第37話 探しもの

「……さん。……ンさん。──バンさん!」


 名前を呼ばれ、ハッとして顔を上げる。目の前には、二軒隣りに住んでいるハクさんがいた。本に集中しすぎて、彼の声が耳に入っていなかったらしい。

 ハクさんは呆れ顔で見下ろしている。何度かパチパチとまばたきして、そういえば今は畑仕事の休憩中で、木陰で休んでいたのだったと思い出した。


「ハク、さん?」

「またその本を読んでいたのかい? バンさんも好きだねぇ」

「ああ。なぜかわからないが、これを読むと不思議な気持ちになるんだ」

「好きな本に出会うと、そんな風になるもんかね? まぁ……おいらは文字が読めねぇんだが。それよりも聞いたかい?」


 隣りに座ったハクさんが、ずいっと身を乗り出すように、こちらに顔を近づける。

 勢いに押され、少しだけ後ろに仰け反った。


「この村に、勇王様が来るらしいんだよ。長老が話しているのを聞いたんだ」

「勇王様が……?」

「ああ。例の探し物じゃないかと、おいらは思ってるんだけどな。バンさんはどう思う?」

「探しもの……? こんな辺鄙な村に、なにかあると思えないが……」

「ハハッ! 確かにそうだ! この村にあるものといえば、年老いた者達とおいら達くらいなもんだ」


 ハクさんが背中をバシバシと叩く。力強く叩かれて、バンは思わずむせた。


「ああっ、ごめんよ、バンさん。さてとっ! そろそろ畑仕事を再開しようかぁ!」

「ああ。そうだな」


 バンは、すぐそばに落ちていた葉を一枚拾って、それを本の間に差して閉じた。もう何度繰り返し読んだかわからない、勇者と魔王の物語。自分の視界に入る場所かつ、本が傷まないように陰になっている所へ本を置くと、バンは畑仕事を再開した。



 夕暮れになり、ハクさんがそろそろ帰ろうかと声をかけてくる。手と服についた土を軽く叩いてから、バンは本と畑仕事で使う道具を持って、家に帰った。


 疲れた身体で夕餉ゆうげの準備をする。作っている最中に、腹がぐぅと音を立てた。簡単に作ったものを椀によそって、盆の上に載せる。それを小さな卓の上に運んだ。目の前にあるのは、蒸かした芋とくず野菜が少しだけ入った汁物。

 バンは、それらを口に含んで噛みしめながら、ふと、生まれて一度も食べたことのない肉が食べたい、とそう思った。



 夕餉を食べ終わると、バンは布を持って裏手の川に向かう。服を脱ぎ、川の中に入り、持ってきた布を使って身体を擦った。

 いつもであれば、身体や顔を軽く布で拭いて終わりにするのだが、今日は少し頭が痒い。ザブンッと潜って髪を濡らす。そして痒いところを手で掻いた。


「……ん?」


 微かに動物の鳴く声が聞こえる。その声は、きゅうきゅうと困っているように聞こえた。バンは辺りを見回し、その声の主を探す。

 川の真ん中に、岩の頭がひょっこりと飛び出ているところがある。その岩頭の上に白く丸いものが、ぼんやりと浮かび上がっていた。目を凝らしてよく見てみると、どうやらあれが音の発生源らしい。


「白い……子犬?」


 川を渡ろうとしたのか、流されてきたのか、そのどちらでもないのか。わからないが、助けを求めているように見える。バンは、ざぶざぶと川を掻き分け、子犬のいる岩を目指して歩いた。


「こんなところで、どうした? 迷子か?」


 震えていた子犬をそっと抱き上げる。そして、来た道を辿る様にざぶざぶと川を掻き分け、自分の服を置いている場所まで戻った。


 子犬をそっと下ろす。すると、子犬は身体を揺すって水気を飛ばした。バンも髪の水気を絞って、持ってきた布で身体を拭きあげる。それから、子犬を抱いて周囲を歩いた。

 この子犬の親や飼い主を探してみたが、見当たらないので、もう少し探そうと思ったが、先ほどまで星の明かりに照らされていた道が、暗くなってきている。薄く伸びた雲が空を覆って、星達を隠し始めていた。


「仕方がない……うちに来るか?」


 きゃんっと元気な返事が返ってきた。バンはくすっと笑って、家路を目指し歩く。子犬というのは、蒸かした芋は食べるのだろうかと思いながら、家の戸を開いた。


 **


 鳥のさえずる声と家の戸を強く叩く音がする。バンはその音で目を覚まし、起き上がると、家の戸を開いた。


「ハクさん? そんなに慌てて一体どうしたんだい?」

「バンさん! 来た! 来たよ!」

「……なにが」

「勇王様だよ! 昨日言っただろう? 今、村長の家にいるみたいだ!」


 ハクさんはかなり興奮した様子だった。村長の家に勇王様が入るのを見てから、ここまで全力で走ってきたのだろう。ぜーぜーと息を切らし、額からは汗が流れている。

 バンは、少し待って、と声をかけ、水瓶から水をすくい、適当な椀に入れて差し出した。ハクさんはごくごくとそれを飲み干して、ぶはーっと大きな息を吐く。


「ありがとうバンさん。生き返ったよ……ところで、その子犬は一体どうしたんだい?」

「ああ。こいつか」


 足元できゃんきゃんと鳴いている子犬を指さして、ハクさんが問いかけてきた。

 ハクさんには、昨晩、川で拾ったのだと伝える。子犬の飼い主か、親犬を知らないかと聞いてみたが、思い当たることはないようだ。

 もしかしたら、川上のほうから流されてきたのかもしれない。


 ハクさんは、隣の家にも伝えてくると言って、家を出て行った。

 きっと彼は村中の家を回って、勇王様のことを伝えるのだろう。

 バンはふっと笑ってから、自分の足元で元気に動き回る白い毛玉を抱えて、話しかけた。


「……飼い主や親が見つからないときは、お前はここに住むか?」


 白い毛玉は、元気にきゃんきゃんと返事をした。どうやら、良い返事をもらえたらしい。バンはもう一度ふっと笑って、その子犬の頭を撫でた。

 もふもふとしたその触り心地に、バンは、どこか懐かしさを覚えたのだった。

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