第5話 扱い

「魔ノ国の王さま……?」

「ああ、そうだ」


 クチカは目をぱちくりとさせている。口の中で、王さま、王さま、と何度もつぶやいた。小さな足がてててっと走り出し、ヴァンの前に出る。そして、振り返ると地面に膝をついて、頭を擦りつけた。


「ごめんなさい。あのときは、あなたさまのご飯を食べてしまって、本当にごめんなさい」


 あの奴隷商店の中にいても『王』というものが、どんなものなのか知っていたらしい。クチカはゴワゴワの尻尾を脚と脚の間に入れて、ぶるぶると震えていた。


(……そうか。こいつにはまだ、俺の食事のことを言ってなかったな)


 ヴァンは「クチカ」と声をかけた。

 クチカは頭を地面に擦りつけたまま「はい」と小さく答える。


「顔を上げろ。そんなことはしなくていい」

「で、でも……とても尊い、高貴な方だと聞いたことがあります」

「俺の姿を見てみろ。こんなに薄汚れた服を着て、くたびれたマントを身に付けた者が『王』だと誰も思わないだろう。道中ずっとそのようにしているのか? いいから顔を上げて、立ちなさい」

「は、はい……」


 ヴァンがそう言うと、クチカはようやく立ち上がった。

 しかし、顔は下を向いたまま、俯いている。


「クチカよ。今、俺の腹は鳴っているか?」


 そう問われて、クチカは少し顔を上げた。ゴワゴワの耳を動かして、音に集中している。


「……そういえば、してません。あれ? どうして?」

「実はな、俺は、人間や獣人、他の魔の者たちと食べるものが違うのだ」

「そう、なのですか?」

「昨日、現れた男達がいただろう? あいつらから『珠』をいただいた。それで腹を満たしたから、いまの俺は腹が減っていないんだ」

「たま、ですか……」


 クチカの顔に『珠』とはなんだろうと書いてある。詳しく説明してやってもいいが、まだ子どもだ。もう少し大きくなるまで、教えなくてもいいだろう。

 他のやつらとは食べるものが違うのだと、それだけを分かってくれればいい。


 ヴァンはクチカの背中を軽く押して、止まっていた足を動かすように促した。

 隣を歩いてもいいのかと、上目遣いでこちらを見たので、口角を上げて返事をする。クチカがほっとした顔を見せたのを確認してから、ヴァンは前を見た。


 目の前の街道の先の、先。

 道が途切れたそのまた先にようやく壁があるのだ。


「先は長い。疲れたら遠慮せず、ちゃんと言うんだぞ」

「はっはい! わかりました!」


 クチカの背中がピンッと伸びる。ゴワゴワの尻尾も一緒になってピンッと伸びた。

 その様が可笑しくて、ヴァンはくっくっくっと喉を鳴らす。


「ヴァンさま……ボ、ボク、なにか変でしたか?」

「いや、すまない。さあ、行くとしよう」


 **


 街道を歩く。王都へ近づけば近づくほど、その道は整備されて平坦になり、遠くなればなるほど、その道はいびつになって、歩きづらくなる。

 道が少し、でこぼこと歪んできたところで、向かいから歩いて来た人とすれ違う。

 ひとり、またひとり、旅人とすれ違った。


 街道で人とすれ違うとき、大抵はなにもしないか、軽く手を挙げて挨拶するか、そのどちらかになることが多い。旅というものは、慣れている者もいれば、そうでない者もいる。慣れていない者は、誰かとすれ違う際に挨拶を交わし、情報交換をすることが多かった。


 進行方向から歩いて来る若者の姿が見える。あちらも、こちらの存在に気づいたようで、ぶんぶんと手を振ってから小走りに駆け寄ってきた。


「もしかして、この先にある町から来た人ですか?」

「ああ、そうだ」

「ああ~良かった。俺、この街道を歩くの初めてなんですよ。今晩、野宿するのに良さそうな場所を知ってたら、教えてもらえませんか?」

「そうだな……」


 ヴァンは後ろを振り返り、歩いた道を思い返す。あの丘の大樹の下は良かったな、などと考えていたとき、「うえっ」という声が聞こえた。


「なんだ、どうした?」

「なぁ……あんた、こいつ首輪をしてるじゃないか。人の姿で耳と尻尾が獣ってことは、半獣で、しかも奴隷なんだろう? なんで、隣を歩かせてるんだ?」


 若者はクチカを指さして、顔をしかめる。あっちへ行けと言わんばかりに手を振って距離を取っていた。


「別にいいだろう。俺のモノをどうするのか決めるのは、俺のはずだが?」

「……それはそうなんだけどさ。普通、奴隷は紐で繋いで、もっと離れて歩くものなんじゃないのかい?」


 その言葉を聞いたクチカは耳と尻尾を下げて、ずりずりと後ろに下がった。

 ヴァンは、はぁとため息をつく。


 人間と獣人の国では、人間が『上』で、獣人が『下』というのが『普通』だ。

 その普通は、奴隷の中にも適用されている。奴隷かつ獣人ということであれば、最下層の人……いや、もう『人』とも認められていないだろう。

 彼らはそれが当たり前だと思っている。長年、そういうものだと思って、日々を過ごしているのだ。それがおかしなことだと考えもしない人間や獣人が、とても多い。


(……力ではお前達人間は、獣人に到底敵わないというのに)


 魔ノ国にいるから分かる。外側にいるから見える。いびつな形。

 だからといって、それをわざわざ指摘することはしない。

 しかし、そのいびつな形にめ込んで、自分のモノになにか言われるのは、我慢ならない。


 ヴァンは若者に向かって、にこりと笑みを向ける。そして後方を指さした。


「このまま歩いて行けば、細道と二手に分かれているところがある。細道を行くと、岩壁が見えてきて、雨風をしのげる穴があった。俺達は昨晩そこで夜を明かしたんだが、そこはどうだろう? すぐ近くに飲み水としても使える小川もあったぞ」


 クチカはなにか言いたそうにヴァンを見た。ヴァンは昨晩と同じように『喋るな』と合図を送る。クチカはこくこくと頭を上下に振って、静かにしていた。

 自分達のやり取りに気づいてない若者は声を上げる。


「うわっ! 本当ですか! そんなところで休めるなら最高ですね。ちょうど飲み水も空になりそうで、チビチビ飲んで誤魔化していたんです。ありがたい。そうだ。良かったら、これをお礼に……」


 若者は背負っていた荷物の中から、干した芋のようなものを差しだしてきた。ヴァンはそれを数本受け取り、麻袋の中に入れる。


 若者はぶんぶんと手を振って、自分達が歩いて来た道をたどる様にして去って行く。こちらも手を数回振り返し、それから歩き始めた。

 後ろから、てててっと追いかけて来る足音が聞こえる。クチカはヴァンの少し後ろの位置で、足を緩めてから話しかけてきた。


「ヴァンさま……あの人に、あの岩穴の場所を教えてよかったのですか?」

「ああ。いいんだよ。それに、嘘は言ってないからな」


 そう。嘘は言っていない。もしかするとあの辺りには、他にもならず者がいて、夜な夜なうろついてるかもしれない。または、昨晩死んだ男達の肉を狙って、獣がいくらか寄ってきているかもしれない。

 かもしれない、だからな。聞かれていないことは答えないし、そこまで親切にする必要もないだろう。

 あの若者が幸運に恵まれているのであれば、ならず者も、獣も、きっと現れない。その運は天のみぞ知る、だ。


 ヴァンは後ろを歩くクチカを見た。ちょいちょいと手招きして、隣を歩くように指示をする。


「……ボクが隣を歩くと、またなにか言われませんか?」

「お前の主は誰だ? その主がいいと言っているんだ。もう、横から口は出させないさ」


 クチカは、てててっと走ってヴァンに追いついた。

 ヴァンは隣に並んだゴワゴワの白い頭を二度、撫でる。


 こちらの国と魔ノ国を隔てる壁まではまだ遠い。

 少しずつ荒れて行く道を、ただひたすら歩き続けるのだった。

 

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