第38話 出会い

 ハクさんのおかげで、いつもより早く起きてしまった。

 少し早いが畑仕事へ行く支度をする。今日は白い子犬も連れて行くことにした。家の中にあったボロ布を裂いて、それを結んで長い紐にする。畑仕事をやってる間は、子犬と木の幹を繋いでおこう。


 くわを使って畑を耕す。仕事の合間に、子犬のほうに目を向けた。

 白い子犬は、蝶と戯れて遊んでいる。


(……もし、あの子犬がこのまま家に住みつくのなら、名前を決めないとな)


 鍬を振りながら考える。犬の名前はすぐ頭に浮かんだ。

 迷うことなく浮かんだ名前は──クーチカ。

 その名を頭の中で呼ぶと、心がほんのり温かくなる。不思議な感覚だ。

 バンは鍬を振り下す。そのたびに、今しがた考えた子犬の名前を呼んだ。


 **


 陽が空高く、頭上に輝いている。涼しい時間から、汗ばむ時間へと変わった。

 バンは一度休憩をしようと思い、子犬のいる木陰に移動して、腰を下ろした。子犬はきゃんきゃんと鳴きながら、自分の足に跳びかかってくる。


「待て、待て。落ちつけ。クーチカ」


 先ほど考えた名前を呼ぶと、子犬はピタリと動きを止めた──と思ったら、大きな声できゃんと鳴き、尻尾をブンブンと振っている。これは気に入ってくれたと思っていいだろうか。ちぎれそうな勢いで揺れている尻尾が、あまりにもおかしくて、バンは、ふはっと声が漏れた。


 クーチカはようやく落ち着き、バンの隣でころんと丸くなる。その姿を見て、目を細めた後、いつもの本を手に取った。昨日、葉を挟み込んでいたところを開いて、続きを読み始める。


 ──勇者と魔王の物語。


 輪廻を繰り返し、運命の二人は再び出会う。そんな内容のお話だった。

 もう何度も読み返し、内容は頭に入っているはずなのに、読み終えるとまた最初から読み始めてしまう。なにかに憑りつかれているようだ、と村の人が呆れていた。


(そういえば、勇王様が……勇者だったって話は本当なのか?)


 魔王を倒し、不老不死の力を手に入れた勇者が、人間と獣人が住む国も、魔の者達が住む国も全てを手に入れ統治している。──それが勇王様。


 昨日、ハクさんが言っていたように、勇王様が探しものをして、この国を端から端まで回っているという話は有名だ。

 この村でも、隣町でも、人々の話題に定期的にあがっており、耳にしない日はない。いまはどの地域を回っているらしいとか、声をかけられたという人物が現れると、どんなことを話したのかとお祭り騒ぎになった。


(全土を統一して、長い間ずっと探しているもの……)


 勇王様が王となって、千年ほどの時が経つらしい。正確な年数は知らないが、風の噂でそう聞いたことがある。

 バンはそっと本の表紙を撫でた。ボロボロになった本を撫でながら、もしかすると、この話は探しものに関係するのだろうか、という考えが浮かんだ。

 しかし、考えたところで、自分には関係ないだろう。


「っと、長く休憩しすぎたな。耕さないと……」


 クーチカの頭をひと撫ですると、バンは立ち上がって畑に戻った。鍬がザクッザクッと音を立てる。

 しばらくすると、足音が聞こえてきた。その足は走っているもののようで、バタバタと慌てた音がする。バンは音が聞こえてきた方へ顔を向けた。


「あれは、ハクさん……?」


 バンが顔を上げたことに気づいたらしい。ハクさんが、ぶんぶんと手を振っている。


「バ、バンさんっ! はーっ……はーっ」

「なにかあったんですか?」

「勇王様が、もう村を出て他の所へ行くそうだよ。バンさんは見に行かなくていいのかい?」

「俺は別に……」

「生きてるうちに拝めるのは、これで最後かもしれないよ? 後悔する前に見といたほうがいいって」


 ハクさんはそう言うと、自分の手を取ってグイグイと引っ張り出した。


「ちょっ、ちょっと待ってハクさん!」

「さあ、急いだ、急いだ!」


 木の幹に繋がれたままのクーチカが、きゃんきゃんと鳴いている。バンは子犬に向かって、ちょっと待っていてくれ、と大声をあげた。

 ずるずると引きずられるようにして、村長の家に向かって歩く。引っ張られて、早歩きになったせいかもしれない。少しばかり胸を打つ鼓動が早くなった気がする。


(もしかして……勇王様と聞いて、緊張しているのか?)


 村長の家が近づくと、人垣が見えてきた。村人総出で集まっているらしい。どうやら、その場にいなかったのは自分だけのようだ。

 人垣の隙間から、ちらりと覗いた。そこには見たことのある姿の人物が立っている。不思議な感覚だ。隣町へ畑の野菜を売りに行ったときに、露店で見た勇王様の姿絵そのままだ。


(絵と同じだ……)


 そんな当たり前なことを考える。そのとき、空色の瞳と目がかち合った。心臓がドキリと跳ねて、思わず目を逸らす。

 ハクさんに引っ張られて歩いていたときよりも、心の臓の鼓動が早い。こめかみの辺りまで、ドックンドックンと大きく脈を打っている。

 バンは、半歩ほど後ろへ下がった。こんなに心乱されることは、いままでなかった。初めての感情に恐怖を覚える。


(怖い……)


 このまま後ろに下がって、もう立ち去ろう。そう思ったときに、人垣の足の隙間から白いものがヒュッと飛び出してきた。その白いものは、勇王様に飛びついている。バンは目を見開いた。あれは、まさか──と、人垣を掻き分けて、叫ぶ。


「──クーチカ!」 


 叫んだ瞬間、勇王様がバッとこちらを見た。クーチカを抱いて、自分を見ている。

 咄嗟に取った自分の行動に、舌打ちをしたくなった。突然、大声を張り上げ、飛び出して、不敬だったかもしれない。


「……いま、なんと言いましたか?」

「も、申し訳ありません。その子犬が……」


 空色の瞳を真正面から見てしまった。互いの視線が絡み合って、動けないでいる。自分と勇王様の間に静寂が訪れた。


 その静寂を破るように、勇王様のお供の方とハクさんが同時に声をかける。


「勇王様、どうされましたか?」

「バンさん、大丈夫かい?」


 勇王様が目を見開く、そして、つぶやくようにポロリと言葉を零した。


「バン……貴方の名前は『バン』というのか……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る