第3話 家畜

 町の中央には噴水がある。そこは広場になっており、噴水を眺めることができるような長い椅子が、いくつか置いてあった。

 ヴァンは、その椅子のひとつに子どもを座らせる。そこで待つようにと言い聞かせて、屋台へ向かった。

 肉の串焼きを数本買って、子どものいる場所まで急ぎ戻る。


「ほら、食べろ」


 差し出した串焼きは、物凄い速さで奪われた。自分の手には、串は一本も残っていない。目の前の子どもは、ガブッと肉の串にかぶりつく。はぐはぐと勢いよく食べ始めたと思ったら、一瞬で平らげた。

 子どもは、口の周りを舌でぺろりと舐めまわした後、指についたタレもぺろぺろと舐める。腹が満たされた子どもは、ハッとしてヴァンを見上げた。そこでようやく、子どもは、串焼きを全て食べてしまったことに気がついたらしい。


「あ、あの……ごめんなさい。ボク全部食べてしまって……」


 ビクビクと震えながら、上目遣いにこちらの機嫌を伺ってきた。

 そのとき、自分の腹が『ぐぅ』と鳴る。

 子どもの顔が真っ青になった。ゴワついた耳を垂らし、背中を丸めて小さくなる。

 頭を押さえて、ごめんなさい、ごめんなさい、と何度も謝る姿をヴァンは見下ろした。この小さな子どもが、あの奴隷商店でどんな扱いを受けてきたのか、その片鱗を垣間見た。


「俺のことはご主人様じゃなく、ヴァンと呼べ。そして、この腹の音は気にするな。まだ、我慢できる」

「……え?」

「食べ終わったのなら、陽よけ用のマントを買うぞ。ついてこい」

「あ……は、はいっ」


 ヴァンは、子どもの手から食べ終わった串を引き抜くと、歩き始めた。屋台の横を通るとき、串入れ用の桶に向かって、手に持っていたものを放り込む。

 てててっと小さな足が音を立てて、自分のあとをついてくる。その足音を聞きながら、そういえば靴も必要だなとヴァンは思った。


 **


 数日分の携帯食と陽よけのマント、子どもの靴を購入し、町をあとにした。歩いて来た道を戻る。昼間に休憩した丘の大樹を尻目に、歩みを進めた。少し歩いては後ろを振り返り、少し歩いてはもう一度振り返る。

 自分と子どもでは歩幅が違う。気をつけないと、置いて行ってしまいそうになる。


(あの奴隷商店で生まれたのなら、外を歩くのも初めてか……?)


 虫が飛んだり、風で花が揺れる度に、子どもは目を奪われ、口をぽかんと開けていた。一瞬だけ立ち止まり、呆けたと思ったら、ハッとして小走りに追いかけてくる。

 また、後ろで小さく走る音が聞こえる。子どもは何度もそれを繰り返した。



 陽が暮れ始める少し前に、野宿できそうな場所を探す。昼寝をしたときのような大きな樹を見つけ、その根元に腰を下ろした。

 子どもに荷物を見てもらい、ヴァンは周辺に落ちている枝や葉を集めて、火を起こす。

 ぱちぱちと音を立て、揺れる炎を、子どもはじっと見つめていた。


「疲れたか? すまないな。俺の家は少し遠いんだ。あと数日歩くから、頑張ってついてきてくれ」

「は、はい。がんばります!」

「そういえば、お前の名をまだ聞いていなかったな。名はなんという?」

「ボクに名前はありません」

「……そうか。しかし、名がないと呼びにくいな」

「では、ヴァンさまが名前をつけてくれませんか?」


 名前……名前か。ヴァンは子どもに目をやった。空色の瞳はきらりと輝き、少し興奮している。ゴワゴワの尻尾が、地面をたしたしと叩いていた。

 ヴァンは視線を焚火に戻し、考え込んだ。虫の音を聞きながら、揺れる炎をじっと見つめる。時折、小枝を火にべた。しばらくしてから、ゆっくり口を開く。


「……お前は、クチカ。クチカだ」

「クチカ、ですか?」

「そうだ。俺がお前を買ったのは、お前を食べるためだ。お前は俺の食事になる家畜。しかし、名が家畜だと周りに変なやつだと思われる。だから、逆から読んでクチカだ」

「…………」


 地面を叩いていた尻尾の動きが止まった。ヴァンは、子ども──クチカを見る。彼の顔から、期待と興奮の色が消えていた。それもそのはずだろう。お前は食べられるのだと、死ぬのだと、そう告げられたのだから無理もない。

 クチカはごくりと生唾を飲んで、なにかの覚悟を決めたようだった。目をぎゅっとつぶって口を開く。


「ど……どうぞ。できれば、ひと思いにやってくださいっ!」


 クチカは全身をぷるぷると震わせた。

 その様にヴァンはふっと笑う。


「バカかお前は」


 そう言って、人差し指でクチカのおでこをぴしりと弾いた。

 おでこの衝撃に驚いたクチカは、涙目でそこを押さえている。


「まだ、お前は食わん」

「でっでも……お腹が鳴っています」


 クチカは、ヴァンのお腹を指さす。先ほどから『ぐぅぐぅ』と鳴っていて、とてもうるさい。ヴァンは腹を二、三度さすってから、ぽんぽんと叩いた。


「大丈夫。いつものことだ」

「……でも、お腹が空いているんですよね? じゃあ、やっぱりボクを食べたほうがいいんじゃ……」


 ヴァンはもう一度、人差し指でおでこをぴしりと弾いた。


「ガリガリのお前を食べてどうする。すぐに腹が減るじゃないか」

「でも、さっき家畜だって……」

「腹は減っているが、我慢できないほどじゃない。お前が美味しくなるまで待ってやる。だから、まずお前はたくさん食べろ。そして太れ」


 そう言うと、ヴァンは麻袋の中に詰め込んでいた食料を取り出した。少量の干し肉と、少しかたいパンをクチカに渡す。クチカは昼間と同じように、はぐはぐと食べ始めた。たくさん歩いて、腹が減っていたのだろう。気持ちの良い食べっぷりだ。


 その様子を見て、ヴァンは、くくっと笑う。クチカがあまりにも美味しそうに食べるので、自分も干し肉を一口齧ってみた。しかし、ヴァンの腹は満たされることなく、『ぐぅ』と鳴るだけだった。

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