第7話 成長

 クチカが魔城に来て、どれくらいの時が経過しただろうか。

 やせ細った子どもは、少しずつその身体に肉を付け、ようやく他の子どもと遜色そんしょくないほど成長した。

 城の中で迷子になることも少なくなった頃、ヴァンはクチカを部屋に呼んだ。

 コンコンと扉が叩かれる。控えの者が扉を開け、クチカを中に招き入れた。


「お呼びですか?」

「ああ。そこに座りなさい」


 ヴァンは装飾が施された長椅子を指さす。クチカはそこにちょこんと座った。控えの者が茶と菓子を出して、姿を消す。ヴァンもクチカの隣に座って、口を開いた。


「ここでの生活はどうだ。不自由していないか?」

「ヴァンさ──王様。はい。なにも不自由していません」

「ヴァンでいい、と言っただろう?」

「で、でも……」

「ブラッドあたりに、なにか言われたのか。仕方がないな……あいつは、うるさいからな。では、ふたりでいるときは、ヴァンと呼ぶんだぞ」

「わ、わかりましたっ」


 クチカは、こちらを見ながら、笑顔で答える。

 ここに来たばかりの頃はゴワゴワだったその尻尾も、今ではふさふさになった。

 その尻尾を大きく振って、喜びを表している。


「クチカ。お前は『俺の家畜だ』と言ったことを覚えているか?」

「はいっ! 覚えています」


 突然そんなことを言われたクチカが、驚いて、ピンと背を伸ばした。とうとう食べられる時期ときが来た、と思ったのか、小さな震えと彼の緊張が伝わってくる。

 ヴァンはふっと笑って、尻尾と同様に、すっかり柔らかくなった白い髪を撫でた。


「馬鹿め。まだ食わん。お前は明日から勉強を始めるんだよ」

「勉強、ですか?」

「学びたいのだろう? ブラッドから聞いている。色んなものに興味を示し、学ぶ意欲があると。人間や獣人のいる国に比べると、蔵書は少ないかもしれないが、一応書庫もある。気になるものから、少しずつ学んでみるといい」

「……ボクは家畜なのに、いいんですか?」

「頭が良くなれば、それだけ美味くなる。俺のために励め」

「はっはいっ!」


 **


「王よ! あの者は素晴らしいな!」


 クチカに勉強しろと言って数日。

 ブラッドには一日の終わりに、クチカが学んだことの内容を報告させていた。

 自分がずっとそばについてやるわけにもいかず、このような形で、彼の成長を見守っている。


「お前が先に口を開くとは珍しいな。そんなにか」

「も、申し訳ありません」

「気にするな。お前が堅すぎるだけだと、いつも言ってるだろう」

「いえ、臣下と王の間には適切な距離というものがあります。これを守らねば、規律は容易く崩れてしまう。気安い王は侮られる。貴方様が侮られることなど、万が一にもあってはならないことです」

「まったくお前は……今はふたりしかいないが?」

「ふたりだからこそ、です」


 姿勢を正して、ブラッドが今日のクチカの様子を報告する。

 次々と耳に入ってくるその内容に、自然と口角が上がっていった。


 クチカは、まるで水を吸う綿のように、するすると知識をその頭に入れていく。

 獣の血が半分流れているその身の能力も高いようだ。適切な食事でしっかりと肉を付けた身体は、ようやくその力を発揮していた。

 

(何も知らず生きてきた籠の鳥は、外界を知り、ようやく羽の使い方を覚えたか)


 充実した日々を送れているようで、嬉しくなる。


(こんなつもりでは、なかったのだがな……)


 あのとき──クチカに初めて会った日の自分は、空いた腹を満たそうと、ひっそりと城を出て、壁を越えた。

 いつものように安い男の奴隷を買って、殺して、その男の『珠』をむ。

 そのつもりで行った町で、『運命つがい』に出会ってしまったのだ。


 自分の運命の人は、やせ細った半獣の子ども。

 奴隷商店の中という狭い世界で育っていた小さな子ども。

 なにも知らぬ子どもが、外の世界を、その空色の瞳に映し出す。

 新しいものを知るたびに、出会うたびに、目を輝かせて喜びを表していた。


(お前の喜びは、俺の喜び……)


 愛しい、愛しい、我が運命。

 

 運命クチカが────と言うその日まで、静かに待っているとしよう。


 **


 朝から外は生憎の天気。ひどく荒れている。

 雷鳴が轟き、雨風は窓という窓を叩き割る勢いで激しく打ち付けていた。


 ヴァンが廊下を歩いていると、自分の先を走るクチカの姿が目に入った。尻尾が揺れ、書庫へ吸い込まれるように入って行く。彼の姿は一瞬で見えなくなってしまった。


『ぐぅ』


 クチカを見たことで、ヴァンの腹が鳴った。少しばかり成長した彼は、とても美味しそうに見える。


『ぐぅ……ぐぅ……ぐぅ』


 ヴァンは腹をさすって、止めていた歩みを再開した。

 自室に戻ると控えの者に食事を頼む。しかし、今日は運悪く食事の準備ができないようだ。天候の影響で、食材が入ってこないらしい。


「……そうか。確かにこの悪天候ならば、仕方ないな」

 

 強風でガタガタと揺れる窓に近づき、外を見る。まるで樽の中身でもひっくり返したような雨が降り続けており、外の様子は歪んでぼやけて、ハッキリと見えなかった。

 空腹を誤魔化すことが難しい。であれば、この部屋にクチカが近寄らないようにしなければならない。


「ブラッドに伝えてくれ。今日はクチカをこの部屋に来てはならないと」


 控えの者はペコリと頭を下げて、スッと消えた。

 ──食べるものがない。

 そう意識をすると更に腹が減る。ヴァンは椅子に座って、腹をぐっと押さえた。

 『あいつを寄こせ、あいつを寄こせ』と身体中がぐぅぐぅと音を立てる。


「まったく……うるさいやつだ。少しくらい我慢したら、どうなんだ」


 ***


 朝。──ヴァンは、目が覚めると、すぐ外を確認した。

 窓枠はガタガタと揺れ、その外側は雨風でひどく荒れている。


(今日もまた駄目か……)


 はぁ、とヴァンはため息を吐いた。もう何日も食材が『魔ノ国』に入ってきていない。己の腹が、『ぐううぅ』とより一層大きな音を立てた。


 王族は他の魔の者達と違って、普通の肉が食べられない。

 食べること自体は出来るのだが、それでは腹は満たされない。

 この腹は、人の『珠』でしか膨れないのだ。


 獰猛な魔獣のような声がグルグルと身体中に鳴り響く。

 ヴァンはベッドの上でうずくまり、腹を押さえて、ひたすら耐えた。

 指を鳴らして控えの者を呼ぶ。


「ブラッドに……伝えよ。絶対に、クチカを……部屋に近づけるな」


 控えの者は、頭を下げて消えた。ヴァンは枕に噛みつき、渇きの嵐が過ぎ去るのをただただ待つのだった。

 

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