第37話
昨日とはうって変わって雲ひとつない青空が広がる朝、朝食を屋敷で済ませた後に、リネッタはシルビオの執務室に訪れた。
ノックして入室許可をもらい、丁寧に扉を開けてリネッタと騎士ネルソンが姿を見せれば、「リネッタ姉様」と柔らかく安心しきったような声色で呼ばれた。
リネッタが声の方を見ると、2番目の弟であるリクとその従者のトールが先にソファにて座って待っていた。
「時間が惜しいから、協力できることはしていこうと思ってね」
シルビオがリネッタをリクの隣に促しつつ言う。
「もうリクとトールに現状を説明したの?」
「簡潔的には。この時間を使ってお互いの知り得ている情報も整理できたらと思っているんだ。リクとトールもそれで問題ないかな」
「はい。よろしくお願いいたします」
長男であるディノとは違い、まだシルビオに緊張を抱きつつ返事をするリク。聖職者として生活してきたおかげか、リクもトールも姿勢正しく腰掛けており、どこか厳かな空気を纏っていた。リネッタもつい、いつもより背筋に意識を向けてしまう。腰をそりすぎて逆に痛くなってきたので少し力を緩めた。
「早速情報共有しようか。まずは俺の方から、儀式の日に何が起きたか話させてもらう」
シルビオの部屋付き侍女長が各々に紅茶を振る舞う中、シルビオはベアトリスの浄化魔法が使えなくなった時の詳細を伝えた。
依頼相手がソレイユ王国の聖堂であったことを改めて認識したソレイユ王国出身の三人は表情を険しくさせる。
「村での出来事までは報告書にあった内容と同じですね…。しかし、何の予兆もなく聖女の力が失われているとは」
リクの言葉に「いや」とシルビオが口を挟む。
「予兆がないわけではなかった。リネッタのための再浄化の水を頼んだ時も、力を使うことを渋っていたようだった」
「え…」
シルビオの言葉に反応したのはリネッタだった。
再浄化の水をシルビオの計らいで作ってもらえたのだと聞いた時のことを思い出す。
そして、昨日のベアトリスと対峙した時の自分がフラッシュバックし、リネッタは強烈に自分の不甲斐なさと浅はかさに腹が立つような恥ずかしいような気持ちになって俯いた。
「? リネッタ姉様…?」
———自分が力を失って心細い時に、それでも魔力を使ってくれたというのに、私は感謝の言葉ひとつも言えずにカッとなって……!
「つまり、力の減少は本人も自覚していた可能性があるということでしょうか」
シルビオの言葉に返事をしたのはトールだった。その言葉の間に、リネッタは一度心を落ち着かせてため息をもらす。隣でリクが心配そうにその様子を見つめていた。
「……シルビオ、報告してもいいかしら」
顔を上げたリネッタが、おずおずと切り出す。
「昨日、ベアトリス様と直接お話ししました」
本当は、先ず禁書庫での閲覧内容について話すはずだった。しかし、ベアトリスの気持ちを慮ろうとした結果、まずはシルビオにベアトリスの現状を知ってもらった方がいいのではと考えた。
なぜならベアトリスが望むのは、シルビオと心を通わせることだから。そう考えてしまうのは、同じくシルビオを愛しているがゆえなのだろうか、とリネッタは思う。
リネッタの言葉にシルビオも驚いたようだった。後ろに控えるネルソンも、まさかベアトリスとのやり取りを公表すると思わなかったのだろう、少し驚いたようにして目を見開いている。
「彼女は憔悴していました。聖女でない自分に価値などないとでも言うように、自暴自棄なご様子だったわ。そんな中、私は彼女に、少しだけ酷なことを言ってしまったかもしれない……」
「それはどういう…」
「力が使えずとも、聖女としての自覚を持てと、できることはあるのだと、言って……私とシルビオがベアトリス様の力を取り戻すために尽力すると、宣言したわ」
リネッタの返答に、どこかほっとしたようにシルビオは眉尻を下げた。
「てっきり、何か暴言でも吐いてしまったのかと想像したよ」
「リネッタ姉様はそんなこと言いません」
リクがじっとりとした目でシルビオを睨むように見た。こらこらとトールが従者らしからぬ親しげな距離感でリクの目元を手で覆う。
「でも、私がベアトリス様の立場だったら……そんな叱咤激励なんて意味ないと考えるかもしれないわ。それよりも、力を失ったことによる孤独に寄り添ってほしいんじゃないかと」
「それは……」
「シルビオ、できれば、ベアトリス様のお近くで支えてあげてください」
「!!」
「その役目は、シルビオ以外にはできないと思うの」
リネッタのまっすぐな視線に動揺したシルビオは「だが…」としどろもどろな様子である。
「リネッタ姉様、どういうつもりですか…!? それではまるで聖女様とシルビオ殿下に仲を深めてほしいと言っているようなものではないですか!婚約者の立場を譲ってしまって良いのですか…!?」
リクが立ち上がり動揺した声を上げる。
リクもリネッタの心を知り、婚約者の立場を争っている現状に歯痒い思いを抱えているのである。
そしてそれはシルビオもわかっていた。どうしてリネッタがわざわざベアトリスに有利になるような物言いをするのか、真意を計りかねて困惑している。三人の空気が変わったことに、トールとネルソンは傍観するだけだ。
「リネッタ、俺は同情や哀れみでベアトを婚約者に押し上げるようなことはしたくない。それに……」
「そうでしょうとも。シルビオ、リク、私は別に婚約者の立場を譲るとは一言も言っていないわ」
何を神妙になっているのだ、と言いたげな様子でリネッタが眉を寄せるものだから、シルビオとリクは目が点になった。
「あくまで、今のベアトリス様にはシルビオが寄り添ってあげるのがいいんじゃないかと提案したまでよ。シルビオの婚約者でありたい気持ちと、ベアトリス様を助けたい気持ちは並列することはあっても、混ぜて考えるものではないでしょう?」
「そ、そう……ですね…」
言い返されたリクは、再びソファに腰を下ろした。
「それに、少し長くベアトリス様とシルビオが過ごしたからと言って、私が王妃の立場になることに不利になるとは思っていません」
それは心でも、行動でも。
そう思ってリネッタの瞳がまっすぐシルビオに向けられる。
視線が合ったシルビオは、そんなリネッタの自信に満ちた表情にドキリと胸を高鳴らせた。
「シルビオの心を得るのは私でありたいし、私の心もシルビオのものだわ。今言うことじゃないかもしれないけれど、これだけは変わらないから忘れないで」
場違いな告白のようになってしまい、リネッタははにかんだ。
先ほどまでの緊迫した空気はどこかに行ってしまい、なんとなく甘酸っぱい雰囲気に包まれる。
当事者であるシルビオもすぐに言葉を紡ぐには至らず、変な間がその空気感を際立たせているようで、思わずリネッタ自身が「あーあー、それじゃあ話を戻すわね!」と大きな声を出して誤魔化した。
「と、とにかく、私が言いたかったのは、ベアトリス様の精神補助の役割をシルビオに担ってほしいということです。ご検討よろしくお願いします! それと、昨日禁書庫で知り得た情報を共有します。ネルソン、手記を」
「はいこちらに」
リネッタとネルソンがメモにとった書物の内容をテーブルに並べれば、一同の視線は手記に集中した。
特別気になる情報をピックアップして説明していく。
「私たちが特に気になったのは過去の聖女に関する記述なんだけれど……」
聖女に関する歴史、主に聖女誕生に至るまでの部分を要約して説明する。
聖女伝説に馴染みのないソレイユ王国の二人はもちろんだが、シルビオも同じように衝撃を受けていることにリネッタは驚いた。
「信心深い生贄が原初だったとは」
恐怖にも似た表情だった。
「私が思うに……禁書庫にあったということは、きっと隠したかった事実なのでは、と。私が学園で学んだ歴史も簡易的で、ここまでの内容は当然知らなかったわ。ルナーラ王国では、聖女様の存在は輝かしく大切なものだから、そうした印象操作は長い時間の中で作られていったのだというのは、むしろ自然だけど……」
「………」
「王族には、伝わっているものだと思っていたわ。けれど、そうじゃないのね」
シルビオは重々しく頷いた。
「父上と母上はどうかはわからない、が、俺はこの歳になるまでそういった情報は聞かされていなかった」
「意図的に隠しているのか、もしくは、聖堂自体も見ないふりをしているのか…あるいは自ら棄却したか、聖堂そのものに聞いてみないとわからないわね」
リネッタの言葉に、国は違えど同じく聖堂に属するリクとトールも複雑な表情で俯いていた。
リクのため息が漏れる。
「もしも聖堂が、暴力的とも言える聖女の始まりの隠蔽に積極的なのであれば、聖女様のお役目の真意を知る人はいなくなってしまうでしょう」
リクは責めるような語気で続ける。
「それなのに聖堂を存続し続ける意味とは一体何になるんでしょうか? 歴史と伝統を知らないから今回のような事態に対応できずに停滞しているというのに」
リクの言葉は決してルナーラ王国の聖堂にのみ向けられたものではなかった。
ソレイユ王国の聖堂こそ、実態のわからない不可解な動きを続けている。そして聖職者として生活する自分は、何を受け継げば良いのかわからずに言われたままを過ごしている。
不甲斐ない思いでリクは苦々しく奥歯を噛み締めていた。
「……知ったからには、リクの言う通り、思いを繋げられるような体制にしていけるよう俺たちが頑張らないとね」
「……名前」
「あ、申し訳ない、ディノのことも名前で呼んでいたからつい…」
「………別に、いいですけど……」
くすぐったい空気がシルビオとリクの間に流れ、リネッタも思わず乾いた笑いをもらした。
「歴史の他にも、気になったところがあったの。それがこの記述なんだけれど……」
リネッタは新たに、自分のメモの別の箇所を指差して話を進めた。
「そもそもの歴史が伝わっていないのだとしたら、『歓謝水の儀式』のように、水に感謝するという行いが希薄になっているんじゃないかと思ったの。シルビオ、歴代の聖女様は何かしらの儀式を定期的に行っていた…という話はあった?」
ネルソンとリネッタで記述を探したが、それらしいものはなかった。
「……力になれず申し訳ない。そういった儀式の存在があったかどうかまでは知らない」
肩を落とすシルビオに、トールが「知らないのも当然でしょう」と言い放った。
「前代の聖女様が現役だったときに殿下は物心がついていたかいないかくらいでしょう」
聖女の入れ替わりは、聖女の寿命と合致する。ベアトリスが聖女である以上、ベアトリスよりも年下のシルビオが現役聖女の活躍を目にすることはほとんどなかったはずである。実際、約20年の間聖女の席は空白になっていたのだ。ルナーラ王国の若者にとって聖女の存在自体が物語の登場人物のような認識になっていた中でのベアトリスの出現である。
そういえばそうか、とシルビオ本人もハッとした。
「なら、その内容については俺が父上に尋ねてみることにするよ。リネッタ、話を続けて」
「ありがとう、お願いね。……少なくともベアトリス様はこうした儀式を行っていないわけだから、一回実践してみるのもいいんじゃないかと思って…。それと、水や海に関して何か問題がないか、王都を中心に調べてみる必要もあるんじゃないかと考えたの」
聖女の力は水の浄化。であれば、水に起因する何かが手掛かりになり得るとリネッタはふんでいた。
「だから次はその方面で街を回ってみることにするわ」
新聞社の跡取り息子であるホセが自らの足で情報を掴むように、リネッタも自らの体を使ってリサーチをすることを決意していた。そうでなければ、見えてこない実態もあるはずだと確信しているからだ。
「それならばリネッタ姉様、僕も同行させてください」
リクがすかさず提案した。
「でも、リクはソレイユ王国の聖職者たちについて調べないといけないでしょう…?」
「それについてはトールが包囲網をしいております。それに、今回の浄化依頼からして聖女様の状況とソレイユの聖職者たちは無関係に思えません。事実、彼らは非常事態にも関わらず、国に帰らないでルナーラ王国の聖堂の近くに留まっているのです。彼らがこの国に何かを求めているのだと考えています」
ソレイユ王国の聖職者たちは、現在王都の郊外に宿泊し続けている。聖女の力が戻り次第再び国境付近の村にて浄化依頼を達成してもらう予定があるからだ、と留まる理由を述べてはいたが、浄化を行う村に向かうだけならば、むしろソレイユ王国に帰った方が近いくらいである。
しかしそうしない。ソレイユ王国の聖職者は、郊外の、ルナーラ王国の聖堂に近いと言える場所をわざわざ選んでいた。
「リネッタ姉様の情報収集のついでに、僕もこの国を知っておく必要があると思いました。どうか同行を許してもらえませんか?」
ただ標的を追いかけるだけではわからない部分もあるだろうというリクの考えに、リネッタも賛成した。
「わかったわ。一緒に見てまわりましょう」
そう頷いて、リクが共に来てくれることの心強さに微笑んだ。
「これで次の行動が決まったね。リネッタはリクと共に街の水問題を探り、トールは引き続きソレイユ王国聖職者の監視、俺は聖女の歴史と儀式について父上と母上に尋ねつつ、ベアトとの対話をしてみる」
「何か異変や新情報があり次第、すぐ共有しましょう」
早速行動に移そう、と一同が決意すれば、その場は即座に解散となった。
シルビオは宣言通り両親の元へ。リネッタとリクは街の視察のために各々の部屋に準備に戻った。
「姫様、お食事は」
そろそろお昼になるが、リネッタは慌ただしく衣服を選んでいる。世話されることに慣れているはずの王族にも関わらず、自らの長い髪の毛を一つにまとめ上げようと頭の後ろで束を掴んでいた。
「片手で食べられるものを用意してくれる?」
腰を据えて待っているのは、性に合わないのだ。
***
ルナーラ王国聖堂長、レミーは、聖女業務のキャンセル対応に追われていた。
聖女が見つかり、就任式を終えたその日から詰め込まれたスケジュールは、全て実行不可能になったのだ。こればかりは仕方ない、と思いつつ、各方面への手紙を書く腕が疲れてきているのも事実で、大きく肩を回した。
気分転換に外の空気を吸おうと、聖堂内の執務室から一歩出て、中庭になっている生活棟の中心部へ歩き、へりに手をかけて深呼吸をした。
ふと、目を開けると、人影が裏手の出口に見えた気がした。
少しズレたメガネをかけ直して、レミーは人影の方に目を凝らした。
ローブについたフードをすっぽり頭に被せている背中しか見えないので、正体は断言できないが、背格好からして女性だろうということはわかった。
聖堂にいる女性と言えば現在二人しかいない。
聖女であるベアトリスと、その母親であるネビアだ。
女性は、左右を確認するように少し頭を振って、静かに敷地外に出た。
建物に遮られて見えなかったが、もう一人の足だけがレミーの視界に映った。
女性は、その足の持ち主と歩幅を合わせて姿を隠した。
悪いことをしているかのような怪しい行動に、レミーは不信感を募らせていく。
これ以上の面倒ごとは困る、と思いつつ、疲れた体からガスを抜くように息を吐き出した。
幼い頃から恋焦がれているなんて聞いてない! 巻鏡ほほろ @makiganehohoro
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