよ。大丈夫、婚約者なんて関係ないわ。ベアトはこんなに可愛くて、立派で…それに、シルビオ様と昔から仲良しだったんだから」
「そうよね。お母様の言うとおりだわ。最近力がうまく使えないのも体力のせいかも。私もっとシルビオのためにも聖女の仕事頑張るわ。頑張れば……きっとシルビオも私を結婚相手に選んでくれるはず」
「そうよ。信じて頑張りなさい」
器に盛られたシチューが幸せの煙を立ち上らせる。大好きな香りにほころんだベアトリスは、いただきますとネビアに微笑んでようやく食事を始めた。
舌鼓を打つベアトリスに、ネビアも微笑ましく見つめ、シチューの盛られた器を持つ。
(そうよ、あなたは必ず王妃になってね。ベアトリス)
ネビアの思いはまだ、ベアトリスには伝えられなかった。
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