第17話
結局、図書館から出られたのはあれからしばらく時間が経ってからだった。
扉が開く音がして、司書が戻ってきた際にシルビオがようやく立ち去り、彼がこの場を離れたという確信があるまで約半刻ほど待ってからリネッタとマテオも図書館を出た。
二人も残っているとは思わなかった司書が驚いて「ひぃ」と声をあげたのでリネッタもマテオも気まずそうに笑うしかなかった。
その日は変な気持ちになってしまい、リネッタは中々寝付けなかった。
認められていた。好きになりかけてくれていた。ベアトリスの気持ちを思うと悲しくもあるが、怒りも感じる。これから彼女がどう動くのか予想がつかなくて少し怖い。
リネッタが眠らないのでカロリーナも思わず欠伸をもらしてしまった。リネッタにバレてないように、隅へ隅へと体を移動させてもう一度欠伸した。
***
洗礼式から二日後、リネッタが待ち侘びた、学園の生徒が主催するチャリティーイベントへの訪問の日になった。
本日のドレスは膝丈少し下までに、白いタイツで素足を隠した動きやすいスタイルだ。最近貴族女性の間で流行りらしい。歩き回りがちなリネッタにとっても好ましい衣服である。
王立学園の生徒たちが行なっているイベント会場までは人通りの多い王都の繁華街を通らなければならないため、護衛たちと共に歩いて向かう。
街全体の祭りも、さすがに七日以上続いたともなれば落ち着きを見せるかと思ったが、もはやこの賑わいは永遠になるんじゃないかというほどの明るさである。
他の国からの流通も賑わっているのか、繁華街には見たことのない食材が日に日に増えている気がした。
「シルビオ王子だ! きゃー! 近くで見ると素敵すぎる。どこに向かわれているんだろう」
「向こうで王立学園の人たちが集まってたからそこじゃない? この間も視察にいらしてたみたいだし」
遠巻きにシルビオとリネッタの姿を見た町娘たちが無邪気に話しているのを耳にして、そうでしょう素敵でしょうとリネッタはどこか誇らしげだった。
今日は終始シルビオと一緒のため、お供は騎士ネルソン一人だけである。そんなネルソンが「耳障りですね…」と眉を顰めている。ネルソンはどうやら人の多いところが苦手なようだ。
「ねえもしかして後ろの人って………」
「えっそういうことだよね」
ふとリネッタは視線を感じる。先ほどの町娘たちが自分を見ているような気がして、リネッタもそちらに顔を向けた。
「じゃああれが……」
そう言いかけた町娘の一人と、ばっちり目が合い、向こうが「やばい」と表情を青ざめさせて他の子に耳打ちをすると逃げるようにその場を立ち去った。
———どうかしたのかしら……
「姫様、先ほどの娘たちがなにか」
「あ、いいえ。用があるのかと思ったけどそうでもなかったみたいだから」
「そうですか」
リネッタの足取りをシルビオが気にかけて振り返り、リネッタも「遅れてごめんなさい」と駆け足で追いつく。
街の人々の視線は常にシルビオに向けられているが、時折リネッタも強い視線を感じてたびたび振り返ってしまう。特に、若い女性からの視線が多い気がして、不思議に思った。
ようやく会場につくと、外務大臣の娘マリーがシルビオとリネッタを迎えた。
「お二人とも、はるばるご足労おかけいたしましたわ! どうぞこちらへ」
「あれから寄付金の方はどうなった?」
「はい、殿下がアドバイスくださったように呼びかけの範囲を
マリーが特設されたテントの方に手を向ける。
王立学園の生徒は、祭りで人が集まるのを利用して戦争孤児のための募金活動を行なっている。シルビオが王に直々に許可をとった公的な活動でもある。
日数が経ち、資金のみならずいらなくなった衣服などの回収も始めたようで、テント裏で仕分けに勤しむ生徒たちの様子もあった。
「何か困ったことは」
シルビオが問うと、マリーが眉尻を下げて笑顔を向ける。
「その…衣服回収を始めたはいいものの、今度はこのように仕分けに苦労してメインである募金活動の人でを割いてしまっていること、ですかね…」
「なるほどな。しかし、人を増やすのは難しいし……」
「はい。衣服の回収を一旦取りやめるとなるとせっかくのチャンスが無駄になってしまいそうな気がして、とりあえず仕分けは後日もできるので積み上げていけばいいんじゃないか、という話にもなっているのですが…」
シルビオとマリーがうーんと悩ませる中、リネッタも同じように悩みつつ、一つ思いついたことを提案することにした。
「あの、私が一度シミュレーションしてもいいですか?」
なんの? と尋ねる前に、リネッタは場を離れ、衣服を持ってきた市民たちと同じような順路で再びテントの方に向かってきた。
募金を実際にチャリンと入れ、衣服を持っているていで係の人に渡すふりをする。
そこで何か閃いたように「あ」と呟いて、もう一度リネッタはシルビオとマリーの元へやってきた。
「マリー、募金箱と衣服回収場所の間にもうひとつ、テントを張ることはできませんか? あとできればそこに大きめの簡易机も」
「ええっと、先生方に確認をとりつつ、備品を確認してみれば……あ、簡易テーブルであればちょうど私たちの荷物おきになっているものが使えます。でもそれで何を?」
「それに加えて、今みなさんがやっている仕分けの基準を図解した貼り紙を机に貼りましょう。それを見て、回収前に皆さんに選別してもらうんです」
「ああ、なるほどですわ! そうなれば私、絵の描ける子に頼んで一緒に作ってきますわ」
ぺこりと礼をしてマリーは軽い足取りで二人から離れる。
意見が通ったことにリネッタは安堵し、ほっと一息ついた。
「さっきシミュレーションしたのはなぜ?」
シルビオが隣に立ち、微笑みかけて言う。
「募金はさせないと本末転倒だと思ったし、それをさせた上で衣服回収の仕分けをさせるにはどこでやるのがベストなのか知りたくて」
「確かに、実際に動かないとわからないか」
シルビオが、先ほどリネッタが歩いた順路を視線で追う。そして感心したように頷いた。
「シルビオ殿下、リネッタ様」
二人を呼びかけたのは宮内大臣の娘アメリアだった。アメリアはマリーと同学年で、彼女と同じようにこのチャリティ会場の責任者の一人でもある。
「ただいま外回り活動から戻りました。挨拶が遅れて申し訳ありません」
「いや構わない。盛況なようで良かったよ」
「はい、殿下のおかげです。さきほどメンバーから聞きましたけど、衣服の仕分けにも意見していただいたとか」
アメリアはリネッタを見てニコッと笑う。リネッタはむずがゆさを覚えて照れ笑いを返した。
「そういえば、募金周りの人手が足りないままだろう」
シルビオがアメリアに問えば、アメリアが「今日はとりわけ…」と素直にため息をつく。
リネッタは一歩前に出て言った。
「ならば私とネルソンも次の募金周りの人手として使ってください」
「え!? そんな、でも…」
「俺もちょうど、言おうと思ってたんだ。学生たちも連日のことで疲れているだろうし、休ませてやりたい。それに俺たちは卒業生だから、後輩たちが困っているなら力になりたいんだ」
シルビオが、そうだろう?と同意を促すようにリネッタに視線を向ける。リネッタは大きく頷いた。
「殿下、リネッタ様……騎士の皆様も、ありがとうございます!」
「これが終われば、久々に学園の屋上に行けるし、しかも持ち寄りでお食事会でしょう? 私本当に本当に楽しみで………あっ」
リネッタがはしゃいで言うと、周りは微笑ましく見守るような雰囲気に変わった。
「私とお母様で作ったアップルパイもありますから、楽しみにしていてくださいませ」
アメリアがふふんと言いたげな顔で言えば、またリネッタは無邪気に目を輝かせた。
リネッタの募金活動はシルビオ一行と分かれて、海岸沿いの屋台通りに立つこととなった。ネルソン一人だと万が一があってはまずいので、シルビオの従者のうち女性騎士を共に立たせることとなった。
学生二人とリネッタ、ネルソン、女性騎士の五人である程度の範囲に散らばり立つ。
学生のうちの一人があらかじめ持っていた台本を読み上げるようにして、周囲の人々に戦争孤児への募金のお願いを呼びかけた。
ちらちらと人が立ち寄ってお金を入れていく。
ネルソンは無言で立ったままなので、なかなか人が寄り付かずにいたが、逆にネルソンの威圧感に気圧されたのか青年や酔っ払いなどがお金を入れていくようで、なんて意外な……と、学生と一緒にリネッタも驚いていた。
ふたたびチャリンと音が鳴り、リネッタの持つ箱が重みを増す。
「ありがとうございます」
とリネッタは笑いかける。すると、入れた相手は先ほど見かけた町娘たちだった。
「………あの」
やはり何か用だったのだろうか、彼女たちは何かを言いかけて、もう一度口籠もりお互いの目を見遣っている。
「はい、私に何か御用でしょうか?」
リネッタが要件を言いやすいように人懐こい顔で微笑みかけると、さらに彼女たちはたじろいだ。
「………あの、偽善は、やめてください」
「……え?」
「聖女様の邪魔はしないであげてください!」
「えっ………あの、待ってくださいどういう……」
言い捨てるようにして町娘たちは走り去った。
「姫様!」
真意を知りたくて追いかけたリネッタだったが、角を曲がったところで子供たちが地べたに座り込んで遊んでいるところに出くわし、それ以上追いかけるのをやめる。
「ああ王子様、やっとわかってくれたのですね!」
少したどたどしく、可愛い人形を持って遊ぶ少女。もう一人の少女が着飾った男性の人形を持って、可愛い人形にぴとっとくっつけた。
「もうぼくたちにじゃまものはいない。聖女様、結婚しよう!」
「よかった…もう私たちのじゃまするこんやくしゃはいないのですね!」
聖女と王子と婚約者。
リネッタは瞬時に自分たちのことなのだと理解し、ゾッと悪寒を覚えた。
場に戻ろうと歩みを進めるが、人形劇と少女たちのセリフが脳裏に焼きついて離れない。
「姫様、先ほどの町娘たちが何かしたのでしょうか。今からでも人をやって追いかけますが」
「ううん、いいの。………あとで相談してもいいかしら、ネルソン」
「はいもちろん」
「……ありがとう」
新聞による国民への煽動は、せいぜいベアトリスを応援する声が大きくなるだけだと思っていたリネッタは、冷や水を浴びた心地になって理解した。
人々はベアトリスを応援するだけではなく、リネッタを邪魔者として白い目で見るようになるのだと。
リネッタは壁に寄りかかりたい気持ちになるも、我慢して両足を踏ん張らせて活動を続けた。
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