第11話
「ホセ・レイズリー、お前には聞きたいことがある」
「いやはや、まさか殿下がロマリア嬢の結婚式にいらっしゃっているとは、ボクの情報力もまだまだだなあ」
パクリとスコーンを丸呑みし、幸せそうに頬張るホセは愛嬌があるように見える。
「殿下、そんなところに突っ立ってないで一緒に食べましょうよ」
いっぱい持ってきたんですよ、と言われて広げられたテーブルの上のお菓子を見るに、どうやらシルビオがこの場に来ることを予見していたんじゃないかと思わせる。
ホセは、シルビオにとっては親しい後輩の一人だ。彼の言う通りシルビオは近くに置いてあった椅子を持ってホセのテーブル越しの向かいに腰掛けた。
「で、聞きたいことってなんです?」
口元は食べかすを残しつつ弧を描いているが、眼鏡の奥の瞳は笑っていない。
「新聞のことだ。ホセは俺とリネッタが婚約関係にあることを知っているだろう。なのになぜ信憑性のないものを一面に報道させた? お前はあの新聞に関与できない事情があったのか?」
シルビオは心配そうに尋ねた。関与できなかったのか、と言うが、「関与していてほしくない」という意味が込められている。
それを見通したのか、ホセは鼻で笑い、ため息を吐く。
「はぁ〜やっぱその話ですか。ボクがなんて言ったら嬉しいですか?」
「な……」
シルビオはショックで青ざめる。
「関与してるに決まってるじゃないですか。父の付き添いで編集見習いをしていることは殿下もご存知でしょう」
「だが、お前は…」
「殿下が信頼してくださるのは嬉しいですけど、うちも競合が多くなってきたから売れる記事はさっさと出さないといけないんです。昔ほどの独占力もありませんから、売り上げが下がっちゃって」
「……家のためとはいえ、虚偽の報道をするのは道理が違うのではないか?」
そんなことのために、とは言えなかった。ホセが実家であるレイズリーの報道に力を入れていることは、学園生活を通してシルビオも知っていたからだ。
それと同時に、真実を伝えることへの熱意も買っていた。だからこそ、この状況に理解が追いつかない。ホセはどうして自分たちを裏切るような真似をしたのか。どこか悔しい気持ちを抱きながら、シルビオが続ける。
「国民の噂は、あくまで噂だ。聖女が若く未婚である以上、当然このような話が出回ることはわかっていた。しかし、正式にはソレイユ王国との条約を守り通しリネッタと結婚する話で確定していたんだ。たとえ噂が広まろうと、半年後にはリネッタとの結婚は決まっていた。それなのに……」
「いえいえ殿下、
「は……?」
顔を上げて視線が合えば、ホセはにっこりと笑っていた。
「結局のところ、聖女と殿下が結婚するかもしれなくなったじゃないですか」
「なぜそれを……」
「本当にうちの報道だけが原因なんですか? うちにはそんな力はありませんよ〜」
シルビオは父であるアレハンドロ王との会話を思い返した。アレハンドロは確かに、新聞の報道と国民の動きのみを理由に選択を命令した。
しかし、ホセの言うとおり、報道一つでそんな簡単に事が運ぶものなのだろうか。
「まさか殿下、ちゃんと記事をお読みになっていない?」
「っ……」
「悲しいなぁ〜〜、一文字一文字愛を込めて書いているというのに」
ホセは用意していたように、地面に置いてあるカバンから件の新聞を取り出してシルビオに手渡した。
「ボクたちはね、多少誇張はしますけど、裏取のないトピックを一面に飾るなんて三流な事しませんよ」
シルビオは改めて新聞を開き、見出しの横の細かい文字を読む。
聖女の就任式の素晴らしさ、ルナーラ王国の聖女の歴史の概要、そしてかつて栄華を極めた聖女の結婚。ここまでは国民の誰もが共感できるものとしての導入にすぎない。
『現在ソレイユ王国の姫が聖女不在時の条約のため王太子の婚約者として我が国に留学中であるが、ソレイユ王国からの提案書により聖女と王太子の結婚が後押しされているという情報を得た。条約内容の改正、および、聖女と王太子の結婚は実現する可能性が高まっていると考察される』
「結婚式が行われるとなれば、きっと就任式を超える盛大な祭りとなる事だろう……。ソレイユからの提案書…? なんでそんな情報を一介の新聞社が知っているんだ?」
「いやいや、逆にそこはうちの力を侮ってるって言わせていただきますよ。一介の、だなんて。天下のレイズリー社ですよ? そこらの盗み聞き連中とは訳が違います」
父が伝えた提案書は国家間での重要書類である。それなのにレイズリー社は自信を持ってそのソースをひけらかしている。情報の信憑性に確信的なホセの態度を訝しんでシルビオが視線を鋭くする。
「殿下、いくら殿下とはいえ情報源を伝えるわけにはいきません。というか、正直な話ボクにもわかんないんですよ」
「なに……?」
「この情報と提案書の写し?みたいなのがうちに届いたんです。全文ではなくて、ソレイユ王国が聖女と王太子の結婚を後押しすることも厭わないという部分だけでしたけど。その情報だけ記事にして欲しい誰かからのプレゼントなんですかねえ」
頬杖をついて唇を突き出すように喋るホセは、少しだけ不満そうに続ける。
「写しにあった印が本物かどうか解析するのに一日費やしたんで、本当は就任式の次の日にでも新聞出す予定だったんですよ。情報は鮮度が大事だけど、同時に真偽も見極めないと、信用にかかわりますからね」
差出人不明の情報。
シルビオは眉を顰めて考え込んだ。
ホセの話を聞く限りでは、何よりもただ一点、シルビオとベアトリスの結婚の可能性を世に知らしめて欲しいという意図を感じる。それをして得をする人間は一体誰なのか。そもそも最高権力者による提案書の写しを得られる人間は限られる。
しかし、こうして犯人探しにふけっていても、もはや王命は下されている。
ホセの言うとおり、聖女との結婚は半分真実となっている。
王政を惑わす情報の公開に釘を刺して、このまま見逃すしかないのだろうか、とただただ悩まされる。情報を流しただけでは、罪にも問えない。虚偽ならまだしも、提案書の存在が真実であれば否定する事ができないからである。
ホセはその考えを全て見抜いているのか、緩やかに笑みを携えてシルビオを観察するように見ている。
「当然ですがボクは殿下を敵にしたいわけでも貶めたいわけでもありません。むしろ祝福したいんですよ。困らせてしまったことはまぁ〜ごめんなさい! まさか殿下の心づもりとしてはリネッタ様との結婚にあったとは知りませんでしたから」
そう言いのけたホセの表情は、本当に意外だと言いたげだった。
日頃から学園生活でシルビオとリネッタの様子を見てきたであろうホセがなぜそんな表情をするのかシルビオは疑問に思う。先ほどから、ホセに翻弄されているとしか思えず、不甲斐なさすら覚える。なぜそう思うのかと問うことすら心苦しい。
「だって殿下、リネッタ様のことを一番好きになるわけではないんでしょう?」
「え…?」
聞き覚えのあるフレーズに、五年前の聖堂横の図書館での会話がふと蘇る。
いつか両思いになったあかつきには、マルネブに朝焼けを見に行かないかと、そう提案したリネッタの瞳が揺れていたことを今でも強く覚えている。
「想い人が他にいるんでしたっけ? 先ほど聖女様とお話しする機会がありましてね、殿下と聖女様が幼馴染だということを知って結びついたんです」
「待て、そもそもなんでリネッタにしか言っていない話をお前が知っているんだ?」
「え? 単純な話ですよ。あの場にボクもいましたので」
「…!」
「閉館時間ギリギリだったからあの場にいたのはボクとお二人だけでしたもんね。そっか、そもそも気づいていませんでしたか。ああ、それで……」
五年前のことながら、なんて迂闊なことを、と自責の念に駆られる。
「ともあれ、つまり殿下の忘れられない想い人って聖女様のことでしょう?」
ずばりと言い当てるホセに、動揺を見せまいとただ黙り込むが、もはやそれは回答したも同じだった。
「ボクは殿下の味方です。せっかくなら幼い頃から恋焦がれている相手と結ばれた方がロマンチックだと思うんですよね、国を背負って立つにしたって、やっぱり一人の人間、どうせ添い遂げるならボクが王太子の立場でも好きな人を選びたいです」
「今は、ベアトのことは…」
「いいえ殿下、かつて好きだった女性はふとしたきっかけがあればまた恋が芽生えることだってあります。長く共に過ごしてきたリネッタ様に同情したい気持ちもあるでしょうが、一旦それは置いておいて、改めて向き合ってみてはいかがですか?」
ホセは真摯にアドバイスを続ける。
「悩みましょう。そして真実の愛を掴んでくださいよ。そしたらボクは物書きにでもなって、ロマンス小説でも出版しようかな。幼い頃から想いあっていた二人が、大きくなって立場のある役職に就き再会、恋の障害を乗り越えて無事再び結ばれる……きっとベストセラーになりますね」
無邪気に笑うホセは、かつて学園で懐いてきた可愛らしい後輩そのものの顔である。
「新聞、回収していいですか? せっかくいろんな人がいますから、ボクも情報を集めないとなのでそろそろ戻ります。殿下と久々にお話しできて嬉しかったです! また機会がありましたらお話ししましょう」
いつの間にかテーブルの上に広げられていたお菓子は平らげられている。
ホセが荷物を持って軽い足取りでこの場を後にすると、鬱蒼とした空気が重くなったような心地がした。
「また、恋が芽生える事があるかもしれない……?」
リネッタに対する思いは同情なのか、ベアトリスに対する思いは恋なのか、シルビオにはまだわからないでいた。
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