第4話 旅路

 陽が昇り、朝になった。

 クチカが食事を終えてから、また街道を歩きはじめる。

 時折、休憩を挟みながら先を急ぐ。そうして、陽がまた落ち始める前に野宿できる場所を探した。


 今日は大樹の下ではなく、岩壁の少し窪んだ場所を選んだ。

 洞窟といえるほど深くなく、雨風がしのげる程度の穴が空いている場所だった。

 ここを見つけるのに少し時間がかかってしまった。辺りはだんだん暗くなってきており、空が闇に包まれるのも時間の問題だった。


 ヴァンは急いで小枝を集めた。枯葉は岩穴に溜まっていたものを使う。穴の少し外側で火をつけた。炎が揺らめき、ぱちぱちと小さな音を立てる。クチカは昨夜と同じように、じっと見入っていた。


 ヴァンは穴から数歩離れた場所に立って耳を澄ませる。かすかに流れる水の音を耳が捉えた。近くに川がある。そう確信したヴァンは岩穴に戻ると、麻袋の中に手を突っ込み、水入れ用の筒を取り出した。


「すまないが、火と荷物を見ておいてくれ。俺は水を汲んでくる」

「はっ……はい」


 クチカに焚き火と荷物の見張りを頼んで、薄暗い外に出た。水音の源を探す。

 音を頼りに歩いて行くと小川を見つけた。足を滑らせないように気をつけながら、身をかがめ、両手で水をすくって、口に含む。どうやらこの川の水は飲んでも大丈夫そうだ。

 ヴァンは筒を持ったまま、川の中にどぷんと沈めた。すぐに引き上げて、筒をひっくり返し、中の水を捨てる。それを二、三度繰り返して中を洗った。それから水を入れ、しっかりと栓をしたのを確認して、立ち上がる。踵を返して、クチカの待つ岩穴を目指した。


「……ですっ!」


 岩穴に近づくにつれ、複数の人の声が聞こえてきた。その中には子どもの声も混ざっている。


「だめっ……ですっ!」


 闇色が濃さを増していく中、雲の隙間から覗く星の明かりが、岩壁の辺りをほんのりと照らし出す。

 三人の男達がクチカの手から麻袋を取り上げようとしていた。クチカは必死になって麻袋にしがみついている。

 男達はこの辺りに住んでいるならず者なのかもしれない。乱雑な髪と無精ひげが、荒くれた印象を強めた。


「いい加減、その手を放せ! このクソガキ!」

「こいつ、首輪してんじゃん。うわっくっせ! 獣臭ぇ! 半獣の奴隷かよ」

「半獣奴隷は人間様の言うことを聞けって、おらぁっ!」


 ひとりの男が、クチカの胸倉を掴んで、腹に膝蹴りを入れた。クチカが地面にうずくまって丸くなる。ゴホゴホと咳が止まらない。そのまま嘔吐えずいて、げぇっと吐いた。地面には小さな水溜まりができている。


「が……がえじで……ぞ、れ、がえじで……ヴァンざまの」


 痛みで腹を丸めながらも、右手を伸ばすクチカ。もうひとりの男が、その手を思いっきり踏みつけた。小さな悲鳴をあげるクチカを見下ろしながら、男達は下卑た笑いを浮かべている。


(なにをしている。なにをしている。俺の──になにをなにをなにをなにを)


 眼の裏がカッと熱くなる。ヴァンは水の入った筒を小さな岩の脇に置くと、ゆっくりと近づいた。ゆらりと紫煙しえんまといながら、男達に声をかける。


「ここで、なにをしているのですか」

「ヴァ──」


 クチカを見て、『喋るな』と合図を送る。

 合図に気づいたクチカは両手で自分の口を押えると、こくこくと頭を上下に振った。

 三人の男達に向かって紫煙が伸びていく。身体にゆらゆらと巻きつくと、彼らは、ぼんやりとした表情を浮かべて惚けていた。


「こんな子どもを相手していないで、私とイイコトしませんか?」


 男達は、ふらり、ふらりと近寄ってきた。

 先ほど水を汲んだ小川の向こう側は、木々が生い茂っている。

 そちらへ男達を誘導するために、ヴァンは先頭を歩き始めた。

 ヴァンはふり返ってクチカを見る。そして、荷物を回収して穴に戻るようにと、指で合図を送った。


 **


 暗い林の中。人と人が重なって、ひとつになった姿が浮かぶ。

 がさがさと揺れる葉の音に混じって、はぁはぁと荒い息が聞こえた。


「はぁっ……はぁっ……あれは俺のだ。俺のモノに手を出すな。手を出すな出すな出すな」


 ヴァンは男の肩を掴んで、ガクガクと揺らす。強く揺らしすぎたようで、その男はドサリと後ろに倒れ込んだ。夜空に浮かぶ大きな星の明かりが、男の顔を照らし出す。男は醜く歪んだ表情を浮かべたのまま、こと切れていた。他のふたりも同じような顔をして、地面に転がっている。


 ヴァンは腰の短剣を引き抜いて、男達の脚の付け根辺りを突き立てた。切り落としたばかりの雄の袋の中に指を突っ込んで、血に濡れた白色はくしょくの丸い『たま』を取り出す。まだ生温かい『珠』を口に含んで、ギチュッと噛み潰して呑み込んだ。

 男が三人、つまり『珠』は全部で六個。いまの自分には、とてもありがたかった。


「はぁ……これで当分の間、腹が誤魔化せる」


 クチカには、我慢できるから大丈夫と言っていたが、実はかなり腹が減っていた。

 ぐぅぐぅと鳴る腹は『早くあいつを食べろ』と催促して、とてもうるさくて困っていたんだ。

 手も服も血がべったりと付着している。ヴァンは血を洗い流すために、小川へ向かった。川に入り、水で軽く手を洗ってからマントと服を脱ぐ。明らかに血だと分かるところは、ごしごしと擦った。顔も軽く洗い流していると、ターバンに手があたり、頭から少しずれる。


(一度、巻き直すか)


 しゅるりと解いて、ヴァンの頭が露わになる。

 闇夜と同じ色をした髪が、はらりと落ちてきた。

 その髪をかき上げると、いつの間にか小川に来ていたクチカと目が合う。

 クチカは麻袋を腹に抱えたまま、目を見開いていた。


「……驚いたか?」

「ヴァン、さま……? その頭は……」

「ああ。そうだ。見ての通り……俺は人間じゃない」


 ヴァンは頭頂部と耳の間の辺りにある硬い『モノ』を指さした。

 人間にも獣人にも無い『モノ』


「これで分かったか? だからお前は俺の家畜なんだ」


 そう言うと、再びざぶざぶと洗いだす。クチカにバレたのなら、もういいかと、ついでに頭も洗った。ターバンを軽く絞って、全身を軽く拭きあげると、ヴァンは小川から出て、穴へと戻る。濡れた服は岩壁に張りつけて干した。


 全裸でいるヴァンに、クチカは買ったばかりの陽よけのマントを差し出してきた。顔を真っ赤にして、視線をあちらこちらに彷徨わせている。男同士なのだからいいかと思ったが、股間にぶら下っているものが気になるようだった。

 ヴァンはマントを受け取って、腰に巻く。そしてごろんと横になった。岩壁の穴の外で、ホウホウと鳥が鳴く。その声を聞きながら、夜が明けるのを待った。



 翌朝、ヴァンはまだ湿り気のある服を着て、角を隠すためのターバンを頭に巻いた。クチカが食事を取っているうちに、火の始末をし、準備を整えてから歩きはじめる。ちらちらとこちらを見て、なにか聞きたそうなクチカにヴァンは話しかけた。


「クチカ。少し遠いが、あそこに薄っすらと大きな壁があるのが分かるか?」

「はっはい! わかります! 見えます!」

「俺達はあの壁に向かって歩いている」

「あの壁は……なんなのですか?」


 クチカにそう問われて、そういえば奴隷商店で生まれたのだったなと思い出した。この世界に暮らしていて、あの壁のことを知らない人間や獣人は少ない。クチカのように閉ざされた世界で生きていた者以外は、ほぼ皆知っていると言っていいだろう。

 昨晩、自分の姿を見ても、さほど驚いていなかったのは、そのせいだったかと今更ながらに気がついた。


「あの壁の向こう側は『魔ノ国』と言われている」

「まの、くに、ですか?」

「そうだ。人間や獣人が『魔族』や『魔人』と呼ぶ種族が住んでいる国だ」

「まぞく、まじん」

「大抵の人間や獣人は、あの壁に近づかない。魔の者を恐れているんだ。あいつらは魔の力を使うから、怖いと恐れている」

「おそれている……」

「なぜ人間や獣人が恐れる壁を、俺達は目指しているのか。それは、壁の向こうに俺の家があるからだ。クチカ。俺はな、魔ノ国で──『王』をやっている」


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