第34話

ソレイユ王国聖堂の訪問が王家に無断であると告げられた今、リネッタは強い焦燥感にかられていた。


ソレイユ王国内では、聖堂と王族の関係性は対等となっているが、王族からの干渉は必須となっている。聖堂の力は魔力と科学力の合わせ技となり、国としての管理を怠れば国民に害をなす可能性があるからだ。

王族が監視をする、という事実をもって牽制している。過去ソレイユ王国の聖堂には王族に対して叛逆を企てようとした聖職者がいたりと事件を起こした歴史を持っているため、牽制の目は強まった。


リネッタの2番目の弟であるリクが聖堂に入ったのも、その監視の役割を担っているからである。表向きは王族と聖堂のより強固な関係性を築くためだが、聖堂の異常事態にいち早く気づくことができるのは内部の人間であることから、リクの聖職者適性はちょうどよかった。


事実、リクはこうしてイレギュラーに対応してルナーラ王国にやってくることができた。

彼がこの場にいるということは、ソレイユ王国の王、すなわちリネッタの父親にも話が通じているのだろう。

「ソレイユ王レオ様は聖堂の動きについてなんとおっしゃっていたのですか?」

ルナーラ王妃ルシアはリクに問いかける。

「王はただちに実態を調査せよと命じられました。なのでこちらに急いで赴いた次第です」

しかしルシアとリネッタは現在国境村にて行われている浄化の儀式の詳細を知らない。二人は目を見合わせて少し困惑したような表情になり、それを見たリクも「ですよね…」と気まずそうに視線を落とした。

「出立したのは昨日のことなので、早ければ明日のうちに戻ってきますわ。お二方はいつまで我が国に滞在できるのでしょうか?」

ルシアの問いにリクの従者であるトールが代わりに答える。

「王城近くの宿に日程が許す限り滞在する予定にございます。もともと、聖堂の方では研究期間と称した1年の科学学習期間に突入していたので。実質休暇でございますから、幸いなことに自由な時間が多くございます」

「そんな貴重な時間に……」

リクとトールの貴重な休みを削ってまで遠路はるばる王命をこなすことに、リネッタは同情し、気落ちした。

聖職者になるための修行は過酷と聞く。一定以上の学習能力に加えて魔法という膨大な分野も学ばなければならず、さらにそれを短期間で実用化させるために何度も何度も実務をこなさなくてはならないからだ。

科学学習期間終了後に試験があるとはいえ、研究期間は、修行の過酷さによって疲弊した身体を癒す時間に他ならない。


「ならば王宮に泊まりなさい。部屋は無駄に余っているくらいだもの」

ルシアはあっけらかんとして言った。

リク、トール、リネッタの三人が口を揃えて「え」と間抜けな声をあげる。

「リネッタの弟君とその従者なんだから、最初から宿なんか取らずに頼ってくれてもよかったのに。水臭いですわ」

どこか拗ねたように口を尖らせて言うルシアの表情はとても愛嬌があり、一方で現時点での最終決定権を持つ立場の人間としては可愛らしすぎるような気がして、リクとトールはどう返事をすればいいかわからず言い淀んでいた。

リネッタは内心「わかる、わかるわ…」と同調し、ルシアの距離感にどう対応すればいいかわからなかったこれまでの日々をなんとなく回想していた。

シルビオが「母上には甘えておけば喜ぶ」と助言してくれてから、リネッタは素直にルシアと対話できるようになった。

「リク、トール、ここはお言葉に甘えましょう」

それに何より、リネッタの身内である、という点で贔屓してくれることが純粋に嬉しく、リネッタはくすぐったい気持ちになっていた。つい口角が緩みそうになるのを微笑み程度に抑えて、二人に提案する。

「リネッタ姉様がそうおっしゃるなら……」

とリクは渋々頷き、二人でルシアに改めて深いお辞儀をした。

「ディノ王太子だって泊まっていったんだもの。いくらお金があるからって宿代で無駄遣いするのはもったいないですわ」

ねえ?とリネッタに同意を促したので、リネッタはそうですね〜と微笑み返した。



早急にリクとトールのための客室が整えられ、簡素な荷物も従者たちによってあっという間に運び込まれる。

二人は身軽になって改めてリネッタとルシアの待つ謁見の間に現れた。ルナーラ王国にソレイユ王国の聖堂事情を共有するためである。

本来なら手紙でそれとなく知れれば良い内容だったが、こうして直接質疑ができることは幸運と言うべきなのだろうか、リネッタは聞きたい内容が多いせいか少しそわそわした。


「お待たせしました」


リクは聖職者としてのローブを脱ぎ、白いブラウスと黒の長ズボンのスタイルで現れた。母親であるアマンダ王妃譲りのチョコレートブラウンの髪は細く、首の真ん中あたりまで伸ばされた毛先が少しだけ外側に跳ねている。リクが歩くと軽い髪の毛がグラデーションを描くように揺れ、細身の体格と相まって彼の周りには軽やかで清々しい空気が流れているように見えた。聖職者見習いという肩書きが、余計にそんな空気感を際立たせている。

高身長のトールも姿勢正しく、リクの斜め後ろで恭しく腰を折る。リネッタと同い年のトールだが、リネッタよりも大人びた印象を持たせるのは彼の薄い顔立ちと表情のかたさからだろうか。

「長旅でお疲れでしょう。遠慮せずに腰をかけなさい」

ルシアが指で合図をすると、ルシア付きの侍女たちが洗練された動きでお茶を振る舞った。

紅茶の良い香りにリクとトールはやっと一息つけた心地になって、同時に深く息を吐いた。


「近頃のソレイユ王国聖堂では、聖堂長を中心に一部の聖職者たちが頻繁に会議を行なっていました。もちろん修行中の身である我々にその詳細を聞く手段はありません。ですが今思えば、今回のルナーラ王国遠征についての会議だったのでしょう」

リクの言葉に、ルシアも頷いた。

「今私たちが知り得ているのは、ソレイユの聖堂が聖女様への浄化の儀式を依頼してきた、ということのみです。汚染水の浄化を国境の村にて執り行うために聖女様、聖堂長、アレハンドロ王にシルビオ、そしてソレイユ王国からの聖職者の方々が出立したという記述は残っています」

「しかし、その汚染水の詳細については特に記述がないんですね?」

リネッタが問えば、ルシアは秘書がよこした浄化依頼の記述がなされた書類をリネッタに渡した。目を通して見ればルシアの言う内容通りのものである。


「調査に来ている身で言うのも不甲斐ないのですが、僕らにはこれ以上の情報は無く……。聖堂長たちが我が国に無断でルナーラ王国に赴き何を成そうとしているのか、詳細を知るのはこれからの調査によります」

聖堂が怪しい動きをしている以上の情報がなかったが、リネッタにはホセの元に届いた聖堂のコインの出所や、聖女であるベアトリスを持ち上げる動きについての疑問がある。

しかしシルビオもいない今軽率に話題にして良いものか、決めあぐねて視線を泳がす。


「アレハンドロとシルビオが帰還次第、詳細を尋ねましょう。ここで頭を悩ませても仕方ないわ」


ルシアの言葉に「それもそうか」といった雰囲気になり、リクとトールの表情から険しさが薄れた。

ならばこれ以上頭を悩ませる必要はないかとリネッタの質問は一旦しまわれることとなった。




ルシアが公務のため席を外し、残ったリネッタとリクとトールは束の間の再会の喜びを交わしていた。

「リネッタ姉様が元気でよかった。てっきり手紙には嘘でも書いているんじゃないかって思ったから」

「そんなぁ、 私は嘘なんて書かないわ」

「どうかな。リネッタ姉様だったら僕らに心配かけまいとやるでしょう」

断定的な物言いにリネッタは言い返せず苦笑いをした。想像をしてみればきっとそうするだろうと考えてしまった。

「そうかもしれない、けれど、シルビオをはじめとしてルナーラ王国の人たちには本当によくしてもらってるから、心配はいらないわ」

今、国民の中にはリネッタに対して否定的な意見を持つ者もいる。けれども、王立学園に通っている時や市井に直接紛れ込んだ時に、リネッタは本当にルナーラ王国の人の温かさに惚れ込んだのだ。

シルビオがいる国、シルビオが育った国、それだけで大事にしていかねばと思っていた6年前とは違い、今は純粋にこの環境を大切にしたいと思っている。

そしてそれはルシア王妃のリネッタへの視線から、リクとトールも理解していた。

「婚約者としての立場を失うかもしれない状況になっていると聞きましたが、王妃様は姫様を家族のように思ってくださっているようですね」

トールが言えば、嬉しく思うと同時に、リネッタはベアトリスと婚約者の座を争っている状況を思い出してテンションを下げた。

「そっか、そうよね、二人も知っているわよね」

「出立前に父上から教えていただきました。だからこそ尚更、無理をなさっているのではと心配していましたが…」

「たしかに、ショックではあったわ。手紙にも書いたかもしれないけれど、純粋にシルビオのことが好きだから、ストレートに結婚までいけたらよかったのだけれど」

でも、とリネッタは笑顔で言う。

「私は私らしくシルビオを支えられれば良いの。その支える形が彼の伴侶としてであればいいと今でも思ってる」

諦めていないのだと、リネッタの瞳が語っていた。それ以上の追求は野暮であるとリクとトールが目を合わせれば、すっかり安心したのだった。



二人が長旅の疲れを癒すために部屋に戻り、そしてリネッタも屋敷に待たせているロマリアたちと改めて歓談をし、彼女たちが帰る頃には日が暮れていた。

現状を整理しようとデスクに向かってペンを取るリネッタは、ホセの元に届いた手紙の件やソレイユ王国からの書簡の日時などを改めて記録する。


日が落ちてカロリーナがハーブティーをそっと置いた時だった。

外が少し騒がしくなる。


「様子を見てきます」

と早速行動に出たカロリーナが屋敷の外へ向かう。もしもの場合があってはいけないので、窓から様子を見ることなくリネッタが部屋で神妙に待っていると、駆け足で戻ってきたカロリーナは

「殿下の御帰還です」

と簡潔に伝えた。

勢いよく立ち上がったリネッタは上着を羽織り、足早に部屋から出る。

屋敷にいるマテオとネルソンも様子をかぎつけリネッタの背後に並び、共に王宮の方へ向かった。


「アレハンドロ王、シルビオ、おかえりなさいませ」

息を切らしながらも丁寧に礼をするリネッタに、アレハンドロは驚き、シルビオが駆け寄って声をかけた。

「リネッタ、体調は!?」

「ベアトリス様のおかげですっかり持ち直したわ。大丈夫。それよりも……早くても明日帰ってくるものだと思っていたのだけれど」


何かあったのかと不安な表情を浮かべるリネッタを見て、シルビオは苦々しく俯く。

そしてリネッタを王宮内に移動させるよう、黙って視線を走らせる。理解したリネッタは頷いてシルビオの後へついていき、西棟の客室まで向かう。

リネッタとベアトリスが婚約者の立場を争うきっかけになった、アレハンドロ専用の客室である。


アレハンドロ、ルシア、シルビオ、そしてリネッタが揃い、それぞれの従者たちが部屋の外で待機する。

「なにかあったのですか?」

とルシアが改めてアレハンドロに尋ねれば、アレハンドロから深いため息が出た。


「聖女様の儀式は失敗した」


アレハンドロから告げられる簡潔な結果に、リネッタとルシアの理解が追いつかない。

「儀式、というのは、我が国の聖堂から来た依頼で合っていますか?」

「知っていたのか。ならば話が早い。聖女様のお力である浄化の力が発動しなかったのだ」

「そんな……!」

「今は儀式を保留にし、村に汚染水を留めている。しかし、聖女様のお力については何もわかっておらん」

いつ儀式を再開するのか、そもそも、解決することができるのか、暗闇の中に放り込まれたような不安が広がる。

「今、ベアトリス様は……」

帰還してきた集団の中にベアトリスや聖堂長の姿はなかった。リネッタの問いにシルビオが答える。

「ベアトは既に聖堂に戻っているが、聖堂長から聞く限りかなり意気消沈している。彼女にも原因がわからないようでどうしようもない」

シルビオの声には困惑と焦りが含まれているように思えた。

「ソレイユ王国の聖職者たちも郊外の宿に戻らせたが、長期滞在するわけにもいかないだろうし……」

「国に戻ってはいないの?」

「ああ」

「シルビオ、そのことなんだけれども、実はね…」

リネッタはリクとトールの訪問とその理由について話した。

まさかソレイユ王国聖堂の訪問が王族に無断で行われていたとはつゆにも思わなかったアレハンドロとシルビオが目を見開いた。

そして同時に、ソレイユ王国の聖職者たちの怪しげな行動の数々をシルビオは再び思い出した。

「やっぱり何か思惑が…」

そう呟くが、その時、アレハンドロがダン!と机に衝撃を与えるようにして手をついた。

部屋は少しの間静まり返った。


「ソレイユ王国聖堂の疑惑、そして聖女様の不調、これらを調べて解決せねばなるまい」


アレハンドロが低く静かに言った。


「シルビオ、村で言ったように聖女様についてはお前に一任する。そしてソレイユ王国聖堂に関しては明日臨時でリク殿と会議を行なって私が預かることとしよう。ルシア、補佐を頼む」

「わかりました」

アレハンドロがリネッタに視線を向けると、アレハンドロが口を開く前にリネッタが「あの」と前に出た。


「私も、聖女様の解決に協力させてください」


リネッタの意見に、アレハンドロはまず眉を顰めた。

「……リネッタ姫よ、なぜわざわざ聖女様の肩を持つ行動に出る。そうまでしてシルビオと共にいたいのか?」

「父上!!」

厳しい問いにシルビオが声を荒げるも、リネッタは動じていなかった。

「いいえ。これは、ルナーラ王国にとって重大な事柄だからに他なりません」

リネッタはアレハンドロと真正面に視線を交わす。

「ベアトリス様の不調が解決しない限りは国民の皆様も不安に陥ることとなるでしょう。それは避けなければなりません。それに、前例のない事態を調べることにあたって人手は必要だと思いますし、何より、私はシルビオよりも時間があります。彼が王宮から動けない時間でも、私は外へ調査に向かえます。……それに、ベアトリス様に平癒の助けをいただいたも同然ですから、私がここで尽くさねばならないと判断したまでです」

「………そうか」

「婚約者の立場を争うことは、この問題には関係ないことです」

そうでしょう? と口角を上げて問うようにアレハンドロに言えば、アレハンドロは眉尻を下げていやはやと首を振った。

「意地悪が過ぎたな。すまない」

「いえ、ここで答えられなかったら信頼できないのも当然ですわ」

リネッタも思わず苦笑をする。二人の空気が和らいだのを感じれば、シルビオはホッと胸を撫で下ろした。


「ではリネッタ姫よ、病み上がり早々申し訳ないが、本件を任せた」

「かしこまりました。ご配慮ありがたく存じます」


そう頭を下げるリネッタの姿勢は優美で、凛としている。

真っ直ぐに下ろされている髪の毛が彼女の動きに従ってさらさらと流れている。

頭を上げてシルビオに視線を合わせたリネッタは、頼もしい笑顔で頷いた。


シルビオはそんな彼女の表情に、思わず見惚れてしまうのだった。

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