第38話

王都は毎日どこかしら賑わっており、人々の笑顔は絶えない。ソレイユ王国を含めた近隣諸国を考慮しても、一番栄えている都はこの場所だと誰もが疑わなかった。


「ベアトリス様が次に浄化作業を予定していた場所が国立公園の池らしいの。だから現時点の様子を確認しに行こうと思ってるわ」

「わかりましたリネッタ姉様。国立公園の方までは僕もついていかせてください」

リネッタとリクは地図を広げて相談し合っていた。どうやらルートが決まったようなので、頷き合って地図を仕舞えばズンズンと歩き出した。二人は歩幅が似ている。後ろでマテオが、約10年ぶりに見る姉弟の後ろ姿に感慨深さを思いながらついていくのであった。


子供のはしゃぐ声と、それを嗜める大人の声が目立ってくる。

昼下がりの公園は人々の憩いの場として十分機能しているようで、リネッタたちはそんな人々の邪魔にならないよう木陰を選んで密かに観察を続けた。

「それにしても広い公園ですね」

リクが感心したように言う。

「生態系維持のために人が入ってはいけない場所もあるみたい。その分敷地が広いって学園で習ったことがあるわ」

「なるほど。我が国でも推進すべき活動ですね。汚染水廃棄場所をむやみに広げられる前に手を打っておかないと」

「……そんなに制御が難しいの? ソレイユ王国の聖堂は……」

リネッタの信じられないとでも言うような問いに、リクが困ったような微笑みで肯定した。思わずため息が漏れる。

「それでもなんとかバランスをとってきたつもりです。けれど今回の無断外交が起きてしまった以上は、心苦しいですが弾圧をしなくてはなりません」

「………」

聖堂の弾圧。

聖堂による技術で国の経済の一部が動いていることは事実だ。それを完全に制御するとなると、当然反発が生まれるだろう。何より、宗教と政治に明らかな上下が生まれてしまうことが問題であった。この体制の変化が実現した場合、近隣諸国によるソレイユ王国の印象が悪化する恐れがある。特に聖女信仰の強いルナーラ王国の人々には最悪に映るだろう。

ルナーラ王国に嫁ぐ身であるリネッタとしても、その結果は避けたいものだった。

「弾圧を強行しないためにも、聖堂長たちの目的をはっきりさせる必要があります。彼らの利己的な目的による行動だとすれば、罷免することで聖堂の内部を変えることが容易だからです」

「その場合リクが聖堂長になるの?」

「ま、まさか! 僕はまだ見習いの身です。聖堂長補佐のうちの片割れはこの件にかんでいないようですし…彼が繰り上がりで聖堂長になるんじゃないでしょうか。それに、僕が聖堂長になってしまったらそれこそ王族と聖堂の癒着だと見えるので、僕がなれても聖堂長補佐程度でしょう」

「それもそうね…」

出世が一番と言うわけではないが、自らの身分によって立場の限度があらかじめ定められていることにリネッタはもどかしさを少し感じた。しかしリクはそれを納得した上で選んだ道なのだから、特に残念そうにしているわけではなく、聖職者としての自分の未来は明るいように思えた。


そうやって話しながら歩いていると、二人はふと漂ってくる匂いに眉を顰めた。

「なんか、くさい……?」

「リネッタ姉様もそう思いますか?」

スン、と控えめに匂いを再確認するべく空気を吸うと、やはり不快な匂いで二人は顔を見合わせる。

「お二人さん、あちらです」

マテオが二人の背後から声をかけ、振り返った二人がマテオの指差す方を辿ってもう一度向きを変えると、そこにはまさに「汚水」と呼ばれるような酷い色の池が見えた。


大樹が生える小さな島を中心にぐるりと広がる池は、本来色とりどりの川魚が泳ぐ場所のはずだった。水深も浅めのはずだというのに、茶色く濁っていて見通しが悪い。何かが泳いでいる気配が見えない。

それどころか、誰かが使った竹串やボロボロになった人形がぷかりと浮いている。それも一つや二つの話ではなかった。

端的に言えば、まるでゴミ捨て場のように様々なアイテムが投げ捨てられていた。


緑に囲まれて美しい水景色があるはずのこの場所は、そんなゴミが漂うせいで悪臭を放ち、誰も寄りつかなくなってしまったのだ。木々が池を取り囲むようにして生えているせいか、匂いは外部に広がることなく池の周りに凝縮されているようである。


「ひどい……」

リネッタが悲痛に呟いた。


鼻に手を覆って匂いを誤魔化しながら、リネッタはしゃがんで水面の様子を観察する。あやまって落ちないようにとマテオとリクが支えるためにリネッタの左右に控える。

ぷかぷかと流れてきた紙ゴミは、まだ水を含んでおらず、捨てられたばかりのものであることが見て取れる。リネッタはそれを摘み上げて地面の上に移動させた。


「ここ数日で余計にひどくなったんですよ」


リネッタたちの背後から声がかかる。マテオが警戒し、リネッタとリクも身構えながらも振り返る。

すると帽子を深く被った長身の男性と、身なりの良い初老の男性、その二人が従えているであろう二人の青年が、リネッタたちと同様にこの池の様子を見にきたようだった。

リネッタは初老の男性の顔に見覚えがあった。そして帽子を被った男性の声にも聞き覚えがあり、「もしかして」と、警戒を説いて立ち上がる。


「イバルリ環境大臣ではございませんか?」

「これは、リネッタ・マレ・ソレイユ様でしたか。娘の結婚式以来でございますね」

「ということはやはり、貴方は……」


ロマリアの父、イバルリ環境大臣の隣に立つ帽子を被った男性が、脱帽しながらリネッタに頭を下げた。

「お久しぶりですリネッタ様。バロンです。現在お義父様とうさまの元で勉強させてもらってます」

「そうだったんですね…! お久しぶりでございます」

リネッタは足を少しだけひいて、浅く丁寧に頭を下げた。

バロンの端正な顔があらわになると、リクは思わずまじまじとバロンの顔を見つめた。隣のマテオが「ルナーラ王国一の俳優なんですよ」と入れ知恵をすれば、納得したように感心の声を漏らした。


「リネッタ様はまたどうしてこちらに?」

イバルリ環境大臣がマテオとリクをちらりと見つつ質問をする。二人は慌てて頭を下げる。

「我が国の環境保全に役立つかと思い、聖堂に務める弟を案内していたところ……異臭がしたもので立ち寄ってみたのです」

ベアトリスの事情を伝えられないリネッタは咄嗟の嘘を取り繕った。

なるほど、とすんなり納得したイバルリ環境大臣とバロンだったが、改めて池の惨状を目にして苦々しい表情を見合わせる。

「ここ数日で酷くなったと先ほどおっしゃられていましたが…」

リクがバロンたちに近づきつつ質問をすると、バロンが答えた。

「本当は今日、聖女様による浄化の儀式が行われるはずだったんです。けれど突然キャンセルになって……」

リクとリネッタの視線が静かに合う。承知の上で来ているので、そのことと池の惨状がどう関係するのか気になった。

「聖女様が浄化をするのならばと、どこから噂を聞きつけたのか、公園利用者がこぞってここにゴミを投げ入れるようになったんです。それであっという間にこの有様ですよ」

「………」

リネッタとリクは人々の無責任さに絶句した。

「ところが聖女様はいらっしゃらず、次の予定も未定……このままでは周りの植物にも悪影響が出てしまうから、どうしたものかと我々も出向いたんです」

「どうしたものか、ですか」

リネッタの視線は彼らの足元から肩までなぞるように動いた。

自分たちの格好を観察されていることに気づいたバロンたちは、何かおかしいか? と疑問に思いつつ、自分たちの姿を確認する。


「皆様、動きやすい格好になりましょう。私は近くのお店から掃除用具と大きな麻袋をいただいてきます」

「リネッタ姉様? 何をなさるおつもりで…?」

「聖女様がいらっしゃらないのならば、できる人が掃除をすればいいんです。道具を持ってくるまで、皆様はこの場に人が物を捨てに来ないように警戒してください」


リネッタの指示に全員がフリーズ気味になりつつも、マテオを伴って足早にこの場を立ち去ったリネッタの背中を見たバロンはハッとして、リネッタの指示通りに動くように皆に呼びかけた。

リクは本来ならば、この付近で別れてソレイユ王国の聖職者たちの動向を調べに行く予定であったが、姉の突飛な行動に付き合うことにした。

何よりも、この惨状をどうにかするあてがあるのなら、自分も放ってはおけないと認識を新たにしたのだった。



リネッタとマテオは、数名の市民を引き連れて戻ってきた。

人々は異臭に表情を歪ませるも、腕捲りをして櫛状になっている鍬を手に池に向かっていった。


「あの、リネッタ姉様この方々は……」

「現状を説明したら手伝ってくれると申し出てくれたの。近隣にお店を構える方々よ」

ガチャガチャと音を立てて、人々は掃除用具や麻袋を地面の上に置き始める。

すると一人の女性がバロンの姿を見るや否や歓喜の声をあげてはしゃぐ。

「え!? バロン様!?」

「うそ!?」

「ぎゃー! こんな近くで見れるなんて幸せ!!」

10名ほどの市民たちは男女問わずバロンの姿に心が浮き立っている。本当に名俳優なのだなとリクは理解し、一国の姫であるリネッタとの知名度の差に唖然とした。

市民が不用意にバロンに近づけないでいる中、バロンは道具を選ぶリネッタに近づく。

「リネッタ様、本当に今から池を掃除するのですか…? いくらなんでも浄化のようにはいきませんが…」

バロンが悩ましげに尋ねれば、それこそ心外な問いだと言わんばかりにリネッタが振り返って言った。

「聖女様がいらっしゃらないのであれば、我々が自らの手でやらなければなりません」


人々が未だ躊躇して一箇所に固まっている中、リネッタはブーツが汚れることも厭わずに池に足を踏み入れた。

「姫様!?」

これには思わずマテオも口を大きく開けて抗議するも、「思った以上に浅いのね」と膝下までの池を確認してリネッタは呑気に呟いていた。


「聖女様が最小限のお力で浄化作業ができるように協力するのも大事だと思うんです。そしてそれ以前に、大前提として、水は大切に扱わなくては。皆様もその思いがあるからこちらにいらっしゃったんでしょう?」


バロンたち環境大臣一行と、手伝いにきた10名の市民たちに向けて言う。


「水を綺麗にするのは、聖女様だけに許された行為ではありません。むしろ普段から感謝して使っていかねば、水の都の名折れです。水の都に住むものとしての義務を果たしてまいりましょう、今日、ここから」


リネッタの笑顔は眩しく、ドブ水の中に立っているにも関わらず美しく見える。


彼女に感銘を受けたバロンが、誰よりも先に、貰ってきた掃除用のブーツに履き替え、リネッタ同様池に足を踏み入れた。

すると彼に続いて市民も続々と行動に移していく。

イバルリ環境大臣は付き人の青年二人に指示を出して、人手と用具の追加を要請した。

マテオとリクも麻袋を広げてゴミをかき集めていく。


バロンはリネッタのそばに行けば「実はですね」と世間話のように声をかけた。

「今度劇団公演の脚本を自分で手がけようと思っていまして」

「環境大臣のお勉強だけでなく俳優業も続けていらっしゃるのですか?」

「俳優業は休業中です。けれど裏方で関わりたくてそれなら脚本をやってくれないか、と言われてまして」

「……脚本も大変なのでは?」

「はい大変です。ですが幕間分なので量はそんなに多くないですから、勉強の合間に…という感じで」

「そうなんですね」

相槌を打ちながらリネッタは水底に引っかかっていた大きな布をずるりと引き上げた。

「よろしければ、リネッタ様をモデルに書いてもいいですか?」

「ええ!?」

リネッタが驚いて布を落とし、汚い水が跳ね返る。

わー姫様ー!とマテオが顔面蒼白になって駆け寄ってくる。

「私の何を書くって言うんですか…?」

「先ほどのお話に感銘を受けたんです。確かに自分たちは水の処理について聖女様頼りになりすぎていたな、と。神秘の力の恩恵を受ける前に、自分たちができることをしなければならないのは当然だと言うのに」

こんな感じで、と、バロンは大量に捨てられた紙コップのゴミを麻袋に詰め込んで言った。

「自然と人々を動かしたリネッタ様の行動力そのものに感動いたしました。貴女様が国のためにこんなに動ける人なのだということを、たくさんの人に伝えたくなったのです」

「………」

「とてもいいじゃないですか。国一番の俳優のお墨付きであれば話題性もひとしおですよ」

同調したのはリクであった。

自分が劇の脚本のモデルに? と、初めての提案に現実味が持てないリネッタは、じわじわと気恥ずかしさを感じつつも、どこか認められた気がして胸の内が温かくなるのを感じていた。

「……明るいお話にしていただけるなら」

「ありがとうございます!」

バロンはとびきりの笑顔でリネッタの許諾を受けた。それを見た女性陣が、汚い池だと言うのに腰が砕けて倒れそうになり、男性陣が必死に支えるという奇妙な光景も生み出されていた。


これにより出来上がった脚本は、あのバロンが初めて手がけたというのもあってそこそこ話題になる。王都民のリネッタへの認識が好転するきっかけになったのは言うまでもなく、リネッタの知名度が一般市民の間で上がるのは、これから少し後の話である。

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幼い頃から恋焦がれているなんて聞いてない! 巻鏡ほほろ @makiganehohoro

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