第18話 祭④

「……はぁ」


 祭りの最終日。

 城の一番高い場所──塔の上でクチカがため息をついていた。心なしか耳も垂れ、尻尾は一度だけ不安気に揺れている。


「どうした? 悩み事か?」

「ヴァン様……いえ、悩み事ではないです」


 そう言った矢先、クチカは無意識に、はぁ……ともう一度ため息をつく。ヴァンは、ぽんぽんと彼の頭を叩いた。見守りからの報告で、そのため息の原因には、大体察しがついている。

 三人で祭りを見て回った後、シルゥはクチカに会うたびに、自分が王の伴侶になれば一緒にいられると言い、迫っているらしい。そのことに辟易しているのだろう。

    

(安易に『うん』と、うなずかない……お前は偉いな)


 クチカは頭が良い。自分の発言ひとつで、王にとって良くない状況に進んでしまうかもしれないと、気づいているのかもしれない。まだ、ここに来て一年程度だが、この少年は誰かの言うことを鵜吞みにして、それを王へ進言することも、もろ手を挙げて賛同するということもしなかった。  


 ──信じて良いのは、ヴァンだけ。


 自分がそうしろと言ったわけでもない。ブラッドがそうしろと伝えたわけでもない。けれど、その線引き、取捨選択は、クチカの中ではっきりしているようだった。


 ヴァンは、柔らかく癖のある白い髪をひと撫でする。

 眼下に広がる城下町を、時間の許す限り、クチカと共に眺めた。


 **


 ──深夜。静まり返った城内の廊下を、ヴァンとブラッドは急いで歩いていた。

 見守りの者から、シルゥが動いたと報告があったからだ。目的地はクチカの部屋。部屋に近づくにつれ、女の声は大きくなり、言葉がはっきりと聞こえてきた。


「ねぇ、どうして私を応援してくれないの!? お友達でしょう? 魔王様に、『シルゥ様と結婚してください』と言ってくれるだけでいいの。それだけで、貴方も私も幸せになれるかもしれないのよ!」


 この角を曲がれば、クチカの部屋──というところでシルゥの声が、ひときわ大きくなる。


「ふざけないで! ただの奴隷のくせに! 人がせっかく優しくしてあげたのに、ほんっと察しが悪くて困る。この役立たず!」

「シルゥ……様?」

「私が優しくしたのは、魔王様に私のことを推してもらうためよ! でなければ、汚らしい奴隷なんかに、愛想を振りまくわけないでしょう?」

「ボクに……優しくしてくれたのは、ウソ……?」

「当たり前じゃない。私とお前みたいな奴隷とでは天と地ほど身分が違うのよ。 利用価値がなければ、喋ったりしないわよ! 私の役に立たなかったのだから、さっさと死になさいよ。どの道、魔王様に食べられる運命なのだし、いまお前が死んでも問題ないでしょ? いますぐ死んで、私に詫びなさい! さあ早く!」


 クチカの部屋の前にたどり着いた。そのとき、ヴァンの目に飛び込んできたのは、シルゥがクチカの腕を引っ張り上げ、今まさに窓の外へ突き落そうとしている姿。


「──貴様! なにをしている!」


 ヴァンは怒気を含んだ声で一喝した。

 突然、目の前に現れた王に驚き、ふたりは振り返って、こちらを見ている。

 顔を真っ青にして、涙目になったクチカが小さく、ヴァン様、と呟いた。


 シルゥは、半獣のクチカが力負けしてしまうほど、強い力を持つ種族の魔人。

 その正体は──鬼。

 彼女の細腕からは想像もつかない力で、クチカは抱え放り出されようとしていた。

 

 ヴァンは咄嗟に目を閉じて、その眼球色を黒に変える。魔眼になった目を開くと、金色の瞳はシルゥを捕らえ、その動きを縛った。

 力を解放し、溢れ出た紫煙はシルゥに纏わりつく。ひゅーひゅーと息苦しそう彼女は、首に纏わりつく紫煙を引き剥がそうと、喉を掻きむしった。


「貴様、祭りの初日にブラッドから言われたことを忘れたのか? クチカに傷ひとつ負わせてはならない──この私の言葉を忘れたのかっ!」


 そう言い放つと同時に、ぐわっと力の圧が加わる。シルゥは更に苦しそうにもがいた。瞳は上を向き、口の端から小さな泡が噴き出ている。う、とも、ぐ、とも言えない彼女は、ただ喉を掻きむしる。

 シルゥから解放されたクチカは、ヴァンの元へ走って、抱きついた。


「や、やめて下さい! このままではシルゥ様が、死んでしまいます!」


 クチカにそう言われて、ハッとする。慌てて圧を解いてやると、シルゥはその場に座り込んで、ゲホゲホと激しく咳き込んだ。彼女の元にはブラッドが駆け寄る。そのまま、シルゥの腕を取ると、ヴァンに向かって一礼し、彼女を引きずるように連れ去って行った。


 カタカタと小さく震えるクチカの肩を掴んで、ぎゅっと自分の方へ寄せる。

 ここが廊下であることを思い出し、ヴァンはクチカを促して、彼の部屋に入った。簡素な長椅子にクチカを座らせてから、自分も隣に座る。


「クチカ。大丈夫か? 怖い思いをさせたな。すまない」

「ヴァン様……どうして、謝るのですか。助けてくれて、ありがとうございました」


 顔色は真っ青なままクチカは礼を言う。その姿が痛ましく見えて、白くやわらかな頭を何度も撫でた。それから、どれくらいの時が経ったのか。少しばかり落ち着いたクチカがようやく、その口を開く。


「ヴァン様。ボク……ヴァン様にお願いが、あります」

「……なんだ? 言ってみろ」

「ボク、見合いがあるって聞いてから、ずっとモヤモヤしていたんです。祭りの間もずっとこれは何だろうって思ってました。でも、さっき、シルゥ様と話をしていて……そこでようやく気づいたんです」

「なにを気づいたのだ?」

「ボク……ボクは、きっとヴァン様のことが好きなんです」

「クチカ……?」

「好きなんですっ! ボクは、貴方様のことが。だから……ヴァン様、もし誰かと結婚するというのなら、その前に、ボクを食べてくれませんか? 誰かと結ばれるヴァン様を見たくない。心が苦しいんです。辛いんです。だから、お願い、です」


 潤んだ空色の瞳が、見上げてくる。眉を寄せ、口をへの字にしたクチカが、初めて口にした願いは──『結婚するなら、殺してくれ』

 ヴァンはクチカをぎゅっと抱きしめた。腕に力を込め、強く、強く抱きしめる。


「わかった。お前を食べるまで、俺が結婚することはないと約束しよう」

「はい。ありがとう……ございます」


 クチカは声をあげて泣いた。ヴァンは、彼が泣き止むまで、ずっと抱きしめ続けるのだった。

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