第10話
翌日、門出に相応しい爽快な青空が広がり、最高の結婚式日和となった。
オレンジのドレスに身を包んだリネッタの本日の業務は、環境大臣の娘でありリネッタとシルビオの一つ年上の卒業生ロマリア嬢と、王国屈指の美形名俳優の結婚式の参列である。
式場は丘の上に建てられた高級レストランである。美食と最高のロケーションを希望したのはロマリア自身だという。彼女の結婚式は場所・時間・参列者全て彼女の采配によって作り上げられている。
式典の祭事を取り持つのは聖堂で修行を積み、資格を得た人間だった。
聖堂の人間ということは魔法を使えるということ。聖職者と一般的に呼ばれている。
新郎新婦が額を差し出すと、聖職者の濡れた指が二人の額に触れそうなくらい近い距離で同じ模様をなぞっていく。結婚という誓約は、聖堂が奉る海の神の名の下結ばれるのがルナーラ王国式だ。ソレイユ王国も聖職者がいるため、同じ方式で結婚式は執り行われるが、奉る神は海ではなく山であるという違いがある。
自分もこの儀式をシルビオと共にするのだろうと、二人の将来を信じていた今までならば、憧れに胸を躍らせていたのだろう。
リネッタは通路を挟んで向かい合う席に座るベアトリスを見た。彼女はうっとりとしてロマリアの花嫁姿を見つめている。
ベアトリスは唯一無二の聖女。聖堂が取り仕切る大きな式典には参加する決まりがあった。彼女は就任式の時に似た水色のドレスをまとい、今日も清廉な美しさだった。
「ただいまより、バロン・イバルリ、ロマリア・イバルリの両名を海の神の名の下正式な夫婦として承認する」
俳優のバロン・カーシュはロマリアの家に婿入りをし、姓を変えた。
聖職者の宣誓が響き渡ると、参列者から歓声と拍手が上がった。喝采の中心にいるロマリアは幸せそうに満面の笑みを浮かべ、旦那となるバロンの肩に寄り添う。二人が並んだ姿が愛に満ち溢れ、幸せをお裾分けされた気持ちになったリネッタは、多幸感に少しだけ泣きそうになった。
ロマリアの衣装も変わり、純白から彼女の好きな真っ赤なドレスで再度姿を現すと、立食パーティー形式で宴会が始まった。
リネッタとシルビオは共に新郎新婦の元へ挨拶に向かった。
「ロマリア様、バロン様、この度はご結婚おめでとうございます」
シルビオが声をかけ、リネッタもその言葉に合わせて礼をする。
「お二人とも来てくれてありがとう。忙しいから不参加になるんじゃないかと思っていたから本当に嬉しいわ!」
ロマリアはシルビオに握手をし、リネッタにはハグをした。思った以上の喜び具合に、一瞬リネッタは戸惑った。
「紹介するわね、私の夫になるバロンよ。彼の劇は見たことあるかしら?」
「バロンです。まさか王太子様方に自分の結婚を祝ってもらえるとは夢にも思いませんでした」
王国一の美男と言われるバロン・カーシュは、至近距離で見ても輝いているんじゃないかと思うくらいに圧倒的なオーラを放っている。身長はシルビオと同じくらいで、腰の位置も高く、体格が良い。アクションや踊りも評価されているだけあって、均整の取れた筋肉のつき方をしていることは、タキシード姿でもよくわかった。
「存じております。三ヶ月前の『ベルベットの悲劇』を観劇いたしました」
シルビオが笑顔で答えた。
「そうだったのですか!? 王太子様がいらっしゃっていたと知ってたらカンパニー全員で挨拶に向かいましたのに」
「趣味でこっそり伺ったので…。あの時の演技は本当に素晴らしくて、本で読むよりもずっと緊迫感がありました」
シルビオとバロンは舞台の話で盛り上がっている。
その隙にロマリアがリネッタに近づき、腕を絡ませて耳元で囁くように言った。
「バロンと並んで見劣りしないなんて相当よ〜? 王子じゃなかったらどれだけあの美貌で儲けられたか」
冗談めかしてクスクスと笑い、リネッタをこづく。
「器量が良い人と添い遂げられるのは本当に幸せなことよ。あなたも幸福ね」
「………」
しかし、その言葉にリネッタは素直に頷くことができない。
予想していたのとは違う反応にロマリアは首を傾げる。愛想笑いすらもないリネッタを訝しんで「何かあったの?」と声をかける。
リネッタが口を開こうとしたら「ロマリア様」と可憐な声が遮った。
二人が振り返ると、そこにはベアトリスが立っている。
リネッタの体が硬直し、リネッタに腕を回しているロマリアがその緊張を直に感じ取った。ひとまずロマリアはリネッタの腕を離すが、「向こうで待ってて」と木陰を指差し耳打ちをした。
「この度はご結婚おめでとうございます。素敵な式に参列できて、私も嬉しいです!」
「聖女様、こちらこそ参列していただけて光栄の至りです。どうぞこの宴会も楽しんでくださいませ」
「ええ! 私もいつか、こんな感じで式を挙げてみたいと思いました。参考にさせてもらいますね」
頬を紅くし、ベアトリスは可愛らしく笑った。夢見る乙女そのものの仕草に、ロマリアもつい綻ぶ。
「ありがとうございます。何か知りたいことがありましたらいつでも私を頼ってくださいませ」
ロマリアは再びベアトリスに礼をし、バロンにこの場を離れることを伝え、まだ話し込んでいるシルビオにも頭を下げ、リネッタの待つ木陰に向かった。
リネッタの視線はベアトリスに向けられている。ベアトリスはロマリアが立ち去った後、バロンにも祝いの言葉をかけている。シルビオを交えて三人で会話が弾んでいるようだが、リネッタの場所からでは何を喋っているのか、他の参列者の声に埋もれて聞こえない。
昨日の今日でベアトリスとシルビオと三人で会するにはまだリネッタの心の準備が足りていなかったので、ロマリアに離れた場所を指定してもらって良かったと思ってしまう。
ベアトリスがシルビオの腕に触れている。ズキリと胸が傷む。シルビオがベアトリスの接触に気づいて視線を向けるが、彼女に顔を向けたかと思ったらその向こうに何かを発見したようで、表情を変えていた。
バロンとベアトリスに断りを入れ、シルビオはその場を去っていったようだった。
「リネッタ様」
観察していたリネッタは、ロマリアの心配そうな声にハッとする。
「す、すみません、ボーッとしちゃって」
「いいのよ。日差しの中にいたから疲れてしまったかしら? 良かったら屋内テラスでお茶でもしない?」
「でも、主役のロマリア様がこの場を離れるのは……」
「あら、もう私がやるべきことは終わったわ。今は自由時間みたいなものよ。バロンにも言っておいたし、何か特別な用事があったら私のところまで来てくれるでしょ」
ロマリアはリネッタの手を取って歩き出す。参列者の貴族たちの合間を縫って歩くが、真っ赤なドレスの本日の主役を無視する人などおらず、雪崩のように祝いの言葉が飛び交う。
ロマリアはそれら全てに丁寧な感謝の言葉をかけるも、すぐさま切り替えて前に前に進むものだから、その捌き方はまさに女優のようだとリネッタは感心してしまった。
ふと、シルビオがどこに行ったのか探したが、見えるところにはいないようだった。ベアトリスの存在を視界の端に捉えたので、シルビオと二人きりではないらしいという事実にひとまず安心した。
屋内テラスに辿り着き腰掛ける。
レストランのスタッフに飲み物を注文し、ロマリアがリネッタをじっと見つめて「聞きたいことがあるんだけれど」と切り出したかと思うと、リネッタの背後から「ロマリア様にリネッタ様!」と声がかかった。
「あら、マリーにアメリアじゃない」
二人の顔はリネッタも当然知っている。学園で仲良くしていた二つ下の後輩、外務大臣の娘マリー・クラレンスと宮内大臣のアメリア・ラルゴが質素ながら品の良いワンピースをたなびかせて駆け寄ってきた。
「ロマリア様、本日のお式本当に本当に美しかったです!」
アメリアが目をキラキラさせて迫る。
「ロマリアお姉様の美しさとバロン様の美しさで目が焼かれるかと思いましたわー!」
ハイテンションにはしゃぐのはマリーだった。
「ロマリア、お姉様…?」
友人たちとロマリアの意外な繋がりにリネッタが疑問を投げる。
「アタシの名前とこの子の名前、なんだか似てるでしょ。ロマリアとマリー。そしたらなんか懐かれちゃって」
辟易とした風に言うが、嬉しさを隠せずにロマリアがあしらっている。マリーは細い腕を無遠慮にロマリアの腕に絡ませて「ロマリアお姉様は幼い頃からの憧れなんですもの!」と感極まっている。
「そうだったんだ」
「まさかリネッタ様とシルビオ殿下も参列なさるとは思っていなかったので、ロマリア様の凄さをより感じました。お知り合いだったのですね」
「うん、二年前のパーティーで少し」
アメリアとマリーは、ロマリアとリネッタが使うテーブルの空いている席にそそくさと座り直した。
「ああ、そうですわリネッタ様」
すると今度はマリーが表情を変えて、それに合わせてアメリアもぐっと唇を固く結んでリネッタの方へ視線を凝らした。
「噂を聞きましたわ、ご結婚がもしかしたら白紙になるかもしれないと」
「!」
「え、何よそれ。リネッタ、なんの話なの?」
まさかアメリアとマリーの耳に入っているとは思わず、リネッタの口が開いたまま塞がらない。
疑問で眉を顰めるロマリアに、マリーが解説をした。
「わたくしたち、お父様から聞きましたの。今国民の間で聖女と殿下の結婚の噂が信憑性を増していて、無視できないほどにあると。それで王様が、伴侶の相手を殿下の選択に任せることにしたと」
説明し終えた後に、「これは真実なのですか!?」とリネッタの方を向き直して詰め寄った。
ようやくリネッタが、はあとため息を吐いて居直った。
「真実です。でも、私の気持ちは変わりません。私は……シルビオを愛しています。だからできることなら、彼と添い遂げたい。条約や立場などなくても」
ロマリアに顔を合わせてリネッタは少し眉尻を下げた。
「先ほどはちゃんと返事ができなくてごめんなさい。私がそう願っていても、シルビオと結婚できるかどうかは彼女たちが言ったように、まだ未定なんです」
「決まるのはいつなの?」
「一年後、と、言われました」
「ふぅン……」
ロマリアはどこか呆れた様子で頬杖をついている。強気な彼女の表情から笑顔が消えると、妙に迫力がある。リネッタたちは下手に言葉を紡げずにいた。
「王族って思ったよりも力がないのね」
とんでもないことをさらりとロマリアは言った。三人は目を丸くした。
「リネッタはわざわざ留学させられて婚約者としての立場を守ってきたというのに。アナタこっちにきて何年になるの?」
「え、えっと……今年でいち、に……六年です」
「六年! 信じられない。そんだけ頑張ってきたリネッタを、報道一つ抑えられないからって理由で追いやるなんて、王族なら押さえつけて言うことでも聞かせなさいよ」
ロマリアがズバズバ言う姿はリネッタの心を強く勇気づける。けれど王族批判に繋がりかねない意見を誰か別の人が聞いてはいないかとヒヤヒヤしてしまう。
「お気持ちは嬉しいのですが、それではあまりにも独裁的になってしまいます。ルナーラはせっかく穏やかで王族と市民との距離も近くて良い国なのに、私の結婚ひとつで築き上げてきた信頼を壊してはいけません」
「いい子ちゃん回答だこと。でも、きっとそれが正しいのよね〜…力がないというより、哀れという方が正しいのかしら。というか、この判断にアナタの国の人たちは反発していないの? 条約違反じゃないの」
「それ、私たちも気になっていました」
国民は知らずとも、身内に政治家がいる娘たちとなれば条約のことを理解している。リネッタがどうして婚約者としてこの場にいるのか、それが果たされないとはどういうことなのか。リネッタはディノの来訪を思い出しながら告げる。
「先日、我が国の王太子が提案書を持ってきました。なので、私のこの処遇はルナーラ王国が持ち出したというより、ソレイユ王国からの意見なのです。私も、もし選ばれなかったら国に帰ること既に了承してます」
「そんな、リネッタ様帰っちゃうんですか!?」
「選ばれなかったら、でしょ。早とちりしないの」
ショックで目を潤ませるマリーのおでこをロマリアが突いた。
「ねえ、でもそれって変じゃなくて?」
「変、ですか…?」
先ほどまでうんざりしたような顔をしていたロマリアは、今度はまつ毛で縁取られた大きな瞳をまっすぐリネッタに向けている。
少し考えるように押し黙った後、ロマリアは言った。
「聖女様が就任なさったのはここ数日の話よね。それにしてはアナタの国が提案書を持ち出してくるのが早すぎるわ。まるで聖女様がルナーラ王国に帰ってくることを先に知っていたみたい。それに、国民の噂を新聞にして一面を飾らせたレイズリー社もおかしいわ。老舗の情報屋がどうしてそんな賭け事みたいなことをするのかしら。下手をすれば王族に取り潰されてしまうのに」
***
宴会が開かれるガーデンから外れた、建物の影にある鬱蒼とした場所にも飲食用のテーブルと椅子が点在している。表で使われなかったものが置かれている場所なのだろう。
シルビオは先ほど見かけた人物の後を追ってここに辿り着いた。
目的の人物は、たった一人で無造作に置かれている椅子に座り、宴会場から持ち出したお菓子をテーブルに広げていた。
「ホセ・レイズリー、お前には聞きたいことがある」
「いやはや、まさか殿下がロマリア嬢の結婚式にいらっしゃっているとは、ボクの情報力もまだまだだなあ」
振り返った青年は、縁の青い眼鏡を掛け直し、人懐っこい笑顔をシルビオに向けた。
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