第26話

民衆たちはリネッタを意識することなく、ただシルビオに向かって抗議をしていた。

「聖女様を害そうとする他国の女性を我が国の国母に置いていいものですか!」

ふくよかな女性が怒りに震えながら声を出している。


「王都民のみなさーん、王太子様に要請があるなら正式な手続きを踏んでもらわないと」

マテオがシルビオの前に立てば、体格の大きさでシルビオが隠れる。民衆の視線がマテオに集まり、睨まれてしまう。

王宮の警備ももっと上手くやってくれよ、と内心で悪態をつきながら、マテオはひとまず自分がなんとかしようと決意し、シルビオの護衛騎士である女性騎士に目配せをした。


「お二人は裏から入りましょう」

小声で女性騎士がリネッタとシルビオを誘導する。しかし2人がこっそりと彼女について行く途中で「おい!」と民衆の中から呼びかける声が聞こえた。

マテオの静止に抗いながら、青年がリネッタを指さしている。


「お前が他国の姫だな!? 逃げるな!!!」


青年が声を張り上げ、リネッタの方へ強引に向かおうとしたのでマテオが青年を組み伏した。民衆が驚きと恐れでざわめく。

「どんな思いであろうが、姫様を侮辱するような物言いは許されたものじゃない」

マテオが怒りを含ませ、低い声で青年に言った。ギリギリと青年の腕が絞り上げられる。痛い痛いと目尻に少し涙が浮かび、抵抗が弱まっていく。

リネッタは立ち止まっていたが、踵を返して青年の前に立った。

建物の陰から現れ、リネッタの姿を民衆に晒すことになる。民衆の視線が自分に集まっていることを体感しながら、姿勢を正した。

「姫様、危険です」

マテオが険しい顔でリネッタに王宮へ向かうように顎で指し示すが、リネッタは小さく首を振った。


「逃げません」


それは先ほど青年に言われた言葉への返答だった。


「マテオ、王宮騎士がむやみに市民に危害を加えてはいけません」

「しかし」

「彼は私と話がしたいだけです。そうですよね?」

組み伏された青年に問いかけるようにしてリネッタは言った。青年はあまりの痛みと身動きの取れなさに観念しているのか、必死に頭を縦に揺さぶった。その反応に、マテオもため息をついてようやく体を離してやる。節々の痛みをさすりながら、青年は今一度リネッタを睨んだ。

リネッタはその視線を受け入れるように、真摯に見つめ返す。青年は少し戸惑った。

改めて抗議にきた民衆は、まじまじとリネッタの姿を観察する。

「あれが、姫なのか?」

パンツスタイルに一つに結えられた髪の毛、隣にいる女性騎士と遜色ない身軽さに、民衆が抱く隣国の姫のイメージとかけ離れているように思えて困惑している。


「皆様の要求は、私が婚約者としての立場を辞退することであると知っております」


睨むだけの青年が口を開かないので、リネッタが先に声を張り上げた。


「新聞社の報道から、私が聖女様に危害を加えたのだと皆様が心配した上での行動であるということも理解しております。皆様の勇気に感謝申し上げます」


そう言ってリネッタは民衆へ頭を下げた。

民衆にどよめきが走る。よりにもよって姫であるリネッタが、自分たちに頭を下げるとは思いもよらなかったからだ。

シルビオが急いでリネッタの隣に立ち、頭を上げるようにと肩に手を置く。しかしリネッタの姿勢は変わらない。

であれば、と、シルビオはリネッタに代わって民衆に顔を向けた。

「俺たちも聖女の襲撃に関しては心を砕いている。今朝から共に真相解明のために巡っていたところだ。皆が安心できる知らせを届けられるよう、この後も力を尽くすと約束しよう」

シルビオの言葉とリネッタの感謝に、予想外の展開を突きつけられた民衆も黙り込んだ。聖女のためにと抗議に来たはずだったが、これではまるで、リネッタが自分たちと同じように聖女のためにと動いているようでは。いや、事実動いているのだと、民衆に対してシルビオとリネッタの態度が印象付けた。

シルビオの言葉を受けて、リネッタは顔を上げた。

「私の行動を皆様がどう捉えるのか、どうか私自身の行動を見てから判断いただきますようお願いいたします。文章ではなんとでも言えますが、結果は行動でしか起き得ません」

報道の文字だけではなく、どうか自分を見てほしい。リネッタの願いはそれだけである。

民衆が王宮に押しかけてきてくれてよかったとすら考えた。おかげで、自分の言葉を直接一部の人々に伝えることができたのだから。

リネッタは民衆に微笑んだ。民衆はその顔に息を呑んだ。


「………信じて、いいのかい?」


真っ先に抗議をしたふくよかな女性が、今度は不安に表情を歪ませて、か細く言った。

「ようやく、聖女様が帰ってきてくださったんだ。彼女に何かあったらと考えたら、私たちの生活も不安で、子供のことを思うと怖くて仕方ないんだよ」

この言葉こそが、民衆の本意なのだとリネッタとシルビオも気づいた。女性の隣に立つ気弱そうな男性が彼女の背中を優しくさすっている。

「ソレイユの姫様は本当に協力してくれるんだね?」

民衆の間では、リネッタは現時点で聖女ベアトリスにとって最大の脅威と言える。そんなリネッタが危害を加えずにむしろベアトリスを守る立場に回ってくれると確証があるのなら、どれだけ安心するか。

その想いに応えたくて、リネッタは身を引き締めた。


「最善を尽くします」


民衆は、それ以上言葉を続けることはなかった。

この言葉を担保に、どうかこれ以上不用意な対立を煽られることがないようにとリネッタは願いながら、もう一度頭を下げて踵を返し、シルビオの護衛である女性騎士が促した道順の方に戻った。

同様に、シルビオやマテオもリネッタの後を追った。

残された民衆は未だ困惑の中であるが、その中の夫婦がふと、思い出したように呟く。


「ねえあんた、あの子だよ、あの子、覚えてる?」

「あの子ってどの子だよ…」

「4年…5年…?前くらいにさあ、うちに失恋したけどもう一回頑張るからって、うちを貸切にしていっぱいご飯食べた子…」

「……ああ、ああ!!」


旦那の方が大声を上げるものだから、民衆はこぞって二人の方を向いた。


5年前、シルビオに告白に近い言葉を送って「想い人がいる」と告げられ失恋したも同然だったリネッタは、思いっきり泣いて悲しんだ後に王都の中でもマテオがお気に入りだという料理屋さんで精気をつけるために大食いをしたことがあった。

食事の邪魔にならないように髪を結い上げ、昔ながらにパンツスタイルで、店主は奇特に思いながらも物好きな貴族のお嬢様がいるものだと、その時の記憶を朧げに思い返した。

先ほど対峙したリネッタはあの頃よりも大人びたとはいえ、髪色もシルエットも当時と同一人物だと言われれば納得した。何より、どんな身なりでもリネッタの持つ高貴な雰囲気と品の良さは、他に滅多に見られないものだとも思っていた。

だから料理屋の夫婦は、お互いに納得した。

「おいなんの話だい」

と、隣にいた男性が眉を顰めて尋ねる。夫婦は簡潔に「あの姫様がうちにご飯を食べにきたことがあったんだよ」と伝えると、意外そうに目を丸くした。

「そういえば、うちにも来たことがあったわ」

ぽつりと呟くのは背の高い女性だった。

「あの子は、うちのお花が綺麗だからって……海辺で花屋は大変だろうにありがとうって、言ってくれて……」

たまに来てくれるのを楽しみにしていたの、と、女性は微笑みながら言った。


誰かが、手に持った新聞をぐしゃりと握りつぶしていた。


「これ以上用事がないのであれば解散しなさい」

王宮の方から門に走ってきた警備団が大声を出し、ようやく民衆は門前から散り散りに去って行った。

門番たちは申し訳なさそうに、民衆を制御しきれなかったことを反省して警備団の責任者にペコペコと頭を下げていた。

王宮の門は民衆が押しかけた時とは打って変わって煮え切らない空気が漂った。



***



翌日、リネッタは早朝に目が覚めてレイズリー社の新聞を寝起き早々手に取り一面を確認した。

内容はホセに伝えた通り、この事件にリネッタの関与はないこととその証拠、またベアトリスを傷つけた犯人の背後に別の人物がいること、これらに加えて、ベリック社の報道の杜撰さが綴られていた。多分最後はホセの個人的な意趣返しのようなものだろう。

リネッタは報道によって王都の人々が何を考えるのか、想像することが怖かった。

昨日直接話した人々はあくまで一部の行動力のある人たち。王都の人口に比べたらほんの米粒のような集団である。昨日の彼らの主張を煮えたぎらせている人がどこに潜んでいてもおかしくない。

どうかこの新聞によって世論が少しでも変わればいいと願わずにはいられない。


そしてこの新聞の売り上げによって、今日ホセが王宮に来るか否かが決まる。

来るとしても、きっと日が沈んだ頃だろうと考えるとリネッタは思わずため息を漏らした。

「姫様」

カロリーナが淹れたてのお茶をテーブルに置いた。

窓際で遠くの王都の景色をぼんやりと眺めていたリネッタは、お茶の香りに振り返って緊張を少し緩めた。

まだ昼が終わったばかりだ。


「こんなに1日を長く感じたのは初めてかも」

「嫌でも夜はすぐに来ますよ」


お茶を飲もうとして、平静を装えなかったリネッタは「あち」と小さく声に出して舌を火傷した。

普段ならしないミスに、ここまで緊張するのかとリネッタ自身も驚き、そしてそれがなんだかおかしくて苦笑する。

カロリーナが眉を下げて甲斐甲斐しく世話を焼いていると、リネッタの部屋の扉がノックされた。

慌ただしく扉の方に向かえば、カロリーナは扉の向こうから伝えられた言伝に意外そうな顔で返事をしていた。

リネッタも怪訝そうにその様子を窺った。


「姫様、いらっしゃいました」

「え?」

「レイズリー様です」


てっきり早くて日が沈んだ頃だろうと思っていたリネッタは、呆気に取られて言葉を失った。

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