第6話 魔ノ国
荒れた街道が途切れ、
ヴァンはクチカを脇に抱えて、紫煙を纏わせると、力を使って壁を抜け、『魔ノ国』へ入った。
壁の反対側もまた深い森になっており、ぐんと伸びた木々が、空を覆っている。
魔ノ国の木の葉の色は、緑ではなく赤紫色をしている。微量ながらも魔力を含んだ土で育った植物達は、その色を変えた。
珍しい木々の色に、クチカは目を丸くし、口をぽかんと開けている。
頭上から何本も垂れ下がっている
しばらく歩いて、空を埋め尽くしていた木の葉の数が減ってきた頃、遠くに人の姿が見えた。どうやらこちらへ向かって、一直線に走ってくる。
「王よ! 今まで、どちらにいらっしゃったのですかっ!」
ヴァンより縦も横も大きな男が、そう声をかけてきた。
肌の色は浅黒く、その瞳は赤い。眼球が黒いため、人間や獣人と種族が違うのだとひと目で分かる──魔人だ。
「ブラッドか。お前が城の外に出るとは珍しいな」
「お守りしなければならない相手が、いつの間にか消えていたのですから、探しに出るのは当然のことです!」
「そう大声を出すな。耳が痛いぞ。普通に話せ」
「……それで、王は今までどちらに?」
「ちょっとな。散歩だ」
ブラッドは納得がいかないらしく、眉をしかめた。
ヴァンの真横に張り付いて、歩きながら更に問いかけてくる。
「散歩で何日も……ところで、隣にいるその者は?」
「ああ。こいつか。こいつは俺の非常食だ」
「非常食、ですか?」
「名はクチカ。改めて、皆には伝えるが、こいつには傷ひとつ負わせてはならん。万が一、傷を負わせたときには、そいつの首が飛ぶと思え」
「は、はぁ……?」
ブラッドは首を傾げ、クチカを見た。
クチカは、身体の大きなブラッドが怖いのか、少し怯えて、戸惑っているように見える。ヴァンはふっと笑って、大丈夫だと頭をひと撫でしてから、歩みを進めた。
森を抜けると、広大な土地が眼下に広がる。赤茶色の草花が、風で揺れ、かさかさと音を立てていた。
開けた場所に、大きな城がそびえ立っているのが見える。
魔城──これが『家』だ。
クチカとブラッド、ブラッドが供として連れてきた三人と自分を合わせた計六人で、城を目指した。先頭にブラッドと供が一人。自分とクチカを間に挟むようにして、後ろに供が二人並ぶ。
常に一番後ろに控えることが当たり前の人生だったクチカは、誰かに守られるような形で歩くことに慣れないようで、何度も何度も、後ろを振り返っている。
供の者達と目が合うたびに、ぴゅっと視線を逸らし、誤魔化す。クチカのその反応が新鮮で面白い。
ヴァンはそれを見る度に、ふっと笑みをこぼした。
**
ようやく城へたどり着いた。城門をくぐり、一番奥にある大きな建物の中に入る。
城の中に入るとヴァンの帰還を聞きつけた者達が、次々と声をかけてきた。
ひとりひとり対応するのも面倒になったヴァンは、ブラッドに主要の者達を広間に集めるように、と伝える。彼らの話をまとめて聞き、こちらもまとめて、クチカのことを伝えることにした。
クチカは城の中を、キョロキョロと見回す。
見るものすべてが新鮮で楽しいのか、目がキラキラと輝いていた。
「クチカ。こっちだ。あとで城は案内させる」
「はっはい!」
自分の部屋の前に到着し、扉を開け、クチカと共に中に入ろうとして、ブラッドに止められた。
「王よ。その客人をそのまま部屋に入れるのですか」
「そうだが。なにか問題でもあるか?」
「その……身なりを整えてからのほうが、よろしいかと」
「俺の姿も大概くたびれているのだが?」
「貴方様は良いのですよ」
ブラッドはこういうところが細かいし、うるさい。そして絶対に譲らない。
致し方ないと諦めて、クチカを手招きした。
「クチカ。お前はこいつについて行け。ブラッド、そう言うからにはお前がしっかりと面倒をみるんだぞ。この者の部屋の準備も頼む。それから……ああ、着替えが終わったら、ここに食事を運べ」
くぅと小さく腹を鳴らしたクチカを見て、ふっと笑う。
クチカは慌ててお腹を押さえていた。
「じゃあ、ブラッド。頼んだぞ」
「──ハッ!」
ヴァンは、もう一度ブラッドに念押しして、部屋に入った。
くたびれたのマント、薄汚れた服、頭に巻いたターバンを順に外していく。
「俺も湯浴みするか……」
疲れた身体を休めたい。ヴァンは指を鳴らして影──控えの者を呼んだ。脱いだ服をその者に預けると、部屋の中に備え付けてある簡易的な風呂へ続く扉を開ける。浴槽の湯の色が、薄茶から透明へと変わる頃、ようやく風呂を出た。
控えの者が新しい服を渡してくる。ヴァンはそれを受け取ると、袖を通し、姿鏡を見つめた。鏡には闇色の長い髪に金色の瞳、そして頭頂部と耳の間の辺りから、天に向かって角の生えた男が、そこに映っている。
椅子に座り、一息ついていると、部屋の扉がコンコンと叩かれた。控えの者が扉を開ける。そこには小綺麗になったクチカが立っていた。
「ほう。随分と綺麗になったな」
「あの……ボクが、こんなに良い服を着ていいのでしょうか?」
「良い服? 普通の物に見えるが……ああ、そうか。お前が今まで着ていた服は、
「……あ」
ヴァンの顔を見たクチカが、ぽかんと口を開けている。
空色の瞳が見ているのは、顔ではなく、おでこの少し上の辺りだろうか。
ヴァンは、人差し指で角を軽く叩いた。
「これが気になるか? ここでは角を隠す必要がないからな。そのうち見慣れるだろう。ところで、いつまでそこに立っているんだ? 中に入れ」
「す、すみませんっ!」
部屋の中に入ってきたクチカの腹が『ぐぅ』と鳴る。
クチカは慌てて、腹を押さえた。
「す……すみません。ヴァンさま……」
「気にするな。あれだけ歩いたんだ。無理もない。食事にするとしよう」
ヴァンはそう言って、控えの者に合図を出した。しばらくすると、部屋の中に料理が運ばれてくる。次から次に並べられる皿を見て、クチカの瞳が輝いた。
「クチカ。好きなだけ食べろ。ただし、限界を超えるほど食べるなよ。あとで
「わ、わかりました!」
「道中でも言ったが、まずお前はしっかり食べろ。そして太れ」
「はっ、はいっ!」
クチカは元気よく返事をすると、ぱくぱく食べ始めた。にこにこ笑って、幸せそうに頬張っている。ヴァンはその顔を見ながら、自分の皿にのっている白く丸い『珠』を口に入れた。ギチュッと噛み潰して、ごくりと喉を鳴らしながら、嚥下したのだった。
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