第31話
謁見の間ではアレハンドロとシルビオが並んで座り、ソレイユ王国の聖職者たちを対面に迎えていた。
玉座と客人の距離が数メートル離れているにも関わらず、聖職者たちの身につけている黄金の反射が目にチラつく。
「聖女様への浄化依頼とは、具体的に何を指すのだ」
アレハンドロがソレイユ王国の聖職者たちへ詳細を求めると、ははーとわざとらしいほどに恭しく頭を下げた聖職者は咳払いを一つして「恐れ多くも」と言葉を紡ぐ。
「聖女様が現れるまで、我が国ソレイユ王国のみならず、近隣諸国も我が国の浄水機械によって生活水が賄われておりました。しかし浄水機械はまだまだ未熟です。機械が浄水を行うにあたって分離された汚染水の処理が目下の懸念点となっております」
ソレイユ王国の聖堂が編み出した浄水機械仕組みは、汚れた水から汚染物質を分離させるものであり、その分離方法には微小な電気を必要とするため、そこに魔力を用いている。科学的な仕組みに合わせて、聖職者が使う微力な魔法が組み合わさることで、聖女がいない間も生活用水が補填されていた。
しかし聖女が魔力のみで浄水を生み出す一方、この機械はどうしても浄水と同時に汚染水を排出してしまうのである。そこが、聖女を必要とする理由であり、機械の限界とも言えた。
「汚染水の保管は難しく、自然に還してもう一度機械にかけようにも間に合わず汚染水だけが増える一方です。しかしここで聖女様のお力を貸していただければ、この問題を即座に解決できます」
主張を述べる聖職者は、ソレイユ王国の聖堂長と見受けられる。ふくよかな体格に艶の良い肌。生活が豊かであることは彼の体格から見て取れるとシルビオは観察していた。
「聖女様がご不在の間、我が国から浄水の輸入をしていたルナーラ王国様には何卒破格でのご提供をお願いしたく存じます。ええ、恐れ多い話ですが」
「いや、心得ている。事実貴国の浄水機械には窮地を救っていただいた。すぐにでも我が国の聖堂に掛け合い、浄化魔法を行ってもらうこととしよう」
「ありがたきお言葉! お心遣いに感謝いたします!」
聖職者たちは一斉に深々と頭を下げた。アレハンドロは側に仕えている大臣に経費の詳細を伝え一任すると、席を立って聖職者たちの元に向かう。
シルビオもそれに倣ってアレハンドロの後ろについた。
「聖堂及び聖女様の許可が必要となるため、これから聖堂の方へ向かう。汚染水に関してはソレイユ王国まで遠征する形になるのだろうか。浄水魔法を施す規模やそれに費やす日数を計算した上で費用を伝えるとしよう」
「ぜひ我々も聖堂の方へついていかせてください。ちなみに今回は一部の保管している汚染水のみの浄化をお願いしたく…その汚染水は国境近くの村に移動させております。そちらにて魔法を使っていただければ」
「用意が良くて助かる。では共に向かうとしよう」
アレハンドロがシルビオの方に振り返り、シルビオも帯同を承知して頷く。
ソレイユ王国からきた聖職者のうち、聖堂長と、四人の聖職者が共に聖女の元へ向かうこととなった。
リネッタにこの流れを伝えたいが、まだ体調を崩して眠っている。シルビオがメイド長に、今起きている内容を簡潔にまとめたメモを渡せば、リネッタの部屋に届けるようにと命じた。
「リネッタのメイド長のカロリーナに渡しておいてくれれば安心だろう」
リネッタの勝手知ったる従者の名前を出すも、シルビオの部屋付きメイド長は少しだけ間を置いて鈍い反応をした。
「殿下、その……カロリーナは本日出ておりまして」
「そうなのか。だが、どこへ…?」
主君が熱で寝込んでいるのによりにもよってカロリーナが不在ということに疑問を持つ。
メイド長が複雑そうな表情を浮かべた後、声のボリュームを落として言った。
「聖堂でございます」
シルビオがこれから向かう場所である。カロリーナと聖堂の結びつきが思い浮かばないシルビオは、疑問が晴れないままであった。
ひとまず、メモを渡し、カロリーナが聖堂に向かったという情報だけを携えて、シルビオも政務に戻ることにした。
馬車に揺られてしばらくすると、聖女の洗礼式以来の聖堂にシルビオたちは降り立った。
ベアトリスが聖女として各地で活動を行っている時に、時折現地で仕事を補佐することはあったが、聖堂…つまり現在のベアトリスの住処に訪れることは無かったため、これが二度目となる。
「こちらだ」
アレハンドロがソレイユ王国の聖職者たちに聖堂を案内すると、聖職者たちは感激した顔で聖堂の外観を見上げた。
「おお、おお……これがルナーラ王国の聖堂!」
「なんて立派だ……我が国では到底及ぶことができないほどの美しさと威厳だ」
聖女を持つのは大陸でもルナーラ王国のみ。その力の偉大さからルナーラ王国の聖堂が荘厳に作り上げられることは必然であった。
「ああ、羨ましい」
ふと聖職者の一人がぽつりと呟くのを、シルビオはとらえていた。
聖堂内部に入り、祈りの間とされる青いステンドグラスで彩られた広い礼拝所にて聖職者たちと従者たちを待機させた。
アレハンドロとシルビオが自らルナーラの聖堂長の元へ赴いて要件を伝えるため、祈りの間の奥の扉から聖職者たちの居住区の方へ足を進める。
ルナーラの聖堂はやけに静かな場所であった。二人とその護衛の足音が白い石を弾いて周囲に響く。
額縁のように大きく四角く切り取られた天井が、中庭を煌々と照らして植物の瑞々しさを反射させている。
その光景に心があらわれるようだとシルビオが見つめていると、ふとその視線の先にある向かいの廊下で、女性が誰かに話しかけている姿を見かけた。
アレハンドロが聖堂長の執務室の前で止まり、扉を叩く。しかしシルビオはその女性と相手のやりとりが気になって、目を凝らした。
どうやら女性の正体はカロリーナだった。
「父上、少し外して良いでしょうか」
「なぜだ」
「リネッタの従者であるカロリーナがいます。彼女の動向が気になるので様子を見てきてよろしいでしょうか」
シルビオの答えにアレハンドロもカロリーナの姿を目視した。
「なるほど、あの部屋は聖女様の部屋ではないか?」
「えっ」
「まあよい、気になるなら話を聞いてこい」
あっさりと許可され、情報も整理できないままシルビオは一旦混乱して、返事をするのに遅れてしまう。
「で、では、確認が取れ次第祈りの間に戻ります」
そう告げて一人の従者を伴い、シルビオはベアトリスの部屋とされる場所まで歩いた。
カロリーナは必死だった。
「お願いいたします。どうかリネッタ姫様のために聖女様が再浄化した水を分け与えてはくれませんか」
このお願いは、すでに二回目であった。
扉を開けて応対しているベアトリスは、苦々しい表情を隠すことなく、カロリーナの下がった頭を見下ろしていた。
「昨日も言いましたけれど、この力はそんな簡単には使えません」
「お願いします…!」
「お断りします。そんなことに使うよりも、私には大きな仕事があるのだから……」
ベアトリスは自身の手をぎゅっと包みこむようにして
その様子を部屋の内から見かねたベアトリスの母であるネビアが、扉へ近づきベアトリスを自分の後ろに下がらせてカロリーナに言った。
「ベアトの力は、ルナーラ王国のものでございます。いかに身分があれど、他国の姫においそれと使っていいものではありません」
「……」
「それに、綺麗な水ならば何もベアトの力によって再浄化された水でなくとも良いはずです。それこそ…ソレイユ王国の浄水を送ってもらえばよろしいではありませんか」
「し、しかし、殿下のメイド長に相談したところ、歴代の聖女様のお力で再度浄化された飲料水こそ回復力に優れているとお聞きして……」
「お姫様が体調を崩したのも、貴女がしっかり世話をしなかったからではないのかしら? その不手際をベアトの貴重な力を使って補おうだなんて、厚かましいのでは?」
「っ………」
ネビアの指摘にカロリーナは奥歯を噛み締めた。
自分の不手際と言われて、否定はできない。主君の体調管理も従者の仕事のうちであることは、重々承知していた。だからこそ、自ら直接聖女に頼み込んでいるのだが、ネビアとベアトリスがそう簡単に承諾しないことに否定もできなかった。
今日も諦めて、屋敷に戻ろうかとカロリーナがようやく頭を上げる。
「なぜ再浄化した水を与えられないんだ?」
しかしそこにシルビオが口を挟んだ。
シルビオの声にカロリーナとネビアは目を見開き、部屋の中に戻されていたベアトリスが勢いよく扉から顔を出した。
「シルビオ! どうしてここに?」
ベアトリスが笑顔になって応対し、シルビオの方へ軽やかに駆け寄る。カロリーナは再び頭を下げ、シルビオに礼をした。
「カロリーナの姿が見えたから様子を見に。ベアトへの頼み事のようだが、なぜ引き受けられないんだ?」
シルビオがベアトリスの目を見て首を傾げる。話の一部始終を聞いていたシルビオからの、純粋な疑問を含んだ視線にベアトリスはたじろいだ。
「えっと、あのね……ほら、聖女の力って貴重なものだから、国民のために使わなくちゃ」
「リネッタも今はルナーラ王国の一員だ。使ってあげてもいいんじゃないか?」
「っ………」
ベアトリスは言葉に詰まる。
カロリーナが悔しげに目元に力を入れて俯く。自分の不甲斐なさと、そしてリネッタがベアトリスと対立していることで恩恵を受けられないことの事実に腹が立つ思いだった。
言い淀むベアトリスを助けるように、ネビアがベアトリスの背後までやってくると彼女の肩を抱いてシルビオに言葉を告げる。
「殿下お久しぶりでございます。母のネビアです。実は、ここのところベアトの調子が優れないのです」
「お母様…!」
ベアトリスはネビアの言葉を遮ろうと必死になったが、ネビアがぽんぽんとベアトリスの肩を優しく叩いた。
「聖女としての仕事が立て込んだこともあり、力を使うことをセーブしているのです。だからこそ大きな仕事以外で力を使うことを避けているのです。どうかご理解ください」
ネビアの言葉にベアトリスも一拍置いて同意し、「そういうことなの。だから…断っていたの」と話を合わせた。
「なら、昨日もそう言ってくれれば…」
カロリーナが不満を口にすると、ネビアがカロリーナの方をキッと睨んだ。鋭い視線に言葉を止めたカロリーナは、それ以上喋らないように口を閉じた。
「なら、今日ソレイユ王国の聖堂から来た依頼なら受けられるのか?」
「ソ、ソレイユ王国の聖堂から、ですか?」
ネビアが打って変わって動揺する。
「もしかしてシルビオが来たのはその依頼が理由なの?」
ベアトリスが声のトーンを落として尋ねると、シルビオはすぐに頷く。少しだけがっかりしたように、ベアトリスの表情が曇った。
「詳細はあとで聖堂長や父上から伝えられるだろうから、一緒に祈りの間まで来てくれないか」
「え、ええ。話を聞かせてもらいますわ」
ベアトリスの返事と共に、ネビアも頷く。二人は祈りの間に向かうために支度をするということでもう一度部屋に戻った。
扉が閉まると、再び厳かな静寂が場を支配する。シルビオがカロリーナに振り返れば、思い詰めたような表情で問うた。
「カロリーナ、リネッタの容体はまだ芳しくないのか?」
「はい……依然、熱もあり時折うなされている状態です。聖女様の再浄化された水を飲めば回復が早いとお聞きしたので、こうして訪ねていたのですが…」
期待はずれであり、しかし予想通りの結果に、カロリーナは気落ちしていた。
「歴代の聖女であれば、重篤な容体の患者のために浄化の儀を行うことも少なく無かった。ベアトが頑なに断る理由がよくわからないが……」
ここまでのシルビオの言葉を聞いて、カロリーナは思わず「貴方が原因なのでは?」と突っ込みたくなるのを抑えた。
「だが、ソレイユ王国の汚染水浄化の折に、再浄化した水を作れないか俺から頼もう。俺からの願いであれば聞き入れるかもしれない」
鈍感で気づいていないのかと思いきや、しっかりベアトリスの中での自分の立ち位置を理解しているような発言をするシルビオに、カロリーナは困惑した。
しかしそんなことより、シルビオの提案に感謝の気持ちが溢れたカロリーナは再び深くお辞儀をする。
「助かります。ありがとうございます!」
「カロリーナこそ、疲れているだろう。隈がひどい。リネッタの看病も大事だが、あなたが倒れてはもっと困る。今日は早めに戻って、休みつつ過ごしてほしい」
シルビオに指摘されて自分の目の下を触るカロリーナは、苦笑してもう一度頭を下げた。
ベアトリスとネビアが出てくる前に、さっさとその場を後にし、聖堂を出る。
ベアトリスの部屋の扉の前にはシルビオとその従者のみとなった。シルビオは中庭と廊下を隔てる腰までの塀にもたれ掛かり、二人が出てくるのを静かに待った。
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